色んなことが駆け巡った。
例えばリオンと初めて出会った日のこと。あの時は突然盗賊が出てきてビックリしたっけ。それから、ダリルシェイドに行った。王様との謁見ではほんとに緊張したっけ。その隣で涼しげな顔しちゃってさ、憎たらしいったらありゃしなかったよ。そういや暫くしてまたダリルシェイドに戻ってきた時は、まさか滞在先にいるだなんて思いもしなかったなぁ。あ、あとプリンが好きだった。それも意外な出来事だったな。甘いものは好かん、とか言ってたくせにね。いじっぱり。
思い出したらきりなんてないくらい、過ごした日々には色んな出来事がありすぎて。
想いは溢れ出して止らなくなる。後悔だってたくさんあった。情けない自分に腹が立って仕方なかった。でも、それ以上に想ったこと。願ったことは……。
いても立ってもいられなくて、は薄着のままロイの静止も聞かずに部屋を飛び出していた。
病み上がりの体は、想像以上に衰弱していたようだった。
体を支えるはずの足がふらついて真っ直ぐに走ることが出来ない。息だってすぐに切れてしまうし、わき腹にいたっては当の昔から痛くなっていた。肺から吐き出される息が重くて、このまま倒れてしまいたくなる衝動に駆られる。
でも、休んだりなんてしない。
もしも立ち止まって息を整えることが出来たのならば、再び走ることは出来るだろう。けれど、走り始めた気持ちが折れてしまう。立ち止まることで止ってしまう。……そうなってしまっては、今度こそ本当に手遅れになってしまうような気がした。
「………はぁっ……はぁっ………!」
情けなくなるくらいに呼吸が乱れる。頭の中がぼんやりしてくる。それでもは立ち止まろうとは決してしなかった。
目的地なんてちっとも分からない。ただ浮かんでは消え、浮かんでは消えるたった一つの顔に縋りつきたかった。突き放されて、傷ついて。切り捨てられて、嘆いて。もうどうにもならないかもしれないけれど、それでも伝えたい言葉があった。
足の裏が擦り切れて、血が滲み始めた。もしかしたらガラスの破片でも踏みつけてしまったのかもしれない。ちくりちくりと痛みを伴い始めた足を引きずりながら、それでもはひた走る。裸足で駆けるにはあまりにも硬い石の通りを。
「……はぁっ…はぁっ…はぁっ……!」
もうどこへ向かいたいのかも分からない。でも、伝えたかった。
―――何を?
そんなの決まりきったこと。
―――どうして?
気が付いてしまったから。
―――彼は拒絶を選んだのに?
それでもいい。
―――馬鹿だね?
うん、私は馬鹿だよ。
迷い子は差し出された手のひらに恋をした。
いつかほんものの恋を見つけることが出来るのだろうか―――……?
あの日、一人の『男』がリオンに掴みかかってきた。
彼はリオンに比べればまだずっと小柄で、腕力もそれほどなくて、涙もろくて、呆れるくらいに子供だった。でも、くだらないと思っている奴らよりもずっとマシな人間だった。好いた人を全力で守ろうとすることの出来る『男』だった。
不意にこの空の下、ダリルシェイドにいるはずの彼女の顔が思い浮かぶ。優しい人。とてもあたたかな気持ちになれる、世界で一番大切な人。彼女の笑顔が胸の中に広がって、溶けて、染みこんでゆく。
『―――……お前がッ!お前がッ!!』
男はリオンに掴みかかって叫んだ。
『を傷つけた!いつも笑って、痛みを堪えて。そうやってへたくそなやり方しか選ばないを、多分一番抉る言葉で傷つけた!!!』
両手を振りかざして殴りかかった。でもどんなに力を込めようとも、普段から鍛えているリオンには大した痛みにならない。それでも何度も何度も振り下ろして。非力な自分の力が、リオンには届いていないことも分かっているだろうに振り下ろして。
男は、これ以上ないくらいみっともなく泣いていた。
ぼろぼろと大粒の涙を瞳から転がして。鼻水は垂れる、顔はくしゃくしゃ。酷いものだった。相当に情けない顔だった。
『俺はお前を許さないッ!!絶対、一生、忘れない!』
……いや、情けないわけではない。振り下ろした手を最後まで握り締め、男はぎらぎらとした瞳でリオンに殺気を放ったのだから。
放たれる殺気を無視しておくわけにはいかない。威嚇のようにリオンはシャルティエを握り締めたけれども、男は剥き出しの剣に対して全く怯んだ様子は見せなかった。
『をお前らなんかに返してやるもんか……っ』
『…………お返しだ』
叫んだ男に一発だけ殴り返す。
『…………上等だよ』
男の拳は一撃一撃は大したことはないけれど、続けて受け続けると痛みになる。その分だけをそっくりそのままお返ししただけのことだった。
『いや、もう貴様の戯言に付き合う義理なんてない』
剣を出さなかったことに感謝しろ。そう告げて背を向けたリオンに、男がかけた言葉は負け惜しみの遠吠えの類ではなかった。
『許さない』
許されないことなんて、もうとっくの昔にやってるよ。
その言葉を飲み込んで、リオンはすっかり葉桜になってしまった並木道を通り抜けた。
桜並木を通り抜けた先には小さな広場がある。随分奥まった所に、だ。そこには桜並木に置いていかれてしまったかのように、ぽつんと咲いている桜の木があった。
「…………」
まだ、あった。薄桃色の花々が。
まるで取り残された桜だけ、時の流れを止めたかのようだった。その桜の木だけは、ようやく膨らんだ蕾が懸命に魅せようと花開かせている。
「……鈍くさいやつ」
時期を外すにも程がある。まるで置いてけぼりにされた迷子のようだった。そんな桜に向かって言葉を漏らせば、鈍くさいあの女の締りのない笑顔が頭の中を過ぎる。………いや、もう済んだことだ。考えるのは止そう。
かぶりを振って視線を下げたリオンの視界に、こんな場所にはそぐわない真紅が映った。
「これは………血……?」
桜の下まで点々と、その色は続いていた。
不可解に思ってもう一度、あの鈍くさい桜の木に視線を向けて―――……リオンは銀色に光る何かを見つけた。
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07.4.16執筆
07.4.24UP
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