2019.04.23 公開
2019.07.07 修正

#1

「ホープ君……これ、良かったら!」
 これでいったい、今日何度目のやりとりになるんだろう。
 あの子は確か隣のクラスの子だったはずだ。顔を真っ赤にさせて突き出されたのはピンク色の四角い包み。封を切らなくともその中身が分かる。今日というこの日に相応しく、甘ったるい匂いの洋菓子がぎっしりと詰まっているのだろう。
「ごめん。僕、受け取れない」
「そんな……どうして」
 女の子の顔は、ショックというのがありありと浮かべられている。彼女なりの精一杯の好意だったのだろう。それを目の前で、当の本人から突き返されたのだから当然と言えば当然だ。
 気の毒だという気持ちが全くないと言えば嘘になるが、自分の気持ちには嘘は付けない。
 今日だけでもすでに何度か口にした言葉を、なるだけ正確な意味で伝わるようにホープは口を開いた。
「僕、好きな人がいるんだ。だから君からのプレゼントは受け取れない」
 その人からしか受け取らないって決めてるんだ。
 せめて精一杯の誠意を込めて返事をするのだけれど、ブロンドヘアーのその子の瞳には、みるみる内に大粒の涙が溜まっていく。ああもう、一体どうしろって言うんだ。
「っ」
 走り去っていく背中を見つめながら、あと何回こんなやり取りを繰り返せばいいのだろうと思うと、気が重くて仕方ない。
 逃げ回っても駄目。かと言って学校を休むのは本末転倒。なんだってこんな習慣が出来上がったのか、菓子メーカーの戦略を恨めしく思うばかりだ。
 今日は二月十四日。世間で言うところの、バレンタインデーだった。
「はぁ……」
 自然と零れたため息は重い。ホープが今、一番会いたい想い人は、今頃再編隊された騎兵隊の一員として、コクーン、あるいはグラン=パルスを飛び回っているはずだ。彼女に最後に会ったのだって、もう半年も前のことになる。
 本音を言えば、彼女に――ライトさんに、魔物と戦うような危険な任務に就いてほしくない。彼女はとても強いことは知っているけれど(そんじゃそこらの人間が敵いっこないほどの腕前だ)、同時に普通の女の人であるということもホープはよく分かっているからだ。
 だけど、それを言い出すにしても自分はまだあまりにも子供だった。父のように社会的立場や、経済力があるのならば……あるいは可能性があったかもしれない。例えば、その。少し飛躍しすぎかもしれないけれど、ライトさんに求婚して彼女を引き留める選択肢だってあったかもしれない。だけど、現実はそうじゃない。
 自分はまだ学生で、社会的に自立しているとは到底言い難い年齢だ。もちろん、できる限り早く自立するつもりはあるのだけれど、それにしたって年齢という厚い壁が立ち塞がっている。
 どうして僕は子供なんだろう。焦っても仕方のないことだと頭では理解しているつもりでも、気持ばかりが先走ってしまうのはどうしようもない。
 結局のところ、堂々巡りになる問題なのだ。いくら望んだって、ライトニングとホープの間にある七年の歳の差は消えるはずがない。ホープが一つ年を重ねるごとに、ライトニングもまた年を重ねるのだから。
「はぁ……」
 はやく大人になりたい。
 ここ最近すっかり日課になってしまったため息は重い。こんなことじゃ駄目って分かってはいるのだけど。
 好きな人からしか受け取らないだなんて口にしてみたものの、肝心の想い人とはいつ会えるのか分からない。それどころか、今どこにいるのかさえ不明という有様だ。彼女が所属している部隊の機密性を考えれば当然のことだと思う反面、やるせない気持ちばかりが風船のように膨らんでいく。
 せめてもの願掛けみたいなものだというのは、自分でも痛いくらいによく分かっていた。分かっているからこそ、こんなにも胸が痛い。
 その時、ふとポケットの中に入れていたコミュニケーターが震えていることに気が付いた。
(父さんからかな)
 父であるバルトロメイは、最近アカデミーという新しい組織を立ち上げたところで、僅かながらホープも手伝いをしている。大人でないホープにできることはまだ限定的であるものの、それでも、何も行動しないよりはずっといい。
 やるしかないならやるだけだ。ルシの旅の最中、そう口にしたライトニングの言葉は、ホープの中で今も息づいている。
