「鳳墜拳!」
「カタラクトレイ!」
「カタラクトブレード!」
――――振り下ろされた光の剣が、弾ける。
「確かに大精霊クラスの力だったな」
「これが源霊匣<オリジン>の力……」
「ジランドの野望もこれで終わりだ」
「ぐふっ」
ジランドが体をくの字に折り曲げて、地面に伏した。もはや彼に立ち上がる力は残っていない。付き従っていたセルシウスもまた、ジランド以上に傷つき、精霊として姿を保つことすら危うくなっていた。
20年に渡る長いリーゼ・マクシアでの生活の中でようやく権力の光を見出したジランドは、その輝きが潰えるのを諦めきれない様子で声を絞り出す。
「ようやく源霊匣を生み出せたってのに……くそ……」
「あんたの目的はせいぜい向こうのやつらに恩売って、のし上がるためだろう。源霊匣とやらになんの意味があるっていうんだ」
ずっと、俺はこの人に。
幼い頃からアルヴィンはジランドとの関わりを断ち切ることはできなかった。スヴェント家の嫡子と分家の主。ただ生まれが違っただけで、当主にはなれぬと抑圧され続けたジランドにとって、一人ぼっちになってしまった幼いアルヴィンは格好の標的だった。
憎んでも憎みきれない叔父。
権力に執念を燃やしたジランドが地面に伏しているのを、アルヴィンは冷ややかな眼差しで見つめていた。
「源霊匣は黒匣<ジン>とは違い、精霊を消費せずに強大な力を使役できる。だから、人と技術に溢れた、エレンピオスには必要なんだよ」
「どういうこと……?」
顔を上げたジランドの瞳には、狂気はない。
もしかすると自身の最期を悟ったのかもしれない。ジランドは静かに、手にした力の意味を語りだした。
「エレンピオスは精霊が減少したせいで……マナが枯渇し、消えていく運命の世界だ」
セルシウスを従えていた源霊匣から冷気が吹き出す。ジランドの手に握り締められていたそれは、やがて装置ごと冷気の中に消えていった。
「異界炉計画にそのような意味があったとは……」
「そんなの黒匣を使い続けたあなたたちの自業自得じゃない……」
だからといってリーゼ・マクシアの人を燃料にしていいわけじゃない。
ジランドを見下ろしながら、隠しきれない怒りを滲ませてレイアが言う。
「源霊匣が広まれば、エレンピオス人もマナを得られる」
「今さら何を……」
そのジランドの言葉の真意を測りかねて、ミラが訊ねた。
「二千年前、黒匣に頼る道を選んだのはお前たちだ」
「俺じゃねえ!」
吐き出された言葉の剣幕に、その場にいる誰もが声を無くした。
ジランドが生きてきた社会をジュードたちは知らない。知らないからこそ、誰もがジランドの強い言葉に返す言葉を持ち得なかった。
確かにリーゼ・マクシア人からしたら、自分たちを、住処を燃料に代えられるだなんてたまった話じゃない。
けれど、他国を侵略しなければ成り立たなくなるほど追い詰められた場所で生きる人たちがいる世界のことを、今まで考えたことはあったのだろうか?
「がああ……!」
強大すぎる力の代償は、ついにジランドの全身を覆う。
大精霊を意のままに操る源霊匣を失ったジランドは、その反動で全身のマナを暴走させていた。元々エレンピオス人に霊野力<ゲート>は存在しない。体内で荒れ狂うマナを制御する術を持たないジランドは、黒い光に包まれたまま、のたうち回った。
「おい、大丈夫か!?」
胸を掻き毟るジランドに、アルヴィンが反射的に駆け寄る。
「俺が死んでもリーゼ・マクシアの運命は変わりはしねえ!」
アルヴィンに告げているのか、はたまたそれはマクスウェルに向けられたものだったのか。
すでに焦点の定まらない瞳で、それでもジランドは執念で言葉を続けた。
「お、俺たちの計画は断界殻<シェル>がある限り、続けられるぞ……ザマぁみやがれ」
力なく横たわったセルシウスの体が、ふわりと宙に浮き、白い光に包まれてゆく。
「ぐ、ぐああぁぁぁぁ―――――!」
それが合図だったかのように、ジランドは今度こそ断末魔の悲鳴を上げて仰向けに倒れ込んだ。
クルスニクの槍という巨大な夢を前に、生まれ育った故郷で出世するという野心に呑まれた男の一生はついに幕を閉じたのだ。
「死んじゃった……??」
「セルシウスを使った反動が出たのかもしれません」
「力を得るためとはいえ……高い代償だ」
噛み締めるように、ミラが瞳を閉じる。
