結局、フィリアやの願いとは裏腹にバティスタは何も吐かず、尋問は遅くまで続けられた。
どれほど電流を流そうとも、バティスタは強情だった。彼は一言も情報を漏らすことなく、電流に耐え切ったのだ。……そう言った意味では、敵ながら見上げた根性をもった相手だったに違いない。

度重なる電流の痛みに気を失ったバティスタを見たリオンがこれ以上は意味がないと判断を下したことによって、その日の尋問は終了となった。
そのリオンの言葉を聞いたと同時に、フィリアはほっとため息をつく。それを横目で確認して、複雑な思いが隠せないだった。


それが、昨日の出来事。
あれから一晩。は何となく眠れぬ夜を過ごし、朝を迎えた。


「おはよう、フィリア。ずいぶんと早いんだね」
「あ、スタンさん。あの……すみませんが、一緒に来て頂けませんか?」

早朝。
結局眠ることが出来なかったは、せめて顔でも洗おうと洗面所に向かおうとした所で、珍しい声を聞いた。

「どこへ?」

普段ならどれほど大声を上げようが、髪を引っ張ろうが、揺さぶろうが目を覚まさない……とにかく寝起きが悪すぎるスタン=エルロンの声だった。
彼がこんな早朝からだなんて珍しいものがあるものだと、恐らくフィリアのものであろう声とのやり取りを耳にする。

「バティスタに食事を……。あんな調子で続けたら、本当に死んでしまいますわ」

昨晩イレーヌから借りた客間は合わせて3部屋。スタンとリオン、ルーティとマリー、フィリアとが同じ部屋で就寝することになっていた。確か夜明け前、が少しだけうとうととした頃にベッドを抜け出す音が聞こえたと思ったら、フィリアは彼のためにわざわざ食事を作りに行ったらしい。
けれどそんな小さな心配りがフィリアらしくて、二人から少し離れた所でやりとりを聞いていたは笑みを零した。

昨晩、フィリアが名前を呼んでくれた。……さん付けじゃなくって、対等の人間として扱ってくれた。

不意に昨日のことが胸の中に蘇る。名を、呼ばれること。それがこんなにも嬉しいだなんて。なんとなくその余韻に浸りながら、は歩みを進めた。
ただ少し残念だったのは、皆さんの前だと少しだけ恥ずかしいので、その時だけはさんって呼んでいいですか?と言われてしまったことだけど。……確かに一人だけを呼び捨てにしようものなら、ルーティやスタンに問い詰められることは間違いないので、フィリアがそうしたいのならばそのままでもいいかな、とは思う。
何だか小さな秘密ごとをフィリアと共有しているみたいで、くすぐったいような気持ちがした。でも、それは不快なものなんかじゃなくて……寧ろ、ずっと心地の良いものだったから。
やっぱりはくすりと微笑んで、目的地へとまっすぐ進んだ。


イレーヌの屋敷の洗面台はとても大きい。
何度となく屋敷に上がったことのあるでさえそう思ってしまうのだから、やはり一般的なものに比べると随分立派な設備が整った屋敷だと思う。
とりあえず髪の毛を苦心しながら櫛を通し、冷たい水で顔を洗った所で、思わぬ悲鳴が屋敷に響き渡った。

「だ、誰かぁ!バティスタが逃げた!」





バタバタと駆け込む音が聞こえる。
いつの間にやらバティスタが囚われていた部屋に、リオン、イレーヌを除いた全員が終結することになった。

「逃げた?何で!?」

そう言って目を見開いて、スタンに詰め寄っているのはルーティ。
彼女はまだ寝起きだったのか、若干薄着のままだった。……とは言っても、ルーティはいつだって薄着だけれども。

「そ、そんなこと言われたって……」

うろたえるスタンにこれ以上の情報を求めても意味がないと察したのか、ルーティは声をかける標的をフィリアに移す。そんなルーティが続けた言葉に、は思わず息を呑んだ。

「まさか、フィリア……」
「え?」
「まさかあんた、昔のよしみで逃がしたんじゃないでしょうね?」

ルーティのその言葉は昨日のフィリアの気持ちを、まるで踏みにじるかのような残酷な響きを持っていた。

確かにこのパーティの中ではフィリアが一番バティスタに近い位置におり、しかも捕らえた相手に朝食を用意しようとするまでに思い入れだってある。鍵が壊された形跡もないことから、バティスタの逃亡に手引きした人間がいることは、あまりにも容易に想像できた。

