わたしの将来の夢は、看護師になること。

きっとジュードは、大<おお>先生みたいなお医者さまになる。だからそんな日が来た時には、傍で支えてあげられたらなって、ただ漠然と思っていた。
治療院で看護師見習いを始めたのも、そういう思いがあったからだ。
いつかジュードと二人で。
小さな時からずっと一緒だったジュードは、幼馴染である以上に、わたしにとっては特別な存在だった。そして、ジュードにとってもわたしは一番身近な女の子だって何の疑いもなく思ってた。――――…ジュードが怪我をしたミラを背負ってル・ロンドまで帰ってくるまでは。
はじめてミラを見た時、なんて綺麗な女の人なんだろうって思った。
キラキラした金色の髪。
透き通るような白い肌。
はっきりとした華やかな顔立ち。
そのどれもが、わたしにはないものだ。そして、そんな綺麗な女の人に向けるジュードの視線は、わたしが見たことのないもので。
ジュードのことを好きになったのは、わたしの方が先なのに!
わたし、ジュードの傍で看護師したいんだよって伝えたはずなのに!
人を好きなること。そこにあった時間なんて、本当は関係ないことだって頭では分かってる。でも、ジュードのことが好きなわたしはぐるぐる〜って考えちゃうんだよ。
自分のやらなきゃいけないこと、真っ直ぐに進もうとするミラの強さに敵いっこないことだって分かってる。ミラには嫌味がなくて、素直に尊敬できる人なんだってことも。
それでも、それでもやっぱり……わたしはジュードのことが好きだった。
ジュードの一番になりたかった。
ジュードとミラがキスしているのさえ見なければ、こんな汚いわたしなんて知らないままでいられたのかな。……ううん、そんなことない。ジュードがミラに惹かれていたのは、誰の目から見ても間違いなかったんだから。





倒した敵から通信機を手に入れたのは、ジュードたちにとって幸運なことだった。
クルスニクの槍を安置している船の中央部へと進む道に張られた封鎖線。それの解除方法を、ご親切に通信機を通して連絡が入ったからだ。
中央部に加えて張ろうとした地区の封鎖線は、制御装置の一部で故障があったらしい。そのため、館内に安置された封鎖線の発電機は人の手によって守られている。少数精鋭で内部突破を狙うジュードたちにしたら、これを突かない手はない。左右の発電機を破壊し、中央部に乗り込もうという作戦はごく自然な形で成立した。
「それにしてもこの船、内部の構造がどこも似たような感じだから迷いそうだね……」
「確かにこう単調な道が続くとな。蓮華陣<ロータス>で頻繁に場所が変わるのもよくない。敵からすれば便利な装置も、地の利のない私たちには不利に働くな」
「みんな、はぐれないように気をつけて」
個室のドアを薄く開いて、ジュードが外の様子を伺う。
蓮華陣<ロータス>は隠されるように、艦内の個室の中にあった。突然移動した先で、何があるのかわからない。用心してのジュードの行動だったが、その険しい表情から、部屋の外には相当数敵がいることが見受けられた。
こくり、とミラが頷く。
艦内に侵入してからは時間との戦いだ。ミュゼが拠点を守ってはくれているものの、それがいつまで持つかは分からない。とにかく今は、いかにして素早くジランドを討てるか。そこに懸かっている以上、ミラの判断は間違っていない。
「みんな」
確かめるようにジュードが振り向く。
それが合図となった。バタン、と勢いよく開かれた扉から転がるようにしてミラが飛び出してゆく。その後にジュード、アルヴィンが続く。
黒陣<ジン>の兵器を持った警備兵が、踊るように飛び出してきたミラの姿に一瞬だけ硬直した。その隙を狙わない手はない。
「転泡!」
側面に回り込んだジュードがすかさず足払いをかける。精霊術を使った足技は、複数の敵を巻き込みながら水泡を立てて、視界を遮った。
「水が弱点みたいだ!」
「オーケイ。爪竜連牙斬!」
体制を崩した敵の陣形の中に、アルヴィンの大振りな太刀が振り下ろされる。剣と銃を器用に使い分け、次々に敵を蹴散らしてゆく力強さは相変わらず頼もしい。
「スプラッシュ!」
ジュードの助言を受けて詠唱を完成させたローエンの精霊術が発動する。地面から飛び出した水瓶から溢れんばかりの水流が吹き出し、眼前の敵を飲み込んでいった。
敵の不意を付いた形になったのが、この戦闘の大きな勝因だった。
「これぞ華麗なる勝利」
タクトを振るかのように腕を降ったローエンがにっこりと微笑みかける。その姿にレイアが思わず表情を綻ばせようとして――――
「危ないっ!」
「……え?」
鋭い声を上げたミラが、レイア抱き込んで床の上を転がった。
一拍経たずして、耳を劈きたくなるような巨大な音が降ってくる。何が起こったのかわからなかったレイアは、突然の出来事に目を白黒させた。
「ミラッ!レイア!」
