『だってわたしとおかあさんのやくそく、だから……』

それは雨の雫か、はたまた瞳から零れ落ちた悲しみの欠片だったのか。

『だから、なかないよ……』

そう言っていつものように笑おうとすればするほど不恰好になってしまう。それでもただひたすらに笑うことこそが正しい事なのだと信じ込んで、笑おうとする少女が痛ましかった。
悲しいと心は叫んでいるのにそれを上手く表すことが出来ないのだ。まるで甘え方を知らない大きな子供。あまりにも不器用なその子の姿に、思わず手が伸びた。

『――――…おかあさん…――――』

……ああ、私が母だったらこんな風に娘を心配したのだろうか。そう思った途端、私に記憶がないことが怖くなった。

私の名前はマリー。マリー=エージェント。
恐らく年齢は23〜26の間ではないだろうかと思っている。誰かと生涯を誓い合い、子供を授かっていてもおかしくはない年齢だ。
だとしたらその子は?私が今もこうしている間に寂しさで泣いているかもしれない。悲しいと叫んでいるかもしれない。はたまた母がいないことを憎んでいるかもしれない。……もしそうだとしたら哀しいし、苦しい。

無いものは仕方がない。
一つずつゆっくりと思い出していこう。そう決めてはいたが、旅が順調に進む傍ら、私の記憶は一向に戻る気配はない。それをふと、不安に思ってしまったのだ。

もしかつての私が独り身であれば一向に問題はない。だが、ノイシュタットの桜を見た時から何かが引っかかって離れないのだ。

私に桜を持ってきた人。そしてそれを美しいと言った私。

私はとても大切な何かを、どこかへ落としてきてしまっているような気がするんだ――…



























Tales of destiny and 2 dream novel
21 粉雪と記憶






ファンダリアの首都ハイデルベルグは内陸部にある。そのため最も近い港町スノーフリアで降りて、陸路を使おうという話になった。グレバムの情報を集める必要がある以上、情報量が見込める場所へ向かうのが筋だろう。

その考えは間違ってはいなかった。
現在、ハイデルベルグでは内乱が起きているらしい。怯えたように扉を硬く閉ざすスノーフリアの住民から、なんとか情報を聞き出した私達は次の目的地をハイデルベルグに定めることを確認した。内乱の原因がほぼ間違いなくグレバムの引き起こしたものではないかということになったからだ。

『現地に言って詳しい情報を集めてみないことには確信できないが、ほぼ奴だと思っていいだろう。アクアヴェイルと手口が似ている』

リオンの言葉を借りるとこんな感じ。
そんなわけで、私達はスノーフリアで防寒着を整えてティルソの森に入っています。なんでも、ここを通って向かうとファンダリアは近いそうな。

アクアヴェイルに続いてファンダリア。一体グレバムはどれだけ人の血を流させれば気が済むのだろう。巨大なレンズの固まり一つで世界が動く。神の目に魅入られてしまったことで、グレバムは生き方を変えてしまった。そしてその狂気を誰かが止めなければならない。

「……なんだか、騒がしくありませんか?」

遠くから人の話し声が聞こえてくる。森の中が静かだったから、それは余計に騒がしく聞こえた。

「……?」
「あ、あれは……まさか!」

何か思うところがあったらしい。
声のする方角に向かって、ものすごいスピードで隣をスタンが駆け抜けていった。

唖然としてその姿を見送った後、ようやく視線を声のした辺りへ持っていくと、どう見直しても軽装の人間がフル装備の兵士達に追いかけられていた。

「ちょっと―――!」

置いてくなーーーーー!と続いた叫び声を置いて、スタンの後を追ったのは言うまでもない。
条件反射みたいなもんです。仕方ない。

「ウッドロウさんっ!」

真っ先に銀髪に青い鎧の男性の元に駆けつけたスタンが声を上げる。
どうやらこの人とスタンは知り合いらしい。

「む、見られたか!」
「構わん、目撃者は消せ!」

あらあら、どうやら訳有りみたいなご様子で。
思わず漏れた呟きは、後から追いかけてきたリオンの「見れば分かる」という余計な一言によって一掃されてしまった。
それもそうか、と今更ながらに一人納得。スタンが呼んだ例の御仁の名前は、どう考えてもまた騒動を呼びそうな気配がぷんぷんしてる。世情も知らんのか、とねちっこく嫌味を言っていたリオンに対抗して読み始めた新聞の情報が今更ながらに役に立った。

