妥協?そんなことしなくてもいいわ。

そうして彼女は不敵に笑った。そんな仕草がとても珍しかったから、よく覚えている。

喧嘩って言うのはね、自分の意見と相手の意見のぶつかり合いなの。譲れないことがお互いにあるから衝突するの。そしてね、ぶつかり合うことによって―――

みゃあみゃあと、うみねこが声を上げながら宙を切ってゆく。空と海の青さに混じる白色が、縦横無尽に飛びまわれるあの自由さがどこか羨ましかった。

―――新しい何かが見えてくる時だってあるわ

そう言ったイレーヌは甲板で楽しそうにスタンと談笑をしている。
少しでも気分を紛らそうと甲板に出たけれども、これ以上ここにいる誰かに絡まれそうな気がする。それは現段階のリオンにとっては大変不本意なものだったので、さっさと船内に戻ることにした。どちらにしても胃の中を這い上がってくる吐き気と戦わなければならないらしい。



























Tales of destiny and 2 dream novel
19 苦しくて息ができない






「………気分、悪いのかな」
「気分が悪いのか?

ぽつりとそう漏らしたの言葉を偶然にも聞きとめたのだろう。マリーが小首を傾げての近くまで歩み寄った。
ゆらゆらと揺れる船の上は足場がどうにも落ち着かない。けれどもマリーはそんなことお構いなしに、いつも通りの調子で歩けるのだから、やはり彼女は新しい環境に対する順応力が高いのだろう。

達が船に乗ってからまだそれほど時間は経っていない。
逃げたバティスタの行方は、ティアラの遠隔装置のお陰でアクアヴェイルにあるということが判明した。泳がせた餌が吉と出るか凶と出るか。それはまだ分からないけれども、極限まで体力と気力をすり減らされた状況下でも口を割らなかった男から情報をはたき出すためには、確かにこの作戦が手っ取り早いものだったには違いない。
現在ほぼ鎖国状態であり、セインカンドと対立している大国。行き先を知ったイレーヌが船を出すことを渋るほどに、この国はよそ者に対しては頑なな対応しかしないらしい。そのため、はアクアヴェイルに足を運んだことはないけれど、独特の文化と生活にはずっと前から興味があったのだ。この機会に少しでも色々目にしてしまいたいと思うのは、少々不謹慎なことかもしれないけれど仕方がないと思いたい。

目的地は敵国。の暢気な希望と裏腹に、航海が進むにつれ船内には独特のぴりぴりとした空気が漂い始めた。遊びに行く訳ではないのだ。クルー達のどこか怯えの混じった面持ちに、目的地の危険性を改めて噛み締めたは、少なからず浮ついた気持ちを持ってしまったことを恥じた。

気持ちを入れ替えようと、出航してから間もない内から漂う重い空気から逃れるように甲板に出たはそこで見慣れた人影を見つけたというわけだった。

「え、あ、うわ!……ま、マリーさん!」

咄嗟にかけられた声に反応できなかった。
うろたえて、挙動不審にも見えるほど言葉を噛みながらは声を上げる。

「い、いつからそこにっ!?みっ、み……見てたんですか!!?」

明らかに声が上ずってしまっている。ああ、でもどうしよう。
あの後姿を見かけてしまってから今までずっと――――どうやって声をかけたらいつも通りに振舞えるのか、不自然に思われないで笑えるのかってことを延々と考え込んでいただなんて知られてしまったら。

まるで手に負えない厄介な病気みたいだった。好き、という気持ちは。

その気持ちを自覚してからというもの、リオンの姿が目に入るとどうしようもなく胸の鼓動が早くなってしまう。姿だけじゃない、彼のことを考えると無性に胸が痛くなる。ドキドキと音を立てる、ただ血液が酸素を体内に循環させるためだけの動作が信じられないほど速まってしまうのだ。これ以上のスピードで動き続けたら、一生の間に使う心臓の運動量を超えてしまいそうになるんじゃないかと錯覚してしまうほどに。

何を話したらいいんだろう、どうしたらこうなる前みたいに普通に話すことが出来るんだろう。

ぐるぐると頭の中で考えれば考えるほど、上手い言葉が見つからない。そうこうしている内に顔が段々熱を帯びてくるものだから、居た堪れなくなって逃げ出してしまおうかと思ったくらいだった。―――リオンの青ざめた顔色に気が付くまでは。

「ああ、それなら私は今来たところだ。………ところで、具合が悪いんじゃないのか?」
「……え?」
「気分が悪い、と」
「あ、ああ……!えと、それは私じゃなくてですね……」

と、そこまで言いかけてはたと気が付く。
が知っている限りでは、リオンは人に弱みを見せることを極端に嫌う。もし本当に彼が気分が悪かったといても、人に知られることを果たして望むのだろうか。

