「みてみてっ!かんむりのお花!」

とってもすてきなお花だった。
小さくて、ふわふわしてて、可愛いお花だった。

……そう。確か絵本の中ではきれいな洋服を着た女の人が、頭の上に乗せていた冠の花だった。それがとっても綺麗で、なんとなく羨ましくて、欲しいと思ったんだっけ。
でも花冠なんて作ったことなんてなかったし、その頃から手先は不器用だったから、何本も何本も花を抜いて作ろうとしたけれど上手に作ることが出来なかった。それがなんだか悔しくて、あの人に泣きついたんだっけ。わたしもほしい、絵本の人と同じのがほしいって。

「……はいはい。でも、あんまり期待しちゃ駄目よ?」

なんてったって、私もそんなに手先が器用なほうじゃないんだから。あの人はそうやって笑って、でも一生懸命私のために花冠を作ってくれた。
花がね、蔦に巻き込まれちゃってたり、あっちこっちに飛び出てたりしてて不恰好だったのは覚えてる。だって絵本のものと随分形が違ったもの。それがちょっと不満で文句を言ったら、あの人は言ったっけ。だから言ったでしょ?……って。

でも花冠を作ってもらえたことは嬉しかったから、頭に乗せてくるくる回った。
形こそ違うけれど、あの人が作ってくれた世界でたった一つの私だけの冠だったんだもの。とってもとっても……嬉しかった。幸せだった。

「よかったわね………

あの人が、頭を撫でてくれる。
大切に作った花冠ごと包み込むように。優しくてあったかい手のひらが、頭を撫でてくれる。それがとても心地よかったんだ。





「…………」

幸せな夢は――……いつか醒めてしまう。そんなことなんてもうとっくに知っていた。分かっていた。
でも、目覚めた時に覚えてしまう落胆だけはどうやっても慣れることが出来ない。夢の中の出来事が幸せであればあるほどに、目の前の現実を突きつけられてしまうから。

遠い遠い昔の思い出。そんなものにいつまで経っても振り回されて、呆れるほどに癒されて。そうして、現実を知って酷く落胆する。そんな自分をどこか客観的な冷めた視線で見つめているもう一人の自分を知っているからこそ、より一層夢から覚めた瞬間は惨めな気持ちになっていた。

「………?……」

でも、何故か今日だけはそんな気持ちにならなかった。
夢現の中でも、あたたかな何かがをそういった気持ちと切り離してくれるかのように包み込んでくれているような気がしたからなのかもしれない。

ふわり、と優しい気配が頭の上を掠めてゆく。

それはとても自然な仕草での頭を撫でた。――…まるで、あの日おかあさんが花冠を乗せたの頭を撫でてくれたみたいに。とても、とても優しく。

だからきっと。女の子が泣かないでもう一度夢の中に戻ることが出来たのは、その手のお陰だったのだろう。





「………あれ……?」

今度こそはっきりと目が覚めた。夢もなく、ただ昏々と眠り続けていたようだ。やけに頭がスッキリするのを不思議に思いつつも、ベッドの上に身を起こす。
窓を見れば、温かな日差しがカーテンの向こう側から差し込んでいるのが分かった。誘われるように、ベッド脇の窓を開ける。どこかの家でマフィンでも焼いているのだろうか。甘くていい匂いが仄かに漂っているのを感じ取って、お腹がぐううと間抜けな音を立てた。

こんな音なんてルーティに聞かれたらまたからかわれてしまうに違いない。そうしてフィリアがくすくすと楽しそうに笑って、マリーが腹の虫は元気だな、と指摘してくるのだ。スタンだったら一緒にお腹を鳴らしてくれるかもしれない。リオンならたるんでるって眉をひそめるんだろうな。なんだか急に気恥ずかしくなって、慌てて部屋の中を見渡して………この部屋には、誰も居ないことに気が付いた。

唐突に、雨降りの日の出来事が頭の中で弾けた。

「……………そっか」

がむしゃらに走り続けたあの瞬間を。後悔ばかりが胸を締め付け、どうしようもなく泣き出したい衝動に駆られてしまったあの出来事を。
胸の内に溜め込んでいた不安のはけ口が見つからなくて、激情に任せて酷い言葉をリオンに投げつけてしまった。綺麗な言葉を並べて、自分のことばかりを主張した。フィリアを守るため、それはなんて甘い響きだったのだろう。誰かのために言葉を並べることこそが正しいわけではないのに。

