「ジュード!」 買い物カゴをを片手に、晩御飯のおかずを熟考していたジュードは、浮ついた声で意識を覚醒させた。いくら寒さが堪えるこの季節といえど、やせ細ったキュウリの値段が3本で198円だなんて高すぎる。この議題についてどうやら悩みすぎていたらしい。 振り返ればいつの間にかお菓子コーナーへ姿を消していたミラが、小さな袋を片手に満面の笑顔で手を振っていた。 「どうしたのさ?」 「どうしたもこうしたもないぞ!豆を買うのだ!」 ばっ、と効果音がつきそうなくらい勢いよく、ミラは可愛らしいイラスト付きのパッケージをジュードの鼻先に突き付けた。 唐突に視界に飛び込んできたのは、黒いもじゃもじゃの髪に真っ赤な顔の鬼のイラストだ。子供向けにずいぶんデフォルメされているが、黄色いパンツと棍棒のセットは、いつの時代でも『鬼』と呼ばれる生き物のはず。 ぱちぱちと瞬きをしたジュードは、なぜミラが豆を突き出してきたのか首を捻ってから……自分の手帳に記されてあった日付を思い出した。 「ああ、節分」 「そうだ。節分では豆を食べるものだろう!」 「投げるじゃなくて?」 「年の数より一つ多く食べるものだ。投げるだなんて勿体無い」 「それはそうだけど」 「そんなわけで、ジュード。これも買おう」 うきうきと楽しそうなミラが買い物カゴの中に豆の袋を入れる。金額は……まあ、これくらいなら210円くらいだろう。キュウリはやっぱりなしだなあ、と考えてジュードは買い物かごの中に収まった豆を見つめた。 「行事ごとだからね。今日は特別だよ」 「分かっている。ジュードの財布の紐の固さは折り紙付きだからな」 「ミラが余計なものを買いすぎなんだってば」 「そんなことないぞ。腹が減っては戦もできぬではないか」 「お惣菜ばっかりじゃない。これじゃあコストばっかりかかって、月末苦しくなるだけでしょ」 「それは……そうだが」 正論で返されてしまったミラはしゅんと俯く。どうやら落ち込んでしまったらしいミラの姿に慌てたのはジュードの方だ。 「あ、で、でもちゃんと僕も手伝うから……」 「ああ。ジュードに助けてもらうようになってから、ずいぶん私の生活は豊かになった。きみはいいお嫁さんになれるよ」 俯いていた顔を上げて、ミラは真正面からジュードを見つめて言う。キラキラと後光すら差しそうなくらい眩しい顔つきに思わず赤面してしまってから、ジュードは何かがおかしいことに気が付いた。 違う。役割が違う!お嫁さん違う! いいお嫁さんって言われて照れるだなんておかしいって気がついて僕! 「夕飯、期待しているよ」 にっこりとミラが微笑む。 瞬間、直前まで抱いていた疑問を遥か彼方へ放り投げて、ジュードまた微笑み返した。 「ミラのために頑張るよ」 「ああ。そして食後には豆を貪ろう」 「貪らないけど、年の数より一粒多く食べたらいいんだっけ」 「豆は生命力と魔除けの呪力が備わっているのだ。実年齢より一粒多く食べれば、体が丈夫になり、風邪をひかずに冬を越せるという」 「へえ、詳しいね」 「図書館で読んだのだ」 えへんと胸を張ってミラは得意げに指を振った。 「先ほどジュードが言っていた豆を投げるという行為。これも地方によって習わしが違うのだぞ」 「『鬼は外、福は内』って投げるものじゃないの?」 「いいや、それこそが私たちの思い違いだ。地方によっては『鬼は内』と言いながら豆を投げる場所もある」 「『鬼は内』!?」 初めて耳にする言葉に、ジュードは驚いたように声を上げた。直後、大声を出してしまった自分に恥じらって、口元を押さえる。買い物カゴが揺れたものの、そつなくジュードを抱き寄せてフォローしたミラが、にこりと微笑んで言葉を続けた。 「ああ。鬼を祭神と崇める寺社、姓に『鬼』を冠する者が、自らを拒絶するまじないを行うだなんておかしな話だろう?」 「……た、確かに」 抱き寄せられた体温の温かさにジュードの胸がドキリと高鳴る。ありがとう、と離れれば、ミラはあっさりと腕を離した。それに物足りなさを感じながらも、ジュードはもう一度買い物カゴの中の豆を見つめ直す。 「豆まきも地方によって色んな風習があるんだね……」 「私たちは投げないがな」 「……年より一粒多く、じゃなかったっけ?」 「食べたいだけ食べるのがいいと思うよ。私は」 「……習わしの意味がないよ……」 呆れたようにため息を吐くジュードをよそに、ミラはミラで楽しそうに笑う。 「それでも、日々の行事の意味を知っておくことは大事なことだと思うよ。なぜ、それが習慣として根付いたのか。なぜ、それは起こったのか。疑問を抱くから人はここまで進化してきたのだから」 まるでひみつを語るかのように、ミラはわくわくとした表情でジュードを見つめた。 5歳歳の離れた大学生のミラは、高校生のジュードからすればずっと大人だ。それでも、時々こうやって子供っぽい仕草をするから目が離せられない。 胸がぎゅっと掴み取られるような感覚に震えながら、それでもジュードはミラを見上げて言った。 「……そうだね。ありがとう、ミラ」 「どういたしまして」 くすりと微笑んで、ミラは顔を上げた。 その視線の先で気になるものを見つけてしまったらしい。ぴたり、と不自然に動きを止めたミラは、唐突な力強さでジュードの腕を引いた。 「……大変だ、ジュード」 「ど、どうしたのさ」 「恵方だ!恵方巻きが積んである!!」 その人差し指が指し示すのは、ごん太な海苔巻きが積まれたコーナーだ。 かんぴょう、キュウリ、しいたけ煮。だし巻き、うなぎ、桜でんぶ。定番の田舎巻きだけに留まらず、少しリッチなものになれば、マグロにサーモン、エビカツと豪勢な具が詰まっている。 山のようにうず高く積まれた恵方巻きを前に、ミラの口から涎が吹き出した。 「ジュード!」 ミラの言わんとすることを悟ったジュードは、恵方巻きのコーナーにぶら下がった値札を見て目を剥いた。 ――――… 一本、399円。三本セットで980円。 「ダメだってミラ!」 ジュードの悲痛な叫び声は、留まることを知らないミラの食欲の前に儚く散った。 13.02.03執筆 |