ようやく倒すべき敵を倒した――――…そうだというのに、この胸に広がる虚しさは一体何だ。飲み込んだ言葉は、恐らくミラだけのものではない。
「これは返してもらうぜ」
ジランドの亡骸から、アルヴィンが金色に輝く銃を手にした。
「ジランドール・ユル・スヴェント。……叔父さん」
振り返ったのは誰だったか。
開かれた瞳孔をそのままにするのも忍びない。あの世への長い旅路へ向かった叔父の瞼を、アルヴィンは複雑な感情を滲ませて下ろしてやった。
ギイィ、バタン。
扉の開かれる音と共に、黒と赤の装束に身を包んだガイアスが四象刃を引き連れて現れた。崩れ落ちたジランドの体と、立ち尽くす一行の姿に勝敗を悟ったのだろう。表情を変えぬまま、ガイアスはミラに向かって確認するように告げる。
「すでに決していたか」
「一足先にな」
「でもなんだか、これじゃ……」
そんなミラの言葉に続くように、ジュードが亡骸を見つめる。すでにジランドは言葉を失ってしまった。それでも彼の遺した言葉の意味は重く、ジュードの価値観に一石投じたのもまた事実だった。
「リーゼ・マクシアのためにもアルクノアの野望は挫かなければならないんだ」
迷いを振り切れないジュードとは対照的に、ミラはすでに前を見ていた。
ミラ=マクスウェルはリーゼ・マクシアを守る存在。そのためには――――断界殻を破る力を持つクルスニクの槍は破壊しなればならない。
一人の亡骸を越えて、ミラはクルスニクの槍の動力部へと近づいてゆく。
その力を欲したガイアスは何も言わなかった。すでにジランドとの決着が付けた今、権利はミラの手の中にある。生真面目な彼らしく、そう思っていたのかもしれない。
閉じられたハッチの傍で腰を下ろしたミラが封を解いた。
手のひらで円を描き、水平に開く。宙に浮かんだ陣を今度は垂直に引き伸ばしてゆく。
四元精来還<しげんせいらいかん>の陣によって、今、地水火風を司る四大精霊を呼び出しているのだ。
火の精霊、イフリート。
水の精霊、ウンディーネ。
風の精霊、シルフ。
地の精霊、ノーム。
クルスニクの槍という戒めから解放された四大精霊は、ミラの召喚によって再びその姿を取り戻したのだった。
「お前たち、無事で嬉しいぞ」
表情を緩めたのも束の間、ミラは再び厳しい瞳で巨大な装置を見据える。
「マクスウェル」
兵器を破壊せんと歩んでゆくミラの名を呼んだのはガイアスだった。
「こればかりはお前でも邪魔はさせない。破壊する」
ミラが手のひらを振り上げる。
その動きに合わせるかのように、四大精霊がクルスニクの槍の真正面へと飛び交った。マクスウェルとしての真の力が解放される――――…まさにミラが装置を見据えたその瞬間、ギギギという不吉な音が頭上から降ってきた。
ドン、と抗いきれない負荷がその場にいる全員の体に伸しかかる。
「なんだこの術は……!」
「お、押しつぶされちゃいます!」
「ジランドの罠……!?」
まるで巨人の手のひらに押しつぶさているかのように、体が地面へと沈んでゆく。
全てが終わったと安堵したその隙を狙われた。完全に無防備だった一行は、突然の事態に目を白黒させて首謀者を探る。
「ババア!てめえの術はどうした!」
「あ、ああん!桁が違いすぎるわ」
術師は相当の実力の持ち主。
それが分かれども、術師の正体も意図も分からない。いや、目的だけは察することができる。
地面に這いつくばったジュードは、ともすればパニックに陥ってしまうような状況下でも思考した。
……敵は僕たち全員、一人残らず消してしまおうとしている。
それも突発的に起こした行動ではない。全員が安堵しきっているこのタイミングを狙って、意図的に術を作動させたのだ。
それが分かったからといって、事態が好転するわけでもない。思わず暗くなりそうな視界の中で、唸り声と共に負荷の中から立ち上がる姿があった。
「この程度の術、破ってみせる」
「破る……」
誰もが膝を付くような状況の中で不屈の精神を見せたのは、やはりガイアスだった。
抗うことでどれほどの痛みを伴うのだろうか。考えるだけでも気の遠くなるようなことでも、ガイアスは一歩も引かなかった。
その言葉の中に見逃せないものがあったような気がして、ジュードは必死に思考する。
これは……そう、術だ。プレザが破れないほど桁違いで強大な術。
そして、それを破るとするなら――――…!
