始まりは、本当に大したことじゃなかったと思う。

「バルックは奥の部屋だ。ついてこい」

バルック基金。オベロン社のカルバレイス方面の責任者であるバルックは、同時に財団法人も独自で作り上げていたらしい。
神の眼を追うに当たって、今最も必要だったのは情報だった。神の眼がいつ、どこへ運び込まれたか、という。
その情報を手に入れるためには、現地民に聞き込みをするのが最も早い。この地の人間はセインカンドから来た人間を歓迎しないということは、歴史的な背景ですでに知っていたは、リオンが真っ先に提案した場所に向かうことに同意した。
すなわち、同じようにセインカンドから移住をしている人間に話を聞くのが手っ取り早い――…と。

「バルックってどういう人?」
「何を聞いてたんだお前は」

この期に及んで不思議そうに首をかしげたスタンに、リオンは鋭い声を上げた。

「オベロン社のカルバレイス方面責任者ってのは聞いたけどさ」
「なら、何なんだ?」
「バルック基金って、何なのかなって……」

どうやら、スタンだけ先ほどの話を理解していなかったらしい。
少し気まずそうに頬をかきながらの質問だったが、やはり分からないことは納得しておきたいのだろう。知的好奇心を満たそうとする行動にはも大賛成なので、どうなるだろうと二人の様子を伺っていたのだが。

「聞いてどうする」
「別にどうもしないけどさ……聞いたっていいじゃないか」
「無駄な説明しているほどヒマじゃないんだ」

一蹴だった。あまりに見事な一蹴だった。

「……………」

そしてスタンは凹んでいた。そりゃあそうだろう。せっかく挙げた疑問も、答えてくれる人がいなければ成り立たない。
あっさりと切り捨てられてしまい、気まずげに立ち尽くすスタンに助け舟が出されたのは、少し意外なところからだった。

「バルックが設立した財団法人で慈善事業や福祉活動を目的とした資金運用を……」

ルーティだった。
彼女がこういうことに興味があったことに少し意外性を感じたけれど、情報に敏いルーティのことだからもしかしたら常識よ、とか言うのかもしれない。

「フムフム……」

そうしてルーティの説明を至極真面目そうに聞いていたスタンだったけれども。

「……なの、分かった?」

ルーティの説明では、彼には少々難しい単語がありすぎたらしい。

「ざ、ざいだんほうじん、って何だよ?」
「個人や団体などから供出された資金で設立された公益法人で、法的に独立の権利を……」
「フムフム……」
「……なの、分かった?」

結局、同じようなやり取りが繰り返された後。

「やっぱり、よく分かんないや……」

困ったように朗らかに言ったスタンを、呆れたようにルーティが見つめ返したのは言うまでもないことだったかもしれない。

「だから無駄だと言ったんだ。行くぞ」

そんな二人のやり取りを呆れたように見ていたリオンがさっさと、部屋の奥へ進む。
残されたスタンは、まるで雨の日に捨てられた子犬のようにシュンとしてルーティに頭を下げていた。

「ごめん、ルーティ……」
「しょうがないじゃない、田舎者なんだからさ」
「きっついお言葉……」

おまけにルーティの言葉の節々に哀れみが込められているのだから始末に終えないだろう。
しかし、救いはどこにだってあるものだ。

「スタンさん、気になさらないで下さい」

フィリアの優しい声が、スタンにそっとかけられる。

「神は田舎者にも等しく慈悲をお与えくださいます」

訂正。
……救いではなく、追い討ちでした。





「リオンよく来てくれた。半年ぶりになるか」

一行を出迎えてくれたのは、よく日に焼けた朗らかな男性だった。
オベロン社の責任者と聞かされていたので、は文系の、どちらかと言えば線の細い感じの男性かなと勝手に思い込んでいたのだが、どうやらそれはただの思い違いだったらしい。
鍛えられた肉体に小麦色の肌。色素の薄い髪はオールバックにして撫で付けられている。責任者=お偉いさんというイメージとは随分かけ離れた、現場で働くおじさんといったような出で立ちで、バルックは一行を歓迎してくれた。

「それにしても今日はずいぶんと大所帯だな」

そうやって目尻を下げて笑う姿は、本当に嫌味がない。
何となくはセインカンドからの訪問者を嫌うはずのカルバレイスに彼が派遣された理由が分かった気がして、思わず笑い返した。

「気にするほどの連中じゃない」
「そんな言い方ってあるかよ!」

バルックの言葉に対して、バッサリと切り捨てるように言葉を告げたのは相変わらずのリオンだった。彼は後ろに並ぶ一行を歯牙にもかけない様子で言い切ったものだから、早速スタンが抗議の声を挙げる。

……ああ、あんな時期も私にあったなぁ。そう思わずにはいられない。
今ではすっかり尻にしかれてしまっているような気がしてならないのは、きっと気のせいではないけれど。
どこか遠い所を見るような眼差しで、はスタンの後姿を眺める。

頑張れ、私は応援している!


