マーボーカレーに、ポテトサラダ、牛丼に豆腐の味噌汁。 好きな食べ物は?と聞かれると、返事を返すのはなかなかに悩ましい。どんな食材も、料理人の手にかかれば鮮やかに料理として姿を変える。あたたかいもの。つめたいもの。それぞれにそれぞれの良さがあって、どれも甲乙つけ難い。 そんなわけで、私は食べることに関しては随分関心がある方だと自覚をしている。ところが、作るとなるとからきしだ。 何しろ今まで調理道具とやらを触ったことすらない。 そもそも『食事』――――概念は理解していたが、実際に食事を取るという行為そのものを行ったことがなかったし、旅を始めてからは何かとジュードが世話を焼いてくれた。 なので、つまるところ私は。 「……作ったことがないのだ」 エルにスープを作れるか、と問われた。 今まで食事を取ることしか関心を向けなかった私の答えは、その一つしかなかったのだ。 「スープを作ってみたい?」 一瞬だけ不思議そうな顔をした後、すぐに合点がいったらしいジュードが小さく頷いた。 「……エルのためだね」 「ああ」 私でない私が、エルのためにやろうとしていたこと。 エルの一番になるために、もう一人の私が奮起していたということを皆から聞いた。それは私の成すべきことではないのかもしれない。それでも私は、エルのためにやってみたいと思った。エルが帰ってきた時に、笑顔で迎えることが出来るように。 「ミラ、料理は初めてだよね。僕も手伝うよ」 「ありがとう。だが、はじめは自分でやってみようと思うんだ」 「下ごしらえとか大丈夫?色々手順があるよ」 「下ごしらえとは何だ?」 「えーっと、火を通す前に食材に施しておく処理のことだよ」 「なるほど。火を通す前に一度そういう処理をするのか」 「うん。ゴボウとかジャガイモみたいな根菜類は一度水にさらしてアク抜きしないといけないとか。大根を煮る時は米のとぎ汁で下ゆでしておいた方がいいとか」 「ふむ、料理とは奥深いのだな……。やはりジュードの手を貸りた方が良さそうだ」 「大丈夫、手順さえ覚えればなんとかなるよ」 そう言ってにこりとジュードが微笑む。 元々アドバイスを受けるつもりで話をしたのだが、やはりというかジュードの手を煩わせることになってしまった。だが、そうなって嬉しいと感じている自分がいることも確かなので、一人でスープを作るという野望はいずれ果たすことにしよう。 「待って!包丁はそうやっては持たないよ!」 「うん?だが、包丁も刃物だろう?」 「刃物だけど、剣を扱うのとは違うんだから!」 慌てたように声を上げるジュードの視線は、私の指先に集中している。 それほど私の構えは問題があるのだろうか? 「……違うのか?」 「うん。包丁はこう、切りたいものに対して垂直に刃を入れるの。それから、左手は猫の手丸い手だよ」 「猫の手?」 「こんな手にするから」 そう言ってジュードが両の手のひらを丸く握る。 その形は、言われてみればルルの手のような形に見えなくもない。 「なるほど。だから猫の手か」 合点がいった。 しかし食材を切る時に、物を掴みにくいのではないだろうか? 「ジュード。突然だが、目が痛くなってきたぞ」 「玉ねぎを切ったからね。目にしみると思うから、あんまりキツかったら手を休めた方がいいよ」 「む。だがあと少し………っつ」 「わ、ミラ!」 ぷつり、と指先に紅い滴が盛り上がる。 滲んだ視界の中で無理に刃を降ろそうとして、自分の指を切ってしまったようだ。切り傷としては浅いものだが、血が包丁につくのは頂けない。血液は刃物を錆びさせるからな。 「大丈夫だ。傷は浅いよ」 「浅くても良くないよ。もう、だから猫の手って言ったのに」 「あれは自分の指を切らないようにするための防御策だったわけか」 「そういうこと。ほら、手を貸して」 診るよ、と言いかけてジュードの視線が再び指先に集中する。 玉になった紅い滴は今にも零れ落ちそうだ。それを食い入るように見つめて……何を熱心に見ているのだ? 「これくらい舐めておけば治るよ」 指先を口に含めば鉄の味が広がる。この程度の傷で、ジュードに診てもらうのも忍びない。そう思ってのことだったのだが、ものすごくがっかりしたようなジュードの表情に気が付いてしまった。……そんなに私の傷を診たかったのだろうか? 「もうっ!どうしてそこでリードしないんですかっ!」 「え、エリーゼ、ちょっと……!」 「もう黙っていられません!せっかくいい雰囲気だったのに!!」 「ジュード駄目スギー」 「えええ!!?」 唐突に、扉の影からわらわらと人影が飛び出してくる。 エリーゼにティポ、ルドガー、アルヴィン、ローエンまでいる。皆、揃いも揃って扉の影で何をしていたというのだ。 「み、みんなどうしてここに……!?」 「ジュードとミラが料理してるって聞いたから様子を見ていたら」 「増えちゃいました」 小首を傾げてにっこりと笑うローエンは相変わらずだ。 なぜか動揺するジュードとは対照的に、ルドガーは苦笑、アルヴィンはいたずらを思いついた悪ガキのような顔をしてニヤニヤしている。 「せっかくいいところだったのに悪かったなあ」 「む。いいところだったのか?」 「ジュード君がもうちょっと男の意地を出していれば、だな」 「あっアルヴィン!!」 瞬間、顔を真っ赤にしてジュードがアルヴィンを睨む。 しかしその表情ではあまり迫力に欠けるぞ、という言葉は飲み込んだ。恐らく今言っても効果は薄いだろう。 「せっかく新婚夫婦みたいなやりとりが見れると思ったのに……」 「まあまあ、ジュードさんにはまだ少しハードルが高かったよう見たいですし」 「十分夫婦みたいだったけどな」 「……あんまりジュードの傷を抉らないでやってやれよ」 エリーゼ、ローエン、アルヴィンと続いた言葉に、ルドガーだけがジュードを気遣う。 「そうだぞ。よく分からないが、ジュードは良くしてくれている。あまりからかわないでやってくれ」 「ミラ……」 ジュードと視線が交差する。 小さく微笑めば、返ってくる表情が心地よい。何をそんなに動揺する必要があるのだ。私たちは正々堂々料理をしていただけなのだから。 「そうだね。うん」 こくりとジュードが頷いた。 きっと私の言いたいことは伝わっている。 「まだ少し時間がかかるが、せっかく皆揃っているのだ。出来あがったスープを味見してもらえないだろうか」 「もちろん」 「はいっ!」 「楽しみにしていますよ」 「俺の評価は厳しいぞ」 望むところだ。 にやりと笑えば、同じように料理魂に火をつけたジュードと視線がかち合う。私たちの共鳴技を見せてやろうじゃないか。 「エルが帰ってきた時には、絶対美味しいスープにしなくちゃね」 「ああ」 初めて湯の中に入れた玉ねぎは、綺麗な半透明になって鍋の中で踊っていた。 12.11.24執筆 |