「ハ、ハ……クション!ううっ寒っ!雪が積もってら!」
「うぅ……早いとこハイデルベルグに向かおうぜ。こんなところに突っ立ってたら凍え死んじまう」
ジューダスとロニの一件以外、海の旅はつつがなく終わり、わたしたちは早々にスノーフリアの地に足を下ろした。やっぱり揺れない土台の方が安心する。波の上をたゆたう船に慣れた平衡感覚は、真白に彩られた地面を踏みしめる時に僅かな違和感を残していくけれど、それも今のうちだけのこと。こんな時、順応性の高い人間の能力に改めて気づかされるのだから、普段どれほど無頓着にわたしたちが生きているのかということが分かるのかもしれない。……なんて、少し真面目に考えてみたりして。
とにかく、久しぶりのファンダリアは相変わらず肌を刺すような寒さだった。
ないよりはマシと思ってノイシュタットで購入しておいたストールを掻き抱いても、まだ足りない。そもそも温暖なフィッツガルドに合わせた服装をしていたものだから、船を出ると同時にわたしたちは身体を小さく丸める羽目になった。この中で唯一マシな格好をしているのはジューダスくらいと言っても過言ではないはずで、常にお腹を出しているカイルやロニ、薄地の服のリアラははたから見てもそうだと分かるくらいに大きく震えている。
「とにかく、まずは防具屋でコートを買ってきましょう。ハイデルベルグに向かうのはそれからだわ」
元々肌が白いリアラに至っては今や顔面蒼白で、紫色の唇は見るからに痛々しい。出発間際まで皆と別行動していたのが災いして、防寒具……とまではいかなくても、多少暖を取れるようなものを持ち込んでおくという鉄則を伝えることが出来なかった。年長者としての配慮が欠けたわね、と出発前の自分に呆れながら、とりあえずそれなりに人肌で温まっているはずのストールでリアラを包み込んだ。
「え、でも、レクシア……?」
「リアラの格好に比べたら、わたしなんてまだ温かいものだわ。それに、一応ここの地元民ですから。カイルとロニはもうちょっと我慢してね」
「お…おう……!とにかく早く行こうぜ……!」
かくしてわたしたちはスノーフリア名物となっている見た目ともかく機能性抜群の毛皮のコートを買い込んで、英雄王の治める国、そしてわたしにとっては馴染み深いハイデルベルグへと向かうことになった。




























Tales of destiny and 2 dream novel
31 想いは雪のように






ファンダリア地方の首都ハイデルベルグは、唯一の王権国家と呼ばれている。
18年前の騒乱によって独裁政治の時代は幕を閉じ、民主主義思考が広く普及した。もっと正確に言うと、当時カリスマ的なまでに独裁権を握っていたダリルシェイド王が外郭の落下によって、街ごと壊滅的な被害を被り、行方知らずになってしまったことが背景に存在する。
ともかく、王族が政権を握った最盛期が過ぎ去ってしまったという事実だけは間違いない。そんな中、未だにファンダリアでは根強く王権制度が続いているのは、それ相応の理由があった。
その理由こそがファンダリア元王、ウッドロウ=ケルヴィン。
ウッドロウは前王イザークの子にして、賢王と名高かった彼を越える王と誉れが高く、その人徳によって数々の民衆に支持される良き王として国を治めたからだ。また、彼は18年前の騒乱から世界を救った四英雄の内の一人でもあり、絶大な人気があった。
現状に満足している民衆が、リスクを背負い、血や争いを望むだろうか。
民衆の心を掴む政治を積極的に展開するハイデルベルグは、件の騒乱の爪跡からいち早く立ち直り、より懐深い街として生まれ変わったというわけだった。
