世界は真っ青だった。

雲一つない空と、地平線の先まで広がる海。
どこへ目を凝らしても青しかないのが不思議な感覚で、思わず手を伸ばしてみる。

……何の変哲もない肌の色。

でも、それは青の世界の中では『青』という枠組みを飛び越えた色。
びゅうびゅうを耳の隣をすり抜けてゆく潮風に髪をなびかせて、は後ろを振り返った。

「あ、マリーさん」
「……こんな所に一人でどうしたんだ、?」

人気の少ない看板に、不思議そうに首を傾げて立っていたのは一人の女性だった。
ボリュームのある赤毛を揺らしてにこやかに佇む彼女は、数時間前に仲間になったばかりの人だ。おおらかで懐深い豪胆な人、というのがの今のところの印象の。

「うーん、海を見ていたって感じです」
「海、か」
「はい」

あまり長くは続かない会話だった。

きちんと話をしたのが数刻前なのだからいきなり楽しく会話が弾むわけないとは思うのだけれども、にとってマリーとの会話の間に落ちる沈黙は不思議と苦痛な時間ではなかった。
どちらかと言えば気兼ねなく話せる昔からの旧友と話をしているような。無理に会話を続けようとする気負った所がなく、語らずとも知る、といったマリーの雰囲気に乗せられてしまっているのだろうか?

「いい風だな」
「はい」

海鳥の鳴く声が聞こえる。
潮風が少し乱暴に通り抜けていくけど、気にならない。だって久しぶりの潮の香りはどこか心地いいから。

思わず目を閉じる。
青い世界はその瞬間に閉じられたけれども、瞼の裏に光景は焼きついているからすぐに思い起こすことが出来る。

「マリーさん、マリーさん」
「………ん、なんだ?
「ちょっと変なこと言っちゃうんですけど――…」




























Tales of destiny and 2 dream novel
15 古から伝わりしもの






「……………」
「ほぉ、でかいな」

いやいやいや、ちょっと待って。
えーっと、私はさっきまでマリーさんと普通に話をしていただけのはずだよね?ほら、よくあるじゃない。船旅のワンシーンでさ、甲板でお喋りしたりするような。

でもね、船旅のワンシーンで巨大な竜が水面から顔を出すのは滅多にないと思うんだよね。

「で…ででで……出よったーーーーーーーーー!!!うわーーーん化け物ーーーーーーーーーー!!!!」
「フフフ……腕が鳴るな……」
「ちょ……っマリーさん!大きさ!大きさを見て!!流石にでかいよーーーー!!!」
「……?倒しがいがあるんじゃないのか?」
「…………この際スタンでもルーティでもフィリアでもリオンでもいい!誰かっ!突っ込みプリーズ!!!」

まるで示し合わせたかのように、海を眺めていたとマリーの真正面に現れたのが港でも噂されていた化け物だった。
尖った牙に怪しく光る瞳。鱗に覆われた巨大な姿。まさに魔の暗礁に巣食う化け物に相応しい出で立ちで、竜はこちらを見下ろしている。

唯一の救いは、あの化け物が姿を現したと同時に攻撃を仕掛けてこなかったということだろうか。あれほどの巨体の一撃を受けたら、船も達もひとたまりもなかっただろう。

けれども、だからと言って油断して構わないというわけではない。
叫びながらもは腿のホルダーに手を伸ばし、マリーは腰に吊っていた鞘から剣を抜き出す。これが本当に魔の暗礁に現れるという化け物ならば、何らかの対処をしなければならないことは分かりきったことだ。

ッ!マリーさん!」
「二人とも大丈夫!!?」

バタバタと慌しい足音を立てて、甲板に駆け込んでくる複数の影。スタンにルーティ、リオン、フィリアの四人だった。きっと船員からの要請があったに違いない。

「うん、なんか膠着状態が続いてるから特に傷とかは……って…え……?」

損傷がないことを伝えるのすぐ傍を小さな人影がすり抜ける。

「私を……呼んでいる」

フラフラとどこか頼りない足取りで竜に向かって歩くその姿には見覚えがある。白い神官服に、おさげ。……丸腰のはずのフィリアだった。
彼女は戦う術をほとんど持たない。そんな彼女があれほど危険な生き物に向かって進んでいくのは、あまりにも無防備すぎる。

