自分はなんて役立たずなのだろう。……そう思わずにはいられなかった。


狭い箱庭の世界の中に満足しきっていた自分。だからこそ、外の世界に飛び出してからは驚きの連続だった。同時に、辛いこともたくさんあった。
フィリアの18年間はあまりにも単調的すぎた。同じ目的を持った人と会い、同じように神に祈り、同じような生活を繰り返す。そんな世界を構成していた人たちが死に、時に裏切り、望み、立ち塞がる。それは今までのフィリアの世界の崩壊を指し示していた。
足元から全てが壊れてゆくような絶望。全ては、小さな世界で生きてゆくことだけに満足しきっていた自分への罰だと思っていた。どんなに辛い目に遭っても、それは全部自分の責任だと思っていた。



『私、フィリアの事、友達って思いたい』




でも、そんなフィリアのことを気遣ってくれる人がいた。
仲間って呼んでくれる人がいた。
疑いをかけられた時、庇ってくれた人がいた。
友達だって……言ってくれた人がいた。


その人が自分のために精一杯戦ってくれていた時、一体何をしていた?


どうして良いか分からず、ただオロオロとしただけだった。一言すらも話すことが出来なかった。彼女を庇うように叫んだスタンの言葉に頷くことしか出来なかった。
どうしてそんなことしか出来なかったのだろう。仲間と呼んだ人たちに責められて、でも、それでも精一杯体を張って助けようと叫んだ彼女に向かって、どうしてそんな仕打ちしか出来なかったのだろう。
……友達だと、一番初めに外の世界で言ってくれた人だったのに。

「……私の、せいだったのに……」

全てのキッカケは、トレイに乗せられた同僚のための朝食。

でも、彼のために食事を作ることがどうしていけなかったのだろう。なぜ疑われなければならなかったのだろう。……どうして疑われた時に俯いて、そうじゃないと言い張ることが出来なかったのだろう。

自分さえ、自分さえしっかりしていれば……こんなことにはならなかった。悔しい。……情けない。

「スタンさん。私は……さんの友達……失格ですね」

懺悔のような告白を、呆然と扉の向こうを見つめていたスタンにフィリアは小さく漏らした。返事はなくっても構わない。ただ、このどうしようもない胸の内を誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。

「私なんかのために、あそこまでしてくれたさんに………私は何も出来なかった」
「フィリア……」

いつだって消極的で、出来損ない。ああ、パーティから外されるべきはさんではなく、私のはずだったのに!

困惑げに上げられるスタンの声が、より一層フィリアを惨めな気持ちにさせた。
彼だってこんな自分のためにルーティや責められたを庇おうと戦ってくれた。彼女ととてもよく似て、いつも優しい笑顔を向けてくれた。そして自分にはそれが……いつだって眩しかった。

「……何も出来なかった,,,,、じゃないよ」
「………え?」

まるで自分自身に言い聞かせるように、スタンは静かにそう言った。

「俺は諦めないよ。……だって俺達は、まだなんの手も尽くしていない」

まるで魔法みたい、そう思わずにはいられなかった。
スタンの言葉は驚くほど素直にフィリアの心に染みこんで、萎んだ気持ちを蘇らせる。そうして卑屈な自己嫌悪に浸っていたフィリアの目を覚まさせた。
見上げたスタンの横顔は、いつの間にか先ほどまでのものとはまるで違っていた。

「なんとかなるはずだよ。喧嘩したら、仲直りすればいいだけなんだ」

そうして、スタンはいつものあの……フィリアの胸を震わせるような眩しい笑顔で確かに宣言した。

「だって俺達――……もう仲間だろ?」










「………?……」

どうやら、ルーティといつの間にかはぐれてしまったらしい。……困った。でも、まぁいいか。
ぼんやりとそう思いながら、マリーは降りしきる雨も気にせず一本の木を見つめていた。

「この木はまだ蕾だったから落ちていなかったのか……」

薄桃色の、儚い花。とても美しい花。
――…あの人が見せたいと言った『サクラ』の花。

「………ッ……」

ずきり、と頭が痛んだ。
そうだ、どうして自分はこんなことを知っているのだろう……?記憶は失われているはずなのに。

その小さな広間には、慎ましやかに桜の木が一本だけ植えられていた。
まるでそこだけが、何もかもに忘れ去られていたかのように少しだけ時間が緩やかに流れているよう。すっかりこの雨によって散ってしまった桜の木の中で、成長が遅かったのかこの木だけはまだ花を咲かすことなくひっそりと佇んでいた。

小さな蕾は雨の重さに負けず、必死に天に向かってその姿を主張していた。きっと花を咲かせば、さぞかし素晴らしい姿を見せてくれるのだろう。そんな慎ましやかながらも、精一杯生きようとする花の生き方がマリーは何だか気に入った。

「お前が見せたいと言った花は、美しいな――……」

それは、彼女にとっては無意識下の言葉だった。だから続きかけた言葉が誰かの名前を象り始めたのも、きっと必然のことだったに違いない。

ぱしゃりと、雨音が一つ立った。

……そこでようやくマリーは、自分がどこか遠く、懐かしくもある『何か』に意識を飛ばしかけていたことに気が付いて小さくかぶりを振った。
そして、近づいてくる水音に意識を向ける。

「…………?……」

ゆらり、とその影が小さく揺れたかと思った次の瞬間だった。――…目の前を何かが横切ってゆく。咄嗟にその影を抱きとめてから、マリーは影の正体が見覚えのある姿であったことに気が付いた。

「……………?」

銀の髪の、女の子。
その女の子は綺麗な髪をめちゃくちゃに乱して、まんまるな瞳を真っ赤にさせて、小さな口を青紫色に染めてマリーの腕の中で小さく震えていた。

見慣れた彼女の姿とあまりにも違う、酷く弱々しい姿。それは、何かがあったことをすぐさまマリーに連想させた。咄嗟に不安が頭の中を横切り、を抱いたまま雨の中走り出そうとしたマリーを細い腕が弱々しく引き止める。

見れば、は小さく首を振ってマリーが歩みを進めようとするのを引き止めていた。

「………泣いて、いるのか……?」

まるで小さな子供のように幼い仕草をするを、とにかく落ち着かせることが必要なのだとマリーは直感的に感じた。だから彼女の出せる出来る限りの優しい声で、を落ち着かせるように言葉をかける。
……だからかもしれない。咄嗟にかけた言葉が、まるで幼子に問いかけるかのようなものになってしまったのは。

「ないてなんか……ないよ……」

その言葉に、の震えは徐々に小さくなってゆく。彼女はマリーの腕の中で、甘えるように途切れ途切れ返事を返した。

「だってわたしとおかあさんのやくそく、だから……」

そうして彼女は、雨なのか自身が零したもののせいなのかもう分からないほどくしゃくしゃになった顔で、小さく微笑んだ。

「だから、なかないよ……」

いつものような、締まりのない表情で。いつものように女の子は笑っていた。

「……こんなの……へっ…ちゃ……ら……」

そんなわけなんて、あるはずないのに。それでも笑い続けようとする女の子を、マリーは思わず強く抱きしめた。


ざあざあと雨が振っていた。

大粒の雫は、街を、人を、心を濡らしてゆく。桜の花びらを、散らしてゆく。そうして雫は集まって波紋を作ってゆくのだ――……。






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07.4.8執筆
07.4.21UP