そんなことを考えているうちに、いつの間にか自己紹介が進んでいたようだ。
バルックはオベロン社カルバレイス方面の支部長を務めているという件まで話を進めていることに気が付いて、は慌てて彼を正面から見つめなおした。

けれども、どうやら先ほどまで違うことを考えていたということがすっかりばれてしまっていたらしい。

って言います。よろしくお願いします」
「よろしく、可愛いお嬢さん。今度はちゃんとこっちを見て喋ってくれるんだな」
「………!」
「ははは、冗談だよ。冗談」

そう言ってニコリと笑ったバルックは、やっぱり嫌味のない笑顔だった。

「スタン=エルロンです。こちらこそ、よろしくお願いします」

一通り自己紹介が進んで、最後はスタンの番になった。

相手の顔を真っ直ぐすぎるくらい真っ直ぐに見つめ返して、スタンは握手を求める。
いつだってスタンの仕草は、見ていてとても心地いい。誰だって少しでも自分を良く見せたいと思う願望があったり、繕ったりしてしまう瞬間がある。けれどスタンはいつもありのままの自分の姿をさらけ出すから、のように策を張り巡らせたりすることが苦手な人間には、本当に気持ちの良い存在だった。
スタンとはとても話が合うのはきっと、そこら辺の事も関係しているんだと思う。

そんなスタンの良さは、初対面であるバルックにも伝わったようだった。

「ほう………まだ若いのに、いい眼をしている。荒削りだが、今後が楽しみというところだな」

そう言って笑ったバルックは、本当に楽しそうだったから。

「バルック、そのくらいにしてくれ。のぼせあがるだけだ」
「のぼせてなんか……」

リオンの言葉に、照れたように鼻の頭をかいていたスタンが抗議の声を上げる。
そんな二人の様子にバルックはひとしきり笑い声を上げた後、やっぱり楽しそうに言葉を続けた。

「なかなか、リオンに認められているようですな」
「………ッ…!?」

けれどもその言葉は、同時にの体に突き刺さるような鋭い棘を持っていたことに一体誰が気が付いただろうか。

「えぇ……?どういうことですか?」

スタンが本当に不思議そうに声を上げている。
けれどそんな言葉さえどこか遠くの出来事に感じてしまうほどに、は先ほどのバルックの言葉に衝撃を受けていた。

「実力的に対等と認めればこそ、言い方もきつくなる、ということだな。なあ、リオン」

バルックにとってその言葉はきっと、他意はなかったに違いない。
けれどもそれは、欲しくて欲しくて堪らなかったことなのに、には手に入れることが出来ないことだった。

「冗談もたいがいにしてくれ」
「やっぱり腹立つわね!」

ああ、そんなやり取りでさえも遠い。
……何でこんなことを考えてしまうのだろう。どうしてこんな気持ちが、腹の底から湧き出してしまうのだろう。


認められたかった。
名前を呼んで欲しかった。

』って。

名前を呼んで、この存在を認めてほしかった。
リオンと同じようにここに存在していることを確かめてさせて欲しかった。

……なのにリオンは私より、スタンやルーティ、フィリアにマリーさんを認めたの?
一年近く早く知り合ったはずの……私より……。


おかあさんとおとうさんが付けてくれた私という固体。

いつになったら、リオンは認めてくれるんだろう?


その感情はじくじくと足元からを蝕んで、広がって、どうにもならない衝動を植えつけていく。

嫌だ嫌だ嫌だ。やめて。私は本当はこんなことを考えてい訳じゃない。スタンもルーティもフィリアもマリーさんも、皆とっても素敵な仲間なんだもん。こんな酷いことを考えていいわけない。こんなこと考えたいわけじゃない。


………ねぇ、それってほんとうにほんとう?


「あなた方も格下の者を相手にライバル意識を燃やしたりはせんだろう」
「……………」
「バカバカしいことを……」

そうやって吐き捨てるように言ったリオンの台詞。けれど、よく目を凝らしたらそれは本心からのものではないことだなんて分かってしまう。
だって、何だかんだ言いながらも一年近く皆よりリオンとは付き合いが長いから。

「本人は認めたがらんがな。昔っからなんだ。まあ、負けず嫌いというのは結構なことだ……リオンの非礼は私が詫びるということで、よしなにしてやってくれ」
「バルック、悪いが今日はこんなくだらない話をしに来たわけではないんだ」
「だろうな……」

そう言ってバルックはクックと笑う。
きっとバルックはよりもずっとずっとリオンとの付き合いが長い。だからこそリオンの癖も分かっているんだろうし、性格上決して言えないことだって見抜いてしまう。

だから、彼の言っていることはきっと外れていないのだろうと思った。
そう思えば思うほどに浮かび上がる真実が、悲しい。





『僕は拒絶しているのに……近づかないで欲しいのに……っ!でも振り払っても振り払ってもへらへら笑って!近づいてきて!』





叫ぶようにして伝えられたその言葉が、痛い。





『……嫌いだ』






いつまでも認められない事実が、苦しい。





「何か変わったことはないか?」
「そうだな……フィッツガルドのイレーヌから報告があった程度だ」

暫く、考え事をしてしまっていようだ。
いつの間にやら話は世間話から今回訪問した本来の目的にまで話題が移っていた。随分長いこと考え事をしていたような気がするけれど、分からない。もしかしたら一瞬のことだったのかもしれないし、そうではないかもしれない。

「なんでもレンズの運搬船が謎の武装船団に頻繁に襲われているらしい」
「謎の武装船団?」
「ああ、そうだ。正体は全くつかめていないが明らかに我が社のレンズが狙われているようだ」

(……なまえ)

「なるほどな……神の眼については何か聞いてないか?」
「神の眼だと!?おいおい、よしてくれ。悪い冗談だ」
「冗談なんかじゃない。神の眼がグレバムという大司祭の手に渡った。奴はこっちへ向かったんだ」

(いつになったら、私の事を認めてくれるのかな……)

「そんな話は聞かないが……わかった。こっちでも調べてみよう。船乗り関係のやつらが何か知ってるかもしれん。お前らはそっちをあたってくれや」
「頼んだぞ」

流れていく会話をまるで音楽のように聞き流しながら、その時は、漠然とそう考えていた。





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07.3.25執筆
07.4.6UP

バルックの容姿はPS版のアイコンを見ながら書いたので、ちょっとイメージとずれているかもしれません。