白銀の髪が、泥濘へと沈んでゆく。
「ローエン!?」
「……あと、一人だね」
「くっ……」
ついに、今この場に立っているのは分史ジュードとルドガーの二人だけになってしまった。6対1だからと決して油断していたつもりはなかった。それでもここまで追い詰められることになったのは、ひとえに分史ジュードの状況判断力を侮っていたとしか言い様がない。
この世界のジュードはたった一人でアルクノアと対峙している。アルヴィンを、そしてあの手ごわいミュゼでさえも倒しているのだ。基本戦術が正史世界のジュードと同じであると考えることが根本的に間違いだった。
公平な戦いを、というのはあくまでもスポーツ的な感覚なものだ。実際の戦闘では相手の不意を突く、弱点を探す、脆いところから崩していくというのが定石となる。その点、分史ジュードはそれらを突くのが抜群にうまかった。
初手で強力な回復術を持つエリーゼを倒し、気を惹きつける言葉でジュードの不意を突いた。相手の得意属性を熟知した上で対策を練り、油断したところを叩く。そうして崩していった陣形の中から、力の弱いものから蹴落としてゆく。その結果、最後に残されたのがルドガーというわけだった。
恐らく、分史ジュードもルドガーの実力を測りかねる部分もあったのだろう。今回初めて目にする顔に、警戒していた節が多々ある。
「銃にハンマー、双剣。遠・中・近距離攻撃を切替えるのがきみの戦術なんだね」
何かを分析するように、分史ジュードがルドガーの瞳を捉える。
「でも、まだ何か隠し持ってるよね?きみからは余力を感じる」
「……っ」
「だんまりなんだね。でも、もういい」
そう言って、分史ジュードは不敵に微笑んだ。
「きみの弱点はもう分かった」
「!?」
青い上着を翻してジュードがルドガーに背を向ける。ここへ来てまさかの敵前逃亡に、ルドガーが面食らう。いくら実力を測りかねる相手との一対一とは言え、ここまで戦力を削いだ後での行動としては辻褄が合わない。
……違う!分史ジュードはただ逃げたわけじゃない!
ようやく分史ジュードが向かった先にあるものに思い至るも、もはや事態は手遅れだった。
「ルドガー…!」
「エルっ!!」
まるで信じられないものを見るかのようなターコイズブルーの瞳が揺れている。
岩陰から固唾を飲んで戦いを見守っていたちっちゃなエルを掴みあげて、分史ジュードは微笑んだ。
「抵抗すればこの子が死ぬよ」
その温和な表情から口にされる物騒な言葉に、ルドガーが息を呑む。ルドガーのよく知るジュードなら、勝つためとは言え、決してこんな手段は取らない。
「ダメだよ、ルドガー!」
「ちょっと黙っててね」
叫んだエルの頬をパチンと叩く。柔らかいエルの頬は、たったそれだけで真っ赤になった。
「やめろっ!!」
この世界のジュードがやると言ったら本当にやってしまう。目の前で事もなげに行われた一方的な暴行に、ルドガーが悲鳴を上げた。
「じゃあ武器を捨ててくれる?」
「……っ…」
「ルドガー…!」
泣き出しそうなエルの声が、雨音にかき消されてゆく。カラン、と高い音を立てたのは、ルドガーが投げ捨てた武器の音だ。双剣、双銃、ハンマー。一人が持つには多すぎる武器が全て投げ出される。
「………これで」
バチャ、と音を立ててエルが泥の中に放り投げられた。泥まみれになって岩肌を転がるエルに視線を取られたルドガーの世界が回る。強烈な分史ジュードの一撃が顔面に叩きつけられたのだ。
「終わりだよ……っ!」
鼻血を出して怯んだルドガーに追撃を放つ。よろめく体に、手加減など加えられるはずもない。ガンレットで武装された拳が無防備なルドガーの腹にめり込んだ。
「がはっ……!」
泥の中に落ちた体を続けざまに蹴り上げる。
「やめて!もうやめてよジュード!!」
耳を塞ぎたくなるような酷い暴行音が聞こえる。目の前で繰り広げられる一方的な攻撃に、エルの瞳からは大粒の涙が溢れ出した。
大切な仲間であるジュードと同じ顔を持つ分史ジュードが、大好きなルドガーをボロボロにしてゆく。そんな光景を見ていられなくて、よろめく体を叱咤してエルは立ち上がった。
「ルドガーをいじめないでぇ……っ!!」
駆け出して、ルドガーを庇おうとしたエルの上着をそっと引く腕があった。涙に濡れた瞳が、引き止められた腕を見上げる。
引いたその腕を持つ人は、目の前の分史ジュードと同じ青い上着を纏っていた。
「ジュード……!」
「っ……レイアの幻術…!」
瞬間的に分史ジュードが、先ほど倒したレイアへと視線を投げた。泥の中で微かに動くその背中から、なけなしの力を振り絞ってジュードを回復したことが伺える。投げ飛ばした位置にまで気を配れなかったのは、分史ジュードにとって痛恨のミスだ。
静かな怒りに燃えた琥珀色の瞳が、真っ直ぐに時歪の因子<タイムファクター>へと向けられる。
「きみと僕とでは立場も、状況もまるで違う」
暗に僕らは同じではないということを滲ませて、ジュードは告げる。分史世界と正史世界は似て異なる世界。そこに住む人も物も完全に同じわけではない。生い立ちや環境が変われば、育まれる人格もまた変化するからだ。
「だからって僕がきみのことが許せるわけじゃないよ……!」
スッと構えられた動きは、分史ジュードのそれと完全に一致する。そうだというのに、分史ジュードの構えよりも遥かに洗練された動きのように見えるのは一体何故か。
「……いいよ」
泥まみれでぐちゃぐちゃのルドガーを一瞥して、分史ジュードがジュードと対峙をする。
「今度こそ再起不能にしてあげる……っ!」
ぐっと腰を落として構えを取った。しとしとと降り注ぐ雨の中で、紅い瞳だけが怪しく光っている。
「はああああああああっ!」
最初に動いたのは分史ジュードだった。気合とともに振りかぶられた拳は、外回りの大振り。最小限の動きでそれを避けたジュードが、アッパーを入れる。決めた攻撃は、そのまま踏み切られた。ジュードの攻撃を耐えた分史ジュードが、続けざまに反撃の足技をかける。
「三散華・追蓮!砕けろ!」
「飛燕連脚!せいやっ!」
「烈風拳!おちろ!」
「巻空旋!」
「夕凪!」
「輪舞旋風!」
「尖牙!」
目まぐるしい程の技の応酬が繰り広げられる。殴る、蹴る、払う、落とす。相手を捉えるチャンスが一瞬でも巡ってくれば、一撃でもいいから攻撃を叩きつける。
もはや技の応酬というよりは、単なる殴り合いだ。雨と泥にまみれながら、二人のジュードは転がるようにしてお互いに拳をぶつけ合う。
「ミラは……ミラは僕が守るんだ……!」
「どうしてそれが間違いだって気がつかないの!?自分の足で立ち上がらなくちゃ!誰かに縋って生きて、それからどうするって言うんだよ……っ!」
「うるさいうるさいっ!何も知らない幻術が知ったような口を聞くな!」
「言うよ!きみは僕の可能性だ!だったら僕がきみを止めなくちゃ!」
「余計なお世話だよ!僕は僕のなすべきを成すんだ……!」
「本当に?本当にそれはきみが成さなくちゃならないことなの?ミラはそんなことを望んでいるの!?」
その言葉を投げかけた時、一瞬だけ分史ジュードの動きが止まった。

