とても、哀しかった事がある。
可愛がっていた野ウサギのミミちゃん。
ふわふわの灰色の毛がやわらかくって、あったかい小さな体温を抱きしめながらいつも眠っていた。ひとりぼっちなミミちゃんを拾ってから、毎日ごはんをあげて、一緒に遊んで、うんちの世話もしてあげて。そうやってずっと一緒にいられると思っていたの。
私には『おとうと』も『いもうと』も『おにいちゃん』も『おねえちゃん』もいなかったから、ミミちゃんがわたしのけらいで、友達だった。
だから、ミミちゃんが狐に噛み殺されて死んでしまった時、すごくすごく悲しかった。
冷たくなったミミちゃんの小さな体を抱きしめて、ずっといやいやと泣いていたの。
まだ体はここにあるのに、ミミちゃんの魂はもうこの世界のどこにもないんだっていう事を分かりたくなくって、私は駄々をこね続けた。
いやだ、ミミちゃんはまだここにいるんだよって。
『死』っていうものを初めて見た私は、ミミちゃんともう一緒に遊ぶことが出来ないことが分からなかったんだ。
でもね、泣きじゃくる私の頭をおかあさんはずっと撫でてくれた。
生きるために殺して、生きて死んだ生き物達を土に返してあげましょう。
そう言って、ミミちゃんを土へ埋める事を教えてくれたのはおかあさんだった。
おかあさん。
おかあさん。
私、頑張ってるよ。
頑張っているから、天国からでもいいから、私の頭を撫でてくれないかな。
夢でもいいから、私の傍まで来て、頑張ってるよって認めてくれないかな。
ねぇ、おかあさん――――…
温かい指先の感触が、私の意識を覚醒させてくれた。
「……マリー、さん?」
「起きたか、。心配したぞ」
「!起きたのね!」
「とにかく起きてくれて良かった。俺達が捕まったと同時に、が倒れちゃったから……」
「……ルーティ、スタン」
「まだ安静にしていたほうがいいわ。もうちょっと横になってなさい。……こんな時アトワイトがいたらもっと的確な処置が分かるんだけど……」
「そういえばアトワイトとディムロスは……?」
「起きて早々残念な知らせなんだけど、あたし達は捕虜になったの。二人は取り上げられちゃったわ」
「……そっか。なんか、ごめん」
「いいのよ、気にしないで」
「、まだ少し横になっていろ」
「……うん」
さらさらと、横になった私の髪をマリーさんが梳いてくれる。
視界の隅に牢の檻が見えたけれど、今は心細さよりも、髪を梳いてくれる手の優しさに安心した。
こんな事言ったら、リオンはまた緊張感のない奴め!って怒るんだろうなぁ……。
「ウッドロウさんたち、無事かな……」
ぽつり、とスタンが零した言葉。
ここにきてようやく私はリオン、フィリア、そしてウッドロウさんの行方が分からなくなっていることを、正常に理解した。
スタンの言葉でようやく気が付けた辺り、相当にぼんやりとしていたらしい。リオンに怒られる云々よりも先に心配しなければならないことが山積みだ。
そう。例えばあの時マリーさんが呼んだ『ダリス』という男についてとか。
「だといいけどね。こんなところに長居はしたくないわね」
「くそっ!ディムロスさえあれば、こんな鉄格子なんか……」
「鉄格子がどうした?」
……と思っていたら、まさに張本人が自らお出ましと来た。
横になっていた体をガバリと跳ね起こす。牢に私達を転がすような人の前で弱みを見せる気なんて毛頭ない。
「ちょっと、あんた!いつまでこんな所に閉じ込めておくつもり!?とっとと出しなさいよ!」
「おまえらに用はない。黙っていろ」
「なんですって!閉じ込めておいて、用はない、ですって!」
噛み付くようなルーティの台詞を淡々と流しながら、ダリスはマリーさんに焦点を合わせた。
それに気が付くと、気を失う前に感じた嫌な予感がひたひたとさざ波のように胸に押し寄せてきて、無性に不安な気持ちになる。さっきまであれほど安らいだ気持ちになれていたのに。……どうして。
「ダリス、迎えに来てくれたか」
「女、出ろ。いろいろと聞きたいことがある」
「うん」
そうマリーさんは従順に頷いて、ダリスを追って牢を出る。
「マリーさん……」
「大丈夫だ。行ってくる」
思わず零れたか細い声に、マリーさんは安心させるように笑って。
私達を置いて、一人で行ってしまう。
……そう考えたら、めちゃめちゃに髪を振り乱して叫びたくなった。
違うの。違う。これは心配してる、とかそんな相手を思いやる気持ちなんかじゃない。
ただ、思うが侭に叫んでしまいたいこの一方的な叫びは―――…置いていかれることの恐怖。
「マリーさん!どうしちゃったんだろ、マリーさん……」
「そうね、いつにも増して様子が変だったもんね」
「いつにも増してって……」
「まさか……」
「なに?」
「何か思い出したのよ!だって、あの剣は確か……たった一つの手がかりだって、前に言ってたもの……」
「そ、それじゃ!」
「多分、記憶が戻ったんだわ」
「良かったじゃないか!」
……なんで二人はこんな時に冷静に分析することなんて出来るんだろう。どうして?私には分からない。全然分からないよ。なんでそうやっていられるの?