 そんな感傷に浸っていたせいだろうか。ぼんやりとしていたホープは、持ち上げたコミュニケーターに浮かぶ表示を見て、驚きで目を見開いた。てっきり父からだとばかり思っていた電話の発信元の名前は、半年ぶりに目にする名前だったからだ。
『……ホープか?』
「ラ、ライトさん!」
 思いがけず、緊張で声が裏返ってしまった。慌てて咳払いをする。なんとか声の調子を整えてから、ホープは改めてライトニングに挨拶をした。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
『ああ、こちらは変わりない。ホープも……相変わらずのようだな』
 ふっと口元を緩めて笑う仕草が目に浮かぶようだ。半年ぶりに耳にする声に、コミュニケーターを握る手のひらに思わず熱が篭る。
「はい、僕も元気です。今日はどうしたんですか? ライトさんから連絡くれるのは珍しいですよね」
 ライトニングから連絡を貰って飛び上がりそうなくらい嬉しいのに、それを素直に表現するのは気恥ずかしい。思春期の少年らしく平静を装って問いかけたホープの声に、ライトニングは気付く素振りもなく、半年前と変わらぬ口調で返事した。
『実は任務の関係でパルムポルムに滞在しているんだが、ちょうど時間が空いた。確かホープの学校もパルムポルムだったと思い出してな』
 それで電話をしてきてくれたらしい。突然降って湧いてきたライトニングと会う絶好のチャンスに、今度こそ分かりやすくホープの声のトーンは上がった。
「だったら、この後夕食でも一緒にどうですか? 待ち合わせ場所も決めた方がいいですよね」
 頭の中でこの後の予定を組み立て始めたホープと裏腹に、ライトニングは『ああ』と返事をするも、どことなく様子が変だ。ただ聞いているだけでは気付かれないような微妙なトーンの違いだったものの、ルシでの旅で散々しごかれた経緯もある。言葉少ないライトニングの性格を、ホープはこれ以上なくよく理解していた。
「……念のために聞くんですけど。ライトさん、今どこにいるんですか?」
 少しの間があった。決断する時は即座に行動に移すライトニングが言葉を濁すには相応に理由がある。ホープの予感が確信に変わった頃、ようやくコミュニケーター越しにライトニングが返答を返した。
『……学校の前にいる』
「は? えっと、ライトさん。今なんて……?」
 今、彼女は一体何と口にしただろうか。聞き間違いでなければ、学校と口にしたような気がする。
 恐る恐る問いかけるホープとは裏腹に、今度こそはっきりとした声でライトニングが返答する。
『もうホープの学校の前まで来ている』
 なんでそんな唐突なんですか、とか。
 入れ違いになっていたら無駄足になるんですよ、とか。
 どうして事前に連絡を入れてくれないんですか、とか。
 そういう言葉は次々に浮かんでくるものの、なんとなく返答が分かってしまって口にすることは叶わなかった。
 ライトニングのことだ。ホープはホープで先約があれば、一人納得して会う事もあっさり諦めてしまっていたに違いない。自分が無駄足になろうが、そういうところは頓着しない人なのだ。
 だから、どうして、この人はっ!
 発作的に叫び出したくなるのをぐっと飲み込んで、慌てて窓から校門へと視線を投げる。すでに下校時刻を過ぎているとは言え、まだ校舎にはそれなりの生徒が残っている。案の定というか、校門前にはまばらに人が集まっていた。
 ああもう、あの人は自分が目立つってことに本当に無頓着なんだから!
 大人が立っているというだけでも生徒たちの関心が向くだろうに、そもそもライトニングはモデル並みに整った容姿をしているのだ。噂好きの十代の餌食にならない訳がない。
「すぐ行きます。だから、絶対にそこから動かないでください!」
 ライトニングの返事も待たず、ホープは強い語気でそう言い切ると、コミュニケーターのボタンを切った。そのまま尻ポケットに捻じ込んで、一目散に校門に向かう。
 なるだけ全力で向かったつもりだったのに、やはりというか、校門前は先ほどよりも人が増えている。
 門に背を向けて、スタイルのいいピンクブロンドの髪の麗人が立っているのだ。下校途中の生徒たちの関心を掻っ攫うには十分すぎる。
 すごい美人なんだけど、モデルかしら。
 おい、ちょっと、おまえ声かけてみろよ。
 校門の前にいるってことは、待ち合わせ?
