ジルニトラを捕捉したというアグリアの知らせを受けて間もなく、敵の空中戦艦は雲の隙間から姿を現した。
空から降りてくるのは、黒匣<ジン>を背負った兵隊の群れだ。ゼロ詠唱で振るわれる兵器の威力に、士気をみなぎらせたはずの自軍からも次第に弱気な声が漏れ始めていた。
「キリがないよ、こいつら!」
ガントレットで敵を殴り飛ばしたジュードが、押され始めた戦況に焦りの声を上げる。
増霊極<ブースター>を発動させたウィンガルもまた、想定以上の敵の軍事力に苛立ちの声を上げていた。鋭く切り込んでゆく太刀の隙間を縫うようにして、ミラが戦局を指揮する王の名を呼んだ。
「ガイアス!」
「はあぁっ!」
一振りで二、三人の敵を吹き飛ばしたガイアスがミラの視線を受けて頷く。彼もまた、ミラの言わんとすることを正確に理解していた。このまま正面突破するしかないのだ、と。
「このまま船をジルニトラへ突っ込ませろ!」
敵の砲弾が次々に着弾し、飛行船は黒い煙を幾筋も立ち昇らせていた。この船はそう長く持たない――――船首に座るイバルも同じ判断だったのだろう。ジュードたちを乗せた船はジルニトラに向かって急降下した。
大きな衝撃と共に、空を飛ぶ船は海の上へと着水する。
ザザァン、と足元に流れ込み始めた海水を気にかけた様子もなく、ガイアスは落とすべき敵の船をその目で確かに捉えていた。
絶妙な舵取りで船がジルニトラの側面へと横付けされる。まさにその瞬間に狙いを定めていたかのようにデッキの柵を乗り越えて、ジュードはジルニトラの甲板へと飛び降りた。
瞬間、敵の銃口がジュードを狙って次々に打ち込まれてゆく。
「......っ!」
降り注ぐ雨のような銃弾を避けるために、ジュードは転がるようにして甲板を移動した。動く的に躍起になった敵は、僅かな間、敵が頭上から攻めてくることを忘れていた。その隙を逃さないわけがない。鋭い風のような一太刀が、無防備な敵の頭上から振り下ろされる。
まるでその太刀がくることを予測していたかのように、ジュードが速やかに上体を起こす。ジュードには、それが自分を援護するために振り下ろされたものだと理解していたからだ。
同じく柵を乗り越えて戦艦に飛び込んできたのはミラだった。ぴたりと呼吸を合わせた二人は、それぞれに剣を、拳を構えて戦闘態勢に入る。
敵本拠地に乗り付けた元・空中戦艦は敵の格好の標的だった。
空に配置された空中戦艦から次々と黒匣<ジン>を背負った兵隊たちが降りてくる。こちらも砲弾で対応してはいたが、いかんせん敵兵力は数が多すぎた。
被弾する敵の数よりもむしろ、無傷のまま降下して本陣へと駆け寄ってくる兵の姿に、大精霊であるミュゼは苛立ちを隠しきれない。
「もうっ」
ふわりと宙に浮き、彼女はその手のひらを眼前に掲げた。
「ごちゃごちゃと......うるさいっ!」
紫色の球体がミュゼの手のひらを中心にして構築される。
それは、強大なマナを凝縮した精霊術だった。ぼこん、と急激にその質量を増大させた球体は、あっという間に敵の姿を飲み込んでゆく。
一瞬にして壊滅した部隊の姿に放心する間もなく、空に浮かぶ空中戦艦が次々と紫色の球体に飲み込まれてゆく。
大精霊・マクスウェルの姉を名乗る存在だけあって、『ミュゼ』の力は想像を絶するものがあった。
炎に包まれた空中戦艦は、その翼を失い、海の中へと墜落していった。ドオォン、と耳を劈きたくなるような巨大な水しぶきが立ち上り、乗り付けた船を揺らす。
海の上で爆ぜる炎は紅く、そこに確かに存在していたはずの空中戦艦をあっという間に瓦礫の塊に変えてしまった。
「ミュゼ......すごい」
呆気にとられたように呟くジュードの傍に降り立ったミュゼは、気味が悪くなるほどあっさりとした顔で笑う。
「ジュードの使役のおかげ。力が戻ってきたようです」
こんな強大な力を持った精霊を使役していたんだ。
ミュゼの言葉を聞いてもいまいち実感の湧かないジュードは、信じられないかのように自身の手のひらを見つめた。
「それほどの力の持ち主だったとは......」
驚きに感嘆のため息を吐いたのはミラだ。
突如として現れた『姉』の力をまざまざと見せつけられて、少しばかり困惑したような空気もそこにはあった。
「心強いです、ミュゼ」
エリーゼだけが無邪気にミュゼに微笑みかける。
劣勢であった戦局をひっくり返してしまうほどの個の力――――幼いエリーゼは、その力の危うさには気が付かない。
頼もしい大精霊の姿に、心底嬉しそうに笑顔を零した。
「私はここで皆様に力をお貸しします」
「どういうつもりだ?」
精霊は人の持つ霊力野<ゲート>から発したマナを依り代に力を貸す存在。その成り立ちを理解しているミラは、無償で力を貸すと言ったミュゼの言葉を訝しんだ。
そんなミラの言葉に、ミュゼの方は涼やかな返答を返す。
「ここを落とされたら作戦は終わりでしょう?」
「そうか......。では、任せていいんだな?」
確かに今、ここを落とされてしまってはリーゼ・マクシアの未来はない。そういう意味で『ミュゼ』との利害関係は一致しているのだろう。そう結論付けたミラは、小さく頷いて返事をした。
そんなミラの様子に満足げにミュゼが微笑む。
「ありがとう、ミュゼ。気をつけてね」