「いえ……やっぱり少し船に酔っちゃったみたいで………。こんな時、どうしたらいいんですか?」

答えは否、だ。少なくともはそう思った。

「そうか。なら、船内に確か救護室があったはずだから酔い止めの薬を貰ってきた方がいいな。潮風に当たるのもいいと思うが、無理のしすぎも良くない。一度船室に戻って横になってきたらいい」

私も付き合うぞ、そういってマリーはぽんぽんとの頭を撫でた。
その手のひらが、不意に乗せられた温かさのあまりの優しさに、思わずへにゃりと気持ちが緩む。マリーの手はまるで魔法の手だ。その手が頭を掠める度に、を無防備にさせてしまうのだから。

「……だ、だいじょうぶっ!ちゃんと一人で薬を貰いに行けますよっ」
「そうか……?本当に?」
「だいじょーぶっ!」

いぶかしむマリーに言い聞かせるようには言葉を繰り返して、逃げるように船室へ向かっていった。これ以上話してボロを出してしまうのも情けない。ただでさえ自分は嘘が下手くそなのだから。





込み上げてくる吐き気は、一向に治まってくれる様子を見せなかった。
じわりじわりとそれは胃の中を這い上がり、食道まで競り上がってくる。気分はまさしく最悪というに相応しい。揺れる乗り物なんて絶滅してしまえばいいのに。平衡感覚を狂わせるような波の動きにうめき声を上げて、生まれてこの方何度となく呪ったことを今日もまた繰り返す。
いつだって何歳になったって、乗り物酔いはリオンにとって憎むべき対象だった。

「………誰だ」

誰もいないと踏んで、客室に戻ったというのに。感じた気配に、リオンの声が鋭くなるのは仕方がないことだった。

「は、ハロー、リオン」
「………貴様か」
「そうあからさまに嫌そうな顔しなくても」
「うるさい、邪魔だ、とっとと出て行け」
「……うあああ、容赦ない」

引きつったような不恰好な笑顔を貼り付けてやって来たのはだった。またしょうもないことを企んでいるのか。微妙としか言いようのない笑顔に、ますます頭痛が酷くなる。咄嗟にこんな言葉の応酬を繰り返してしまうのは、もはや習慣のようなものかもしれなかった。リオンにとっては大変不本意な事実だが。

「えっと、確か荷物ってこの部屋にまとめてたよね」
「それがどうした」
「いやー酔い止めの薬ないかなって。ちょっとそこで吐き気がするってうずくまってた人がいたからさ」

ほら、コップと水差しは用意したの。そう言って手に持っていたものをリオンの前に突き出すと、水差しからたぷんと水の揺れる音がした。

「………あ、これ水なしで飲めるタイプだった。せっかく用意したのにいらなかったかも」

袋の中から―――あんなものなんてあっただろうか?酔い止めの薬らしきもの取り出したは、ガサガサと乱暴に包装紙を剥ぎ取って中から一人分の薬を抜き出した。そうして水差しと薬はそのままにして部屋の外へと向かって歩く。

「適当にそれ使ってていいからー」

パタン、といつもより若干丁寧に閉じられた扉。
が水と薬を置いていったのは、彼女の性格的にも他意はないと思うが―――いや、考え事をすると頭に響く。とりあえずテーブルの上に残された水差しと薬に視線をやって、リオンは立ち上がった。

言葉に出す気はないが、少しくらいなら感謝してやってもいい。





ゴチン、という鈍い音がした。

「〜〜〜〜った〜〜〜」

目から星が出そう。
壁に体を任せようとしたら、勢い余って頭を打ち付けてしまった。目の前がちかちかして、次に痛みが広がる。そのままずるずると壁に身を滑らせて、は頭を押さえていた手を頬へやった。

「酔い止め、で合ってたかな……?」

残した薬は本当にあれでよかったのか分からない。多分リオンは具合が悪いことを白状しないだろうから、推測で薬を持っていくことしか出来なかった。

「普通に話すこと、出来たかな……?」

思い出すだけでも頬が熱くなってくる。平静を装うのはこれ以上ないくらい難易度の高いミッションだった。ばくばくと暴れ馬のように動き回る心臓に必死に落ち着くように何度も命令を繰り返して、ようやく挑んだなりの精一杯の気遣いだった。

「……マリアンさんなら、多分こんなことしなくても普通に渡せるんだろうな」

言ってしまってから後悔する。何気なく言った今の一言は、誰よりも自身の心を傷つけた。

「リオン、具合がよくなればいいけど」

壁を背にして座り込む。
ああ、ただ一つ思い浮かべるものは―――…

「……リオン」

あなたのことなのに。





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07.4.22執筆
07.4.27UP