最後の方は頭がクラクラとして、記憶がすっかり掠れてしまっている。もしかしたら、そのまま走りつかれて雨の中、倒れてしまったのかもしれない。

「あれ?…………じゃあ」

誰がここへ連れてきてくれたんだろう。そしてここは……そんな疑問がの頭を過ぎったその時。カシャン、という物音が思案の海に浸りかけていたの意識を引き戻した。

ッ!!」

小さな影が視界を過ぎった、そう思った次の瞬間には、見慣れたロイの姿がのすぐ傍まで走り寄ってきていた。

「……起きて大丈夫なのか!?具合が悪いところは!?しんどくない?無理なんてしてないだろーな!!?」

床に散らばったたらいと水、それから氷にタオルに……数えればきりがないほど物を落として、でもそんなことすら気にした素振りを見せずにロイはに詰め寄った。

「え……あ、うん……。っていうかそんなにたくさん質問されても一気に返せないよ……」
はまだ病み上がりなんだから絶対無理はすんなよッ!!いいか、分かったな!」
「は、はい……」

一気にそう捲くし立てられては、素直に返事を返すしかない。目を丸くしてはロイの姿を見つめた。そう言えば、こんな風に取り乱すロイを見るのは随分久しぶりだ。

「………よかった」

そう言って、ロイは少し涙ぐみながら小さく声を漏らした。

が倒れてるの見た時、俺……おれ……びっくりしすぎて死ぬかと思った」
「そ……そんなぁ、大げさだよ」
「大げさなんかじゃない!」

ロイが声を荒げた。その表情はとても真剣で……きっと誰よりも雨の日に倒れたのことを心配してくれたに違いなかった。

「……ご、ごめん」
「……私こそごめん」

そうして、広い部屋の中に沈黙が落ちる。そんな間がついこの前までロイとの間にあった雰囲気と違う感じがして、何となく居心地が悪かった。前までは話さなくても居心地が悪いなんて一度も思ったことなんてなかったのに……。その違いが分からず、何から話していいものかと混乱し始めたに、ぽつりぽつりとロイは事情を話し始めた。

雨が降ったのは、今から約3日前のことだということ。倒れたを見つけたのは、赤い髪の女の人だったということ。は酷い高熱に暫くうなされていたということ。そしてここは、倒れた場所からすぐ近くだったシャーロットの家だということ。シャーロットは快くロイの頼みを父親に伝えてくれたお陰で、暫くはここを借りることが出来たということ。

その口調はいつもの、と話せて楽しくて仕方がない様子だったものとはまるで違う。妙に大人びていて、でもやっぱり子供らしくて、分からない何かを堪えるかのように一つ一つの言葉を噛み締めて話していた。……もしかしたらロイは落ち込んでいるのかもしれない。その理由はどうしてもには理解することが出来なかったけれども。

「……ロイ、辛いの……?」

分からない。でも、少しでも分かってあげたいと思う。だってロイはにとっての大切な仲間だから。辛い気持ちを微々たるものだって構わない、分かち合うことが出来れば。少しでもロイの負担が軽くなればいい。それは多分、相手がミシェルやシャーロットでもは同じように考えただろう。

「当たり前だ!が……がこんな風になって心配しないわけなんてない!」

ロイは癇癪を上げるように声を荒げた。
そうして手を白くなりそうなくらいに強く握り締めて、何かを吐き出すかのように叫ぶ。

「………俺はのためになるんだって見送ったんだ」

ノイシュタットから出るといったのことを、皆が引きとめた。寂しいよ、いなくなるなんて嫌だよ。ずっと一緒にここにいて。そんな純粋で素直な子供たちの願いは嬉しくもあったけれど、同時に辛くもあった。
でも、そんな子供たちの中でロイだけはこう言ったんだ。





がそうと決めたなら、友達,,として俺は見送るよ。
本当は一緒にいて欲しいけれど、その思いをに押し付けたらただのわがままになっちまう』








が頑張るって!やりたいことがあるからって!頑張るを応援したかったから……俺は……見送ったのに……ッ!」

ロイがに他の子供たちと同じように飛びつかなかったのは、もしかしたら負担になりたくなかったのかもしれない。がリオンに願ったことと同じように―――……ロイも思ったから。
そんなロイなりの精一杯背伸びした気持ちにはは気付けない。それでもロイの叫びはの胸に確かな響きを持って伝わっていて、一つ一つの言葉が重く、痛く感じられた。

「こんなのって違う!!全然違うッ!!!」

そうしてロイは呻くように言葉を漏らした。

「こんな姿のを見るために………俺……を見送ったわけじゃない………」

去り行く背中を見送ったのは、彼女のことを思ってこそ。
引き止めなかったのは、ちっぽけな意地があったから。
飛びついたりしなかったのは、一欠けらのつまらないプライド。

苦しくて、どうしようもなく切ない思いを飲み込んで過ごした日々をこんな風に壊したりしないで。

「マリーって女の人から全部聞いた。……俺、と一緒に居る奴らが嫌いだ。をこんな風に傷つけた奴が許せない」
「………ロイ……」

そうしてロイは怒りに震える手のひらをぎゅっと握り締めて言う。

「殺してやりたいくらい、憎いよ」

ロイは殺せ、とか死ぬとかそんなことを滅多に言わない子供だ。だって彼は、その言葉の意味を誰よりもよく理解しているから。死が身近にあったからこそ、彼はこんな場所で生きることになったのだから。

