気が付くにはその想いはあまりにもさりげなさすぎて。
当たり前にすっぽりと収まってしまっていたから分からなかった。たくさんの気持ちの中にひっそりと隠れるように埋もれていた。でも、埋めていたものがある時ひょんなことから芽吹き始めたら?
水をやった覚えなんてない。でも、いつの間にかその想いはどんどん大きくなって、やがて蕾を付け始めたのだとしたら?

膨らみ始めた蕾の成長を止める事は出来ない。あとはただ、どんな色や形になるかは分からないけれど―――花を咲かすだけ。





熱にうなされていた三日の間、仲間達がそれぞれに働きかけてくれていたことを、後ほどは知った。イレーヌの屋敷に歓声と共に迎え入れられてからのことだ。

例えばスタンとフィリア。
二人はあれからずっとリオンの説得に徹してくれたらしい。スタンは感情的に、フィリアは論理的に。話によると説得は暫くは難航したらしいが、ある時を境に話を聞いてくれるようになったらしい。『ある時』というのがとても引っかかるけれど、そこら辺の詮索はリオンが好まないことであろうことはもう分かりきったことなので、知らない振りをする。どちらにしても自身の貴重な時間を割いてまでのことを必要といってくれた二人には感謝しか出来ない。
地面に頭をめり込ませる勢いで感謝を告げるに、二人は照れたように笑って「(さん)が残ってくれることになって嬉しいよ(ですわ)」と逆に感謝を返してしまうのだから、この二人のお人好しっぷりには叶わない。でも、そんな二人だからこそは救われたんだと自覚していた。

そしてルーティとマリー。
マリーは雨の中失踪したを真っ先に見つけて、それからずっと交代制で看病をしてくれていたらしい。ロイとは走ってきたを追ってやって来たところで出会ったそうだ。その後、最もあの場所から近くて療養できそうな所にを移す、ということになってシャーロットの屋敷に移ったということだった。
けれど、イレーヌの屋敷に戻ってスタンとフィリアから事情を聞いたマリーがうっかりロイに漏らしてしまったことが災いした。誰よりもその話に激怒したロイがをイレーヌの屋敷に移すことを拒んだのだ。そしてスタンとフィリアの面会すらも。唯一、を拾ったマリーと、街に来た当初にミシェルを助けた(シスコンであるロイがそのことに恩義を感じていたのは言うまでもなく)ルーティだった。
ルーティはあんなやり取りがあった直後だというのに熱心に看病してくれたそうだ。これはマリーによる情報。そのことを告げたマリーにルーティは大反論したのだから。
でも、喋ることは多少憎まれ口が混じっているけれど、ルーティの根は優しいということをもうは知っていたから。それはそれ、これはこれと揉め事の後での気まずい気持ちを切り替えて看病をしてくれたということに、胸が温かくなった。

そして屋敷の主であるイレーヌは、輸送船の再運行の手続きに追われ、この騒動が耳に入ることはなかったようだ。襲撃船を撃退してから、また彼女の身辺は慌しくなったようだった。忙しいこの時期にイレーヌの心労を増やすことはとしても望むことではなかったので、これはこれで良かったように思う。

「よかったな、

そうやって微笑んで、頭をそっと撫でてくれたのはマリー。
その手の温かさは、夢現の中で求めた温もりとひどく似ていて―――また泣きたくなったというのは自分だけの秘密だ。

「………はい」

あの日、安心して再び眠ることが出来たのはきっと彼女のお陰だったのだろう。
柔らかく微笑んでくれたマリーに精一杯の感謝を込めて、は笑顔で返事を返した。











バティスタの行方が分かったのは、それから暫くも経たない内の出来事だった。
再びノイシュタットを発つ日がやってくる。そんなことはもうずっと前から分かりきったことだったけれども、残したものが多すぎるこの街から離れるのはいつだって寂しい。

「最後の桜も、散っちゃったね」

リオンに言わせれば鈍くさい桜。でも、それでも構わないと思う。少なくとも、桜を惜しんだ人が最後まで見守り続けてくれたのだから。

「そうだな」

そう呟いたロイは、ぼんやりと若葉を茂らせ始めた桜を見上げていた。

「―――行ってしまうのか?」

誰が、とまでは言わなかった。ロイは桜を見上げたままあまりにもさり気なく、そして唐突に切り出した。

「うん。………ごめんね」
「傷つけられて、苦しんで。………痛い思いを繰り返すかもしれないのに?」

振り返ったロイの表情は逆行で見ることが出来ない。でも、惜しむような声音でなんとなくは想像できた、そう言ったとしたらそれはひどく傲慢なことなのだろうか。

「うん」
「…………そっ……か」

そっか。繰り返すようにロイはその言葉を口の中で反芻する。

「………は馬鹿だ」
「………うん」
「ここに残ったら、にはそんな辛い思いなんてさせないのに。俺が、させないのに………っ」
「………うん」
「馬鹿だ」
「………うん、馬鹿なんだよ」