「まあ、とりあえず……」
「フフフ……返り討ちだな」

抜き身の斧をかざしたマリーさんの言葉を皮切りに、数の優劣が逆転した戦闘による一方的な猛攻が繰り広げられたのは言うまでもないことだったのかもしれない。





「うん、美味しい」

ぬくぬくのココアは冷え切った体を芯まであっためてくれる。
まろやかで優しい甘さに思わず目じりが下がってしまうのは、結構ハードな旅が続いたことかもしれない。最近はこんな風にまったりお茶することなんて特になかったから。

「緊張感のない奴め」

ごもっとも。平時だったらこんな時にまったりなんてしてません。

先ほど無事兵士達を追っ払い、逃れてきた男性をスノーフリアの宿屋に匿った所。今は彼の意識が戻るまで下の食堂で休むことになっていた。いつもなら先へ先へと進むところなのだが、意識のない人を無理に叩き起こす訳には行かず、事情を伺うためにも彼の目が覚めるのを待っているという現状だ。

「ここ最近ずっとピリピリしていましたから、こんな時だからこそですわ」

にっこり笑って、ココアを一口。そんなフィリアの言葉はある意味とても正論で、リオンは苦々しそうにプイと横を向いてしまった。あー、こりゃ拗ねてるな。

それにしてもリオンに対してすんなり意見を言えるようになったフィリアを見ていると、随分雰囲気が変わったなぁと思う。パーティに加わった時は萎縮しきっていて、リオン専門特別製嫌味のストレスに耐えられるのかちょっぴり不安に思った頃が懐かしくなる成長ぶりだ。
それだけフィリアは強くなったんだろう。色々なものを乗り越えて。

「で、話を戻すけど。あの人どうすんのよ」
「決まってる。助けて恩でも売っておくさ」
「あくどい言い方するわねぇ」
「貴様に言われるとは思わなかったぞ『金の亡者』」
「……こんのクソガキ…っ!」
「何だヒス女」

あー、また始まったよ。
とっくの昔に毎度お馴染みとなってしまった光景に小さくため息をついて、リオンの言いたかったのであろう言葉の意味を推測してみることにした。

「多分、ハイデルベルグはグレバムの手に渡ってしまったんじゃないかな?だからウッドロウ王子がここまで逃げてきたんだと思う。リオンが言いたかったのって、王子の王座奪還を手助けするのに乗っかってグレバムから神の目を取り戻そうって事でしょ?」

私だって馬鹿じゃない。
この旅でちょこっとくらいは考える頭を成長させているつもりだ。

「……フン」

否定しないところを見ると、概ねあたっていたらしい。あー、良かった。
だって好きな人の考えることだもの。ちょっとくらい考えを共有したいって思うのは乙女心と言うやつですよ。それにしても色気は無いと思うけど。

最近、前ほどリオンを過剰に意識することは少なくなったと思う。
咄嗟の行動に固まったりとか、言葉が詰まったりすることは………って待った。ただ単に猛烈に慌しくなったのと、師匠が絡んできたからまともに考える暇がなくなってただけなんじゃ……。

「研究以外のことに対してない頭なりに勉強しているようだな」
「………っ…!」

瞬間、頭の中が沸騰した。

「……トイレ!トイレに用があった!いってきまあああああああああああす!!!」

もう、ダッシュ。超ダッシュ。
無理、駄目、ほんと勘弁。すいません、乙女心を侮った私が悪かった!
なんでこんなことでキュンとするんだ、私は!いや、でも、あの嫌味しか言わないリオンがちょっとだけ褒めてくれた!ちょっとでも褒めてくれた!