「そうだ。クルスニクの槍を使うんだよ。あれは術を打ち消す装置なんだっ!」
「槍、か……」
ジュードの言葉に真っ先に反応したのはミラだった。
現時点で最もクルスニクの槍に近い位置にいるのはミラだ。行動を起こすなら彼女に懸かっている。
「けど、もうマナが残ってないんじゃ……」
四大を開放してしまったがために、クルスニクの槍の力は失われているはずだ。目の前の装置を前に、レイアが絶望的な声を上げた。
「……ここにいる全員がマナを振り絞って槍に注ぎ込めばあるいは……」
「ア、アハハ!あれに自分から力をあげるって?」
「命懸けか……」
「だがやらねば……いずれにせよ終わりだ」
死ぬか、もしくはマナを吸い上げられてでも、辛うじて生き延びるチャンスを得るか。
それでも、それ以外に道はない。
「はあああっ!」
クルスニクの槍を目前にして、叫ぶようにミラが這い上がってゆく。
「くそっ!とっととしやがれ!」
「あぁん……もうダメ……」
悲鳴をその背に受けながら、それでもミラは一歩、また一歩とクルスニクの槍へと近づいていった。
「マクスウェル……槍を起動させろ」
「ミラ……」
ミラの手のひらが、ついに装置までたどり着いた。その後ろ姿に、デジャヴを感じてジュードは思わず彼女の名を呼んだ。
……この違和感は何だろう。嫌な……胸騒ぎがするような………?
「わざわざみなが死ぬ危険を冒す必要はない」
荒い呼吸と共に一度も振り返ることもなく、ミラは言った。
「ミラ?」
その言葉は一体何を意味しているのか。
瞬間、弾かれるようにしてジュードは顔を上げた。
金色の髪のその人は、たった一人で装置の前に立っている。そうだ。デッキでなにか告げようとしたあの時と同じなんだ――――…!
ミラが振り返って、ジュードを見た。
その瞳に驚く程柔らかい光が宿っていることに気が付いた時、ジュードはミラの想いを悟った。いや、悟ってしまったといってもいいかもしれない。
「ダメだ……ダメだよミラ!」
呼吸が苦しい。
先程まで冷静に分析できたはずの頭の中が、ぐちゃぐちゃに乱れていく。
まさか……まさかミラは………っ!!
強大な負荷に耐え切れなかったのは人だけではない。ジルニトラ号自体も、本来ありうるはずのない負荷に包まれて悲鳴を上げていた。ホールの基盤となる床に巨大な亀裂が走る。
「なぜだ。あんたはその手で世界を……人々を守るんじゃないのか?」
ミラの意図を悟ったアルヴィンが確かめるように叫んだ。
「まだなすべきことってのが残ってるだろう!」
「断界殻が消えれば……アルクノアの計画は完全に潰える。そうだろう?」
「お前…………」
故郷に帰りたい。ただ、その想いから始まった組織だった。それが狂ってしまったのは、一体いつからだったのだろう?
ジランドの言葉は、ある意味でマクスウェルの心さえも動かしたのかもしれない。
いつか、誰かが。どこかで苦しみ続ける人がいる限り、マクスウェルの首は狙われ続ける。それならば、いっそのこと。……もしかしたらミラは、そう考えたのかもしれない。
「ミラ!」
悲鳴のような声を上げたのはジュードだった。
「僕は……ミラが勝っても……いなくなっちゃうんじゃ……!」
全身を襲う負荷に抗って立ち上がる。その背中に追いすがろうとした腕を、アルヴィンが掴んだ。
「やめろ……」
「なに言ってるんだよ、アルヴィン!離してよ……本当にミラが死んじゃう!」
死に物狂いで抵抗するジュードの腕を、それでもアルヴィンは離さない。
動くこともままならない非力な自分が許せなくて、ジュードは激しく床を叩いた。手のひらに鈍い痛みが広がってゆくけれど、そんなことすらどうだっていい。
あのままミラに任せたら、取り返しのつかないことになってしまう。……ミラのいない世界なんて考えたくもなかった。
「ミラ、ミラ!!」
いつだって太陽みたいに輝いていたミラ。
僕の作ったご飯を一生懸命食べてくれたミラ。
使命のために真っ直ぐに進んでいくミラ。
怒った顔。困った顔。真剣そうな顔。はにかんだ顔。
キスしたとき、照れくさそうに笑ってくれた。
好きだと言ってくれた。
ずっと一緒にいたいって思った。共に生きていたいって言ってくれた。
ミラ……ミラ……!!
ぱちん、とミラがクルスニクの槍を起動した。
「やだ、ミラ……」
悲鳴のようなレイアの声が漏れる。
「奪えるものなら奪えって言ったのは……ミラじゃない………っ!!」
なのに、ミラがいなくなっちゃったら……わたし……!!