 有象無象の声を拾い始めたらきりがない。遠巻きにライトニングを眺めながらも、共通していることは誰もが注目しているということだ。その真ん中にいながらも、当のライトニング本人は偉人だか何だかの銅像を見上げている。
「ライトさん!」
 人の波を掻き分ける様にしてやってきたホープの声を認めて、ライトニングが柔らかく双眸を細めた。
「ホープ」
 ピンクブロンドの艶やかな髪も、ふっくらとした唇も、細められたアイスブルーの瞳も、半年前と何一つ変わらない。それどころか一層輝いて見えるのだから、我ながら重症だ。
 咄嗟に声を詰まらせて、それからホープは慌ててかぶりを振った。今は見惚れている場合じゃない。
「ゆっくり話をしたいところですが、今は場所を移しましょう」
 短くそう口にしたホープを前に、ライトニングもまた居心地悪そうに短く頷く。どうも、妙に見られている感じがして落ち着かなかったんだ。
 それは気のせいなんかでなく、疑いようもない事実だったが、今は説明している時間が惜しい。先導するようにライトニングの手を取れば、うそぉー、だとか、あれってエストハイム先輩なんじゃ……と隠しもしない声が飛んでくる。
 背中の声を極力聞かなかったことにして、ホープはライトニングの手を引いて歩き始めた。それこそ脇目もふらず、ずんずんと校門を抜け、校舎前を進み、人通りの多い通りまで来てから、ようやくホープは店先のショーウィンドウに映った自分の姿に気が付いた。そして、小走りになって付いてきているライトニングの姿にも。
「ご、ごめんなさい!」
 歩くペースが、まさかライトニングより早いとは思っていなかったホープは、それでようやく我に返って手を離した。
 ライトニングが小走りになっているだなんてまさか思いもしなかったのだ。おまけに、どさくさに紛れて手まで握ってしまっていただなんて。
 青くなったり赤くなったりするホープを前に、ここまで引っ張られる格好になっていたライトニングは、きょとんとした顔になった。それからふっと口元を緩めてみせる。
「いや……大きくなったんだな、ホープ」
 指摘されて、そこでようやくホープはライトニングとほとんど同じ目線になっていることに気が付いた。
 よく見れば、今日のライトニングはブーツを履いている。スニーカーのホープよりも踵が数センチ高いことを考えると、単純な身長で言えばすでにホープの方が背が高くなったと言えるだろう。
 確かにここ数年、足がぎしぎしと痛むようになって、それから急に身長が伸びてきた自覚がある。バルトロメイからも「背が伸びたな」とは言われていたものの、まさかこの半年でライトニングと目線が逆転しているとは思いもしていなかった。……それだけ、ホープにとってライトニングは大きな存在だったのだ。
「身長だけです。まだまだ、ライトさんは超えられません」
 自分の目線が彼女と同じであることがなんだか信じられなくて、思わずそう零せば、ライトニングの指先がホープの額を小突いていった。
「超えるつもりだったのか、おまえ」
「駄目ですか?」
「十年早い」
 そう口にしてやれやれと息を吐く仕草に、なんだか胸がいっぱいになる。
 ああ、ライトさんだ。本当にライトさんなんだ。
 半年ぶりで、でもあの頃と何一つ変わっていないライトニングの言葉や仕草にこれ以上なく安心している自分に気が付いてしまう。
 身長が百七十センチを超えたあたりから、周囲の、特に女子からの態度が変わってきたように思う。今日一日ホープを悩ませてきたチョコレート事件だってそうだ。ああいった類の女子は、去年はもっと少なかったはずなのだ。
 結局のところ、見た目や、アカデミーを創設したバルトロメイの息子というのが彼女たちにとってのステータスになっている側面は否定しきれない。
「どうした? ホープ」
 表情に出てしまっていたのかもしれない。怪訝な表情になったライトニングを前に、ホープは慌てて顔を上げた。
「いや、やっぱりライトさんはライトさんなんだなあって思っちゃって」
「なんだそれ」
 途端、ライトニングの表情が呆れたものに変わる。唐突にそんなことを言われたら、普通はそんな反応になるだろう。変わらないライトニングとのやりとりはホープにとってとても心地がいい。心地がいいのだけれど。
(それじゃ駄目なんだよな……)
 こんな調子じゃ、告白するはおろか、本命チョコレートを貰えるのも夢のまた夢の話だ。多分、意識さえしてもらっていない。せいぜい可愛い弟分みたいなものだろう。
 そもそも、菓子メーカーが率先して始めた流行りものにライトニングが飛びつくというのもあまり考えられない。
「とにかく、いったん場所を変えましょうか。このまま歩きっぱなしって訳にもいきませんし」
 チョコレートはさておき、ライトニングと過ごす絶好のチャンスであることは間違いない。思春期真っただ中の十六歳、少しでもいいところを見せたいという下心が働くものだ。……昔、散々情けないところを見られたというのはこの際棚に上げておく。
「ライトさんは甘いものお好きでしたよね」