そんなロイが口にした『殺してやりたい』と言った言葉。それだけで、ロイがどれほどのことを思い、傷つけた人間を憎んだのかが窺い知れる。
ギラギラとした目元が不意に出会った頃のロイの姿を思い出させた。あの時の彼は――…誰も信用できない、当てに出来ない、救いがない。そんな世界に絶望しきって、全てを憎んでいた。たった一人の肉親を除いて。

そんなロイの言葉は、を思ってくれた分だけ重く圧し掛かる。けれど潰されてはいけない。だってこれは、のためだけの好意なのだから。
それでも、どれほど傷つこうがはリオンを、共に旅した人たちのことが……好きだったから。

「……ロイ」
「いいんだ、分かってる」

言葉を発しようとしたの言葉を遮ってロイは話す。

はそんなこと望んだりしないって、分かってるよ。………だからそんなことはしない」

そうしてぽつりと言葉を漏らした後、ロイは顔を上げて真正面からを見つめ返した。その視線はどこにも曇りなんてなくて、ただひたすら真っ直ぐに澄み渡っていた。
だから、そんな彼に贈るの言葉は。

「……ありがとう。ロイの言葉は……すごく、すごく嬉しかった……。そんな風に真剣に、ここまで私の事を思ってくれたなんて……」

感謝だった。

この少年が、これほどまでに自分のことを思ってくれているなんては思っていなかった。勿論彼らに何らかの不幸が降りかかろうものならば、全力で立ち向かうつもりはある。でも、それと同じような気持ちをロイも持ってくれていることに今日まで気が付くことが出来なかったのが、少し恥ずかしい。

「……ほんとの、ほんとなんだよ」

もしかしたらが気が付かなかっただけで、本当はミシェルもシャーロットも、皆、みんな………そんな風に思ってくれているのかもしれない。
……それはもしかしたらとんでもない自惚れなのかもしれないけれど、それでも心強かった。胸の中をあったかくしてくれた。

「俺……たちがいるんだ。だから、何でもかんでも背負い込むなよ……」

そうして彼は、また涙を呑んで声を紡ぐ。

「仲間って言うなら、それこそだって言ってくれよ……。相談しろよ……。俺はのあんな姿、見たくない……」

そう告げられたロイの言葉には悲痛な色が帯びていて。彼がどれだけこの3日間のことを心配し続けたのが痛いほど伝わった。
涙を堪えて言葉を告げるロイの姿を見るのは、も辛くて。でも、告げられた言葉のあたたかさが……信じられないくらい胸の中に波紋を持って広がって、じわりじわりと染みこんでゆく。

……ねぇ。こんなに年の離れた子に言っちゃってもいいのかな。辛いことを馬鹿みたいに吐き出しちゃっていいのかな。重みに潰れちゃったりしないのかな。

まっすぐすぎるくらいにまっすぐな視線が、の瞳を貫いた。

一人で抱えるのは辛いよ。でも、吐き出して楽になろうとする自分はすごくズルイよ。……自分のことなのに、人に寄りかかってもいいのかな?

「………なんのための『仲間』なんだよ……」

その言葉に、何かが堰を切ったように溢れ始めた。

「………ひどい言葉をね、言っちゃったんだ」

一つ言葉を漏らせば、後から後から続きの言葉は浮かび上がってゆく。

「尋問なんて誰だって良い気持ちなんてしないよね。なのにさ、私に言っちゃった。敵だったらどんな悲鳴を前にしても平気で尋問を続けれるもんねって。…………酷い言葉」

止ることなんて分からなくなる。

「それで自分のことばっかりで、なのに誰かを守るとか都合のいい言葉だけ並べて」

その気持ちには嘘も偽りもないつもりだった。
でも、自分のことでいっぱいになってしまった。気遣う素振りを見せて、本当は自分を守っていたかったんだ。頼られることで安心しようとしたのかもしれない。

ごめんなさい。本当にごめんなさい、フィリア。

「名前を呼んで欲しかった。……何気なくで構わない。ただ、呼んでくれるだけで良かった。対等でありたかった」

もしかしたら、あのリオンの言葉にだって意味があったのかもしれない。大切な何かを見落として、伝えたかった言葉を無視して、自分のことだけをぶつけてしまった様なそんな気がして仕方がない。
まるでボタンを掛け間違えてしまったような……そんなモヤモヤとした落ち着かない気持ち。

考えると不安で不安で、どうにもなくなってしまう。
ほんとは、傍に居たかっただけなのに。

「一緒に………並んで歩けるようになりたかった………っ……!」

ただ、それだけのことだったのに。





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07.4.13執筆
07.4.23UP

夢主とロイの関係は、ある意味マリアンとリオンの関係に似ています。
多分ロイはぐるぐるそこら辺も考えていたんだろうな。今のところ、私の書いたキャラクターの中で最も成長してくれたのが彼です。