「あれ、ミラは一緒じゃないの?」
すでにカン・バルク城にはレイア、エリーゼ、アルヴィン、ローエンの四人が揃っていた。
残る面子を考えて口にしたのだろう。なので、一人城に帰ってきたジュードに対して、レイアは不思議そうに首を傾げた。
「ミュゼと話があったみたいなんだ」
そう言ってジュードは首をすくめる。
確かに城の近くまでは、二人は手を繋いで一緒にいた。
出会った瞬間から惹かれ続けたミラと、ついに想いを交わせたのだ。本心を言えばギリギリまで傍にいたかった。
それでも今はそういった甘い想いに浸るべき時ではないことも、ジュードは弁えていた。
「なんかジュード、いいことあった?」
「……ちょっとね」
隠しているつもりでも顔に出てしまうものらしい。
いつも通りのつもりだったのだが、幼馴染のレイアにあっさりと見抜かれてしまった。その理由までは今は言わないつもりにしろ、浮ついた気持ちでこれからの戦いに挑むには少々……いや、かなり問題がある。
平常心、平常心。
口の中で反芻するも、握った手のひらの小ささを思い出してしまって、慌てて首を振る。そんな挙動不審なジュードに、レイアだけでなく他の皆も不思議そうに顔を見合わせるのだった。
「お待たせしました」
涼やかな声が、微妙な空気を払拭するように降りてきた。
文字通りふわりと髪を揺らして降り立ったのは、精霊であるミュゼである。
「もういいの?」
「ああ」
思った以上に短かくすんだミュゼとミラのやりとりに疑問を投げかければ、実にあっさりとした返事が返る。そのミラの淡泊さが逆にジュードは気になった。どこか上の空のような気がしたのだ。
……普段なら気にしなかったかも知れない。けれど、先ほどのやり取りの直後のことだったので、浮かれるよりも沈み込んで見えたミラの姿にどうしようもなく胸に引っかかりを覚えた。
「全員そろったな。それじゃ、ガイアスのところに行こうぜ」
軽い口調で話すアルヴィンはいつもの通りだった。
「お待ちください、みなさん。この戦い、ガイアスさんたちも本気のようです。準備だけは怠らないようにしましょう」
そして、念には念を入れるローエンも。
「ねぇ、ミラ」
「なんだ?」
「ミュゼと何かあったの?」
「大したことではない」
「……そっか」
顔を上げたミラは、いつものミラに見えた。
もしかして、見間違いだった?そう思ってしまうほどに、いつもの調子を取り戻したミラに、それ以上の追及をすることが出来なくなってしまう。
「何かあったら、相談してね。……誰かに話すことで楽になることって、あると思うから」
真摯に見つめる二つの双眸に、ミラは小さく笑う。ノール灼洞でレイアに言われたことを思い出したからだ。
「君はレイアと同じことを言うんだな」
「?」
不思議そうに首を傾げたジュードを見てミラは口元が緩むのを自覚しながら、今応えられる精一杯の言葉をジュードに告げた。
「……ありがとう」
マクスウェル<ミラ>の持つ矛盾は、彼女自身を蝕む毒になりつつあることを自覚しながら。



