「出発まで私の家を自由に使うといいわ。私は船の準備をしているから、準備が整い次第連絡をよこすようにするわね」

そうイレーヌさんが言ったのは確かなことだったけれども。

「よっしゃあ!いい感じっ。ねえマリー、お風呂入ろう!」

まさか人様の家で、いきなりお風呂に入ろうとするお方がいらっしゃるとは思いませんでした。


「あのなあ、ここ、人んちだぞ!」

至極もっともなことをこの場で口に出したのはスタンだった。
けれどもルーティは何処吹く風といった様子で、さらりと返事を返す。

「あら、だってイレーヌさん好きに使えって言ったじゃん。お風呂くらいいいじゃない。ねぇ、リオン?」
「……勝手にしろ」

ここは否定する所ではないだろうか、そうリオンを見つめただったけれども、彼の表情を見て気が付いてはならないことに気付いてしまう。

(……面倒臭くなったんだな……)

やる気のないリオンの表情で、全てを悟ってしまったであった。

「私は遠慮しておく」
「なによ……。 あんた付き合い悪いわね」

そりゃあそうだろう。(怖いので)そう心の中で突っ込みを入れつつ、あっさりと断りを入れたマリーに尊敬の念を抱く。最近、リオンやルーティの言葉にめっきり頭の上がらないのがの小さな悩みだ。

マリーに断られて残念そうに考え込んでいたルーティの姿に、ようやく思い直したかな、とが思っていたその時だった。

「フィリアとは入るわよね!」
「……へ?」
「あ、あの、私もちょっと……」
「決まり、決まり!さあ、みんな出た出た!」

あまりに鮮やかな強制連行だった。





「女同士で何恥ずかしがってんの?こっち向いても大丈夫よ」

ルーティ。貴方はちょっと豪快すぎなんじゃないだろうか……。
そうが思ってしまうほどにあっけらかんとした様子のルーティは、すでに風呂場の主と化していた。

「でも……は、は、裸なんですよ?」
「……当たり前じゃない、お風呂入ってんだから……」

フィリアは恥ずかしそうにタオルを胸の前に引っ張りあげて話す。小さく身を縮ませて浴室に入るその姿が、どこか小動物を連想させるのは気のせいではないだろう。
苦笑しながらはさっさと浴室に入ることにした。フィリアほどではないけれど、だってこうやって親しくしている人とお風呂に入る体験なんて初めてだ。恥ずかしい思いももちろんあったけれども、それで絡まれるよりは堂々と振舞っていた方がこの場合、多分被害が小さいような気がする。

「私、人前で肌をさらした事も他人の肌も見ることもないので……」
「温泉とか入った事ないの!?」
「で、ですが、不特定多数の人間が使うんですよ。少し不衛生な気がしますわ……」

なるほど。
温泉ならも入ったことはある。けれどもそれすら体験したことのないフィリアが、こうやって皆で風呂に入ることに抵抗を覚えるのは仕方のないことかもしれない。

……まぁ、お腹まわりとか気にしちゃうしね!ほら、二の腕とかも……。出来れば、こう、服で隠しておきたかった場所を晒すのは、ねぇ……。

「……あたしは平気だけどな。これでも昔は大勢のチビどもの背中を……」
「え、そうなの?ルーティ」
「…………あの、その、まあ、この先、まともにお風呂に入れる事も減るからね!今の内にちゃんと  汗流しときましょ!」

フィリアに続けるように言ったルーティの言葉は、少し彼女を知るものにとっては意外な言葉だった。こんなこと私の柄じゃないでしょ。尋ねればきっとそう言って誤魔化してしまうに違いないだろうけれど。
慌てたように言葉を切ったルーティの姿には目をぱちくりとさせた。

(別に隠すことでもないと思うんだけど……)

けれど言葉を切ったということは、続ける意思はないということ。
なんだかそれがルーティらしくて、は小さく笑った。

「なーに笑ってんのよ、

どうやら笑ったことがお気に召さなかったらしい。目ざとくの表情を見咎めたルーティは、半眼で睨んでくる。それがやっぱり可笑しくて、は今度こそ声に出した笑った。

「……あーもー笑うな!そんなことする奴はこうしてやるっ!」
「あっ、ちょ……待って待ってそれはかんべっ……!」
「ルーティさん!」

突如標的をに切り替えたルーティが、にやにやとしながら巻いていたタオルを剥ぎ取りにかかった。抵抗しようとするだったが、先ほどまで笑っていたものだから反応が遅れてしまった。
慌てたようなフィリアの声が聞こえたが、時既に遅し。