 二年前、一緒に旅をしていたのでパーティの仲間たちの嗜好は把握している。あの頃はもっぱらサッズが料理を担当することが多かったので(ヴァニラやファングの味付けは濃すぎる上に、ライトニングもスノウも料理はあまり得意ではなかった)必然的にホープは手伝いする側に回っていたのだ。
 つんけんしているように見えるライトニングだが、その実結構甘党だったりしているのをホープはよく理解している。
「ああ」
 そのことはライトニングも心得ているので、彼女もまた自然に返答する。駅前にあるカフェは女性向けのメニューも色々取り揃えられていたはずだが、学生も多い。何よりこの時間帯は混んでいる。さて、一体どうしようか。
 財布の都合も含めて行き先に悩むホープとは対照的に、ライトニングは「おまえに任せる」と一任している。元々あまり土地勘がないこともあって、ホープに任せた方がいいと思ったのだろう。なんだかんだで、昔からライトニングはホープの自主性に委ねてくれるのだ。
「……ライトさんさえ良ければ、うちに来ませんか?」
 悩んだ末に、ホープはそう口にすることにした。
 周辺の店だと、どうしても学校の生徒たちの目がある。好奇の視線を浴びるのは望むところではないし、せっかく久しぶりに会ったのだ。どうせならゆっくり時間を取りたい。その点自宅なら、『子供だから』とライトニングがホープの帰宅時間を気にする必要もない。
「父親と一緒に住んでいるのだろう? 急に訪ねて大丈夫なのか?」
「あはは、父さんは相変わらず飛び回ってるから、帰りは遅いんです。それに、ライトさんならきっと父さんも歓迎しますよ」
 元々聖府系のシンクタンクで働いていたバルトロメイは、とても多忙な人だった。融通が利かない真面目で、合理性を重んじる愚直な性格だ。母であるノラが健在だった頃は、どうして仕事にばかりかまけて、家族のことをほったらかしにしているのだろうと苛立ってばかりいたように思う。
 事実、ホープはノラが気を使って笑おうとするのを痛ましいものだと思っていた。彼女はぎこちなくすれ違う父子の橋渡しをしようとことさらに明るく振舞っていたのだ。
 あれから時は流れた。花火大会の翌日、ノラを喪い、そしてホープはすれ違い続けた父と向き合った。
 バルトロメイは今なお忙しく働いている。研究施設と併設する教育機関。アカデミーという新たな組織を立ち上げたのだ。
 聖府に生きる家畜として飼われていた人々のために、調査と研究で得た成果を即座に教育に反映させるような仕組みづくりを作っていく。そういう仕事をしているバルトロメイは、今のホープにとって誇りだ。家族として過ごす時間は少なくとも、互いが互いに分かり合える関係になっていることを、もう分かっている。
 そんなバルトロメイだからこそ、ライトニングの来訪を喜ぶに違いない。ライトニングが心配しているようなことは何一つないのだとホープは自信を持って口にできた。
「……そうか。だったら、ホープの言葉に甘えよう」
 唇に手を当てて考え込んでいたライトニングが、こくりと頷く。そんな彼女を前に、ホープもまた表情を綻ばせた。
「久しぶりですし、僕、何か作りますね。ライトさん、食べたいものありますか?」
「急に押しかけて、そこまでしてもらうわけにはいかない」
「急な連絡だった自覚はあったんですね」
 思わず半眼になって視線を向ければ、ライトニングは明後日の方角を向いている。あまり口達者ではない彼女は、都合が悪くなるとだんまりを決める癖があったのだが、どうやらそれは今も変わっていないらしい。
「次からは事前に連絡してください。不精でもなんでもです」
「……覚えていたらな」
「覚えてください」
 渋々といった体だが、言質は取った。この話を長引かせる必要はなく、ホープはそこそこに本題に戻ることにした。
「それで、夕食は取っていくんですよね」
 尋ねるように口にすれば、ぐうう、というなんとも分かりやすい腹の虫が返事をする。もちろんそれは、ホープのものではない。
 意図せずしてこれ以上ない返答をしてしまったライトニングの方はというと、薄らと頬を染めて再び明後日の方角を向いている。
「……頼む」
「スーパーで少し買い物をしていきましょう。その時までに食べたいものを考えておいてくださいね」
 口にすれば、ばつの悪さもあってかライトニングからの反論はない。なんだかそれがおかしくて、思わずぷっと吹き出してしまえば、脇腹を肘で小突かれる。昔は体格差があったためか、そんなことをされた覚えがなく、なんだかとても新鮮だ。
 ふわふわとした感覚が胸の中をくすぐっていく。このまま時間が止まってくれればいいのに。そう願いたくなるほどに、ライトニングとの久しぶりの再会はホープにとって心地の良い時間だった。
 それは、ここ二年ですっかり普及した対面式の販売方式を取るスーパーでも、自宅まで歩く道のりでも変わらない。
 ライトニングの希望もあって、あんかけそばの材料が入った袋をかさかさと鳴らしながら、ホープは慣れた自宅のドアノブを開いた。
「いらっしゃいませ、ライトさん」
 半ばおどけたように口にすれば、玄関口に招かれたライトニングはホープの家を前に目を丸くしている。
「驚いた」
「ちゃんと住めるようになってるでしょう?」