でも、は知っていた。
白くなるまで握りしめた、手のひらを。涙を堪えて、バティスタの呻き声を聞き続けた姿を。昔の優しい彼を思い浮かべては、自問自答を繰り返したフィリアのことを。
そんな彼女の姿がどこか自分にも重なる所があって……胸が痛くなったことをは確かに覚えている。

「そんな、私は何もしていませんわ……」

カタカタとフィリアの持ったトレイが小さな音を立てる。
震えるフィリアの姿は昨日の彼女を知る者にとっては、どう考えても疑惑をかけられた被害者としか思えない。

いくらなんでも、あんまりだ。ルーティは昨日のフィリアの頑張りを見ていない。だって、ずっと外出していたから。……フィリアの努力も知らないのに、そうやって決め付けて犯人にして。……そんなのって勝手すぎる!

「やめろよルーティ、言いがかりだ!」

あと一秒でもスタンがそう声を上げるのが遅ければ、はルーティに掴みかかっていたかもしれない。

「あのね、スタン。あんたがフィリアの味方だってのはよーく分かったわ。でもね、世の中には白黒つけなきゃならないこともあるの!」

咄嗟にフィリアとルーティの間に割って入ったスタンの言葉に、反発するかのようにルーティは声を上げる。

そこまでしてルーティはフィリアを犯人にしたいのだろうか。……あんなにバティスタの悲鳴に胸を痛めながらも、耐えた彼女の努力を。そうやって言葉で踏み躙っていくのだろうか。

昨日からはずっとフィリアの傍にいた。夜が明けるまで、目が醒めていたのだから分かっている。フィリアがバティスタの朝食を作りに出て行くまでは確実に彼女は白だ。
……でも、その朝食を作りに出て行った時間だけが空白なのは確かなことで。それでも、フィリアが安易に鍵を外してしまうわけなんてないとは信じていた。

「これ以上フィリアを侮辱したら、私、ルーティでも許さないから……ッ!」

だから口にした言葉が、自分でも驚くほど低いトーンで発せられたのは当然のことだったのかもしれない。

「……な、何よ、あんたもフィリアの味方に付くってわけ?」

その言葉が、キッカケになりかけた。
ルーティが不満げに鼻を鳴らす。そんなルーティの行動が、いつもなら彼女特有の強がりだって受け止めることが出来るのに、今日に限ってやけに目に付いてしまう。許せなくなってしまう。

―――…あんたに何が分かるって言うの!昨日のフィリアの頑張りなんて何一つ知らないくせに!

……思わず声を大にして叫びかけたその瞬間だった。

「なんだ、朝から騒々しいぞ」

そう言って面倒くさそうに騒々しい五人組を睨みながら現れたのは、昨日まで尋問を実行していたリオンの姿。

リオンはすでにいつものマントを身に纏い、シャルティエもきちんと腰に下げていた。
こんな異常事態に、悠長に準備を整えて出てきたのだろうか。……いや、リオンの性格上それはありえない。ああ、でもそんなことすら目に付いてしまう。

「聞いてよ、バティスタが逃げたのよ!それで……」
「ああ、それなら僕が逃がした」

興奮気味に事情を説明するルーティの言葉を途中で遮って、リオンは驚くべき返事を返した。

「え?」
「は?」

思わずスタンとがあっけにとられて声を上げる。ぽかんと呆けたような表情を浮かべる二人とは対照的に、ルーティの方は我に返るのが早かった。
リオンの語った言葉の意味を誰よりも先に理解したルーティは、今にも掴みかからんばかりの勢いで彼ににじり寄った。

「あ、あんたね……なんてことしてくれたのよ!神の眼に行き着く手がかりを逃がしてどうすんのよ!」

興奮したように問い詰めるルーティ対して、リオンはあくまでいつも通りだった。

「落ち着け馬鹿共。何のために奴にティアラを付けたと思ってるんだ」

そう言って、リオンはスタンとルーティの頭の上に未だ乗っている『それ』を指差した。

「あのティアラは発振器になっているんだ。僕の遠隔装置で場所が分かるようになっているんだぞ」

その言葉に驚いたようにスタンが声を上げる。……そう言えば、装置を取り付ける時に博士がそんなことを言っていたっけ。あまりにもさりげなく言われたものだったからすっかり忘れていた。