信じられないものを見るかのようにレイアが見上げる。その言葉の意味が分かるミラは、すでに台座の上だ。
「うっ……」
「ダメー!!」
ぺちゃんこに潰れたティポでさえも、ミラのやろうとしていることに必死で抵抗の声を上げていた。
「ミラさん……」
「……くっ」
激しく抵抗するジュードを押さえつけるため、アルヴィンは手のひらを離さない。ぎゅっと瞼を閉じて、何かを祈るように時を待っていた。
「ダメだよ……」
ぽつりと零すような言葉が聞こえたような気がして、アルヴィンは弾かれたように顔を向けた。
「ミラ……」
動きを押さえ込まれ、それでもジュードは諦めなかった。
すがるような瞳で台座を見上げたジュードは、必死でミラに説得を試みる。
「ミラがいなくなったら僕は……」
「そんな顔をするな……」
振り返ったミラの瞳には、すでにいつもの覚悟の光が灯っていた。
――――届かない。こうなったミラは誰が何を言ったって聞かないんだ。そして、そういうミラのことが、僕は好きになっていたんだ。
「……っ…」
違うッ!!
確かにきっかけは、それだったのかもしれない。でも僕は……僕が好きになったのは……マクスウェルとしてのミラだけじゃない!
食い意地が張ってて、
世間知らずで、
ちょっと天然で、
笑うと可愛くて、
どんなことでも一生懸命なミラが……
そんななミラのことが――――…!!
「一緒に生きようよ、ミラ……!!」
「……すまない、ジュード。私ではその願いを叶えてやることができなかったようだ」
困ったようにミラが笑う。
……違う、そんな顔をさせたかったわけじゃないのに……っ!
「レイア、後のことは頼んだ」
「……っ…!!」
驚いたようにレイアがミラを見つめていた。
そんな彼女を見て、もう一度ミラはジュードを見る。今度こそ、その瞳に揺ぎのない覚悟の光を灯して。
「さらばだ、ジュード」
背中を向けたミラが、クルスニクの槍を前に対峙する。
「はああああああ!」
掛け声とともに迸ったのはマナの力だ。地水火風の四大精霊と合わせて解放された強大なマナに、クルスニクの槍が反応する。
「……ミ」
エネルギーが装填されたクルスニクの槍が、砲台から眩い光を放つ。
視界を黄色く染める巨大な光は、彼女の髪の色と同じ色をしていた。
「ミラ――――――っ!!!!」





――――風が吹いていた。
クルスニクの槍から発射された光線によって、ジルニトラの天井部には巨大な穴が空いている。そこから流れ込む潮風に吹かれて、ジュードは意識を覚醒させた。
……ミラっ!!
瞬間的に彼女のことが脳裏によぎり、這いつくばっていた体を起こして台座を見上げる。
果たしてそこには、金色の髪を揺らした彼女が立っていた。
「ミラっ!!」
彼女は、一歩も動かない。
妙な静けさが漂う中、反射的にジュードは駆け寄ろうとして………不自然にミラの体が横へ倒れてゆくのを、確かに見た。
あんな受身の取れない倒れ方をしたら――――…つまりは、そういうことだ。頭の中で妙に冷静な部分がそんなことを考える。
必死で考えなかったことにして、ジュードは駆け出そうとした。瞬間、まるでジュードとミラの二人を切り裂くかのように、ジルニトラ号の天井からガラスの破片が降り注ぐ。
焦点を定めず発射されたクルスニクの槍によって、ジルニトラ号は沈みゆく運命となっていたのだ。
ふわり、とまるで夢みたいに金色の髪が揺れていた。
「ミラァっ!」
叫ぶジュードのすぐ傍に、巨大な破片が落ちてくる。
思わず頭を庇えば、続けざまに破片がホールへと突き刺さった。
このままだと危ない!慌てて顔を上げたその瞬間、ドオオン、と巨大な音と共に大きな破片が『槍の台座』を貫いた。
―――――あそこにいたのは。
うまく呼吸ができなくて、言葉にならない声が零れ落ちる。目の前に広がった光景が信じられなくて必死に手のひらを伸ばした。
その手で掴んだのは、冷たいガラスの側面だ。
「ミラぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!」
届いて欲しい。
届かない。
黒煙を上げるジルニトラ号から「脱出しよう」と誰かが言った。その言葉すら、よく聞き取れない。
ミラを助けなきゃ――――!
だってミラが、まだあそこに……!!
「ジュード!」
白い手のひらがジュードの手を握り締めた。腕はか弱くとも力強いその意思に引っ張られるままジルニトラ号から脱出したことを、ジュードは夢の世界の出来ごとのように受け止めていた。



To be continued…





13.01.12執筆