 聖府軍に包囲され、すっかりボロボロになっていた我が家は、業者の手が入り、きちんと人が住めるよう蘇っていた。あの惨状を知っているライトニングだからこそ、驚きもひとしおなのだろう。
 本当は、部屋を引き払ってしまう方がずっとずっと簡単だった。ファルシを失ったコクーンは、インフラが以前に比べると明らかに弱くなっている。
 部屋を修理するよりも、新しく他に住める場所を探す方が、費用も手間もかからなかったことだろう。
 だけど、ホープもバルトロメイもどうしてもここを捨てる選択はできなかった。
 この場所は、家だ。帰るべき場所だ。
 それを口にしたのはバルトロメイで、そういう場所を作り上げたのはノラだった。ノラとの思い出が詰まった大切な場所を、ホープもバルトロメイも手放す気にはどうしてもなれなかったのだ。
 多少は不便であった期間もあったけれど、今となっては過ぎたことだ。あれから二年の月日が流れ、自宅は以前と同じように蘇った。父子の男所帯にしては部屋も綺麗にしている方だとホープは自負している。ノラがいた頃とまるで変わらないとまでは言い切れないにしても、母がしてくれていたことを忘れることがないよう、部屋を荒らさないよう心掛けているつもりだ。
 そういった訳で、突然のライトニングの来訪にでも対応できる状態にしていた自分に、ホープは心の中でガッツポーズをしていた。学校に行く前に自動清掃機のスイッチを入れておいて良かった。細かいことだとしても、家事は小さなことの積み重ねだ。
「前来たのはリビングでしたっけ」
 重傷を負ったスノウを連れて、自宅に駆け込んだことをまるで昨日のことのように鮮明に思い出すことができる。あの頃はただ生き延びることだけに精一杯で、満足にもてなすことさえできなかった。
「ああ。なんだか懐かしいな」
「はい。スノウはすごい怪我で、ファングさんとライトさんに手伝ってもらって……。それで、ようやく父さんと自分の気持ちが話せたんです」
 おかげさまで、今は父さんともうまくやれています。色んな事があったけれど、全部、僕にとっては忘れられない思い出です。
 そう口にするホープを前に、ライトニングもまたゆっくりと頷くことで返事をする。
 本当に、ルシの旅では色々なことがあった。本来ならば出会うことすらなかったはずの人たち。ライトニング、スノウ、サッズ、ヴァニラ、ファング。そしてホープ。今にしてみれば短い期間だったとしても、聖府から逃げる命懸けの旅の中で得た経験は、ホープの中で息づいている。
 不意にライトニングのアイスブルーの瞳と視線が合った。なんとなく、ふにゃりと表情が緩むのが分かる。そうすると、まるで応えるようにライトニングもまた柔らかく目を細めて返してくれるのだ。
「ここにあるものは好きに見てもらっていいですから。遠くからお疲れでしょうし、ゆっくりくつろいでください」
 なんだか急に照れくさくなって、ホープは買い物袋を持ち上げた。
 先にあんかけそばを作っちゃいます。
 少し早口になってしまったものの、ライトニングはホープの微妙な感情の変化には気が付かなかったようだ。「ああ」と短く返事した彼女は、さっそく興味深そうに、リビングの棚の上に並んでいるものを見ている。
「ホープの私物があるな」
「そりゃあありますよ」
 僕の家ですし。
 キッチンで手際よく材料を並べながら、ホープはライトニングの呟きに返答した。どうやら棚の中を見た感想らしい。そんなホープの言葉に、ライトニングは苦笑を零す。
「覚えてないのか? 前来た時は、ここにおまえの私物はまるでなかったぞ」
「そうでしたっけ」
「父親とうまくいっていないのだな、と少し心配していた」
 あの短い時間でそんなところまで気が付かれていたのか、と今更ながらに驚きを隠せない。何気ないことだとしても、第三者を通してみるとまるで見え方が違っていたということか。
「今はそんなことないですからね」
「ああ、分かってる。……悪いな。あまり人の家に上がることがないから、つい色々見てしまう」
「あはは、それはライトさんじゃなくても、誰だってそうですよ」
 包丁を動かしながら、ホープは苦笑して答える。ホープだって、もしライトニングの家に上がるようなことがあったら、きっと物珍しさで色々見てしまうことだろう。興味がある人ならなおのことだ。その人がどんな風に普段過ごしているのか、そういうものは少なからず興味ある。
「後で僕の部屋に行ってみます?」
 冗談めかしてホープがそう口にすると、ライトニングはばっとこちらに視線を向けたのが分かった。
「いいのか?」
「え? ……は、はい」
 まさかそんな風に食いつかれるとは思っていなかった。思いがけないライトニングの反応に、ホープが目をぱちくりとさせていると、彼女は少し照れくさそうに頬を掻いた。
「あまり人の部屋を見る機会なんてないからな。邪魔になるようだったら悪いが……」
 ホープがいいなら、ぜひ見たい。表情はほとんど変わっていないものの、心なしか興味深そうな顔をしているようにも見える。
 部屋に変なもの、置いてなかったっけかな……。今更のように、少しだけ心配になる。後で確認だけしておこう。