「…………
「…………人のタオル剥ぎ取って何言う気ですか、ルーティさん」
「あんた結構着痩せするタイプだったのね」
「げふん!」

咽た。

「……ちょっと揉んでみてもいいかしら?」
「……!!却下ッ!却下を要求するッ!!」
「いいじゃない、減るもんでもないし」
「減るっ減るからー!!って拒否ってるのになんでそんなニヤニヤしながら寄って来るのよルーティー!!」
「が、頑張ってください……さん……」
「フィリア、私を売らないでー!!!」

………結論。
女同士の風呂での、悪ふざけほど怖いものはない。





「……覗きに行かないのか?」
「な、何言ってんですか!」

丁度その頃、風呂場の外でマリーとスタンがそんな会話をしていたことは、余談。





「うあああああああああああ………」
「なーに真っ赤になって唸ってるのよ、
「………全ての元凶が白々しくそう言わないでくれる……ルーティ」

浴槽の縁に頭を乗せて突っ伏しているの頬はこれ以上ないくらい真っ赤だった。おまけに傍で見ていただけのフィリアまでに負けず劣らず真っ赤だ。

「ちょっとも揉みしだいただけじゃない」
「……鳴かされる身になってください」

そう言ってまた訳の分からない唸り声を上げては頭を浴槽に向けた。そろそろ湯気が出始めるのではないだろうか、そう思われるくらいに耳まで赤くなっている。

「まー冗談はさておき」

そんなのことを一瞥しただけで、ルーティは楽しそうに言葉を続ける。あれだけ人のことをおもちゃにしておいてひどい……。思わずが涙目で睨みつけたのは、ある意味仕方のないことなのかもしれない。

「実はあんたたちに聞きたいことがあったのよね。せっかく女だけでゆっくりしてるんだもの、今の内にしっかり聞き出しておかないとね」

さっきの流れから考えて、全然いい予感がしないのですがルーティさん……。その言葉をぐっと堪えて、はルーティを見つめる。この期に及んで、不思議そうに小首をかしげたフィリアが何だか可哀相だった。どう考えても大変なことのような気がする。第六感がにそう告げていた。

「じゃあまずフィリアから。ねぇねぇ、あんた好きな人っているの?」
「えええ!!?」

まずって何だろう。まずって。そう思いながら、ルーティとフィリアのやり取りを眺める。
フィリアは再び真っ赤になって、ルーティからの質問にうろたえていた。ルーティの言葉にいちいち真っ赤になっているフィリアの姿は、見ていて女の子らしくて可愛いと思う。

(でも、この流れで来ると……)

次は我が身。それがなんとなく予想できて、は大きなため息をついた。

「で、。あんたはリオンと付き合ってるの?」
「ごほッ!!?……る…ルーティ、何を一体どうなってそんな結論になったの……っていうか落ち着こう。うん、落ち着きなさい」
「私は落ち着いてるわよ。あんたが落ち着いてないだけで」
「……あ、私も気になります」

さっきまで質問される側だった人間までもが面白がって話しに加わってきている。覚悟はしていたが、まさかの角度からの突っ込みにはうろたえた。

「いや、だって二人とも同じ所に住んでるっていうし。仲もいいじゃない。だからそうなのかなーって思ったんだけど」
「ですよね。お二人ともとても仲がよろしいですもの」
「ややや、あれのどこをどう見ても仲いいの!!?」

放っておいたら、確実に当事者を置いて進んでいきそうな会話を慌てて引き止める。けれどもそれすら、ルーティやフィリアを楽しませる要因になってしまったらしい。

「え、どっからどう見ても」
「ですわ」
「……いや、本当にその解釈はおかしいから」

楽しそうな二人の言葉。
そんな楽しげな声を聞けば聞くほどに、リオンとの距離の微妙さを語るのが憚られる。せっかくの楽しい雰囲気を壊しかねないから。

……だけれども。





『僕は拒絶しているのに……近づかないで欲しいのに……っ!でも振り払っても振り払ってもへらへら笑って!近づいてきて!』





その響きを一人で抱え込むことに、は疲れ始めていた。

「多分、私はリオンに嫌われてるよ」

だからそう漏らしてしまったのは、もしかしたら仕方のないことだったのかもしれない。

「……どうしてそう思うわけ?」
「何か根拠はあるのですか?」

ざばあ、と勢いよく水を掻き分けて二人が見事なタイミングでに迫る。それにうろたえながらも、はなんとか答えを口に出した。

「………名前」

は?と言わんばかりにぽかんと口を開けたルーティと不思議そうなフィリアに、ようやく息を付く間を与えられたは、順を追って説明することにした。……とは言っても、語ることはそう多くはなかったけれど。

