「これから先のことを説明しよう。ハイデルベルグへの道は二通りある。このまま西へ進み、ティルソの森を抜け、サイリルの町を越えるのが一つ目のルート。だが、こちらにはグレバムの軍が展開しているため、進むのは非常に困難だ。もう一つはハイデルベルグの背後にそびえる山脈から街に潜入するルート。この街の北にある洞窟から凍結した川を遡ってハイデルベルグの裏に回る。こちらは道こそ険しいが、グレバムの軍に気付かれる心配はない」

翌日、さっそくパーティーに加わったウッドロウさんは、昨日の疲弊を見事に消し去って現地のナビゲーションに勤めてくれることになった。
この辺りの地理に疎い現パーティーにとってかなり重要な情報には、本当に頭が上がらない。流れる水のように朗々と語られる言葉には隙がなく、あー王子様なんだよなぁ、と今更ながらに実感。

「本当に言い切れるか?」
「北にある氷の大河は毛皮のマントがなければ凍えてしまう程の寒さだ。それに凍った川を歩くなど、この国の民でもなければ思い付きはしまい?」
「ふん、道理だな。いいだろう、そっちで行く」

そんな王子様に対しても遠慮のない我が愛しの君は、相変わらずの口の悪さでとっとと段取りを決めてくれやがりました。要はいつもの通りです。

ウッドロウさんの指示によって毛皮のマントはすでに購入済み。もこもこの毛皮は合理的に体温の放出を防いでくれるので、つまりはあったかぬくぬくと言う訳です。う〜ん、あったかい。

昨日、あれから精しい打ち合わせによって幾つかの事項の確認をとることが出来たのも、ひとえにハイデルベルグの内情に精通していたウッドロウさんがいたからだった。
例えば、グレバムがハイデルベルグ城に奇襲をかけたという事。
賢王イザーク王はすでに故人となってしまったという事。
そして、ウッドロウさんはイザーク王の跡を継いで、ハイデルベルグ城を奪還する意思があるという事。

彼が城奪還の意思があると言うことは、私達にとっては大いにありがたい事だった。
ウッドロウさんは奪還のための人手が欲しい。私達はグレバムを倒したい。まさにギブアンドテイク。お互いの要求が見事に釣り合った協力体制と言うわけだ。
こういう事の裏にはハイデルベルグ王家とセインガルドの繋がりを作っておく、とか外交問題とかも少なからず含まれているんだろうけど、そこら辺のことは恐らくリオンがしっかり計算済みなんだろう。うー、こういう綺麗事ではすまない事情にもちったー頭が回るようになりました。

話を戻して、私達にとっては意外だった情報が一つ。
ウッドロウさんはなんとソーディアンマスターの資質があるらしい。しかもハイデルベルグ城にはソーディアン『イクティノス』が宝剣として祭られていたという事だ。
恐らく、城が落ちたと同時にグレバムに奪われてしまったのだろうが、こういう情報は少しでも分かっていた方がありがたい。
そんなわけでウッドロウさんは私達とソーディアンの会話には何の疑惑も持たず、すんなりとパーティに溶け込んでくれたというわけでした。

「あ〜〜…腰が痛い」
ちゃん、また派手に転んだからねぇ』
「うー、シャルちゃーん…」
「あいたたたた…」
「あんたが最多記録なのは間違いないけどね」
「ひどいよルーティー。見てたなら助けてくれたって…」
「やーよ、あんたみたいな大男をなんでか弱いあたしが……」
『だそうだ、スタン。私のマスターならもう少ししっかりしろ!』
「スタンさん、神は転ぶものを見捨てたりしませんわ」
『フィリア……それフォローになってないわ』
『ふぉほっほっほ』

眼前に迫るハイデルベルグを見つめながら、ウッドロウさんが一言。

「………なかなか面白いパーティなのだな」
「〜〜〜〜〜貴様らいい加減にしろっ!」

そんなわけで、緊張感のないいつもの様子で私達は氷の大河を抜けたというわけでした。





この時の私は、別にハイデルベルグが占領されていることに対して危機感を持っていなかったというわけじゃないんだ。
でも、アクアヴェイルの一件で分かったこと。何か大きなことが起こった時、私達が関われることなんてほんの少しのちっぽけなことで、何から何まで全ての面倒なんて見ることは出来ないって事。
大変なことが起こってるって知ってる。でも『知ってる』は『分かってる』なんかじゃない。私が知らないところで世界は勝手に進んでて、私は何にも分らないのに巻き込まれてる。

だからこんな風にあの時の私達は笑えたんだと今になって分かるんだ。
私達は自分が思っている以上に世界を分かっていなくって、けれど、知っていた気になっていたという事を。

笑うこと自体が悪いわけじゃないと思いたい。
でも、その後起こった哀しい出来事に対して、私はあまりにも無力すぎたから。
今思うと、ああやって笑えていたという出来事さえも空しい。





ハイデルベルクは王城がすでに占領下にあることを見せ付けるかのように、物騒なものを身に付けた兵士達がたむろしていた。

ピリピリとした空気が街中に漂っていて、どの家の扉も硬く閉ざされている。時折漏れる物騒な会話の中身を一体どんな気持ちで聞いているんだろう。
身分上、顔を見られては困るウッドロウさんはフードをすっぽり被って目立たないようにしている。だけど王城へと注がれる視線が厳しいものに感じるのは、きっと気のせいなんかじゃない。