篭ったようなジュードの声。明らかに心配の色を滲ませた仲間たちの不安げな声を聞いて、レイアはようやく今の騒音は階上から突き落とさされたコンテナが自分を狙っていたことを知った。
「なに……これ」
直撃していたらひとたまりもなかったはずだ。
きっと蓮華陣<ロータス>を設置した部屋は狙われると敵も踏んでいたのだろう。その出口である通路を封鎖するかのように降ってきたコンテナは、明らかに侵入者対策用だ。敵もそれなりに準備をしてこちらを迎え撃っているということをまざまざと突きつけられて、レイアは小さく息を飲んだ。
ミラに助けられなければ、確実に下敷きになっていたはずだ。もちろん、それで生きていられる保証はない。
「こちらは大丈夫だ。しかし……二組に分断されてしまったな」
うず高く積み上がったコンテナを見上げて、ミラが腕組みをした。
そんなミラの呟きを受けて、コンテナの向こう側で安堵の気配が広がる。視界が遮られてしまったため、ジュードたちは状況把握ができなかったのだろう。
「怪我とかはないですか?」
「ああ。問題ない」
心配そうなエリーゼの声に、ミラが少しだけ表情を和らげて応える。
「良かったぁ。でもミラの言う通り、戦力が二分されちゃったね」
「こっちはいいとして、そっちはミラとレイアの二人だけだろ?まずくないか?」
アルヴィンのもっともな意見に、腕を組んだミラはコンテナを見上げて言った。
「だがこれを越えて合流するのは無理だろう。こちらはなんとかして中央部へ帰還する。そちらで残る右舷機関室の突破を頼んでもいいか?」
「ま、メンツ的にそーなるわな」
「任せて、ミラ」
「ご無事をお祈りしていますよ」
簡単な打ち合わせを終えて振り返ったミラが、へたり込んだレイアに手を差し出す。
「レイア」
その手のひらを掴むのを、一瞬だけ躊躇してしまった。
「いたぞ!あそこだ!」
コンテナが落ちた騒音で、敵に居場所を知られてしまったのだろう。複数の足音がこちらに向かってくることを敏感に察知したミラが、有無を言わさずレイアの手のひらを掴んだ。
「うっ…わぁ!」
「走るぞ、レイア!私たち二人では分が悪い」
……今は、ジュードのことで悩んでいる場合じゃない。
ここをくぐり抜けなきゃ、自分もミラも生き残れない。ヘッドドレスが揺れるくらい大きく首を降ったレイアは、ともすれば暗い想いを吐露してしまいそうな自分を叱咤して走り出した。
「うん」
ミラもまた頷き返す。
握られた手のひらは、それぞれの獲物へ。ともかく今はジュードたちが発電機を破壊してくれることを信じて、中央部に戻ることが先決だった。




ただ、それだけの想いでひた走った。
だからなのだろうか。それなりに苦戦する場面があったものの、なんとかミラとレイアの二人は中央部に帰還することができた。
ジュードたちの姿が見えないことから、発電機の破壊に多少手間取っているのかもしれない。いずれにせよ強行軍に一段落着いたミラとレイアは、身を潜められそうな空室を見つけて一息を付いていた。
「レイア」
「なあに?ミラ」
会話もぎこちなさがようやくとれてきた頃、まるでそのタイミングを狙っていたかのように、ミラは直球で切り出した。
「……先ほど手をつかむのを躊躇しただろう。私はレイアに何かしてしまったのだろうか?」
先ほどの件だけでない。ミラは続ける。
「ジルニトラに入ってからのレイアはどこかおかしい。もし私が原因なのだとしたら、ことによっては謝罪せねばなるまい」
そう切り出したミラの表情は真剣そのものだ。ミラはミラなりにレイアの異変に気がついていたらしい。
「そんなこと……」
「誤魔化さないできちんと話して欲しい。レイアは私にとっても大切な仲間だ」
真っ直ぐなルビーの瞳が、レイアを真正面から見つめる。
ジランドへ挑む直前に切り出したことから、もしかすると戦いの前にしこりをとっておきたいという彼女なりの配慮だったのかもしれない。
けれどそんなミラの言葉は、必死で自分の暗い想いから目を背けようとしたレイアにとってナイフのような鋭い切れ味を持っていたのもまた、事実だった。
「……ミラ」
震える唇が、彼女の名前を音にする。
――――ダメ。言っちゃ、ダメ。
ジュードはミラのことが好きで。ミラもジュードのこと、嫌いじゃなくて。
多分、ミラはまだ自分の気持ちを女の子としてちゃんと理解しきれていない部分があるんだと思う。それでもその迷いは時間の問題だろう。きっと、ミラもまたジュードへの想いを自覚する。
二人が一緒に立っているのを見ると、もうわたしなんかが入る隙間がないって思っちゃうんだもの。
だから、ダメ。言っちゃダメなの。
「ミラに……言ったのに」
分かってはいる。……それなのに、わななく唇が言葉を紡ぐことをやめてくれない。
ダメなの。これ以上、言っちゃダメなのに――――!
