今までミラは四大の力を頼りに生きてきた。
そのため、食事も、戦いも、運動も――――もちろん水泳だって経験したことがなかった。つまり泳ぎが達者なレイアやアルヴィンと同じような感覚で海に入ろうものならば。

「がぼがぼがぼ」
「うわっ!ミラ!?」
「泳げないのに勢いよく飛び込むなって」
「……っぷは!すまない、アルヴィン」

背丈のあるアルヴィンが、さっそく溺れかけたミラの腕をとって引き上げる。

「うう、鼻がつーんとするぞ。これはなんとも言えない感覚だ」
「その程度ですんだことに感謝するんだな。なんだっておたく、あんなに勢いよく飛び込んだんだ」
「今の私にならできるかと……」
「なにをどういう基準でそんな結論になったか問い質していいか?」
「うう、すまない……」

珍しくミラがしゅんと萎れる。
そんな姿に、驚いたように口元に手を当てたのはレイアだった。

「ほんとに初めてだったんだね……」
「とりあえずミラさんとエリーゼさんは泳ぎの基本から始めた方が良さそうですね」

すかさず入ったローエンのフォローに、この場にいた誰もが頷いたのは当然の結末だったと言えよう。

「それではエリーゼさんは私が。ミラさんは……ジュードさん、お願いしてよろしいですかな?」
「ジュードは海で素潜りしてるんじゃ……っているし!?」
「うん」

驚くアルヴィンとは対照的に、複雑そうな顔をしているジュードに対して微笑んで、ローエンは言葉を続けた。

「大したことにはなっていないのです。ですから、そんな顔をしてはいけませんよ」
「でも、僕、ミラが泳げないこと知っていたはずなのに……」
「これから教えて差し上げればいいのです」

そう言って、ローエンはにかりと笑う。
「ですから、ほら」

背中を押されて、ミラの傍までジュードは歩み寄る。
先ほどのローエンとジュードのやりとりは聞こえていなかったのか、ミラは嬉しそうに立ち上がった。

「ジュード!海はしょっぱくて鼻がつーんとするな。だが、これもなかなかに興味深い」
「……ふふっ、ミラったら」
「ん?どうしたんだ、ジュード」
「何でもないよ。ほら、せっかくだから泳げるように練習しよう」
「おお、特訓だな。よろしく頼むよ」

そう言って、ミラがジュードのてのひらを握る。
それに驚いたように目を見張ったのはジュードの方だ。けれどすぐに顔を綻ばせて、若葉マークのミラを海へと誘った。


               * * *


「ずいぶん様になってきたね」
「うむ。ヒトの体は不思議なものだ。こうやって自然と浮力で浮き上がるようになっている」

全身の力を抜いたミラが、水の上にぷかりと浮かび上がる。
最初は体の力が抜けずうまく浮かび上がることが出来なかったが、段々と要領を掴んできたらしい。

「プールより海の方が体は浮きやすいからね。初めての練習場所にしてはもってこいだったんじゃないかな?」
「そういうものなのか?」
「アルキメデスの原理って言ってね。……例えば満タンにお湯を張ったお風呂の中に僕が入ったとする。そうするとお湯は溢れるよね?」
「ああ」
「その溢れたお湯の体積分、僕に対してお風呂の中で『浮力』が生まれるんだ」

ふむ、と興味深そうに首を傾げたミラに微笑んで、ジュードは言葉を続ける。

「じゃあ今度は海に置き換えて考えてみるね。海がしょっぱいのは塩分を含んでいるからなんだ」
「塩とは料理に使うもののことか?」
「その通り」

楽しそうにジュードが指を振る。

「塩を含んだ海水は、普通の水よりも重たいんだ。僕が海に入れば、普通の水を使ったお風呂よりも、大きな『浮力』が働くわけ」
「同じ体積をもった人間が、同じ体積の水を押しのけることは変わらないが、その重さが変わってくるのだな」
「うん。そういうこと」

ジュードの言葉の本質を正しく飲み込んで、自分の言葉に置き換えるミラは流石だった。
変な先入観がないだけに、彼女はそういうところの回転はとても速い。教えがいのある生徒にくすりと笑みを漏らすと、ジュードは海面に浮かぶミラに話しかけた。

「だから力を抜いて、手と足さえ動かせばどうにかなるってこと」
「うむ。ジュードの教えてくれた犬かきとはなかなか楽しいものだな!」

そうして手足をばしゃばしゃと動かすミラの移動スピードは、すでに普通の犬かきよりも随分と早い。
クロールから入ってもよかったかなーと遠い目をするジュードを尻目に、ミラの方は高速犬かきでどんどん先へ進んでゆく。

「ジュード!」
「どうしたの、ミラ?」
「鍾乳洞がある」

ぱたぱたと手を振るミラは、すでに海面から体を引き上げて例の鍾乳洞を覗き込んでいた。

「……開発に使える良い素材があるかもしれない」

その言葉に、二人の物語の主人公はゴクリと喉を鳴らす。
何かと入り用なこのご時世、旅を続けるにあたって、二人はすっかり『素材』という言葉には敏感になってしまっていた。

「……少し見に行ってみるか」
「しょうがないよね」

何がしょうがないのか言ってみろ、と突っ込む人間はここには誰もいない。
そんなわけで鍾乳洞を見つけてしまった二人の主人公が薄暗いその道を、いつものように進んでしまったのが今回の騒動の発端だった。





12.10.03執筆