「大好きだよ、ミラ」
差しのばされた手のひらを、ミラは今度こそ拒んだ。
「……ミラ?」
「私はきみのその手を取るわけには行かない」
小さく頭(かぶり)を振る。そんなミラの仕草に傷ついたような表情をしたジュードは、途方にくれたような瞳で見上げていた。……それに良心が痛まないわけがない。正史世界のジュードと同じ顔を持つこの世界のジュードを見るのが痛い。それでもミラは、告げる言葉を躊躇ったりはしなかった。
「――――きみは間違っている」
はっきりと、その真紅の瞳を真正面から捉えてミラは宣言した。
「…………」
目の前に立つジュードは、顔色を無くしたままミラを呆然と見つめていた。どれくらいの時間が経ったのだろうか。やがて、ぼんやりとした瞳のジュードは、定まらない焦点のままに燃え上がる炎を見上げた。
「……どうして」
ぽつりと。
「どうして、ミラがそんなこと言うの……?」
零すように。
「ミラにそんなこと言われたら」
震える手のひらで。
「僕は……僕は何のために……っ!!」
――――胸のガラス玉を握り締めた。
クシャクシャになった表情から、ジュードの感情のうねりが伝わってくる。何のためにここまでやってきたのか。何のために今まで失ってきたのか。その理由を見つけることのできないジュードが、声にならない叫びを零す。
「…………ジュード」
告げたのはミラだ。そして、一度発した言葉は取り戻すことはできない。
最愛の人と同じ顔を持つその人の絶望に染まりきった顔を、ミラは痛ましいものを見る眼差しで見下ろしていた。
いずれ、この分史世界を破壊する。壊すということは失うということだ。いずれ失われる世界なのだから、このジュードがどうなろうと知ったことではない。そうやって割り切ることが心に傷を追わないための防御策となるなら、それも一つの選択なのかもしれない。
だけれども、ミラはそれを良しとは思わなかった。
「思い出して欲しい」
きみとの出会いは僅かな時間だったけれども……思えば、やはりきみも『ジュード』だった。
至近距離で見つめられた真紅の瞳。
手のひらを取って、きみは嬉しそうに笑っていた。
約束してくれる?……そう、見上げた表情に浮かんでいたのは不安の色で。
『絶対に無茶したりしないで。……もしも、また……また、ミラを失うようなことになったら、僕はもう……っ』
泣き出しそうな顔で告げられた言葉から、私はきみの本当の願いを耳にした。
「私がどんな世界を夢見て……きみに託したのかを」
なあ、ジュード。きみもまた、『ジュード』なのだろう。だから――――私も信じよう。きみの中に眠っている本当の強さが芽吹くことを信じていよう。誰かが信じなければ、きっと何も始まらないと思うから。
そして、今、暗闇の中でがむしゃらにもがき続けているきみを救える一番近い位置に私はいる。その手を取るのは私ではなくとも、『私』にしかできないことがある。
いずれ破壊する分史世界で、私の行動は贔屓しすぎたものなのだろう。それでも私は、この世界のジュードをこのまま放っておきたくない。たとえ傷つくのは自分だろうとも、ジュードに対して無責任な自分で在りたくない。
置いてけぼりにされてしまった子供のような眼差しのジュードに微笑みかける。そうしてミラは、言葉を続けた。
「ニ・アケリア霊山の山頂にてきみを待つ」
「………え……?……」
「きみに会わせたい人がいるんだ」
「ミラ………?」
分史世界はもしもの可能性だ。もしかしたら、私の世界のジュードもこうなっていたかもしれない。そう思えば思うほどに、このままにしておくことはできないと思った。
「きみの……きみだけの成すべきことを見つかることを」
ジュードの真紅の瞳を真っ直ぐに見つめる。どうかこの願いが届けばいいと祈りながら。
「私は信じていよう」
この世界のマナで構築していた体からマナを抜く。実体化できていた体は、その瞬間に形を失い、蜃気楼のように薄らいでいった。
「ミラ!?」
悲鳴のようなジュードの言葉が聞こえた。真紅の瞳が、信じられないものを目にするかのように見開かれている。
差しのばされた手のひらは、宙を切る。あっけないほど簡単にすり抜けてしまった手を呆然と見つめながら、ジュードはまるでこの世の終わりみたいな顔をしていた。
「そんな顔をするな……」
私たちはきっとすぐに会える。……だから。
「少しの間、さらばだ。ジュード」
空に溶けて、消える。
そこにミラがいたという証だけをジュードに刻みながら、ミラはリーゼ・マクシアの世界から姿を消した。



「ウンディーネ」
「はい」
「ジュードたちがいずれ、イル・ファンにやって来るだろう。私たちがニ・アケリア霊山に向かったことが分かるよう、この手紙をラフォート研究所前の水路に落としておいて欲しい」
「直接手渡さなくていいのですか?」
「探すのに時間がかかるだろう。これから向かう場所へは四大の力が必要になる。すぐに戻ってきてくれ」
「……なるほど。そういう事なのですね、ミラ」
「ああ」
「ミラも大概ジュード贔屓だよ、ホント」
「私もそう思うよ」
―――――瞼を持ち上げる。視界に広がる世界は、見慣れたリーゼ・マクシアの世界だ。ここには人間がいないことだけを除けば、先程までいた世界と何ら変わりはない。
「すぐにここへ帰ってくることになるとは、不思議な気がするな」
思わずそう小さく零して周囲を見渡す。人間界で見慣れたイル・ファンの夜域も、そこに存在する微精霊たちの姿によってまた少し見え方が違う。
「早急に探し出さなければならないな」
あの時、何をして、どんなことをしていたか。過去の記憶を掘り起こしながら、ミラはそう言葉を続ける。
たどり着いたのは精霊界。この広い世界の中でたった一人の精霊を探すために、ミラは夜域の空を見上げた。



To be continued…






13.03.10執筆