2013.02.15 執筆

知らないきみを見せて

【マスターベーション】
別称:自慰行為、オナニー。自らの手や器具を用いて自身の性器を刺激することにより、性的快感を得ること。

いかにも怪しげな露天商から、いかにも怪しげな書物を購入した。期待に胸を膨らませて黒い背表紙を開けば、初めて目にする言葉の羅列。その言葉の意味を咀嚼し、飲み込み、自身の血肉とする喜びを知識欲というのならば、私の脳髄は未知なる味わいにすっかり虜になった。
……つまるところ、俗に言うエロ本を初めて見たミラは知的好奇心の観点から自慰行為に手を出してみた。出してみたのは良かったものの、うっかりその未知の経験に夢中になりすぎるあまり、ホイホイとやってきてしまったジュードにその姿を目撃されたところから物語は始まる。



「………」
「………」
扉に手をかけたまま、あんぐりと口を開けているジュードと見つめ合ってどのくらいの時間が経っただろうか。
「……その、扉は閉めてもらえないだろうか」
確かに鍵をかけていなかったミラも迂闊だったが、いつ誰がこの部屋の向こうに現れるか分からない。流石にそれは体面的に非常にまずい。乱れた衣服を整えることすら億劫で、荒い息のままそれでもなんとか絞り出したミラの声に、ジュードはびくりと肩を揺らした。
「あ……う、うん!今、閉めるね!」
バタン、と勢いよく扉が閉ざされる音がする。ついでに念を入れてか、鍵をかける音。
……これでもう、この部屋には誰もこない。ようやく安堵のため息を吐いたジュードとミラは、今度は二人はそろって顔を見合わせてた。
「うわあ!」
どうやら動揺しすぎるあまり、ジュードは部屋の外ではなく部屋の中に自分を置き去りにしてしまったらしい。我に返って、密室にミラと二人きりになったという事実にみるみるうちに耳まで顔を赤くしてしまう。
むわりと漂う女性特有の匂いにクラクラしそうだ。
「……ジュード」
「は、はひっ」
噛み噛みのジュードの返事を、ミラは笑ったりしなかった。それどころか、あられもない姿そのままに、潤んだ瞳で見上げてくる。
「私は……」
ごくり、とジュードの喉が音を立てる。一瞬とも永遠とも思えるような長い溜めの後、ミラが零した言葉はまったくもってジュードの想像を超えたものだった。
「私は、自慰行為とやらに及んでみた」
「……う、うん……?」
足元に落ちた黒いショーツに、はだけた胸元。それを見れば、大方何をしていたのかは想像がついてしまう。というか、想像が掻き立てられてしまう。
さりげない仕草でポケットの中に手を入れたジュードは、迫り上がった股間の一物を水面下で必死に抑えながら、何気ない風を装って返事を返した。
「未知の体験だった。……これほどまでに中毒性のある快楽。虜になってしまう輩が出るもの頷ける」
「そ、そう……」
「私は初めて肉の喜びを知ったわけだ」
コメントに困る言葉を連発するミラに、ジュードはどう返事を返したらいいのか曖昧な返事を返すばかりだ。ここで息子が萎えればいいものの、とろりと蕩けた視線のミラが酷く扇情的で目が離せない。
「自慰行為の可能性が開けてきたところで、ジュード、君もやってみないか」
「ああ、うん…………って、え?」
「よし。そうと決まれば、さっそくそこに座って見せてくれ」
「え?え?……ちょっと、ミラ、さん……?」
「なんだ?」
「いや、いやいやいやいや!?ちょっと待ってミラ!言ってることの意味が分かんないよ!?」
「言い方が悪かったのだろうか。自慰……正式に言うとマスターベーションだ。これなら医学生の君にも分かるだろう」
「いや、意味は分かるよ!?分かるけどミラの言ってることの意味が全然分かんないんですけど!!?」
「うん?意味が分かるけど分からないとは道理に合わない話だ。ジュード、少しは落ち着け」
「いやいやいやいや!無理!っていうかミラの方が落ち着いて!?」
「何を言うか。私は十分落ち着いている」
「落ち着いてるけど落ち着いてないからね!?言ってること無茶苦茶だからねっ!!?」
甲高い悲鳴を上げて後ずさるジュードをミラがじりじりと追い詰めてゆく。はだけた胸元から薄桃色に色付く胸の先端が覗いて、思わずジュードは喉を鳴らした。
気がついた時にはすでに逃げ場はない。壁にドンと音を立てて、ミラの両手が固定される。触れそうなほど近くに迫ったミラの真剣な眼差しに、怖いくらい心臓が音を立てていた。
「ミ…ミラ……?」
「お願いだ、ジュード」
ほんのりと上気した頬で見下ろされたミラの表情は、反則的に可愛い。
「君のマスターベーションを見せてくれ」
紡ぐその言葉さえが、せめてもう少しでも一般的であれば。――――そう泣きそうになりながら思いつつ、ジュードが陥落するまであと三秒。
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