だってマリーさんは行ってしまった。ねぇ、置いていってしまった!あんなに頭を撫でてくれたのに!私の話を聞いて、笑って、頷いて!そうして撫でてくれたのに!!
気が付いたら、熱は目の奥まで痺れを伴って移動していた。
スタンとルーティがぎょっとしたようにこっちを見ている。そんな風に見ないで欲しい。だって私だってこんな時どうしていいか分からないのに。
「〜〜〜っ」
ごしごしと目元を擦って、強引に出てきたものを引っ込める。
ノイシュタットで大泣きしてから、私、おかしくなっちゃったみたい。なんでこんなことで涙が出てきてしまうんだろう。今まで泣くの、我慢してこれたはずなのに。
「それで置いていっちゃうのかな……」
口に出したら、不安は余計に大きくなってしまった。
「もう、置いていかれるのは……っ…イヤ、なのに……!」
「……」
スタンとルーティが困ったようにこっちを見てる。
そうだよね。こんなとこで急に泣き出したら、私だって困っちゃう。こんなところでメソメソしてる暇があったら前を向いて進もうとするのが私らしいのに。……私らしいって一体何なんだろう?
「……助けに来てやったと思えばこれか。まったく、手のかかる馬鹿が……」
牢屋の中に低く通った声。
……なんて現金。声を聞いた途端、どうしようもなかった不安がどこかへ飛んでいっちゃった。どうしてこんな情けない姿をいつもいつも見られちゃうんだろう。どうしてあの口の悪さで、私のうじうじした考えを吹き飛ばしてくれるんだろう。……ああ、もう、どうして。
「リオン!」
スタンが呼んでいるあの名が偽りだと分かっていても。それでもやっぱり……好きなんだろう、リオンの事が。
「大丈夫だったようだな?」
「心配しましたわ」
「ウッドロウさんに、フィリアも!」
ウッドロウさんとフィリアの頼もしい声に、スタンが嬉しそうに声を上げる。
余裕がなくて気付けなかったけれども、ルーティも強がっていたのだろう。ほっとしたように息を吐いていた。
「スタン君、ソーディアンだ」
「すみません。……でも、どうしてここが?」
不思議そうなスタンの声に、心底呆れたようにリオンが言った。
「おまえらの額のモノを忘れてるんじゃないのか?」
「あ、そうか……それで」
若干遠い目をしながらスタン、納得。そりゃああれだけ派手な電撃を浴びることになった人からすれば、忘れたくても忘れられないだろう。例の可愛くてえげつないティアラ。
「そんなことより、マリーの後を追って!ダリスとかいうのにどっかに連れてかれたわ!」
「そうだった!」
「マリーさんが心配なの。どこに行ったか皆分からない!?」
「……外に出た気配はなかったな」
「ということは……上ですね」
フィリアが暗い天井を見上げた。
つまり、マリーさんは二階に連れて行かれたという事なんだろう。
「…行こう!」
ディムロスを握り締めたスタンの言葉に、私は一も二もなく頷くことで返事を返した。
思い返せば、旅の始まりからすでに私は感じ取っていたのだろう。
「あ、マリーさん」
「……こんな所に一人でどうしたんだ、?」 「うーん、海を見ていたって感じです」 「海、か」
「はい」 「いい風だな」
「はい」
ダリルシェイドから出発した船の上。海竜に出会い、フィリアがクレメンテを手にすることになる一連の出来事よりも少し前。
私は甲板でマリーさんと初めてゆっくり話す機会を得た。
「マリーさん、マリーさん」
「………ん、なんだ?」 「ちょっと変なこと言っちゃうんですけど――…」
初めて会った時から、壁を感じさせない人だと思った。
沈黙が苦痛ではなかった。マリーさんと話す時間は、とてもゆったりと穏やかで、いつも心の安らぎを感じていた。
そして私は思ったんだ。
「マリーさんって……『おかあさん』みたい」
「……ん?」
「あ、いや!私ったら何言ってんだろ!あ〜、ごめんなさい、聞かなかったことにしてもらえませんか?」
「そんなことはないぞ。誰かに似ているように感じることは、恥じるようなことではない」
「……そうなんですか?」
「ああ。顔が似てなくても雰囲気が似た人とかはいるからな」
「そっか。……そっかぁ」
「気負うことはない。これから一緒に行動するんだろう?そうやって笑ってくれる方が私も嬉しい」
……その言葉が嬉しかった。
「……はい。よろしくお願いします、マリーさん」
もしかすると、私は始まりを間違えてしまったのかもしれない。
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09.3.22執筆
09.4.5UP
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