「ここがハイデルベルグかぁ!さすが英雄王が治めるだけあってでっかい街だなぁ!」
さしたるトラブルもなく無事スノーフリアからハイデルベルグまでの旅路を終えたカイルは、凍えるような寒さの中でも活気づく街並みを見渡して大興奮だった。
「へッへへへ……たしかにな。これだけの大都市は世界広しといえどもこことアイグレッテぐらいだろう」
「でも、アイグレッテとはなにか感じが違うわ。うまく言えないけど……」
「そんなことより、早くウッドロウ王に会いに行こうよ!どんな人だろう?ワクワクするなぁ!」
幼少からの憧れの存在に会えるということは、それだけでもうどんな喜びにも勝るのだろう。いつも以上にテンションが高いカイルに、思わずくすりと笑みが零れる。カイルが喜ぶと自然とそれはが周りに伝染してくるのだから、彼は本当にムードメイカーとして立派にパーティを盛り立てているのだろう。事実、ロニは勿論、ジューダスさえもどことなく雰囲気が柔らかい。
だからこそ、この温かで居心地のいい場所から離れることが名残惜しかった。
「…………」
賑やかな皆を見る視線にちょっぴり哀愁が混じってしまった。そんな微妙な感情の変化は、ふと視線が合ったリアラに伝わってしまったようで、今にも先走りそうなカイルに待ったがかかる。
「あ、カイル。ちょっと待って………その、レクシアが……」
それ以上は言い淀んだリアラの表情で、浮かれていたカイルはまるで捨てられる子犬のようにしゅんとなってしまった。
「そっか……ハイデルベルグに着いちゃったってことは、レクシアともうお別れなのか……」
「なんだか名残惜しいわ……。せっかくここまで一緒に来たのに……」
「うん。もうレクシアは仲間だから、ずっと一緒にいられるみたいに思っちゃってて、オレ……」
小動物を思わせるようなつぶらな瞳で年少組から見上げられると、年上のお姉さんとしてはかなり苦しい。再就職やら何やらの現実を思わず投げ打って二人を抱きしめたくなるような衝動をぐっと堪えていると、同じ成人組のロニから助け舟が入った。
「こらこら、二人ともあんまりレクシアを困らせるなって」
その言葉が、わたしが本来歩むべき道を再び照らし始める。
退職後のバカンスを終えて、これからの長い人生のために安定した収入を求め、延々と平凡な日常を繰り返すサイクルの中に『わたし』が組み込まれてゆく。
「ううん、そう思ってくれて本当に嬉しいわ。ありがとう、カイル、リアラ」
――――それを虚しい、と考えるのはやめていたのに。
「……そうだ。レクシアにはレクシアの生活がある。最初からここまでの同行の約束だったのだから、あまり駄々をこねるな」
む。見たところカイルやリアラとも変わらない年のはずなのに、澄ましちゃって。
ジューダスの素っ気無い言葉はどうにも面白くない。強情でいじっぱりの上に感情表現が不器用な彼が、別れを前にしおらしくなることの方が不自然なのは分かってはいるんだけれど、少なくとも一週間は行動を共にして、その間持ちつ持たれつの関係だったにも関わらずこの対応は、正直言うとカチンときてしまった。こんなことくらいで拗ねるだなんて、子供じゃないんだから。努めて大人であろうとするわたしの一部分が寛容な態度を見せようとしていたけれど、とにかくやっぱりわたしは、別れの時だというのに素直にならないジューダスに少々不満だった。
だからわたしにしては珍しく、考えるより先に言葉が飛び出してしまったんだと思う。
「………皆がハイデルベルグにいる間までは一緒に行動するわ。せっかくここまで来たんですもの。地元民の観光ガイド、聞いてみたくないかしら?」