乗り込んだ飛行船の甲板には、ラ・シュガルとア・ジュールの両軍が整然と並んでいた。厳めしい鎧姿の兵たちの真正面に立つのは、王と呼ぶに相応しい風格のガイアスだ。
「ラ・シュガルの兵隊さん?」
諍い合った二国の兵が隣り合って並ぶ、という見た事も聞いたこともない光景に首を傾げたのはレイアだった。
「わずかですが、私が招集しました」
「あ、イバルもいる」
その意味を考え込むよりも先に、この場所にいるはずのない人間が並んでいるのを見て、ジュードは驚きに目を丸くした。
ミラに気が付いた彼女の従者は、誇らしげな表情で腰に手を当て、ポーズを取っていた。
「あいつめ……ニ・アケリアでの使命を放り出したのか」
呆れたように深いため息をついたのはミラだ。
主人であるミラは、確かにイバルに使命を伝えたはずだった。彼が生まれ持った使命。成すべきこと。承知しております!そう力強く信頼を返してくれた彼はもう、どこにも見当たらなかった。
仕方のない奴だ、と重く息を吐けども従者は全く気が付かない。
イバルはジュードに対抗意識を燃やし過ぎるあまり、使命を見誤らせているらしい。有事の時はどうするのだと問うたところで、今のイバルには届かないだろう。
ジュードに気付き、あからさまに顔色を変えてファイティングポーズを取っているイバルに、ミラは嘆息した。
「陛下、みなに一言を」
そんな兵達の後ろのやりとりをそっちのけで、おごそかにガイアスに声をかけたのはウィンガルだ。
何しろ時間は限られている。敵地へ切り込むその瞬間に、兵の士気を落とすようなことなど万に一つもあってはならない。王自ら、戦う者たちへ激励の言葉をウィンガルは促した。
その重要さをガイアス自身も重々承知していたのだろう。瞼をゆっくりと持ち上げたガイアスは、真正面に立つ同胞たちに向かって、低く、体の奥底にまで響き渡るような声で告げる。
「かつて俺たちはリーゼ・マクシアの覇権を争い、互いに剣を向けた」
自軍であるア・ジュール。
敵軍であったラ・シュガル。
今、この場にその境はない。
「だが、この戦いはこれまでとは一線を画するものだ」
ついこの間まで、二つの国は互いに剣を向けて諍った。しかし今は、リーゼ・マクシアという共に生きる世界を弱らせている場合ではないのである。
新たなる脅威が降りかかった今、真に我々が相手をしなければならないのは何なのか。ガイアスの言葉は、深く、この場にいる者達に染み込んでゆく。
「敵の本拠地、ジルニトラの場所はすでに分かっている」
甲冑に包まれた左の腕が、空を切った。
「臆するな、我が同胞よ!信頼せよ、昨日までの敵を!」
実に朗々とした、見事な演説だった。
「我らの尊厳を再びこの手に!!」
「「「おおーっ!!!」」」
兵達の雄たけびが甲板に溢れる。
僅かな時間ではあったが、兵達の士気は十分すぎるほど盛り上がっていた。絶妙な言葉選び、その間合いの取り方は、ガイアスの天賦の才と言っても過言ではないだろう。
「船を出せ」
ウィンガルが艦長に指示を出す。
さあ、今こそ出発だ――――そう思われた瞬間、緊迫した声が響き渡った。
「お、お待ちください!」
悲鳴のような声が、事態の深刻さを物語る。
「リーゼ・マクシア全域に高出力魔法陣の展開を感知!」
「来ます!!!」
ずん、と。
体に強烈な負荷を感じた次の瞬間には、体内の霊野力<ゲート>から急速にマナが抜け出していく感覚にこの場にいる全員が襲われた。
震える膝がまるで言うことを聞いてくれない。
「なに、これ……マナが抜けるみたい」
床へと崩れ落ちたレイアが、呻くように絞り出す。
「この感覚は……!?」
間違えようがない。ミラが憎々しげに宙を睨んだ。
「クルスニクの槍のマナ吸収機能を世界中に向けて使ったんだ!」
「燃料計画が始まったか……」
ウィンガルもまた、苦しそうに息を吐いた。
リーゼ・マクシア全土をマナ供給の資源とし、エレンピオスの燃料として消費する。リーゼ・マクシアの住人からすれば背筋が凍りそうになる恐ろしい計画が、現実に進められているのだ。そのあまりに暴虐無人な振る舞いを許せるはずもなかった。
「民を犠牲にはさせん……リーゼ・マクシアは俺が!」
誰もが膝を突く中、それでも崩れ落ちなかったガイアスが指示を出す。
「今すぐ船を出せ!!」
力強いガイアスの応えるように、飛行船は高度を上げて飛び立った。



「どうやらこの高度では、魔法陣の影響はないようですね」
いつの間にか、飛行船は随分と高いところを飛んでいた。
体にかける負荷からようやく解放され、みながそれぞれの持ち場へと帰って行った頃。ようやく一息つけたローエンが興味深そうに髭を撫でた。
広大なエリアを吸収範囲に設定したクルスニクの槍が、高さを持つとその機能を十分に果たせないというのは、それなりに価値のある情報だったようだ。その情報を元にローエンの頭の中では無数の策が練り込まれている最中、未だ座り込んだままの幼い少女にレイアが労わりの声をかけた。
「エリーゼ、大丈夫?」
「頭……痛いです」
霊野力<ゲート>が発達しているエリーゼは吸い取られたマナの量も多かったのだろう。心配そうに瞳を揺らしたレイアが、エリーゼの手を取る。
「医務室で診てもらおうか。一緒に行こう」
戦地へ赴く船に同乗している軍医ならば、腕、技量共に心配はないだろう。
二人のやり取りに安心したところで、ジュードはこの場にミラがいないことに気が付いた。
「どうしたんだよ?」
「ミラ、どこにいったのかな?」
さっきまでは、確かにここにいたのに。
いつの間にか姿を消してしまった彼女は、どれだけ周囲に目を凝らしても見つけることが出来ない。
「見当たりませんね」
初めて気が付いたように、ローエンもまた首を捻った。
「捜してくるね」
体内のマナを奪われた直後でのミラの不在。
どくり、と小さく心臓が嫌な音を立てる。それはきっと気のせいなのだと思いながら――――それでもジュードは、出発前に見たミラの横顔を思い出さずにはいられなかった。



To be continued…






12.10.21執筆