バティスタはモリュウ城へ潜んでいる。
想像には容易いことだったが、いざ城の中へ入るとなると話は違う。何せセインガルドから来た達はアクアヴェイル特有の建築文化に疎い。慣れない内部構造に手間取ることが目に見えている状況下で、城の内部を熟知している人間の提案を素気無く切り捨てるわけにはいかないというのが実情であった。

よろしくな、と告げたジョニーは、あくまで不本意そうなリオンの仕草を見なかったことにしていた。そういう所はちゃっかりした男だ。


「意外とゆっくり行くのね」

たぷん、とかき混ぜられた水が揺らぐ。
夜の闇に紛れるようにして船を滑らせて進ませるため、一行の言葉数は自然と少なくなった。そんな中、降りた独特の沈黙を破るようにルーティが声を上げた。いつもより若干声のトーンを控えめに。

「まあ、一応あそこは城だからな。外敵の侵入を拒むための要塞として、それなりの造りになってるってこった」
「つまり、迂回しなきゃならない程度には造られてるってことね」

あえて何を迂回しなければならないのかはルーティは尋ねない。けれど察しのいい彼女のことだ。それが何のことなのかは当の昔に分かっているのだろう。

渡し人が慣れた様子で水の流れを読み、船を動かしてゆく。
音もなく、滑るように水の上を進む船の目的地が近づいてくる度に、独特の緊張感が胸の中に立ち込めてくる。そしてその感覚は何度味わっても慣れることはない。慣れるような日が本当に来ることをは望んでいるわけでもないけれど。

「もうすぐ着くぜ。……準備は頼むぜ」

出会った時から陽気に振舞う人だった。
周囲のことなんて歯牙にもかけない様子で声を張り上げ、歌を歌う。下手とか上手とか関係ない。歌いたいから歌うんだと、ジョニーは幼いに笑ってそう言った。
でも、同時に秘密も多い人だった。いつも陽気に振舞っていたけれど彼の本質は多分、そういう取り繕ったものじゃない。大雑把な所もあるし、またそんなイメージを撒き散らしてはいたけれど、何かを扱う時の指先は繊細で優しかった。自分のことをほとんど語らなかったけれど最後までの面倒を見てくれた。多分、根は面倒見が良かったんだと思う。じゃないとあれほど荒みきった子供の相手なんてしてくれるわけがない。旅の共として連れて行ってくれるわけない。

ジョニーの出身すらもは知らなかった。
慣れた様に小船に揺られ、城を見つめるジョニーの姿は見覚えがない。もちろん、随分久しぶりに会った手前でそんなおこがましい事を言える立場でないことは分かってはいるのだけども。
でも知らなかった。親友がいて、その妻がいて。大事に思う人たちを誰よりも案じて、こうやって敵陣の真っ只中に突っ込んでゆくような暴挙にも近い行動を取るような男だったなんて、は知らなかった。

それは多分がジョニーと一緒にいた旅の中で、彼の側面しか目にすることがなかったからだと思う。そしてその考えに至った時、思いもかけず割り切って考えることが出来ていることには自分自身で驚いていた。
普通よく知ってると思っていた人の違う側面を知ったら、知らなかったことに落胆とかしそうなものなのにね。
そう思わせなかった振る舞いをあの時のジョニー自身が心がけていたことを今更ながらに気が付いて、こんなところで守られていたんだなぁと思い知る。―――やっぱり弟子は師匠には叶わない。

「よし、こんなところか」

ジョニーが渡し人に軽く片手で合図をした。
出発する前同じように、緩やかなスピードで小船が止る。そうしてジョニーに釣られる様に視線を上げると、目の前に立派な城壁が広がっていた。

「これどうやって進入するの、師匠?」

進入できないかもしれないという疑問なんて最初から持ち合わせていない。どんな手段を使うのかただ純粋に尋ねてくるにジョニーは軽く笑って、船の中に積み込んでいた荷物を引っ張り上げた。

「何これ」

咄嗟にルーティが声を上げたのは仕方がないことだった。
何せ、見たこともないようなものが先端に縛り付けられたロープをジョニーは引っ張り上げたのだから。

「あー……そっか。そっちの奴らにはちょっと馴染みがないもんだったな」

そう言ってジョニーはぽりぽりと頭をかいた後、まあ見てなってと言ってその縄を振り回し始めた。遠心力で先っちょに取り付けられていた金属製の鉤爪らしきものがぐるぐると回る。十分に勢いが付けられたと思った次の瞬間にはジョニーの手からロープの先は消えていた。