どうせ数日間の間のことだもの、不慮の事故でただでさえ伸びてしまっているバカンスをもう少しだけ伸ばしてみてもバチはない。
「本当にいいのか、レクシア?」
ロニが確認するかのように問いかけてくる。
そしてわたしは、期待で瞳を輝かせ始めた子供たちの前で勢いで言ったとはいえ、無責任な大人になる気はなかった。
「ええ。ここまで来て、はいさようなら、じゃわたしの方が気になっちゃうわ」
「やったー!!ありがとう、レクシア!」
「色々教えてね!」
カイルとリアラの笑顔に応えて、ついでに澄まし顔で立ってるジューダスにも十分聞こえるサービス満点な声で言う。久方ぶりに弾む胸の高鳴りは、まるで童心に返ったようだった。
「勿論。それじゃあ、ハイデルベルグ城まで四名様ご案内ね」

ハイデルベルグ城へ向かうにはまず、騒乱後に拡張工事された新市街を通り抜け、『英雄門』と呼ばれる巨大な門をくぐり、古めかしさの残る旧市街を抜けたところでようやくそのお膝元まで辿り着く。
そこからさらに一般開放されている城の敷地を横切り、最下層の扉を叩いたところで初めて城内の兵士に取次ぎが成されることになっていた。
街に入ってからの長い道のりを終え、ようやく陛下への謁見が認められるかと思ったその矢先の出来事だった。アポイントメント――――わたしにとっては当たり前の通過儀礼はカイルたちにとってはそうでなく、兵士が告げた言葉はまさに青天の霹靂だったに違いない。
「待てっ!おまえたち見たところ、旅の者のようだが………ウッドロウ陛下に謁見か?」
「謁見の約束は取り付けているのか?約束のない者への謁見は数週間先になるぞ」
カイルの顔色がさっと変わったことから、わたしは彼らがアポなしでここまでやって来たということを悟ってしまった。これは少々どころかかなりマズイ話だ。
「数週間先!?冗談じゃない。そんなに待ってられないよ!」
……こういうことに詳しそうなジューダスや、そもそもロニは指摘しなかったのかしら。社会の常識を若者に伝えていくことこそ、年長者の仕事だろう。……いいえ、どうせ少しの間同行するだけだからとタカをくくっていたわたしの方こそ短慮だった。こんなことなら、事前にアポくらい確認をとれば良かった。
生前は『客員剣士』という特別待遇を約束されていた称号のおかげで王城での一般対応を知り得なかったジューダスの事情や、トラブル続きですっかり失念していたロニの事情を、レクシアが知る由もない。
「待て、カイル。俺に考えがある。約束はとりつけてないんだが、試しに陛下に話を通してもらえないか?スタンの息子のカイルが来た、そう言ってもらえれば分かるはずだ」
アポイントを取っていないわたしたちの方が悪いわ。出直しましょう。まさにその言葉が喉の奥からいざ滑りだそうという段で、思ってもみないロニの言葉が音を奪っていった。
「だから約束のない者は……」
ロニの言った言葉を咀嚼するのに、一呼吸分の間を必要とした。そして今回は――――そのタイムラグが致命的になってしまった。
まって、そう口にするよりも兵士が敏捷な動きを見せる方が先だった。
「待て、スタンと言ったな。まさか……いや、そんなはずは」
「だから試しにでいいんだよ。ダメだったらすぐに引き下がる。……とはいえ、ウッドロウ王が旧知の友の息子を無下に追い返す方とは思えないが」
「……分かった。話してみよう」
とんとん拍子で進んでいく流れに、呆気にとられるしかない。
「ねぇ、ロニ。なんて言ったの?」
「ん?ま、細かいことはいいじゃねぇか」