(……やばい。めちゃくちゃ嬉しい……)

心臓がバクバクしてる。
反則だ。意識のスイッチが入りなおしたところにあんなのって反則だ。馬鹿!畜生!あー……好きなんだ、やっぱり。

用も無いのに駆け込んだトイレに備え付けられた鏡に、馬鹿みたいに真っ赤に熟れた自分の顔が映る。
あ、ちょっと髪の毛跳ねてるし。こんな頭で私いたんだ。……見られてたんだよね、うわあああ、数分前の自分を殴ってトイレに引きずり込みたい!じゃないっ!あーもー自分のばかあああああああ!

今まで考えないようにしていた頭の回線が再び繋がった事で、ますます感度が良くなってしまったらしい。客観的に考えればそれほど大したことでもなくても、リオンが関わっていると思ってしまえば、どうしようもないくらい気になってしまう。
こんなこと、今までなかったのに。うまく接していけたのに。

「………私、これからどんな顔して会えばいいって言うのよ……」

いつもの自分が思い出せない。
単純な自分の性格をこれ以上ないくらい恨みながら、いつになったらトイレから脱出できるんだろうと本気で途方に暮れた。





結局、トイレで顔を洗うことにした。
だって顔の火照りがなかなか冷めないんだもん!仕方ないじゃない!

誰に向かってというわけでもなく、寧ろ自分に言い聞かせるようにぶつぶつと言い訳しながらトイレを出た所、すでにウッドロウ王子の方は目を覚ましていた。
……一体、どんだけトイレに引き篭もっていたんだ。思わず自分自身突込みを入れそうになったところで、王子と目が合った。

「あ。は、はじめまして。と申します。お怪我の具合は如何でしょうか、ウッドロウ王子」

眠っていたのが王子だということをすっかり忘れていた。
ファンダリアの元王イザーク王の子、ウッドロウ王子。確かファンダリアは王の治世が良く、イザーク王は賢王としても名高いはず。その王子となれば民衆の支持も強いのだろう。
偉い人を相手にすると思わずカチコチのフル敬語になってしまう自分にしたら、とても苦手な部類に属する人だ。不意打ちに、いつも以上に硬い言葉遣いになってしまったのを王子にあっさり見抜かれてしまった。

「そう固くならないでくれ。今や私は国を追われた身。そして君達に協力を仰いでいるという立場なのだ。ウッドロウで構わない」

勘弁してください!
咄嗟にその言葉が喉元まで出掛ったけれど、飲み込んだ私グッジョブ。……じゃない。そんなに気安く出来るほど私は図々しくなれないです。と言う言葉を、出来る限りオブラートに包んでやんわり伝えたつもりだったけれども、相手も引かず、私も引かず。

「押し問答をしている暇はない。城内の様子を精しく聞かせて貰おうか、ウッドロウ。今日はもう日が暮れてきたから打ち合わせに徹したい」
「分かった」

……さっそく名前呼びの図々しい人が目の前にいたことに、脱力のため息が零れたのは仕方のないことでしょう。
結局『ウッドロウ王子』のことは、スタン同様『ウッドロウさん』で落ち着く方向性で決まりましたとさ。はい。





しんしんと、雪は降っていた。
ひとつ、またひとつと灯りが落ちゆく町の中、しんしんと。

真白き雪はとても小さく、儚い。
それでも積もる。誰かの想いの様に降り積もる。

雪で霞んでしまう景色の中に何かを探るようにマリーは佇んでいた。
そこに何があるかは分からない。けれど、『何か』を感じる……ような気がする。その『何か』を捕まえたくて手を伸ばしてみるけれど、捕えたのは掌の熱で淡く溶けてしまう雪の欠片だけだった。

しんしんと、雪は降る。
視線のその先にある町を一つ隠して、しんしんと。





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09.3.8執筆
09.4.2UP