「つまりあいつを泳がせて、グレバムの居場所まで案内してもらおうっていうんだな?」
「そういうことだ」

事態を理解したスタンの確認の言葉に、リオンはあっさりと返答を返す。

「まぁ、バティスタがねぐらに逃げ込むまでは当分ここに滞在することにはなりそうだがな」

つまり、いざ蓋を開けてみれば簡単なことだったのだ。
バティスタは、誰の手引きも受けず――……この屋敷から逃げ出した。ただ、それだけのこと。

「……なんだぁ……」

と言うことは、今回の件は完全に要らぬ詮索だったと言うことになる。
それが分かった途端、なんだか急に肩の力が抜けてしまって、はへにゃりと力ないため息を吐いた。

「……フィリア、ごめんね。早とちりしちゃって……い、行くよマリー!」
「ルーティ、早とちり」
「あー、もう!あんたは黙ってなさい」

そんなリオンの言葉に、今回の件が完全に自分の早とちりであったことをルーティは悟ったらしい。真っ赤になったり真っ青になったりと、随分忙しく顔色を変えた後、気まずげにフィリアへの謝罪の言葉を口にして、ルーティは逃げるように外へ向かって出て行ってしまった。

「……私ってば駄目ですね。ルーティさんに疑われるような行動をしているなんて……」

ルーティの後姿が扉の向こう側へ消えるまで、フィリアは思いつめた表情で見つめ続けていた。
フィリアは愚直なまでに真面目だ。だからこそ、きっと彼女なりにでも思うところがあったのだろう。

「何言ってるんだよ!そんなことない。……ルーティだって 言ってたじゃないか。あれは早とちりだって」
「いいんです。結局、私は甘いんですね……」

フィリアの漏らした弱気な言葉に、真っ先に返答を返したのはスタンだった。

「そういうのは優しいっていうんだよ。それに、優しくなくなったらフィリアじゃないよ」

優しいスタンの言葉。それは個を認め、その上で自分は生きていくと言うこと。
彼はさらりと言葉を口にしたけれど、それはなかなかすぐに出てくる言葉ではない。……少なくとも、悩むフィリアに咄嗟にどんな言葉をかけたらいいのだろうか、と思案したよりもずっと違う。
フィリアの友達、そう言っておきながら肝心な時にすぐに言葉が出てこない自分がもどかしかった。そして、スタンのその真っ直ぐな視線が羨ましかった。

「でも……」
「今、フィリアにいなくなられたら困るよ。俺たちは仲間じゃないか」

なおも困惑げにあげられたフィリアの言葉を遮って、スタンは力強く言った。

「そうだよ、フィリア。皆それぞれに良い所があって、でもそれはそれぞれに違う。……それを自分がまず認めてあげなくちゃ」

スタンの言葉に力付けられたようだった。
彼の言葉を引き続いて、はフィリアに自分の思いを告げる。
……ああ、でも本当に伝えたいことがきちんと伝わるだろうか。言葉にしてしまえば、思いは込めることは出来ても、伝えるとなると途端難しいことだと痛感してしまう。