「フィリアッ!!?」

思わず叫び声がの口から漏れた。

「フィリア、危ない!」
「馬鹿なことはやめなさい!」

スタンやルーティも、口々に彼女の無謀としかとれない行動を諫めようと声を上げたのだが。

「……大丈夫ですわ」

危険がないと裏付ける根拠なんて何一つないのに、フィリアはその時、確かに微笑んでいた。
皆を安心させるように、柔らかく。この状況でどうしてそんな表情を浮かべることが出来るのだろう、そうが思ってしまうほどに優しい微笑で。

「フィリアは大丈夫だ。 皆、一緒に行くぞ」

のすぐ隣を、また一人通り抜けて行く。
フィリアの次に海竜に向かって歩みを進めたのは、先ほどまで話をしていたはずのマリーだった。

見れば、彼女の手には何も握られていない。
先ほどまで確かに握られていたはずだと思われていた剣は、すでに彼女の鞘に収められていた。戦士として今のマリーの格好もまた、あまりに無防備すぎる。しかしマリーはどこ吹く風といった様子で、海竜に向かって悠然と歩を進めていた。

「マリー、 何言ってんのよ!」
「マリーさん!?」

そんなマリーに向かって、ルーティとが声を上げる。

当然だった。
この海域は恐ろしい怪物が出るという噂の魔の暗礁なのだ。そんな場所で現れた、世にも恐ろしげな外見の竜に向かって「大丈夫」と告げる二人の仲間。そんな信じられないような光景に、二人は気でも狂ってしまったのだろうかと思ってしまう方が、この場合はある意味正常な者の反応だったのだろう。

「私に乗れと言っているわ……」

そんな周囲の視線を嫌と言うほど浴びているだろうに、フィリアはどこか遠くを見つめるような眼差しで言葉を続ける。
その一言は大して大きな響きではなかったのに、吹き止んだ風と、なんとも言えない場の雰囲気によってあたり一面に響き渡った。もしかしたらフィリアのその言葉にはなんらかの力が宿っていたのかもしれない。

「フィリア、待つんだ」

それは、静止の意味を持つ言葉のはずだった。
けれどもその声の主は、言葉の意味と裏腹にフィリアの傍へと歩み寄った。

「スタンっ! あんたまで何やってんの!」

ルーティの呼び止める声が聞こえる。

恐ろしい怪物である筈の海竜、そんな生き物の傍に歩み寄るだなんて一体どうかしている。そう思うのはきっと当然のことだった。

「…………なんでだろう」

困ったようには後ろを振り返った。

「全然あの子、殺意がないんだ……」

攻撃を加える格好のチャンスはいくらでもあった。
でも、海竜はその瞬間をことごとく見逃している。……それは、様々の漁船の前に現れたという噂の怪物像とはあまりにも違いすぎた。それがまず、一番最初の違和感。

噂とは尾ひれが付き易いものだ。
は何度だってそれは体感した。だから噂はある意味では真実ではあるけれども、ある意味では言葉が作り出した虚像でもあることを知っていた。
もしもこの一連の怪物騒ぎは、言葉が作り上げた恐ろしい化け物伝説だったのだとしたら。

「行ってもいいかもしれない」

だから、はリオンに向かってそう微笑を漏らした。

根拠なんてほとんどない。けれど、殺意を持たない竜と仲間の言葉を信じてみたかった。接した時間は短いかもしれない。でも、時間だけが全てを計るものさしなんかではきっとないはずだ。少なくとも仲間に関しては、はそう思いたい。

「放っておけないだろ!」

だって、こんなにもお人よしばかりが集まっているんだもの。

「あ〜〜っ!もう、わかったわよッ! 手がかりを失うわけにはいかないからね!」

へにゃりと笑ってフィリア、マリー、スタンの傍に着いたの姿まで確認して、ついにルーティは観念したかのように声を上げた。
そうして一人看板の奥の方から海竜を睨むように視線を送り続けていた人物を大声で呼び込む。どうせ乗りかかった船なら道連れは多いほうがいい、そう思ったのかもしれない。

『どうします、坊っちゃん?』

一連の出来事を眺めていた、剣は主に尋ねる。
その声を皮切りにして、皆の視線が一斉にリオンに集まった。

「おい、船長」

少し不快そうに一身に視線を浴びることとなったリオンは海竜を見つめ返した後、ようやく口を開いた。

「一時間で戻らなかったら 構わないから先に行け。………いいな?」

そうして海竜へと向かう姿が五人から六人に変わった所で、腹ただしげに一言。

「全く、とんだ疫病神だ!」
『坊っちゃんが同行を許したんじゃないですか』
「うるさい!黙ってろ!」

珍しくシャルティエに突っ込まれていた。





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07.3.24執筆
07.4.2UP