 そんな雑談をしている内に、あんかけそばが出来上がった。白い皿の上でほこほこと湯気を立てているあんかけそばを並べると、「手伝うことはないか」とライトニングが立ち上がる。彼女の厚意に甘えてコップを出すようお願いしてからはたとホープは気が付いた。
(なんかいいなあ……)
 好意を寄せている人が、同じキッチンに立っている。それがこう、ぐっとくるのだ。
 グラン=パルスでその日の食事にありつくため、散々獲物を狩る共同作業をしていたということはこの際棚に上げておく。あれとこれはまるで別物だ。大体、ベヒーモスを狩るのとスーパーに買い物に行くとでは、性質がまるで違う。
「ホープ、どうかしたか?」
「あっ、いや、なんかいいなって……」
 怪訝そうな表情になったライトニングを前に、うっかり本音を零してしまってから、ホープは自分の失言に気がついた。今更固まっても、すでに声にしてしまった言葉は取り消せない。
「いい? 何がだ」
「え……えーっと、ほら! こんな風に平和にライトさんとご飯ができるなんて、昔は考えられなかったなあって」
「そういうことか。確かに、あの頃はそんな未来があるだなんて思ってもみなかった」
 そこまで口にして、当時を振り返ったのだろう。ライトニングのアイスブルーの瞳が遠くを見るような眼差しになる。
「……っと、料理が冷めちゃう前に食べちゃいましょう」
「そうだな」
 ホープの言葉に同意して、ライトニングはテーブルの席に着いた。
 彼女が希望した通りの五目あんかけそばだ。色とりどりの野菜と、えびが絡んだあんかけがそばの上でつやつやと光っている。
 いただきます、と口にしてフォークを差し込めば、ふわりと香ばしい匂いが部屋の中に広がった。手馴れた仕草で麺を頬張ったライトニングは驚いたように目を丸くしている。
「相変わらず手先が器用というか……腕が上がったか?」
「父さんと二人暮らしですし、家事は僕担当なんです」
 以前は家のことはもっぱらノラのことに任せきりだったこともあって、最初は苦労しました、とホープは苦笑する。そうして、今では随分と慣れました、とも。
「ホープは偉いな」
「そんなことないですよ。ライトさんだって、ご両親を早くに亡くされて、働いてたじゃないですか」
 それは旅をしている最中に耳にした話だ。ライトニングもまた、ホープと同じように学生の内に母親を亡くしている。父親はそれ以前に亡くなっていたというのだから、経済的な点も含めて苦労していたのではないだろうか。そういう想像力も、今ならちゃんと働くようになっている。
「家事はかなりセラに助けてもらっていた。料理の腕は知っての通り中の下のままだ。どうやら、私にはセンスがないらしい」
「人には向き不向きがありますから」
 それに、料理が苦手と言っても、それ以外のことをセラさんに丸投げしていた訳じゃないでしょう。
 ルシの旅を経て、ライトニングの性格をホープは理解している。律儀な彼女のことだ。できることはきちんと家の中で協力していたはずだ。
「……」
 ライトニングは黙々とフォークを口に運んでいる。その耳元が薄らと赤くなっていることに気が付いて、ホープは思わず目を細めた。
「うまかった。ご馳走様」
 昔から食べるのが早かったけれど、それは今も変わっていなかったようだ。あっという間に皿の上にあったあんかけそばは空っぽになっていた。麺一つ残っていない見事な食べっぷりだ。
 ライトニング同様に食べ終わったホープは、皿を片付けながら立ち上がった。
「食後の飲み物を用意しますね。コーヒーと紅茶、どっちにします?」
「紅茶で頼む」
「はい、分かりました」
 シンクに皿を移して、電気ケトルと中に水を注ぐ。まもなくぽこぽこと湯が湧き出した音が響くのを聞きながら、ホープは声を上げた。
「お茶が入ったら、僕の部屋に移動しましょうか」
 とは言っても、そんな大したものは置いていませんけど。
 苦笑しながら続けた言葉に、行儀よく座ったまま待っていたライトニングが顔を上げる。彼女にしては分かりやすく、期待という表情が透けて見えていた。
「その前に、ちょっとだけ片付けさせてくださいね」
 見られて困るようなものは置いていないはずだけれども、整理くらいはしておきたい。リビングで待つようライトニングに断りを入れて、ホープは一足先に自室に戻ることにした。
 センサーが反応して、暗い部屋にライトが灯る。朝学校に出て行った時のままになっていた自室は、記憶通りさして荒れてはいない。とはいえ、少しでも綺麗な状態にしておきたいという心理が働くものだ。
 机の上に散らばっていたものを集めて、少し乱れていたベッドを正す。そこまでしてから、今更のようにホープは状況を理解し始めていた。
(僕の部屋にライトさんが……)
 さらっとやりとりしてしまっていたけれど、それって実はすごいことなのではないだろうか。あのライトニングが自分の部屋にやってくる。そこまで想像して、ホープは自分の頬に熱が灯ることを自覚した。
 実は、これからすごいことをするんじゃないだろうか。いや、もちろん変な意味じゃなくて! そんなこと起こる訳ないだろうし!
