『……好きだよ。ずっと、ずっと好きだった!』
煌くエメラルドの瞳に大粒の雫を浮かべて、レイアは言った。
『………なんでぇ』
縋り付くように伸ばされた手のひらが痛いほどに食い込む。それほどまでに、レイアは必死だった。
涙と鼻水でクシャクシャになった顔で絞り出すように告げられた言葉の意味を、私はその時になってようやく理解したのだ。
『なんでわたしじゃなくてミラなの……』
レイアはジュードのことが好きだった。
それは単なる幼馴染としての感情ではなく、男女の――――将来夫婦となり、共に在りたいという純粋な願いだった。
思えばレイアは、その願いを何度も口にしていたはずだ。
こっそり無断で船に乗り込んで、なんとしてでも付いて行くとメモを突き付けた時。ノール灼洞で看護師になりたいと告げた時。
恐らくこの旅に同行したいのだと申し出たその時から、彼女なりにジュードのそばに居たくて必死だったのだろう。
『ミラが……ミラじゃなかったら………こんなに辛くなかったのに……』
私はここにいるレイアの一番大切なものを奪ってしまった。
そうだというのに、レイアは自責の念と恋心に振り回されて苦しみ続けている。もっと言いたいこともあっただろう。それなのにレイアは、ミラ=マクスウェルという存在を憎みきれずにいた。
――――それは、リーゼ・マクシアを守るという使命を持ったミラ=マクスウェルの存在に憧れたから?
レイアは優しい。
だからこそその優しさで自分自身を傷つけてしまうのだと気がついた時、ミラはジュードが好きだと言った『ミラ=マクスウェル』を演じることを決めた。
使命を第一として生きるその姿を、好きだと言ってくれたジュードに応えるために。
私は、ミラ=マクスウェル。
リーゼ・マクシアを守る精霊、マクスウェルなのだ。
たとえその存在の真偽が不確かなものだとしても、この意思だけは守り通さなければならない。