『思い出して欲しい。私がどんな世界を夢見て……きみに託したのかを』

その硬直をジュードは見逃さない。
「衝破!……魔人拳ッ!」
激しく叩きつけられた拳が、周囲に衝撃波を与える。浮き上がった分史ジュードの体を、今度こそジュードは捉えた。
「あきらめないよ!天破!地砕!」
その無防備な背中を蹴り飛ばした後、くぐり抜けるようにして前方に回り込む。
「拳砕けても!開くっ!」
叩き込まれるのは、一撃一撃に想いを込めた連撃だ。
「殺劇!――――舞荒拳ッッ!!!!」
渾身の最後の一撃は、分史ジュードの体を大きく吹き飛ばした。
「今だよ、ルドガーッ!!」
叫ぶように、ジュードがその名を呼んだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおっっっっ!!!!」
骸殻の力を解き放ったルドガーの体が黒い装甲に覆われる。その腕に握り締められたのはクルスニク一族にのみ許された槍だった。
「マター・デストラクトッッッッッ!!!!!!!」
巨大な光に包まれた槍が、分史ジュードの心臓を狙って投げつけられる。寸分変わらぬ狙いで投げつけられた槍はそのまま吸い込まれるように分史ジュードの胸へと迫り――――ズブリと肉を裂いて貫いた。
「………………え」
ゴプリ、と口元から鉄臭い血が零れた。だけど、そんな些細なことはどうだっていい。
どうして。
ねぇ、どうして、ここにいる。
どうして、僕の前で微笑んでいる……?
「ジュード」
二人のジュードは、全く同じ格好をしていた。
青と紫で染め上げられた、色鮮やかな衣装。ル・ロンドからイル・ファンへ上京する時に気負って買った……レイアに言わせると一張羅。
お互いに泥まみれになりながら、もつれ合うように戦っていた二人を見分けるのは困難だったはずだ。戦いの最中にいる当人でなければ、見分けることは難しいに違いない。
……それでも。
それでも、彼女は見分けた。
たった一人の――――彼女だけのジュードを守るために、ミラは、槍にその体を貫かれながらもジュードを抱きしめた。



To be continued…





13.03.16執筆