 一人部屋の中でわたわたと手を振ってから、ホープはようやく我に返った。あまり時間をかけすぎてライトニングを待たせてしまっても良くない。深呼吸を繰り返し、なんとか熱が引いたことを確認してから、ホープはリビングに再び戻ってきた。
 紅茶も良さげな塩梅で出ているようだ。ティーポットから二人分のカップに注ぎ、ミルクと砂糖をトレイにのせてホープはライトニングに声をかけた。
「お待たせしました。それじゃあ行きましょうか」
 声が震えないよう、努めて平静を保って口にしたので、不自然なところはなかったはずだ。いつも通り。いつも通り。自分に言い聞かせながら、ホープは先導して歩く。まもなく自室に辿り着いて、ホープは固い手のひらで扉を開いた。
「えっと、僕の部屋、です……」
「ほう」
 とりわけ目立つような部屋ではないとホープは自負している。せめて今できることは、大人になるその日までに勉強することだ。ルシの旅から帰ってきたホープが、まず行ったのが勉強することだった。父に頼んで買ってもらった本や、図書館から借りてきた本。まず目につくのは、テーブルの上に重ねられたそれらだろう。
 それからベッド、備え付けのチェスト。本棚。部屋自体は先ほど確認したばかりなので、散らかってはいないはずだ。強いて言うなら、娯楽品が少ないことくらいだろうか。ノラが存命だった頃は、時折ボードゲームなどに興じたものだが、今となってはそれらは棚の肥やしになっている。
「そんなに面白みがあるとは思えないんですが……」
 テーブルの上にトレイを置いてホープが苦笑を零すものの、対照的にライトニングは興味深そうだ。ホープの部屋を見渡して、ほう、と息を吐いている。
「いや、そんなことはないさ。ホープらしい部屋で感心している」
「僕らしい、ですか?」
「ああ。おまえの部屋ならこんな感じだろうな、と想像した通りだ」
 どんな想像をしていたんだろう。内心どぎまぎしながらも、ホープはライトニングに椅子を勧めた。生憎一人分しかないので、自身はベッドに腰掛けることにした。紅茶を手渡せば、ライトニングはやはり興味深そうに部屋の中を見渡している。自分の部屋なのになんとなく落ち着かない心地になって、ホープは口を開こうとした、その時だった。
 ぴかっと窓の外が白く光る。次の瞬間、ドオオンッと激しい轟音が鳴り響き、ホープは思わず肩を震わせた。
「うわっ!」
 手にしていたカップを落としてしまった。辺りから茶葉のいい匂いが漂うのを感じながら、ホープは暗がりの中目を凝らした。
 室内を灯していた電気が途切れて、部屋の中が真っ暗になってしまった。恐らく、先ほどの雷で停電してしまったのだろう。数拍遅れて、ぱらぱらと雨が降り出す音がする。瞬く間にその音は大きくなり、激しい雨が窓を打つようになった。
「こんな大雨になるなんて……うわっ」
 白い光が辺りを照らしたかと思いきや、ドオンッ、と再び雷が落ちる音が鳴り響く。ただの大雨なんかじゃない。酷い雷雨だ。
「弱ったな……。雷雨になるとは思っていなかった」
「天気予報にもなかったのに」
「それは仕方ないさ。もうコクーンはファルシに管理されていないのだから」
 二年前のコクーンでは、予定された天候以外が突然やってくるだなんてことは考えられもしなかった。すべてはファルシによって気候や温度、果ては湿度まで完璧に調整されていたのだ。
 それが失われたのが二年前。ルシの旅路の果てに、コクーンをファルシの手から解き放ったあの日からだ。
 人々はファルシによる支配から解き放たれた。自らで意思決定を行える新しい時代が到来したのだ。同時にそれは、それまでの快適な環境を失うということでもあった。ファルシに頼り切りだった人間は、突如そのファルシから切り離され、それまで保っていたインフラの多くを手放さなければならなくなったのだ。
 すべての人間がそれを望んでいたのかというと、答えはノーだろう。人は、一度手にした利便性を簡単に捨てることなどできやしない。しかし、賽は投げられたのだ。人類自らの手に舵は委ねられ、新たな航海へとすでに漕ぎ出している。
「ところでホープ。すまないが、おまえの服を貸して貰えないか?」
 暗がりの中に包まれた部屋の中でようやく夜目が聞くようになってきたころ、ライトニングはさらりとそう口にした。
「僕の服ですか……?」
「どうやら少し紅茶が服にかかってしまったらしい」
「えっ!? す、すみません! 火傷してませんかっ」
 先ほど落としてしまった紅茶がライトニングの服にかかってしまったらしい。咄嗟に立ち上がったホープを諫めるように手を挙げたのはライトニングだ。
「火傷などはしていない。ただ、染みになるとまずいからな」
「そ、そうですよね。身長的には僕のでもいけると思いますが……あっ、母さんの服、まだしまってあるんです。それならライトさんにも合うと思いますよ」
 ノラの服ならば、ライトニングとさほど体格に大きな違いはないはずだ。身長が近いとは言え、流石に男物と女物では具合が違う。名案とばかりに声を上げたホープとは対照的に慌てたのはライトニングだ。