「わたし、看護師になりたいって。将来ジュードの傍で一緒にいたいって……言ったよね?」
ぽろり、とその言葉はレイアの気持ちと裏腹に転がり落ちてしまった。
「……レイア?」
「ミラに言ったよ!わたし、ジュードとずっと一緒にいたいんだって。ジュードのことが好きなんだってっ!……言ったはず……だったのに…っ!」
一度堰を外れるともう、その呪いのような言葉はどんどん溢れて出てきてしまう。
「ひどいよ、ミラ!わたしの気持ち知ってたはずなのに……どうしてジュードと……ジュードとキスなんてしちゃったの」
ひどいのはわたしの方だ。
ミラは悪くない。悪くないのに、ミラを責めようとする自分を止められない――――…
滲む視界の先に、強い光を持つルビーの瞳が見えた。
ミラはこんな時でさえも、レイアの言葉を真正面から受け止めて耳を傾けようとしていた。
「ミラぁ……」
縋るように、ミラを見上げた。
適わない。自分の成すべきことを真っ直ぐに見定めて……そうして周りを巻き込んで、どんどんと先へ進んでゆくミラは、まるで太陽のようだ。
眩しいミラに比べて、自分はなんて薄汚れているんだろう。
ずっと一緒にいただけで、ジュードの一番になれると思い込んで。
ジュードの大切な人を傷つけるような言葉を吐いて、押し付けて。
こんなのって最低だ。そんなこと、分かってる。
でも、じゃあ、わたしの想いはどうなるの?ジュードの大切な人だから。わたしの憧れたミラだから。そうやってジュードのこと大好きな自分を押し込めて、今までジュードのために頑張るフリして生きてきたわたしに、今更何が残るって言うの――――?
「レイア」
思わずびくりと肩を揺らして、レイアはミラを見上げた。その視線の先にいるミラは……心なしか少し、怯えたような光を宿していた。
「レイアはジュードのことが好きなのだな」
噛み締めるように呟かれた言葉に、条件反射のように声を上げた。
「……好きだよ。ずっと、ずっと好きだった!」
小さな頃から、ジュードだけを見てきた。
大<おお>先生やお母さんに構って欲しかったのに、相手をしてもらえなくて、ジュードはいつも一人ぼっちだった。人一倍おせっかい焼きなのも、一人ぼっちになりたくない……誰かと接していたいっていうジュードの想いがあるからなんだと思う。
そんな寂しそうな横顔を見るのが嫌で、無理矢理にちっちゃな手を引っ張って外へ連れ出したんだっけ。
ジュードが笑うとわたしも嬉しかった。
初めてお父さんの料理を食べたジュードのおいしいって笑顔、忘れてないよ。
辛いリハビリも、わたし以上に辛そうな顔をするジュードを見ていたくなくて、頑張ることを決めたんだ。
いつからか、わたしの中心はジュードになっていった。わたしが頑張る理由はジュードだった。
だから、わたしから……お願いだから、わたしの中の一番大切なものを奪わないで。
ジュードが好きなの。ずっとずっと好きだったの……!!