怪訝そうに瞳を瞬かせるカイルをロニが猫なで声でやり過ごした。恐らく、彼なりにカイルに気を使ってのことなのだろう。けれどもそんなエゴイストとも呼べるロニの行動を、目敏いジューダスが見過ごしている訳がなかった。
「ずいぶんと姑息な手を使うな」
「な〜に、会えたらそれでオッケーなんだ。カタいこと言うなよ」
「……付き合いきれんな。僕はしばらく時間を潰してくる。おまえたちだけで会ってこい」
おせっかいなジューダスにしては珍しく投げやりな態度に拍子抜けをする。確かに済んだことをとやかく言っても仕方がないけれど、今回のロニの行動は大人として模範となるべきものでないことは間違いなかった。
多少のズルも、要領良く生きていくのならば仕方のないことだと分かっている。……分かっているからこそ、その無配慮な要領の良さを、素直で人を疑うことを知らないカイルやリアラの前で見せ付けてしまったことが残念で仕方がない。
「あっ、待ってよ、ジューダス!」
「失礼致しました!すぐに謁見したいとのことです!」
「おい、本当か?約束のないものの取り次ぎは……」
「いいんだ。陛下から丁重におもてなしをしろとのお達しだ」
本人たちは小声のつもりのあけすけな内容は、耳をそばだてる必要もなくしっかりとわたしの耳にも入っていた。
「それじゃあ皆、いってらっしゃい。わたしは外で待ってるから」
努めて笑顔で皆を送り出す。唐突に手を振ったわたしをカイルが困惑したように見上げていたけれど、この際気にしないことにした。ガイドはあくまで案内するまでが仕事で、そこから先まで踏み込んでしまえば、それはもうガイドでも何でもない。
「え、え?」
「さぁ、カイルさん。中にお入りください」
…………帰ってきたらロニはこってり絞ってあげよう。そのくらいの責任はあるし、ここまで連れてきて貰った恩を貸しのままにしておくのはわたしの流儀に反する。
とにかくわたしは、待っているだけだというのに気を揉んでくれた兵士さんの申し出を丁重にお断りして、白の情景の中へと足を踏み出した。



新市街と旧市街、これら二つの街をつなぐ『英雄門』は新たなハイデルベルグの街を象徴する記念碑的建造物だ。
『新しいものと古いものの共存を』というコンセプトを元に斬新な設計を試みた設計者の手によって、重厚感漂う石造りの門の上には博物館兼図書館があり、先の騒乱や天地戦争時代の史料が数多く収められている。
開設当初はともかく、この場所は次第に観光地化されていったため、実は地元住民が利用することは滅多にない。かくいうわたしもここへ入ったのは初めてで、ガイドをするには外せないこの場所を待ち時間の間におさらいしておこうという算段だった。
「まあ、中はこうなっていたのね……」
百聞は一見にしかず。それはまさにその通りで、実際に足を踏み入れた館内は豊富な蔵書、資料、そして先の騒乱にまつわる様々な品々がケースや本棚の中に整然とお行儀よく並んでいた。
観光地化に伴って、きっちり順路の案内までついている親切さは案内する側にとっては良いのか悪いのか……実際にガイド職に携わっているのでどうかは分からないけれど、ともかく館内はよっぽどのことがない限り迷うこともない親切設計になっていた。
図書館内のチェックを早々に終わらせ(こっちはあまりカイルやロニは関心を持たなさそうだ)、博物館内のチェックに周る。博物館の展示物は、どうやら『神の目を巡る騒乱』についてが七割、『天地戦争』についてが三割ほどといった内容だった。やはり古いものほど資料は貴重かつ希少なものになっていくのだろう。けれども二つの騒乱は類似点がいくつかあったので、全く資料がないわけでもなさそうだった。
