キス、してみたいな。

ふっくらした桜色の唇は、触れればどんな風に形を変えるんだろう。
柔らかいのかな。
うん。多分、きっと、柔らかい。
何とはなしに目で追って、無意識にピンク色思考を働かせていた自分にぎょっとする。
ば、ばか!何考えているんだ、僕。
ミラはただ静かに本を読んでいるだけだって言うのに……。

赤くなったり青くなったり、我ながら忙しいものだと思う。
でも、やっぱり唇に手を当てて思案するミラの横顔は……すごく、魅力的で目が離せない。
ランプによって作られる陰影と、微かなページを捲る音。夕闇の帳の中にある宿の一室で、頭に入るわけもない本を機械的に捲る音だけが耳に付く。

ただ、本を読んでいただけなんだ。
ふと顔を上げたら、ミラが隣に座っていて。
手に握られる本へ落とすにしては真剣すぎる眼差しを微笑ましく思っていたはずだった。……その桜色の唇に、何とはなしに想いを馳せてしまうまでは。

そうして話は一番最初へ遡る。
これはもう、堂々巡りとしか言いようがない。
意識しないようにすればするほど、彼女の弧を描く肢体に。金色の髪に。ルビーみたいな瞳に。桜色の唇にコクン、と喉が鳴る。どうしていいか分からなくなる。

「ジュード」
「っゎああ!??」

完全に不意打ちだった。
まさか頭の中を一杯にしている相手に声をかけられるだなんて思ってもいなかったから、自分でもびっくりするほど情けない声が出てしまった。うう、ミラの前なのに。
そんな僕の気持ちなんておかまいなしに、ミラは胸を反らせて立ち上がる。

「キスしたいのか?」

――――仁王立ちして見下ろすには、場違いすぎる爆弾を投下して。

「!!?!?」
「違うのか、ジュード」
「なっなっなっ、なんでミラが僕の……!?」
「全部口に出てたぞ?」
「〜〜〜〜〜っ!!」

あっ穴があったら入りたい……!
全部聞かれてただなんて、うわあああああ!!!

「だから、私とキスしたいのか?ジュード」
「〜〜〜っもう!キスしたいよ!」

だから、やけくそ気味に叫んだ言葉に。

「うむ。だったらいいぞ」

ミラがすごーくあっさりとした返事を返したことに気がつくまで、たっぷり三秒はかかったのは仕方のないことだったと思う。

「……へ?」
「だから私はいいぞ。いつでもどーんとこい!」

どーんと胸を張って言うことでもないとも思う。

「……ミラ。キスって好き合ってる同士がする、トクベツなことなんだよ。そんな簡単にいいって言っちゃ駄目だって」
「私はジュードのことが好きだぞ。好きな相手がキスしたいと言ったんだ。私から断る理由はない」

だから、そういうことじゃなくて。

「ミラの言ってる好きと、僕の言ってる好きは意味が違うよ」

もちろん、好きって言ってくれて飛び上がりたいくらい嬉しいのだけれど。
でも……何か違うと思うんだ。僕の好きとミラの『好き』は、きっと根本が違う。
分かってない。ミラは、僕がどんな風にミラのことが好きだって分かってない。

「違わない」
「違うよ」

これじゃ堂々巡りだ。
好きだとかそうじゃないとか、子供の喧嘩みたいにむきになってしまう……そんな子供っぽい自分が嫌だった。

「キスしたいと言ったのはジュードなのに、どうして断るのか理解できないぞ」
「そういう大事なことを簡単にあげられちゃう方が問題なの。どうしてミラはそうなの?」
「私にだってちゃんと分かるぞ。ほら、この本にも書いていた」

ミラがあんなに小難しい顔をして読んでいた本が、恋愛小説だったことに思わず意表を突かれた。
呆気にとられる僕の表情に、隙あり、と言わんばかりに距離を詰められる。

「大事なことなのなら、尚更だ。幸い、私も君が相手なら不服はない」

思った以上に間近に迫った瞳とかち合う。

「いや、こう言えばいいのか?……『君だからしたい』」
「っだか……!」

吐き出そうとした息は、途中で塞がれてそのまま行き場を無くしてしまった。
まず、感じたのはどうして声が途中で途切れてしまったのかってこと。
正面を見れば、ふわふわとした金色が目の前に広がっていて、伏せられた長い睫毛がそこにあって――――…。

「〜〜〜!!??」

柔らかいとか、レモン色の味だとか……そういうことを考えるよりも先に、急激にのぼせ上がった世界の温度にクラクラした。
沸騰した意識で、まともな思考を紡ぎ出せるわけもなく。

「どうだっ」

誇らしげに口元を拭うミラを前に、力なくへたり込んでしまった僕を情けないと思うなら、いっそ情けないと罵ってくれていい。思わずそう自虐的になるくらいには打ちひしがれていた。
……いや、確かにキスしたいとは思っていたけど。思っていたけど……!

「?なぜへたり込む」
「初めてだったのに……」

そうだよ。一応、あれでも僕の人生初めてのキスだったんだよ……!
それがあんなにも簡単に奪われてしまうだなんて、と乙女寄りな自分の思考回路にさらに傷つきそうになる。だってミラがピンピンしてるのがおかしい。

「私もだぞ。お揃いだな」

少し照れたようにミラがはにかんだ。
きりりとしているミラがほんのり頬を染めて、小さく笑うのは――――反則だ。こんなのズルすぎる。

「……ミラ」
「んむ?」
「せっかくの初めてだったのに、あんまりよく分からなかったんだ」

怒ったり、悲しんだり。
騒いでみたり、ドキドキしたり。
恋する気持ちは本当にせわしない。

「だから、さ」

ミラのルビーのような瞳が、驚いたように丸くなった。
それがなんだか愛おしくて、嬉しくて。
秘め事をそっと伝える子供みたいに、彼女の耳に口を寄せて伝えてみよう。

「もう一回、キスしてみたいな」






12.09.25執筆
1211.01加筆修正