いつか、きっとね。

彼に名前を呼んでもらうの。別に特別な意味を持って囁いてほしいとか、そんなわけなんじゃないよ。ただ普通にね、何気なくでいい。呼んで欲しかった。対等でありたかった。
並んで歩いてさ、たまに軽口なんてたたいちゃってさ。それで――…ちょっとでも笑って欲しかった。

ただ、それだけのことだった。……そのはず、だった。





は夢中になって街を駆けていた。

行き先なんてどこだっていい。ただ、無心になっていたかった。走ることで、わき腹に走る痛みによって、全てを紛らわせてしまいたかった。両親の残した秘密、占い師の囁き、リオンのマリアンへの懺悔のような告白、フィリアの苦しみ、肝心な時に役に立たない自分。考えていたくないのに、ありとあらゆることが頭の中をよぎっていってゆく。

……もう嫌だった。考えることに疲れてしまった。
なんで、どうして。私はあんな形で吐き出すことしか出来なかったのだろう――……。

リオンのせせら笑いが今なお、頭の中を木霊する。焦がれて、焦がれて……ずっと願い続けた言葉が、何度もの頭の中をリフレインする。

もう何も考えたくない……!

ただその思いだけが頭の中を駆け巡って、ぐちゃぐちゃになった思考回路ではノイシュタットの街の中を駆けていた。










「リオン……本気で言ってるのか?」

小さな背中が扉の向こう側へ消えるのを、リオンは最後まで見ていた。そんなリオンにかけられる声が一つ。いつもの彼のものにしてはトーンが低い……スタンだった。

をこの任務から外すって、本気で言ってるのかよ!?」

真っ直ぐなスタンの視線がリオンの瞳を射抜く。それでも、リオンの瞳の輝きは何一つ変わることはなかった。ただ淡々と言葉を口にするだけ。

「勿論そのつもりだ」

いや、淡々とではない。出来る限りそう装うそぶりを見せてはいるものの、その実酷く不機嫌だ。囁くように告げられた言葉の節々から、リオンの苛立ちは滲み出ていた。

「何でッ……どうしてだよッ!」
「あいつにはこの任務は向いていない……確かにそう言ったつもりだが?」

挑むようにスタンを鋭い眼差しを向けて、リオンは語る。

「あの程度の尋問にすら耐えられないのなら、さっさと出て行けばよかったんだ。……貴様らのようにな」

そうしてリオンはその視線をフィリアに向けてせせら笑った。

「当事者であるフィリアが耐えれたのに、この始末。どう考えてもあいつはこれから先、足手まといになるだろう?」
『坊ちゃん………』
「くどいぞ、シャル」

腰に下げた剣にさえそう切り捨てるように告げて、リオンは言葉を続ける。彼の表情はいつにも増して不機嫌で、不快そうなものに彩られていた。

「そ……それとこれとは話が違うだろ!大体はフィリアのことを思っただけで……!」
「それであんな見苦しい反応を返すと?それこそ余裕のない証拠だろうが」
「友達のために一生懸命な姿が見苦しいとかあってたまるかよ!」

スタンがそう咆えた。その言葉に、フィリアははっとして何度も何度も頷く。けれど、そんな二人の姿さえ鬱陶しそうにリオンは振舞った。

「元々、あいつを連れてくるつもりはなかった。……ヒューゴ様の命令がなければ、な」
「……じゃあその命令はどうなるんだよ?」
「あいつがこの任務には適していなかった。このままでは精神的なショックで持ちこたえることが不可能と判断し、帰還させた――…それで十分じゃないか?」

………本当に、そうなのだろうか?
ここ数日のの言動をスタンは思い浮かべる。おかしな所だなんてあっただろうか?誰よりも仲間のことを気にかけて、心配りをして、そして許せないことには全力で立ち向かっていく。そんな彼女のどこが精神的に脆いのだろうか?

スタンには分からない。でも、零れんばかりのまばゆいあの笑顔は、暑い日差しの中通り抜けてゆく風のような爽快感を残してくれたことだけは覚えている。
そんなを、仲間の笑顔を、これから先こんなちぐはぐな論理で引き離されてしまうことがなんだか許せなかった。スタン自身が。そして、何よりそれを口にしたリオンのことが。

「……俺、リオンとって仲が良いのかと思ってた」
「フン、寝言は寝てから言え。誰があんな女と僕が」
『その割には、このパーティの中では誰よりも穏やかに話をしていたがな』
「……黙れッ!」

ディムロスの横槍に、リオンは声の調子を一転させて怒りを露わにした。そんな彼にさらに追い討ちをかけるようにディムロスは言葉を続ける。

『私に言わせれば、どちらかと言えば君の方が冷静さを欠いてるような気がするが』
「黙れッッ!!」

ダン、と一際大きな音が立つ。……それは、リオンを声を荒げたと同時に手のひらを壁に撃ちつけた音だった。
直後、静まり返った一同に向かってあくまで認めなかったリオンは、睨むような視線をスタンとフィリアに送りながら低く言い放った。

「……もう貴様らと話すことはない」

そうして、彼もまた扉に向かって背を向ける。静まり返った室内に響いたブーツの音が、やけに耳についた。

「……待ってください!」

ここに来て、今まで声を上げなかったフィリアが悲痛な声を上げる。きっと今まで彼女なりに思ったことを考え続けていたのだと思う。声を上げたフィリアは、リオンに何かを必死で伝えようとした。

けれどそんなフィリアの声すら耳を貸さず、リオンは今度こそ扉の向こう側へと消えてしまった。

「………リオン、さん……」

フィリアの哀しげな声が、ぽつりと静まり返った室内に響き渡る。

が飛び出し、リオンもそれに続いた屋敷の外。窓から覗けば、誰がどう見ても雨雲が立ちこみ始めていた。





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07.4.7執筆
07.4.19UP