ソーディアン――――人の意思を封じ込めた、喋る剣。
まるでおとぎ話に出てくるような剣がどちらの戦争をも終結に導いただなんて、一体誰が予測をしただろうか。
「いち、に、さん、し………あら?ソーディアンってもっとなかったかしら?」
わたしの記憶が確かであれば、ソーディアンは六本あったような気がする。けれども目の前のケースの中には四本のソーディアンのレプリカしか陳列されていなかった。よく見れば、肖像画も四枚だけだ。恐らくこれが四英雄の肖像画なのだろうが、それでは後二本のソーディアンの持ち主は……?そう考えたところで、ふと歴史を思い出す。
残り二本の持ち主は――――騒乱の首謀者、ヒューゴ=ジルクリストと裏切り者のリオン=マグナス。これでは飾れないわけだ。
(そういえばわたし、二人の顔を見たことがなかったわね………それに、あの子のことも)
先の騒乱から世界を救った英雄たちの顔はこうも分かりやすく展示されているというのに、すべての原因を作りだした人間の情報がこうも開示されていないのは奇妙な話だ。結局民衆が求めるものは世界を救った英雄達の美談であって、歴史の敗者のことはどうでもいいのだろう。
それが、なぜだか無性にさみしいような気がした。
今までのわたしだったら、神の目を巡る騒乱について聞かされても、それこそ大勢の民衆と同じように世界を救った英雄達の活躍にしか興味を示さなかっただろう。
けれどわたしはカイルたちと過ごしたたった一週間の内に、まるで何かに導かれるように何度も『彼女』に触れた。
白雲の尾根に家を遺し、廃坑では石碑に想いを刻み、ノイシュタットでは青年達に約束を交した。そうして彼女の気持ちをうずめた墓の前でジューダスが見せた、途方にくれたような焦点の定まらない瞳。寂しげに墓の上に手を置いた端整な横顔を見ていると、ふと、泣いてしまうのかと思った。あのいじっぱりなジューダスの感情をあそこまで揺さぶったを――――わたしと瓜二つの顔を持つらしい彼女を、知りたいと思うのは必然のことだ。
(これ以上深入りするのは、流石にまずくないかしら)
冷静な大人であろうとするわたしが、平坦な声で警告をささやく。知りすぎれば無関心を装えなくなる。らしくもなく人影を追いかけた白雲の尾根の時のように、傷だらけで置いてけぼりをくらってしまった過去の体験を重ねて、走り出してしまう。現実的な問題から目を逸らしてがむしゃらに生きる時代は、もうとっくに終わったはずの歳なのに。
「………知りたいものを知って何が悪いのよ」
もう、やけくそだった。
わたしは大人、そんなことは知ってる。年齢もいい歳で結婚適齢期とか言われちゃってて、無職なままでいたら両親がうるさくって、けど勤め続けたメイド家業はもう正直まっぴらごめんというか、とにかくあのおばさ……じゃなかった、上司の小言がうるさくて、いびるのが趣味かって思うくらい、毎日よくもまああんなに小言を言われて、それでも我慢して業務用笑顔が日常でも板に付くくらい頑張って、契約の期間まで精一杯勤め上げてとっとと出て行ってやった!現実なんてたらふく見て、皆が可愛い服や、格好いい男とか、希望に溢れた夢だとか必死で追いかけている時期に、わたしは馬鹿みたいにあくせく働いてて、だからちょっとくらい懐に余裕が出来た自分にご褒美欲しさで出て行ったバカンスの先で、信じられないくらいの楽しさと不思議と甘酸っぱさに溢れた冒険をして。
――――こんなところまで、分別のいい大人であろうとするなんて馬鹿馬鹿しいじゃない。
理性をどつき倒して勝敗は決した。
(わたしの前でそこまで姿をちらつかせるんですもの。こうなったら徹底的に調べてあげるわ……!!)
