バティスタが討たれたという朗報は、瞬く間にモリュウ領内に広がった。
元々閉鎖的な土地柄が関係しているのだろう。外の情報が入りにくいその分、領地内の情報が流れるのは早い。独裁者の支配から解放された民は、歓喜の声を上げ、見事将の首を取った討伐隊を口々に称えた。

誰もが私達を褒め、称える。

よくぞバティスタを討ち取ってくれた。
前領主のお命を守ってくれた。
モリュウを救ってくれた、と。

「………英雄、かぁ」

笑ってしまう。
ノイシュタットで私達がバティスタを逃がしさえしなければ、モリュウの人々はこんな目に逢うことはなかった。そして、命を落とす人達もいなかった。

英雄が聞いて笑ってしまう。

一つの判断が大勢の人々を不幸に変えた。亡くなった人はどんな思いで死んでいったのだろう。家族もいただろう。もしかしたら恋人だっていたかもしれない。
残された方はもっと残酷だ。そして私は残される痛みを知っている。
結局はバティスタも救えず、涙を流す人に声すらかけることも出来ずに、その骨を土へ埋めて。そこまでして得たグレバムの情報に一体どれほどの価値を見出せるのか。失ったものがあまりにも多すぎた。

「こんなつもりじゃなかったのに」

木々の間にぽっかりと開けた夜空を見上げて思う。
一人になりたくて、静かな場所に逃げ込みたくて入り込んだ町外れの林の中だったけれど、モリュウ領は狭すぎた。時折風に乗って流れてくる人々の歓喜の宴が、否が応でも現実を突きつけてくる。

「常に最適解を求めることが出来たら。間違いなんて一つも起こさずに、選べれたら……こんなに苦しくなることなんてないのかなぁ」
「―――そりゃあないね」

誰に吐いたつもりでもない心の膿をあっさりと返されて、心底驚いた。

「……ししょう」

だから、昔みたいに舌足らずみたいな呼び名になってしまったのかもしれない。

「相変わらず人の気配読むのが下手だな、
「わざと気配を消して来た師匠が悪いんだい」
「おいおい、俺が悪者か?宴に弟子の姿が見えないのを心配してわざわざここまでやって来たって言うのに」
「おあいにく様!もう私はあの頃みたいな子供なんかじゃないもの!ちゃんと自分の世話くらいみれます〜」
「ほー、もう迷わなくなったのか?あの真性の方向音痴が」
「………うぐっ」

ああやって一呼吸おいてから、師匠はまるでその時を待っていたかのように言った。

「もう……泣けるようになったんだな」

察するに、多分ずっとこの言葉を用意していたんだと思う。ふわりと零された柔らかい微笑が、全てを物語っているように思えた。
……ああ、私はこの人にずっと心配をかけていたんだ。今ならやっと分かる。小さな子供の強がりなんて、一回りほど年の離れたこの人にとっては見え透いたものだったということを。

「……うん。とは言っても、泣き始めたのは最近のことなんだけど」

涙は弱さだ。
そう思い続けていたから、その事実を吐露するには少し気恥ずかしい。でも、久方ぶりに会ったのに変わらない優しさで見守り続けてくれたこの人に、偽りを告げることは裏切りだと思った。

「変なところで意地っ張りだったからな、は」
「……えへへ、自分でもそう思う」
「元々泣き虫のくせにな」

涙をこらえて、唇をかんで。鼻水垂らしながらも、上を向いてさ。
それでも泣くもんかって気張ってる姿を見ると、どうしていいか分からなかったんだぜ。

そう言って苦笑を漏らした師匠はぽんぽんとあやす様に頭を撫でる。……私、人に頭を撫でられてばっかりだ。もう子供なんかじゃないのに。
そう小さく漏らしたら、俺から見たらお前はやっぱりガキのまんまだと言われてしまった。

ほら、と差し出されたのは真っ白なハンカチ。
ド派手な衣装を着てフラフラしているくせに、こういったところはマメなのは変わらない。真四角にきちんと折り目の付いたハンカチはとても綺麗で、不意に差し出された意味を理解するのに時間がかかった。

「昔っからどっか抜けてる所があるとは思っていたが、変わってないな」

そう言ったかと思ったら、眼前にまで師匠の大きな手のひらが迫ってきてぎょっとした。

「気づいてなかったろ」
「………恥ずかしいからやめて」
「だからさっき渡してやろうとしたのに」

そう言って意地悪く笑いながら、師匠は片手でがっちりとほっぺをホールドして離さない。畜生、これはセクハラだ。訴えてやる。
じろりと睨んでも師匠はどうどうとか言いながら、ハンカチで私の目尻に新しく浮かんだ雫をふき取った。

「……一つも間違いを犯さずに選ぶことは出来ない」

夜空を見上げて、師匠は言った。
私より頭ひとつ分くらい背丈の違うその顔を見ることは叶わない。

「人は間違える。失敗を犯す。後悔だって何度もする」

無くしてしまいたいこと、消してしまいたくなる過去もあるだろう。
けれど、全てを無かったことにしてしまうことは出来ない。過去は記憶になり、積み重ねられてゆく。

「間違えた後、どうするか。どう考えるか。後ろばかりを振り返っていたら、前を向いて歩いていくことは出来やしないさ」

音もなく動かされた唇は、誰かの名前を象っているように見えた。
後に引いた余韻が、あの時の旅の理由を示しているようで気になったけれども、それは簡単に触れてしまっていいものではないような気がした。

師匠は何かを失くしてしまったのだろう。きっととても大切な何かを。
だからその言葉はとても重く、安易な希望を静かに打ち砕いた。現実を目の前に突きつけた。

「……そっか」

唇が、震えた。

「…そっかぁ……」

ぽんぽんと頭を撫でるその手は、変わらずに優しい。
また一粒、透明な雫が頬を滑り落ちていくのを、柔らかな木綿が吸い上げていった。





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09.1.13執筆
09.1.14UP