「彼女の服は大切な遺品だろう。私が借りる訳にはいかない」
 ノラが亡くなって二年経った今でも置いてあるということは、捨てがたく思っているホープとバルトロメイの気持ちがあるからだ。借りられないと断固として口にするライトニングを前に、ホープはそういうことなら尚更です、と思わず苦笑した。
「女の子に体に合わない服着せる方が失礼だって……母さんなら、きっとそう言います」
 天国の母さんに僕が怒られちゃいますから。そう口にするホープを前に、ライトニングは不自然に固まっている。
「ライトさん?」
「いや……。おまえに女の子扱いされるとは思わなかった」
 ルシの旅の中では、ライトニングはホープにとって師匠のような存在だった。戦う術も何も持たない非力な少年。そんなホープが、仲間たちの助けがあったとはいえ、あの過酷な旅を生き抜くことができたのは、ひとえにライトニングのおかげだと言ってもいい。
 そんな師弟関係にあったホープだからこそ、ライトニングは意表を突かれたのだろう。思いがけず、なんとも言い難い微妙な空気が流れる。
 師匠を女の子扱いだなんて、馬鹿にしているのかと怒られてもしょうがないのかもしれないのだけれど。
「……ライトさんは僕にとって、女の子ですよ」
 電気が落ちていて良かった。きっと、今の自分の顔はこれ以上ないくらい真っ赤になっていることだろう。そう確信が持てるほど、頬に熱が集まってきているのが分かる。
 柄にもないホープの言葉に、対するライトニングはというと返事がない。
 時間にすればたったの数秒。だけど、永遠にも思えるような時間が過ぎてから、ぽつんとライトニングが零した言葉はそっけないものだった。
「子じゃない。……大人をからかうな」
 ライトニングは大人で、ホープは子供。
 そんなことは分かりきっている。痛いくらいに分かっている。旅をしていた時十四歳だったホープは十六歳になった。しかし、ライトニングもまた二歳年を取り、二十三歳になっている。結局のところ、年の差は埋められるようなものではないのだ。時は憎たらしいほどに平等にホープとライトニングの間を流れている。
「からかってなんていません」反射的にそう口にできたらいいのに、それでこの心地いい関係が崩れてしまうことが怖くて。
 躊躇うホープを前に、ライトニングが立ち上がる気配があった。
「ノラの服を貸してくれ。あと、洗面台も借りていいか」
「はっ、はい」
 結局言葉は口にできず、ライトニングの言葉にただ頷くだけになってしまった。
 ポケットに入れっぱなしにしていたコミュニケーターを取り出す。小型ながらも、様々な機能を備えたそれは、ボタン一つでライト代わりにもなる。もちろんバッテリーの残量には気を付けなければならないものの、今はこれで十分だろう。
 ライトニングに断りを入れて、ホープはノラの遺品を置いてある部屋へと移動した。ライトニングに合いそうな服を適当に見繕うと、それを両手で抱え上げる。
 窓の外は相変わらずの雷雨だった。時折、ぴかりと雲の合間から白い光が覗いている。今度は先ほどよりも遠い位置に落ちたようだ。とは言え、雨音は一向に弱まる気配を見せていない。それどころか風も吹いてきていて、横殴りの雨がぱたぱたと窓を叩いている。一晩丸々この調子なのかもしれない。
「母さんの服を持ってきました」
 服を持って自室に帰ってきたホープは、意を決してライトニングに話しかけた。
「今晩はずっとこの調子かもしれません。ライトさんのお仕事に支障がなければ、うちに泊まっていきませんか?」
 ライトニングにとってホープのその言葉は、想定外の言葉のようだった。驚いたように目を丸くした彼女は、そのまま窓の外を見る。今出て行けばほぼ間違いなく濡れ鼠になることだろう。
「ほ、ほら。僕だけって訳じゃないですし。父さんも多分帰ってくるだろうし、家は部屋が余ってますから」
 なんだか言い訳めいた言葉になってしまった。わたわたと慌ただしく手を動かすホープを前に、ライトニングがくすりと苦笑を零す。
「……私をこんな雨の中帰すと、ノラに怒られる?」
 先読みするかのようなライトニングに、ホープは首振り人形よろしく、大きく首を振った。
「は、はいっ」
「なんでホープの方が緊張しているんだ。言い出しっぺだろう」
 そこまで口にしてから、ライトニングは唇に手を当てて考えこんだ。
 電気はまだ回復していない。雷雨も当分止みそうにもなく、目の前には緊張なのか不安なのかで固くなっているホープの姿がある。彼のそんな仕草を見るのは、ライトニングにとってもまた久方ぶりだった。
 まるで、ヴァイルピークスを旅していた時のようだ。
「明日の集合まで余裕があるからな。……一晩、世話になっていいか?」
 目を細めて口にされたライトニングの言葉に、ホープが断る理由なんて一つもなかったのだ。
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