「――……はい」

けれどフィリアは、その二人の言葉に対して弱々しくも微笑んだ。

彼女なりに思うことはたくさんあったのだと思う。でも、返事を返したと言うこと。それは、スタンとの言葉を受け止めたことを承諾する意味を確かに持っていて。

「……私、ルーティに謝ってくる。ちょっと言い過ぎたところもあった気がする」
「………おい」

その時、ふとかけられたリオンに小さな声が走り出そうとしたの足を止めた。

「深入りしすぎるな。……僕達はお仲間ごっこをしているわけじゃない」

咄嗟に、何を言われたのか理解できなかった。

「……………なに、よ……」

だから漏らした言葉は、途切れ途切れの意味を持たないものだったに違いない。

「くだらん情に絆されるようではただの足手まといだ、そう言ったんだよ」

いらいらとしたリオンが、まるで出来の悪い生徒を相手にするかのようにに言い聞かせる。
そんなリオンの言葉に、驚いたように上げられた声がシャルティエだった。

『坊ちゃん……!?』
「うるさいぞ、シャル」

シャルティエの言葉さえ不機嫌そうに遮って、リオンはを痛いほどの眼差しで睨みつける。

……その視線を受けた瞬間、様々なことがの頭の中をよぎった。





『あの頃とバティスタは変わってしまったのでしょうか……?』

『貴方の未来には深い絶望が見えるわ……』

『……馬鹿が、そんな所で何をやっている。通行人の邪魔だろうが』

『僕は拒絶しているのに……近づかないで欲しいのに……っ!』

『通行のじゃまだ。通路をふさぐな。』



『覆いかぶさる闇は二度と拭えない。……運命は、変えられない……』






「…………そうだよね」

ぽつり、と静寂の中に落とされたのはの小さな声。

ちゃん!!?』

シャルティエが驚きの声を上げる。……でも、それすらを止めることの出来る言葉には成り得なかった。

「敵だったらどんな悲鳴を前にしても平気で尋問を続けれるリオンだもんね!……ああ、っていうかあれ拷問だっけ?」

そう言ってせせら笑うの声に、話し込んでいたスタンとフィリアが驚いたようにこちらを見たのが分かった。でも一度話し始めると、もう止められなかった。

「周りの人の気持ちすら汲み取れなくって何言ってるの?ああそうですよ、私は足手まといですよ。指揮だってまともに取れない、いつも迷ってばかり、優柔不断だし、いつまでも同じことばっかりぐるぐる考えてッ!悩んで!ばっかみたい!」

胸の中に閉じこめられて行き場を失っていた不安が、後から後から口の中から飛び出してくる。
ねぇ、ずっとずっと怖かった。恐ろしかったんだ。……誰かに否定されることが。


リオンとパートナーになって組んだこと。その度に、使えない自分を思い知らされた。
まともに人に指示も飛ばせない、指揮も取れない。何をやらしたって中途半端。自分の好きなことしか見ることが出来ない。そんな自分を、リオンはいつ見限るんだろうって心のどこかで怯えていた。

占い師の不吉な言葉。
誰かに相談したかった。ただの戯言だって笑い飛ばして欲しかった。でも、きっと納得することが出来ないだろうって口に出すことが出来なかった。違う、そんなことはただのいい訳だ。不吉な予言をされた自分を誰かに知られたくなかった。

「でもさ、苦しんでる人の気持ちくらいは理解したいと思うよ!分かち合いたいと思う!!……それってそんなにいけないこと!!?おかしいことッッ!!??」

ずっと捜し求めていた人。その存在をちょっとしたことで錯覚して、勘違いを起こしてしまいそうになることが怖かった。そういった自問自答を繰り返して、結局一生見つけることが出来ないかもしれない可能性に怯えた。……絵に描いた宝物を捜し求めるような、愚かな人間でいいのかと疑問に思ってしまった。


不安はどんどん湧き上がってきて、溜められた胸の中から膨張して、何もかもを破裂させてしまうのかもしれない。そう思ってしまうくらいに、自分勝手な自己嫌悪を上手に包んで悪意は吹き上がってくる。

……私は最低な女だ。自分の不安を、上手くフィリアを守る言葉に言い換えて、こうやってリオンに意味もなくぶつけてしまっている。

「………それがお前の返答か」
「そうよ、それのどこがいけないって言うの?」

呆れたようなリオンの視線が、どこか心地いい。……もしかしたら、ずっとこんなことを期待していたのかもしれない。

「ちょっと、リオン………!」

スタンの静止の言葉はどこか遠い。

「…………この任にお前が向いていないことは良く分かった」

ずっとずっと、恐れて、怖がって。謝罪することで、へらへら笑うことでかわし続けていたものを目にする日が来ることを、少なからず予見していた。
――……リオンが、見下したような視線を向けている。

。貴様を今日付けでこの任から外れることを命ずる。……良かったな、?」
「………ッ!!」

焦がれ続けた、その名の響き。
まさか、こんな最低な形で耳にすることになるだなんて―――…それだけは思いつかなかったよ。





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07.4.6執筆
07.4.17UP