2013.10.15 執筆

少年は今宵も夢を見る

星空を見たいな、と思った。
ただ唐突に。なんとなく。……言ってしまえばそれだけなのかもしれないけれど、見たいと思ってしまったのだからしょうがない。
読みかけていた分厚い専門書を卓上の塔のてっぺんに積み上げたジュードは、すっかり固まってしまった体をほぐす様にうんと伸びをした。時計を見上げれば、針は頂点から少しばかりそっぽを向いている。星を見るにはうってつけといえばうってつけなのかもしれない。
地霊終節(フォレ)も風旬(ブラウ)に入ってきたこの季節、リーゼ・マクシアでは降るような星空が広がっているはずだ。故郷を離れ、単身エレンピオスで研究に明け暮れていたジュードは、今更ながらに望郷の念に駆られそうな自分に気が付いて小さく微笑んだ。
黒匣で作られた電気ストーブのスイッチを落とす。代わりに白衣を羽織ると、ジュードは研究塔の屋上へと続く扉に手をかけた。ギイ、と軋んだ音を立てて開かれた扉の向こうには、薄ぼんやりとした光りが瞬いている。やはりエレンピオスから見る星は街の灯りに霞んで分かりにくい。
はぁーっと指先に息を吹きかけた。じんわりとした熱が指先を温めても、冷え切った空気は簡単に体温を奪っていく。初めてのエレンピオスの地霊終節は、リーゼ・マクシアに比べると痛いくらいに寒さが厳しい。
なんとはなしに手のひらを空に向かって伸ばしてみた。
星の光は街の灯りに霞んで、ずっと遠い。届くわけなんてないのに、それでも伸ばしたくなったのは、きっと同じようにこの世界のどこかで星空を見上げているだろう彼女のことを想ったからだ。
「みら」
唇はすっかりかじかんで、言葉もどこか舌っ足らずになってしまった。
けれど、いい。ここには僕一人しかいないから。
ミラはミラの成すべき使命のために、あちらの世界へ旅立っていった。そんなミラに恥じることない自分でいたくて、僕はこうして黒匣に変わる新しい技術に希望を見出している。
結果を出すにはまだまだ道のりは遠いけれど、それでも、いつかはきっと。
遠い星空が近くなる日を夢見る人が一人くらいいてもいいんじゃないかって、そう思うんだ。……なんて言ったら、ちょっと照れくさいんだけど。
独り言をぽつりと零す。誰に言ったわけでもない、自分だけの小さな独白。そんなつもりで呟いた言葉だったのだけれども。
『ジュード』
ふと、彼女の声を聞いたような気がした。
弾かれたように顔を上げても、そこに広がっているのはトリグラフの遠い灯と、薄ぼんやりとした星の光りが広がっているだけだ。……でも。
「うん。頑張るよ、ミラ」
ミラはいる。
ここじゃない世界で、僕とは違う道で、同じ所を目指してる。
「よし」
もう一度だけ星空を見たジュードは、小さな掛け声と共に白衣を翻した。胸の内には小さな熱が灯っている。
「もうちょっとだけ、進めてみよう」
今はまだ小さな光かもしれないけれど、いつか人々を照らし出せるような光になることを信じて、僕も。

そして人と精霊が共に生きる世界のために、少年は今宵も夢を見る。
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