さあ、と風が通り抜けた。
それは桜の木を揺らし、葉を揺らし、の髪を浚い。

「並んで歩くことは出来ないけれど――――少しでも傍でいたい人がいるから」

ロイからは光る何かを奪っていった。

「………馬鹿」
「本当にね」

そう言っては、困ったように微笑んだ。その癖、その微笑みが一年前に見せたものよりもずっとずっと綺麗だったから。

「――――でも、いつかきっと。………ここには帰ってきてくれよ」

どれだけ時が過ぎようと、離れてしまっても。ここにいる人は、あの無邪気な笑顔を心待ちにしている。焦がれて、望んで、願い続けてる。例え彼女が、どれほど彼にとって残酷な気持ちを抱いてしまっていたとしても。

ずっと、ずっと。


いつまでだって。





散ってしまった桜は、まるでロイの気持ちを表したかのようだった。
どうしようもなく胸を焦がすだけ焦がして、その恋は桜のように一瞬で儚く燃え上がり、散っていった。

もしも自分がもっと年をとっていて。彼女よりも大人で、身長だってずっと高くて、腕力もあって。彼女の手の届く所にいて、誰にも傷つけさせないように守ることが出来て。………もしもというありえないIFの世界に想いを焦がす。
ああ、そうであればどれほど良かったのだろう。

でも、現実の自分はまるで子供だった。癇癪は上げるし、泣き叫んでしまう時だってあるし、やることだってやれることだって限界がある。『子供』の時でしか出来ないことがあるように、『大人』じゃないと出来ないことだってたくさんあるのだ。

殺してしまいたいくらい憎い男に殴られた頬が痛い。腫れはもうとっくに引いたけれど、それでもあの痛みがまだ残っている。非力で相手に何の痣すら残せなかった自分が情けなくてしょうがなかった。

「………畜生………ちくしょう……ッ…!」

があいつの所へ行ってしまったことが、悔しい。
選んでしまったことが、悲しい。

去り往くあの背中に飛びついて、抱きついて叫んでしまいたかった。ここに居て欲しい、離れないで。俺の傍にいてよ、って。
けれどそこまで『子供』になりきれなかった。そうしてしまえば、困ったように悲しそうな表情を浮かべるの姿があまりにも簡単に想像できてしまって、出来なかった。しがみ付いて泣き喚くことが出来れば、どれほどこの胸の中が楽になれたのか分からないのに。

「………ちく……しょう……っ…!……」

もう顔中に伝わる何かが涙なのか鼻水なのか分からない。
汚いだなんて知るもんか。だってもう見栄を張る相手がここにはいないのだから。

「――――汚い顔ですこと」

気配はなんとなく気が付いていた。間違えようなんてない、あいつだった。

「………うっせー…よ、今ぐらい……そっとしておくような……ハイリョが欲しい…ね……」
「あなたはわたくしの使用人でしょ?なんで主人が使用人に命令されなきゃいけないのよ」

そういってシャーロットはいつものように憎まれ口を叩く。彼女だって今回の件で屋敷を貸すことを掛け合ったり、色々動いてくれた。たった一人の使用人なんかの言うことのために。
それが分かっているけれども、どうしても素直にその礼が言えなくて。やっぱりロイはいつものような返答しか返せないのだ。

「ばーか」
「そう言うロイのことこそ馬鹿なんですわ」
「………そうかもな」

顔を上げてみれば、そこにはもうすっかり若葉を茂らせた桜の姿があった。まだ少しだけ花びらが残っているけれど、それは葉っぱの青々しさの中に混じってしまってもうほとんど分からない。
花は散ってしまったけれど―――木は葉を広げる。新しい何かに移り変わる。

「ロイがそんなこと言うだなんて……気色悪いですわ」
「お前、相変わらず口悪いよな。そんなんじゃもてねーぞ」
「うるさいですわねっ!」

ロイにとってはそれがいつになることかは分からないけれども。





『全てが終わったら、きっと帰ってくるよ。………この桜の木に誓う。』






今は、彼女の言った言葉だけあれば十分ということにしようと思った。





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07.4.20執筆
07.4.26UP

並んで歩く、の意味が徐々に夢主の中で変わってきています。