「案外たくさんあったな」

ホクホク顔のミラの腕には、鍾乳洞で集めてきた素材がいくつも積み上げられていた。
良いものがあるかもしれない、そう言って探索し始めた鍾乳洞はさほど広さはなかった。けれどもその場所に巣食うモンスターがおらず、天敵の存在しない鍾乳洞は魚介系の素材の宝庫となっていた。

「そういえば今って何時だろう?」

だから、つい。
時間を忘れて二人は夢中になってしまったのだ。そして、それ自体は悪いことではない。

「………」
「海面が上昇しているな」
「満ち潮になってる……」

強いて言うならば、問題はこの場所が潮の満ち引きに関係する場所であったということだった。

「浜辺まであんなに距離がある」

がっくりとジュードが大きく肩を落とす。
泳げばなんとかなるかもしれないが、先ほど泳ぎを覚えたばかりのミラには距離があり過ぎる。ということは次の引き潮まで待たなければならないが、基本的に引き潮の周期は12時間単位だ。待っていれば夜中になってしまう。
不幸中の幸いと言えば、この鍾乳洞自体は高さのある場所にあったので、海水が浸入してきていないと言うことくらいか。

「次の引き潮まで待たなくちゃ……はぁ」
「泳げばいいのでは?」
「遠泳に慣れていないミラが、この距離を泳ぐのは危ないよ」
「この期に及んで危険だからという判断で私が止まると思っているのか?」
「思ってないけど……素材、全部流れちゃうよ」
「む」

もっともと言えばもっともなジュードの言葉に、ミラが驚いたように目を瞬かせた。
潮が引いている時は、この辺りまで地続きになっていたので歩いて帰ることが出来る。だが、海面が上昇している今、泳いで帰れば素材は持ち帰れない。
一度素材を置いて、泳いで帰ると言う選択肢もないことはないけれども。

「……素直に待った方がいいんじゃないかな」

無理に危険を冒さなくとも、時間さえかければ確実に安全に帰ることが出来るのだ。
そして今わざわざ危険を冒さなければならない理由は、特にない。

「とりあえず精霊術で皆に無事だってことだけは知らせておこう」


               * * *


「そう言えば、以前こんなことがあったな」

精霊術で起した焚火を、どこか懐かしいものを見るかのようにしてミラは呟いた。
ガンダラ要塞で重傷を負い、足を全く動かせなくなってしまったミラを連れて歩んだサマンガン街道でのことだろう。
あの日の出来事を思い出して、ジュードはほんのりと頬を染めた。

「そう、だね。あの時は本当に大変で……」
「ああ。君は私のために一生懸命頑張ってくれたよ」

雨の匂いがする街道を眺めながら、小さな洞穴の中で焚火を囲んだ。
何にも出来なくなってしまった体を引きずりながら、それでも使命のために前へ進もうとしたミラを放っておくことなんてできなくて、ただただ必死で駆け抜けた日々だった。
あの日、ミラから信頼の証として送られたガラス玉は今もジュードの首元で光っている。

素肌の上に光るガラス玉に、ふと、白い手が添えられた。

「ありがとう、ジュード。君がいたから私は今、こうしていられる」

牡丹色の瞳を細めてミラが柔らかく笑う。
思った以上に近くにあったその笑顔に、ジュードの胸がどきりと高鳴った。

努めて気にしないようにはしていたけれど、そう言えば今のミラは、刺激的な白い水着姿だった。焚火に照らされて浮かび上がる白い肢体は、瑞々しく、今にも齧り付きたくなる。間近にある細い肩や首筋にごくりと喉が鳴るのを自覚して、ジュードは赤面した。

「どうした?ジュード」

そんな青少年の葛藤を知らないミラの方はと言うと、首を傾げてさらにジュードへと近づく。
「動きやすい」という、ただ究極にシンプルな理由だけで、胸と腰を覆う程度の布を衣服として纏うミラは、ほぼ確実に今の自分の格好が世の男性の劣情を誘うのか自覚していないに違いない。