一応清楚系キャラで通っているのは分かっているので、パーティ内では絶対に浮かべることが出来ない悪そうな顔はとっとと引っ込めて(メイド家業で学んだことだけれど、どんな場所でも油断は禁物よ)本棚に手を伸ばす。
まずは、あの子の顔を確かめるところから始めよう。
のことを知る人に出会う度に顔を見つめられたり、勘違いされたりと、そもそもすべてのきっかけはこの顔立ちのせいなのだ。人と比較してもかなり整っているとは自負していたけれど、まさか世間一般で言うところの悪名高いと似ているとは思わなかった。パーツや雰囲気が似ていると言われるならばまだ納得できるものの、瓜二つとまで断言されてしまうとそれはそれで気になる。
それに、ジューダスのことも気になった。
誰にだって一つや二つくらい脛に傷くらい持っている。そこをほじくるなんて悪趣味は持っていないので、極力との係わり合いを隠そうとしているジューダスは放っておいたけれど、わたし自身、彼の謎に興味がないわけではなかった。あの年齢だったら辻褄が合わないのだけどと、内心こっそりいぶかしんでいたものの、表情を装うことにかけてはその道数年のエキスパートなので悟られてはいないはずだ。
もしかしたら、を調べることによってジューダスのことも少しばかり分かるかもしれない。なんて惚けたことを考えながら人物図鑑なる書物を捲っていたわたしは、何気なく目を通したページで信じられないものを見つけた。……いいえ、見つけてしまった。
「………おかしいでしょう、これは……流石に……」
ぞわり、とした。不意に背中を駆け上がっていった不可解な衝動は、やがてじわじわと脳内まで浸食して、体の自由を奪ってゆく。気が付いた時には、体の毛穴という毛穴からどっと冷汗が噴き出していた。
何これ。おかしい。こんなのってありえないわ。
18年前の騒乱に関わった全ての人間の顔写真が印刷されたページは、緊張で手のひらから染み出した汗でくったりとしていった。でもそんなことより、体中を支配する悪寒に似た感覚をわたしはいったいどう表現すればいいの分からない。
「………でも、これなら辻褄が合う。ありえないけど、これならすべてに説明がつくわ……」
初めてわたしを見た時の、あの幽霊でも見たかのような驚きっぷりも。
リーネ村で唐突に訊ねられた質問も。
霧の中に埋もれた小屋で見つけた写真を隠したことも。
廃坑のことをやけに詳しく知っていたことも、石碑を見て言った言葉も。
の墓の前で――――苦しそうに『何か』を後悔していたことも、全部全部ぜんぶ。
「リオン……マグナス……?」
の顔が気味が悪いくらいわたしとよく似ているように………仮面の下から伺える端正な顔つきは、驚くほど裏切り者のリオン=マグナスの顔写真とよく似ていた。
そしてわたしは、それがただの偶然だと笑い飛ばせるほどに無知でもなかった。
論理的に考えれば年齢が噛み合わない。死亡されたとされている彼が例え何かの拍子に生き残っていたとしても、あんな年端もいかないような外見でいられるだろうか……いや、わたしはジューダスだけ正確な年齢を聞いていない。かなり奇想天外なこじつけだけれどジューダスがものすごい童顔で、外見的な問題さえクリア出来たとしたら、もし、万が一、そんなことが出来るのであれば……ジューダスをリオンとして考えれば、彼と親しかったとされるとの関係ややけに18年前のことに詳しいことも全てに説明が付いてしまう。
そしてわたしは、この世にはまるで生き写しのように何もかものパーツが瓜二つの顔を持つ人間が存在するという、信じられないような世界の不思議に直面したばかりだった。同じようなことをジューダスにも言えるかもしれないけれど、じゃあ何で彼は仮面をかぶる必要があったの?わたしみたいに堂々と無関係を主張すればいいだけの話なのに――――…
このタイミングでこのありえない事実に気が付いてしまったわたしが、ありえない仮説を立てないでいる訳を教えてほしい。きっと誰にも信じてもらえない。気ちがいの妄言と誰もが口を揃えて言うだろう。でも、それでも。
ジューダスはリオンだわ。
無視できない否定材料さえも跳ねのけて、わたしはそう確信した。そして今までの振る舞いを見る限り、彼が史実に残っているような絶対悪ではなくて、何かしら譲れない理由があって裏切り者の汚名をかぶったのだということも。
唐突に、ノイシュタットで出会った兄妹と一人の女性の顔が頭の中をよぎる。その瞬間、まるで閃光が閃いたようにわたしの中でとんでもない新しい仮説が生まれた。でも、そう考えれば素朴な人柄で誰からも好かれていたはずのの裏切りの動悸や行動が見えてくる……!
これは、女の直感だった。すべてが憶測の域を出ないけれども、18年前に起きた事件の一端が紐解かれてゆく。
―――――は、愛した男のために裏切り者に身を堕としたのね。
その事実に辿り着いたわたしの胸の中に広がったのは、さざ波のように押し寄せる嫉妬心と狂おしいまでの愛おしさだった。



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09.5.21執筆
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