「ジュード、ご無事で」
そうしてミュゼは翡翠色の瞳をミラに向けて、念を押すかのように言った。
「ミラ、忘れないでね。......あなたはマクスウェルなのよ」
それがどういう意味なのか。
力を持つ大精霊であるミュゼが、なぜそれを口にするのか。
自身の存在に矛盾を感じるミラにとって――――それは答えにも等しい言葉だった。
宙に飛び去っていったミュゼを見つめるわけでもなく、ミラは瞼を閉じて一瞬だけ逡巡した。
「時間があまりありません。敵の増援を凌いでいる間が好機です」
背中から聞こえるローエンの言葉に、ミラが瞼を持ち上げる。
そうして再び口を開いた彼女は、いつものミラ=マクスウェルだった。
「なら、ここは二手に分かれた方が良さそうだな」
ミラの言葉を聞いたガイアスが、ちらりとジュードを見た。
その視線の意味を理解したジュードは、これから待つ激戦区への恐れよりもむしろ、自分のやるべきこと......ミラの助けをするのだと、言い聞かせるように呟く。
「分かってるよ、ガイアス。僕の成すべきことを忘れるな、でしょ」
「奴らの企み、ここで必ず阻止する!」
ジュードの返答に満足したのか、一度も振り返ることなく四象刃<フォーヴ>を従えたガイアスは進んでゆく。最後尾に立ったウィンガルだけが、何かを試すかのようにジュードを見ていた。
「目標はジランド、並びに『クルスニクの槍』だ」
その時、宙から白い物体が踊るように降ってきた。いや、降って湧いて出たと言ってもよかったかもしれない。
「俺も手を貸しましょう、ミラ様」
先ほどまで船首で飛行船を操縦していたイバルだった。
「お前、まだいたのかよ」
相変わらず自己主張の激しい御子にアルヴィンが呆れたように呟く。
「邪魔だから、こっち来んなー」
「はっはっは。当然だ。俺はガイアスにつこう」
続けざまに拒否の声を上げたティポにまったく動じる気配もなく、イバルはガイアス側につくことを宣言した。
「イバル?」
そんなイバルの振る舞いに、意外そうな声を上げたのはミラだった。
幼少の頃よりマクスウェルの供をしてきた御子が、あっさりとその手のひらを返したのだ。思わず呆気にとられるミラの様子に気が付く様子もなく、イバルはただ、ジュードを睨むように見つめていた。
「ジャオの抜けた穴でも埋めてもらおうか」
振り返ることもなくガイアスが返答を返せば、驚いたようにアグリアがイバルを見た。
その顔には、なんでコイツなんかが……という思いがありありと出ている。同じく腕を組むプレザ、顔色を変えないウィンガルも、内心イバルのことをよく思っていないことは透けて見えた。
「余裕っ」
一瞬のうちに白けた空気が場に漂ったことを、流石のイバルでさえも実感せえざるを得なかった。
じろり、と睨むような視線をガイアスが投げる。
思わず軽んじてしまった『ジャオ』という存在が、ガイアスの中でどれほどの比重を占めていたのか知らないイバルは、一度出してしまった言葉をしまうことができずに復唱するのだった。
「行くぞ」
それをあっさりと切り捨てて、ガイアスは先陣をきってゆく。どう考えても、四象刃<フォーヴ>と噛み合っていないことを今更ながらに実感しながら、それでもイバルは捨て台詞を吐くことを忘れなかった。
「偽物!貴様には負けんぞ!」
結局のところイバルの行動のすべての原点は、ジュードにあるのだ。
困ったように溜息を吐くジュードに最後まで噛みつくような視線を投げたイバルは、プレザにあしらわれながら扉の向こう側へと消えていった。
「アル……」
最後に残ったプレザが一度だけ目を伏せてアルヴィンを見つめる。
「なんだよ?」
「死なないで」
そう一言、絞り出すように。踵を返して扉の向こうへと消えたプレザの想いは、果たしてアルヴィンに届いていたのか。
その言葉の余韻に浸る間もなく、きびきびとしたミラの声が響く。
「私たちも行くぞ!」
敵船の中でも、ミラのまっすぐな視線は変わらない。己の成すべきことやり遂げようとするその背中を、ジュードが眩しそうに見つめるのを、エメラルドグリーンの瞳は確かに捉えていた。
「……………」
「レイア?」
「えっ……あ、何かな、エリーゼ」
「どうかしたんですか?……なんだか、怖い顔してます」
ティポを抱きしめたエリーゼが、そっと見上げるようにしてレイアを見る。それに慌てたように、レイアが両手を振って返事を返した。
「や、やだなーっ!何でもないって!」
降りすぎて、ぶんぶんと風を切る音を立てる。いつもより大げさなレイアの動作に、ローエンもまた立ち止まり、首を傾げた。
「さ、今からジランドの本拠地に向かうんだからっ!張り切って行こーっ!」
ずんずんと大股を開いてジュードの後ろに続くレイアを、いぶかしそうな瞳でエリーゼは見つめる。
「何かあったんでしょうか、レイア……。さっきまでは普通だったのに」
「敵本拠地であの様子、あまり良いことではありませんね。私たちで気にかけるようにしておきましょう」
仲間の様子を気遣う少女に、柔らかい視線をローエンが向ける。
何かが少し、おかしい。けれど、今はのんびり考えていられる状況でないこともまた、二人は正しく理解していた。


To be continued…





12.12.25執筆