豊満な胸が視界に入り、どうしたらいいのか分からなくなったジュードがじりじりと後退する。
すでにサマンガン街道の時とは違い、ミラへの想いをはっきりと自覚しているのだ。刺激的すぎる彼女の接近は甘い毒のようだった。

「なぜ離れる?」
「み、ミラ。ちょっと近すぎないかな?」
「君が離れていくからだろう?」

じりじり、じりじり。
近づくミラと、距離を取ろうとするジュードの攻防戦が続く。
勝敗は実にあっさりと着いた。
そもそも狭い鍾乳洞の中で背後も確かめずに後ずされば、壁へと行き着くのは自然の道理だ。

「ミ…ラ……」
「フフフ、追いつめたぞ……」

そういってわきわきと手を動かすミラの表情はとても楽しそうだ。
とてつもない身の危険を感じながらも逃げ切ることのできない現状に、ジュードが冷や汗を流す。そんな彼を見ながら、ミラはふと気が付いたように言葉を漏らした。

「ところでなぜ私は君を追いかけたのだろう?」
「……僕に言われても」

本気で首を傾げているミラの姿に、ジュードは深い息とともに肩を落とした。
だから、ミラが次に発した言葉が。

「うむ。よく分からないが、とりあえず観念しろ、ジュード」

予想の斜め上をいったことに対応しきれなかったのは、仕方のないことだった。

「うわっ!!?」

襲いかかったミラが、ジュードの上に圧し掛かる。
素肌の上に直に体温が触れる感触がして、瞬間、ジュードの頭は沸騰した。

「サマンガン街道の時と似たような状況だが、大きく異なる点が一つある」

ふむ、と満足げなのはミラの方だ。

「私の足が動けるようになっていることだ。……これも君のおかげだな」

いつだって傍で支えてくれていた黒髪の少年を見下ろして、ミラが笑う。

「ん?ジュード?」

ところが、いつまで待っても彼の反応がない。
驚いたり、慌てていたり。なんだかそういう場面に遭遇することが多くなったけれど、いつだって傍にいれば暖かな気持ちになれる少年の方はと言うと。

「おーい、ジュード?ジュード!?」

あまりに刺激的な質量が目の前に現れたのを自覚したと同時に、(鼻から)血を流して意識を失っていたのだった。


               * * *


「四大と離れた期間が長かったのでな。ウンディーネの力を乞えばよかったのだと気がつくのに時間がかかってしまった」

そう言ってはははと笑うミラの顔は朗らかだ。

「もう、ホント心配したんだからね!」
「ミラもジュードも無事で良かったです」
「……ジュード君は無事とは言い難いけどな」
「いやあ、本当にご愁傷様です」

意識を失ってしまったジュードを四大の力を借りて運べばいいのだと言うことにミラが気が付いたのが、およそ一時間前。ウンディーネの力で海に囲まれた鍾乳洞から素材ごと脱出して、ミラは無事、仲間と合流することを果たしていた。

連絡をとってはいたものの、海の上に取り残された二人を心配したレイアとエリーゼが胸を撫で下ろす傍らで、未だうなされ続けるジュードを気の毒に見下ろしたのは残る男性二名だ。
『狭い空間の中で、しかもミラと、いつも以上に高い露出を晒した状態で』二人っきりになって、ジュードが平静でいられるわけがないということは、二人にとっては容易に想像のつくことだったらしい。

「男になるまでにはまだちーっとばかし早い、か」
「ほっほっほ、何はともあれ、ご無事のようで良かったです」

全然良くないよ、と起きていたなら言っていたであろうジュードを置いて、キジル海瀑の日が落ちてゆく。
普段とは違う波打ち際のミラと密月を過ごすには、まだまだ経験も度胸も足りないジュード君だった。





12.10.06執筆