「……私はが名前を呼ばれてないのは、逆にあんたのことを特別視されてるからだと思うんだけど」

深刻そうに俯いたとは対照的に、ルーティの告げた言葉はあっけらかんとしたものだった。

「私もそう思いますわ」

そう言って、フィリアも微笑む。

「……でもっ!」
「でもも何でもない、とても簡単なこと。……アイツは変な所で意地っ張りだから、もしかしたら最初に言ったことを気にして、今更呼べなくなってるだけなんじゃないかしら」
「そんな、都合のいいこと……」
「………大丈夫よ」

そう言っての頭をぽんぽんと撫でて、ルーティは笑う。

「じゃなかったら、あの捻くれもののアイツがあんたのことを相手するわけないじゃない」

ルーティの笑顔と言葉は、真実がどうかは別にしても確かにの心に響いていた。

(………本当のこと、確かめる勇気は今の私にはないけれど)

それでも、心にずっしりと与えていた鉛のような重みが少しだけ軽くなったような気がする。

(ありがとう)

そして、も小さく微笑み返すことで返事を返した。





「でもでもっリオンはちゃんと好きな人がいるんだから、好きとかそういうのとは違うからね」

けれど、釘を刺すのは忘れない。

「私なんかを引き合いに出しちゃ、失礼だよ」
「ふーん。あのクソガキがねぇ……」
「まぁ、初耳でしたわ」
「あ、これ秘密だからね!絶対本人の前では言わないでよ!」
「勿論ですわ」

ルーティの返事がないのが、ちょっと怖い。

「勿論よ」

指摘をしたら返事を返してくれたけれども、もしかしたらこれを言ってしまったのはまずかったかもしれない。

「でもま、それとこれとは置いといて!」
「好きな人、いるわけ?……フィリアははぐらかして言わなかったんだから、あんたからはきっちり聞き出すからね」

今までの暗かったの空気を吹き飛ばすかのように、ルーティはにやりと笑って言葉を続けた。そんな言葉に、心当たりがありすぎるは気まずげに返事を返す。

「………い、いないよ」
「嘘ね」
「即答っ!!?」

しかし、あっという間にバレてしまった。

、顔見たらバレバレよ。あんた嘘下手すぎ」
「……そんなに顔に出てた?」
「……ええ」

フィリアにまでそう言われてしまっては、返す言葉もない。





「素敵ですわ!」

結局、洗いざらい話すことを余儀なくされました。
ああ……嘘が下手な自分が恨めしい………。

「……そ、そうかな……」

遠い日の出来事。そんな思い出を今なお宝物のように抱きしめて生きてゆくの生き方を、二人は笑ったりしなかった。
フィリアは興奮したように声を上げて、ルーティは感心したかのように息を吐く。

「にしても……すごいわ、あんた」
「……え?」
「普通そんな小さい頃のことなんてあっさり忘れちゃうんじゃない?そうやって気持ちを持ち続けることって凄いことだと思うわよ」

そう言って、微笑んでぽんぽんとの頭を撫でる。最近、誰かに頭を撫でられる機会がすごく増えたような気がするけど……撫でられること、嫌じゃないから……もしかすると、少し嬉しいのかもしれない。
年が年だから多少気恥ずかしい思いは感じるけれど、それでもは撫でてくれたルーティに微笑み返した。

「………そう、かな……」
「そうですわ!」

フィリアが勢いよく返事を返す。

「私、さんのその恋、応援いたしますわ!もしその方が現れた時は是非協力させてくださいね!」
「で、でも手がかりなんてほとんどないし、分かんないし……見つからないかもしれないし……」
「見つかりますわ、きっと!神は信じる者を見捨てたりはしませんわ」
「………ありがとう、フィリア」


とても楽しい時間だった。
こうやって親しくしている人と、話しながらお風呂に入ること。腹を割って、色々話をしたりすることが。

例えば好きな人のこと、例えば訪れた街のこと、例えば今までの暮らし。
話題は尽きることなんてなくて、語れば語るほどに新しい発見が見えてくる。話すと言うことがこんなにも心踊ることだなんて、思わなかった。人から見ればどうでもいいことかもしれない。でも、そんな何気ない時間こそ、にとっては必要なものだったのかもしれない。

カチリ、と時計の針が音を立てた。
それは不恰好に折りたたまれた、の衣服のポケットの中から。

いつかの日、リオンに買ってもらった懐中時計。時計は、刻々と時を刻む―――……。にとって何気ない時間を。けれど、掛け替えのない時間を。





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07.3.30執筆
07.4.12UP