分かってはいても、いつだって別れは寂しい。

数日はヒューゴ邸に滞在していたスタン、ルーティ、フィリアだったけれども、それは私が目を覚ますまでの限定された間のことだったらしい。私の無事が確認出来た今、彼らには彼らの新しい道が開けていて、その道へと歩み始めていくのは当たり前のことだった。

スタンはリーネの村で待っている家族の下へ。
ルーティは手に入れたお金を渡したい人がいると、クレスタへ。
フィリアはストレイライズ大神殿を建て直したいそうだ。

それぞれがそれぞれに夢を持っていて、未来がある。
例えばノイシュタットへ帰って、ロイやミシェルといった子供たちに寄り添い、イレーヌさんの元で研究を続けようとする私のように。

私達の出会いは、思えば歩んできた道が偶然重なり合った、そんな小さな奇跡だったような気がする。
道はいつかは分かれ道に辿り着く。そんなことは当たり前のことだけれども、やっぱりさよならをする瞬間は今まで過ごした時間が濃密だった分、より一層物悲しく感じた。

「……行っちゃったね」

研修滞在期間が僅かに残っている私は、皆の旅立ちを見送る側になってしまった。
……ここからまた私が旅立つ時、リオンはどう思うのかな。
ちょっとでも寂しく思ってくれればいいな。そんな風に思ってしまうことは我侭なんだろうか?
これからきっとマリアンさんと談笑するであろうリオンの姿を勝手に想像して勝手に傷つきながらも、私は懲りずに話しかけた。

「フン。やっとうるさい奴らが減った」
「またそんなこと言うー」
「お前もうるさい奴の筆頭だという事を忘れるなよ」
「うわー、ひどい!」

それでも、報われない恋でも。……こんな風に軽口を叩き合える関係が嬉しかった。

『リオンに告白とかはしたりしないの?』

去り際、ルーティが囁いた言葉が今も耳の中に残っている。
楽しそうな横顔を壊してしまいたくなくて言葉を濁したけれども、ルーティの言葉は私を現実に叩き付けるには十分すぎるくらいのものだった。
旅の間は無意識に避けてしまっていた彼女の存在。マリアンさんがここにはいる。―――優しい彼女のことが大好きであれば大好きであるほど、その存在が胸を締め付けた。

「……でも、ソーディアンの皆とお別れできなかったことは心残り」

胸の痛みを誤魔化すかのように紡いだ言葉は予想外にぽつりと響いてしまって、私の方がびっくりしてしまったくらいだった。

「仕方ない。神の目の影響で一時的に回線がショートしてしまったからな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

リオンが何も言わなくなったシャルちゃんに一度だけ送った視線を見て、私は慌てて顔を伏せた。
……嫉妬心を誤魔化すために振るような会話じゃなかった。肝心なところで気が回らない自分の迂闊さにげんなりする。

「そうそう!やっと元気になったんだもん、またマリアンさんと一緒に皆でお茶会をやりたいな」

―――そうして私はまた、不毛な恋心に振り回されるのだ。

私はリオンの事が好き。
リオンはマリアンさんが好き。
マリアンさんはリオンを同情していて………私はそんな優しいマリアンさんが好き。ああ、なんて不毛な関係。

絶対に向けられることがないと分かっていながら、マリアンさんにだけ見せるリオンの絶対的な安心感が痛い。その傍で、二人のやり取りに耳をそばだてる自分が簡単に想像できて、もっともっと嫌になった。
ただ名前を呼んで、認めてくれる。それだけで良かったのに。……一体いつから私はこんなにワガママで嫌な女になってしまったんだろう。

マリアンさんが好き。マリアンさんが妬ましい。……マリアンさんみたいになりたい。

誰かを好きになることが、こんなにも汚い感情を持っている自分を知ることにだなんて思わなかった。




















女の子は道に迷っていました。
お母さんにお薬を買ってあげたいのに、道が分からなくて困っていました。

そんな時、男の子が助けてくれたのです。
女の子はとても感謝しました。
たくさんたくさん感謝しました。
いつか恩返しをしたいと思いました。

数年後、女の子は旅に出ます。
昔助けてくれた男の子に『ありがとう』と恩返しをするために。






――――…一人の女の子の物語は、一体どこで終わってしまっていたのだろう?

確かにあの子のことが好きだった。好きだと思っていた。
でもそれはこんな風に胸が締め付けられるようなものなんかじゃなくて、思い起こせば勇気を奮い立たせるような、そんな温かなもののはずだった。だから、好きだという気持ちがこんなにも身が引き千切られそうなものだなんて知らなかったんだ。

小さな私が生きていくには、世界はあまりにも広くて大きすぎた。
おとうさんとおかあさんのいない私には、助けてくれる人がいない世界はさみしすぎた。

一人で生きていくのが心細かったんだ。
だから遠いあの日、手を差し伸べてくれた男の子の思い出だけに縋りついた。助けてくれたという優しい記憶にしがみ付かないと、自分を見失ってしまいそうだった。
それを恋心に摩り替えた姿はとても滑稽だったけど―――私にとっては心を守るための、どうしても必要な手段だった。壊れそうな心を繋ぎ止めてくれた、大事な大事な思い出だった。

ありがとう。
ありがとう。

桜吹雪の中、ぶっきらぼうな優しさを見せてくれた男の子の事だけを今は祈る。



あなたがどうか、しあわせでありますように――――……



ずっとずっとあなただけを想って生きていました。でも、もう私にはそうやって生きることは出来ません。
だから、あなたの事を探す旅に終止符を打とうと思います。それだけが私の生きがいでした。何も知らない小さな女の子だった私が、この世界にいてもいいと言う存在理由でした。

でも……私にはもう、たくさんの人達がいるから。
すぐ傍にいなくても、この空の下のどこかで笑っていて欲しい人達が繋がっているから。
あなたが大切な人だという事は変わらなくても―――…たった一人だけの世界を作り上げるには、私は色んなものを知りすぎてしまったから。



だから、さよなら。私の初恋。



口が悪くて、相変わらず私の扱いが酷くて、放って置くくせに、時々垣間見せる優しさを持ったこの人が好き。
なんだかそんな当たり前の事で、世界中がきらきら輝いて見えるから不思議。もしかしたら世界は私が思っているよりずっとシンプルで単純な構造をしているからなのかもしれない。……学者としては能天気でも、女としては本気でそんなことを思ってしまうからなんだか可笑しい。

「……リオン」

胸の中にそっと仕舞い込んでいた彼の本当の名前を思い浮かべながら私は言った。

「行こう!」

―――――ポケットの中で、しゃらんと懐中時計が揺れている。





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09.3.31執筆
09.4.12UP