「これが王城だ」
「グレバムがこの奥に……」

治世が良いということで評判だったハイデルベルグ。
表情を見れば分かってしまう。きっとウッドロウさんはそんな治世をしたイザーク王のことを誰よりも尊敬していたんじゃないか。そして、そんな国を誇りに思っていたんじゃないだろうか。
だからこそこんな状態の国を放っておけないんだろう。
目がそう言ってる。ウッドロウさんは口数の多い人じゃないから、余計にそう思った。……付き合いはまだ一日と、とても短いものだけど。

ふと、ウッドロウさんから視線が逸れたその拍子。
マリーさんがぼんやりと城ではないどこかを眺めていることに気が付いた。

「おい、お前たち。そこで何をしている」

フードを被った不審な男。ぼんやりどこかを見ている女。
他には神官+剣士+よく分からない連れ諸々。

ええ、私達が目立たない訳ないのでした。

「た、ただの散歩ですよ、散歩」
「えと、私達この間ここに着いたばかりで!ついつい気になっちゃってウロウロしちゃったんです!」

不審そうに私達に声をかけてきたのは一人の剣士…っぽい人だった。周りの兵士の人よりも幾分か栄える装備を身につけていることから、位がそれなりに高い人なのかもしれない。

とにかくマズイ!と思って、スタンと私で精一杯のいい訳じみた説明。
こんなに不審な一行に疑問を持たないわけないじゃん、馬鹿ー!と絶対この事態を想定していたであろう人達を横目に睨んでみる。
あーうー!考えれば当たり前のことでした!!私の考えなし!

「なんにせよ、あまり王城には近づかないことだな。最近は物騒になったからな、ゴタゴタに巻き込まれても文句は言えんぞ」
「はい、わかりました。今後は気をつけます」
「ごめんなさい。好奇心に負けて出ちゃったんですけど、もうしません」

ナイススタン!私達良いコンビになれそう!視線で会話したら、スタンも同じようなオーラを出してた。うん、多分。二人でコックリ頷きあってしまう。
まあ、要するに私とスタンはひたすら従順な首降り人形となり、到着と同時に降りかかった疑惑を打ち払うべく、懸命な努力をしたというわけだけど。

「わかったら、早く帰るんだ」

ようやく開放される!と期待に膨らんだ胸をさっくり叩き潰すような呟きが漏れたのは、意外なところからだった。

「……似ている」

ふらふらと男に近づいていくあの後姿は。

「マリー?」

ルーティの不安そうな声は、男の声にあっさりとかき消されてしまった。

「ん、何か用か?」
「おまえ、これを知らないか?」

自分の記憶を探す、手がかりなんだ。これと、名前だけ。私に残されていたものは。
そう言って寂しげに笑った横顔が印象的だったから覚えている。

マリー=エージェント

その名前と一振りの剣だけを抱えてここまでやってきた女は、男をまっすぐに視線で捕らえて言った。

「だっ、ダリス様!」
「うろたえるな!」

衛兵の声を静めるかのよう、力強く響き渡った声。
その声に反応するかのように、強くて、いつも私達を護ってくれる背中がか細く震えた。

「ダリス!?おまえはダリスと言うのか」
「そうだ……そっ、その剣は……!女!なぜそれを持っている!おまえは誰だ!」

―――嫌な、予感がした。

「ダリス様、どうしました?」
「あっ、貴様はウッドロウ・ケルヴィン!」

予感は当たってしまうものなのだろうか?
突風と同時にウッドロウさんのフードがずり落ち、その素顔が白昼に晒されたのもまさにこの瞬間の出来事だった。

「まずい!みんな、散るんだ!」
「召集!召集ーっ!ウッドロウが現れたぞ!」

途端に騒がしくなった周囲の状況をいち早く判断したウッドロウさんが、声を上げる。
ウッドロウさんを筆頭にリオン、フィリアはその場から一目散に姿を消した。そして私もそれに続く……はずだった。

「ダリス、見つけた!」

……足が、止まってしまう。

「マリー!」
「ルーティ、!何やってるんだよ!」
「あんた、マリーを見捨てる気!?」

スタンの声が、どこか遠い。

何で私はこんな時、こんな状況なのにぼんやりとしてしまうんだろう。そんな状況なんかじゃない。分かってる。リオンにまた怒られちゃう。うん、それをよく分かってる。……多分。

「えーい、くそっ!」
「スタンさん、ルーティさん、さんっ!」

フィリアの叫ぶような悲鳴が聞こえる。でも、返事が出来ない。足が動かない。

「フィリア、俺たちに構わず逃げろ!」
「でも……」
「いいから、早くっ!」
「逃がすな、取り囲め!」

ガチャガチャと騒がしい音を立てながら、屈強な男達が眼前に迫ってきているのが分かってる。
でも、動けない。止まるしか出来ない。……だって、あの人が止まっているから。

「くそ、万事休すか……」

スタンの悔しそうな声と、ルーティのあの人を呼ぶ声。
その中で一言も発せず、私は立ち尽くすしか出来なかった。





ふかい、ふかい、もりのなか。
まっしろい衣に包まれて、まっくろな髪をだらしなく散らかして。まっかなものを振り撒いて。

―――そうして、あのひとは逝ってしまった。





「……て…ないで……」
「………え?」

吐息と一緒に吐き出された想い。

「…おいて……いかないでぇ…っ…!!」

それは、あの人に届いただろうか?





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09.3.22執筆
09.4.4UP