吐き出した言葉と一緒になって、ぽろぽろと涙が零れ落ちていく。
そんなわたしを、ミラは静かに見ていた。なんの反論も返さず、ぶつけることしかできないわたしの言葉と腕を遮ることもなく、ただ、ただ静かに耳を傾けていた。
「………なんでぇ」
もう涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ。
嗚咽混じりの声でミラに縋り付くわたしは、きっと今、最高にカッコ悪い。それでも、そうせずにはいられなかった。
「なんでわたしじゃなくてミラなの……」
ずるずると崩れ落ちてゆく。
一度吐き出してしまったら、もう止めることなんてできなかった。
ジュードがミラに惹かれていることは、傍目から見ても明らかなことだった。そしてミラの方も、懸命に尽くそうとするジュードを好ましく思っていることも。
惹かれあう二人を止められるわけもなく、かと言って妨害できるほどしたたかにはなれなかった。ジュードが惹かれたミラという女性は、レイアにとってもまた、眩しいくらいに輝いていた存在だったから。
「ミラが……ミラじゃなかったら………こんなに辛くなかったのに……」
ミラがもし、都会慣れしていないジュードをたぶらかすような性悪女だったら、無理矢理にでも引っペがしていた。でもわたしが出会ったミラは、誰よりも強くてカッコよくて、素敵な女の人だった。自分の決断を自分の責任を持って実行する、誰よりも心の強い人だった。
どうして。
ねえ、どうして。
わたしはジュードもミラもどっちも大切なのに。どっちも大好きでいたかったのに。……ねえ、どうしてなの。
「…………」
ミラが小さく息を吸う。
そうして再びレイアを見つめたミラの瞳には、凛とした光が宿っているのを確かに見た。
「私もジュードが好きだ。……過程は違うものにせよ、その気持ちはレイアと同じものだろう」
だから、とミラは続けた。
「私は引かない。……私を選んだジュードに恥じぬ私でいたいからだ」
レイアに謝ることはできそうにない。謝ることはすなわち、私を選んでくれたジュードを裏切ることになってしまう。
そうしてミラは、まっすぐすぎるくらいにまっすぐなルビーの瞳を向けて、レイアに言った。
「恨むなら恨め。奪い取れるものなら全力で奪いに来い。私はいつだって受けて立つ」
――――敵わない。そう、思った。
「………っ…」
声は潰れて、喉の奥に消えてしまった。ただ、張り裂けそうな痛みが胸の中でぐるぐると暴れている。
わたしなんかじゃ、ミラに敵わない。こんな最高にカッコいい女の人が、一体どこにいるんだろう。ジュードになんか勿体無いくらい。ミラはやっぱりミラで、大切なもののためなら妥協なんてしない人だった。
それが嬉しくて……悲しい。痛くて、誇らしくて、辛いよ。苦しいよ。
「ミラは……やっぱり、ミラなんだね」
目尻を涙がスーッと通っていく。
まるで悪いものが全部流れていくみたいに。……諦めろ、なんてミラは一言も言わなかった。ジュードは私のだ、なんて駄々をこねるような真似もしなかった。
奪いに来いと。挑戦しろと、ミラは真正面からわたしにぶつかってきた。
「ああ。私はミラ=マクスウェルなのだから」
まるで自分に言い聞かせるようにして、ミラは言う。
その表情は驚くほど晴れやかだった。女の泥沼の争いをしていただなんて微塵も感じさせないくらい。
そんなミラだからこそ、わたしも大好きになったんだ――――…。
胸に手を当てて、レイアは静かに涙を流す。今はただ、もう少しだけ気持ちに整理を付ける時間が欲しかった。




「お待たせ!」
ジュードたちが発電機を破壊して、中央部に帰ってきたのはそれから少しばかり時間が経ってからのことだった。
「……レイア。どうしたの?」
レイアを視界に収めた瞬間、ぎょっとしたようにジュードが硬直する。
それはそうだと、レイア自身も思う。目なんかウサギみたいに真っ赤で、腫れぼったいはずだ。大泣きしましたと言っているようなものだった。
「なんでもない。……ね、ミラ」
「ああ、女だけの秘密だ」
くすりと笑えば、ミラも微笑み返してくれる。こういう関係を築けたのもまた、ミラがミラだったからなんだろう。
「なにやってんだか」
「……でも、ずいぶん晴れやかな様子ですね」
呆れたようなアルヴィンとは対照的に、ローエンの口調は穏やかだった。もしかしたら、敏いローエンのことだ。薄々察しがついたのかもしれない。
「もう大丈夫。さ、やっとここまで来たんだよ!あとはジランドを倒すだけっ!!」
「それが大仕事だっつーの」
「もう、アルヴィンはいちいち余計なこと言うなー」
「ホントホント〜」
レイアに同調してティポが頷く。それに大げさに傷ついたリアクションをとるアルヴィンはいつもの通りだ。
声を上げて笑ったレイアは、封鎖線の解かれた通路を見上げて思う。
――――わたし、頑張るよ。
カッコいいミラに負けないくらい、いい女になってジュードを見返してやるんだから。
ジランドはこのすぐ向こうだ。
誰一人欠けることなく、この戦いを終わらせてみせる。そう小さな決意を胸にして、彼女は言った。
「行こうっ!」
リーゼ・マクシアを守るために。



To be continued…





12.12.31執筆