「おお!」

歓声を上げたのは一体誰か。

ともかく、城のバルコニーらしき場所に鉤爪は引っかかり、ロープを伝えば城内に侵入することが出来そうだった。ロープは上手く編み込まれていて、よく見れば縄梯子としての機能を備えている。多少足場としての心元はなさそうだが、荒事に巻き込まれ慣れているとしては十分すぎるものには違いなかった。

「これ案外難しいな」

一番初めにスルスルと縄梯子を上っていったジョニーを見習おうとスタンは気張るが、どうやら慣れないものへの足運びに苦労しているらしい。少し手間をかけたが、それでも元来の運動神経の良さを生かしてスタンが縄梯子を登り切った。リオン、ルーティ、マリー、がその次に続く。最後に残されたフィリアも、先に上がったやルーティの助けを借りてなんとか登りきってようやく一息を着いた。

「さーて、ここからが本番だぜ」

この位置からなら牢が一番近い。そこに囚われた人が収容されているはずだ。まずはリアーナの安否を確認させてくれ。そう言ったジョニーの言葉に誰も反論を上げなかった。城内の案内を一任する代わりの条件に、フェイトとリアーナ、つまりこの場所の元領主とその妻の安全を確保することが約束されているからだ。

「うん、早く見に行こう。こんな場所に閉じ込められて、きっと心細い思いをしてると思う」
「ええ、そうに違いありませんわ」

敵陣の真っ只中に閉じ込められたリアーナのことを思ってか、フィリアが小さく身を震わす。確かにこんな場所に囚われた彼女を思えば、案じる言葉が口から出るのは仕方のないことだった。

「じゃ、まずはそっちへ行くって事で」
「ジョニーさん、任せてください!」
「……あんがとよ」

力強いスタンの言葉にジョニーは驚いたように目を瞬かせてから、感謝を告げた。





「いい奴らに出会えたな」

牢の中で夫の帰りを待ち続ける。そう告げたリアーナの言葉には確かな決意が滲んでいて、その決意を誰も踏みにじるような真似が出来なかった。ただただ、愛した男の無事を祈る女の姿に皆が決意を新たにしたことは言うまでもないことだったのかもしれない。
リアーナに必ずフェイトを救い出すことを約束したジョニーは、少しの間だけ難儀をかけるが待っててくれ、と最後にそう告げて踵を返した。

その直後のことだった。ジョニーがにそう言葉を告げたのは。

「………師匠こそ」

素敵な人たちに囲まれていたんじゃない。そう言ったら、当たり前だと小突かれた。

「あれから一切連絡してなくて言うのもなんだが、結構心配してたんだぜ?」
「それを言うなら私だって」
「弟子に心配されるたぁ、俺もついに焼きが回ったってことか」
「失敬な!」

そんなやりとりさえどこか懐かしい。
歩を進める足の動きは緩めずに、はジョニーに笑いかけた。それにジョニーも応えるように笑う。

「―――どうして協力してくれたか聞いていいか?」

この協力体制が成り立ったのも、ひとえにの尽力があったからに他ならない。その理由は何となく察せたが、あえてジョニーはに尋ねた。
昔に比べると随分身長も髪も伸びて、綺麗な顔立ちになった彼女に。見た目が変わってしまったに向かって。

「師匠が困ってるって言ってるのに、どうして私が協力しないわけがあるの?」

心底不思議そうに首を傾げて、ジョニーを見上げるの瞳には虚偽や欺瞞はなかった。これは、ただ師の言うことを無心に信じ込んでいる光だ。昔からちっとも変わらない光。
―――ああ、こんなだから。

「………そう言えばそんな奴だったな、お前は」
「今更思い出したの?」

ぼそりと小声で呟いたつもりの言葉は、しっかり耳に入っていたらしい。

「あったり前のことじゃん」

何も言わなかった。出身のことも、それまでの生き方も。自分に関することはほとんど。
それでも文句一つ言わずに付いて来た小さな少女は、姿は変わってしまったけれどあの頃と変わらない。

―――それに救われたって言ったら、はどう思うだろうか?

思い返すのは、愛した人の最期。
育んで、大切にして……間違いなくそこに在った想いの欠片。それを時が無残に壊してしまったことを彼はよく知っていたから。

変わらない笑顔のが酷く眩しく見えた。





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07.4.29執筆
07.4.30UP