元は豪華客船だったというジルニトラで、そのホールは明らかに異質だった。
中央に鎮座するのは無骨で巨大な機械の塊だ。足元の透き通るタイルから覗く、四つの核からエネルギーを吸い上げ、地響きにも似た不吉な音を立てている。
『クルスニクの槍』――――…そう名付けられた兵器は今、精霊からマナを貪り喰い、その力を発揮しようとしていた。
『クルスニクの槍』を安置した台座の下。階段に直接腰を下ろした一人の男が、複数の足音に気がついて顔を上げる。
「ご苦労なこった」
青いコートに身を包み、鋭い眼光を隠そうともせず……その男、ジランドは唇を歪めて笑う。
「わざわざ……マクスウェルを連れて来てくれるなんてな」
真正面に経つのは、金の髪を揺らしたミラ=マクスウェルだ。
敵の首領を前にしてミラは一歩も動じることなく、厳しい視線をジランドへ送った。
「アルフレド・ヴィント・スヴェント。裏切った理由を聞かせてもらおうか」
眉一つ動かさないミラの姿が面白くなかったのか、ジランドは矛先をミラの後ろにいる青年へと変えた。
「簡単だよ。あんたが昔から大嫌いだっただけだ」
向けられた視線に、真正面から挑み返したアルヴィンが吐き捨てるように宣言する。その言葉に滲む積年の複雑な感情の中に、決別の意志を見つけたジランドは、閉じた瞼を押し上げて憎むべきスヴェント家の嫡子を睨み返した。
「一生、リーゼ・マクシアで過ごす覚悟ができたようだな」
「関係ねえだろ」
「くくく」
払った腕の軌跡をなぞるように、幾つもの青い紋章が宙に浮かび上がる。
息を飲んだのは誰だったか。
瞬間、ナハティガルを屠った時と同じ氷の槍が、暴風雨のように吹き荒れた。
「なっ……どうやった!?」
「微精霊の消滅は感じていない!どういうことだ??」
黒匣を使った形跡もなく、かと言って精霊術でもない。では、これは一体なんの力だ?
転がるようにして氷の攻撃を避けたミラが驚きの声を上げる。
「ジランドォ!」
反撃とばかりに、アルヴィンが銃を打ち抜いた。
ドォン、ドォン。続けざまに鳴り響いた銃声は、突如として出現した氷の壁に阻まれ、ジランドまで届かない。
そして、氷の壁に映り込んだのは――――名を知られることのない精霊の姿。
「また、あの精霊さんっ!」
息を飲んだ一同の隙を、精霊は見逃さなかった。
発現させた氷の壁を薙ぎ払う。その衝撃で飛び散った氷の破片から仲間を守るため、ミラが立ちふさがった。
指先から放たれたシールドが、飛び散った氷の破片を受け止める。精霊同士の衝突は一瞬の出来事だった。
「あなたがマクスウェルとはな。ずいぶん姿を変えたな」
その会遇に、氷の精霊は少し意外そうに言葉を漏らす。
パチン、と乾いた音が響いた。
「俺の許可なく、口を動かすな」
「はい、マスター」
ジランドが打った手のひらが、精霊の頬を強く打つ。まるで精霊を自身の所有物のように扱うジランドの暴虐無人な振る舞いに、こらえきれないようにレイアが声を上げた。
「ひどい……どうしてそんな人に従ってるの?」
「道具は主人に仕えるのが当然だろう?」
「精霊と人は一緒に生きていくものでしょ!それを道具だなんて!」
まるで自分のことのようにして、憤りをジランドへとぶつける。そんなレイアの姿を、ミラは思わず息を飲んで見つめた。
「こいつは精霊だが、ただの精霊とは少々違う」
馴れ馴れしく精霊の頭に手を置いたジランドは、にやりと顔を歪めて笑った。まるで何も知らない一行を嘲るように。
「こいつは、源霊匣<オリジン>だ」
「源霊匣……?」
「増霊極<ブースター>を使い、精霊の化石に眠っていたセルシウスを再現した。こいつは、精霊術自体が形をなした存在だ」
「源霊匣のマナをお前自身が術として使ってるのか!?」
「くくくく、だから道具だってんだ。納得したか?」
もしジランドの話が真実だとしたら、その源霊匣は恐るべき脅威だ。霊野力<ゲート>がなくても精霊を従え、術を使役することができる。それも大精霊クラスの力だ。
人では持て余すその強大な力を前に、しかしレイアは怯まなかった。それどころか激しい憤りを、ジランドにぶつけるようにして放つ。
「あなた、最っ低!」
「ティポのデータを盗ったのは、このためだったんですか!?」
「お嬢さん。あんたには感謝してるぜ」
震える唇で問いただしたエリーゼへ、ジランドは含み笑いを隠しきれない様子で告げた。
「源霊匣が生まれたのも、リーゼ・マクシアが燃料になったのもそいつのデータのおかげなんだからよ。なんだ、嬉しくて泣きそうか?」
「………っ…!…」
「あなたという人は!」
「指揮者<コンダクター>。ジジイの出る幕はもうないぜ?それとも踊り足りないのか?」
「ええ。ジジイはしぶといのが売りですので」
エリーゼの想いを踏み躙るかのようなジランドに、いつも通りの飄々とした口調で……けれど確かな怒りを滲ませて、ローエンは剣を鞘から抜き取った。
「我が友を弄んだこと、決して許しません」
「僕たちは負けない!絶対!」
ローエンだけじゃない。
仲間の想いを、リーゼ・マクシアを脅かすジランドに、ジュードもまた怒りを隠しきれない様子で拳を握り締める。
「ふん。なんの力も野望もないくせにのぼせ上がってるてめえを見てるとムカついてヘドがでるぜ。場違いなガキが!」
「あなたみたいな人が、力とか野望とか口にしないでよ!僕は、あなたが間違ってるのを知ってる!」
「もはやお前などと語る口はもっていないが……。最後に一つだけ問おう」
そうして、ジュードの言葉を引き継ぐようにしてミラは続けた。
涼やかな声の中に、確かな決意を滲ませて。
「お前とジュードやレイアたちの違いがわかるか?」
「ハッ!知るかよ」
「だろうな」
瞼を開いたミラの瞳には、倒すべき敵としてジランドが映し出される。
鞘から振り抜いた剣が、『クルスニクの槍』の光を反射して煌めいた。
「だからお前は愚かものなのだ」
キュイイイン、と甲高い機械音が鳴り響いた。
「そろそろ、マナの定期搾取のお時間だ。マクスウェル、お前だけは生かしてやる。だが……」
拳銃に弾丸を装填したジランドが、その銃口をミラへと向けて声を荒げた。
「他は皆殺しだ!」
突き付けられた銃口に臆しもせず、ミラは高らかに宣言する。そして、そんなミラの姿に続くようにしてジュードもまた拳を握り締めた。
「リーゼ・マクシアの精霊と人は私が守る!」
「ジランド、僕はお前を許さない!」
パァン、と放たれた銃声はどちらのものだったか。
張り詰めた空気はその音ともに弾け、乱戦の幕開けとなった。
「カタをつけてやるぜ、ガキども!」
「こっちもそのつもりだぜ、ジランド!」
振るった腕の軌跡をなぞるようにして、再び青い紋章が浮かび上がる。構えるのは拳銃。付き従えるのは大精霊であるセルシウスだ。
「マスターはやらせません」
「どけ、セルシウス!」
飛び交う氷の槍から身を交わしながら、ミラが距離を詰める。
ミラの振るった剣先を舞うようにしてセルシウスが避けた。――――彼女の動きはジュードの動きに通ずるものがある。氷の精霊術に加えて、武術も嗜んでいるようだ。
「気をつけて、ミラ!」
「セルシウスさんは、ただ者ではありませんよ」
最前線に躍り出たジュードが、ミラの動きに合わせて拳を突き出した。その向こう側で、アルヴィンと対峙するジランドが狂気に満ちた声で嘲笑う。
「俺が完成させた究極の力だ。その威力を味わって死ぬがいい!」
リーゼ・マクシアの命運をかけた戦いの火蓋は、こうして切って落とされた。



To be continued…





13.01.09執筆