「っ……うぅ……レイア……っ!」
しがみついてきたエリーゼの小さな体を始めは困惑しながら受け止めていたレイアは、やがてその背中をあやすようにそっと撫でていた。
レイアにとって、この経験は二回目の出来事だ。一度目はウォーロック。そして、二度目がエリーゼ。
つまり、この髪を下ろしたエリーゼ――――分史世界のエリーゼは、レイアの死を知ってしまっているということらしい。
瞳を閉じたレイアが空を仰ぐ。……この世界のわたしは、どうして死んでしまったのだろう。こんなにもわたしを想ってくれる人たちがいるのに、どうして先に置いて逝ってしまうだなんて親不孝なことをしてしまったのだろう。
その答えを知るわたしはもういない。あるのはただ、抱きしめられた小さな腕と、服を濡らす熱い涙だった。
「まさか、本当に……!?」
エリーゼをあやすレイアの仕草に、ローエンは驚きを深くする。そんなローエンを前に、冷や汗をかいているのはジュードとアルヴィンだ。
「なぁ、これってマズくないか?」
「だろうね。いないはずのレイアと会っちゃった訳だし……」
「ここで色々取り繕うのは無理が出るってわけか」
アルヴィンが確かめるようにルドガーに振り返った。
「ルドガー、今回の世界は異世界から来たことをバラしちまおう」
「……いいのか?」
「ジイさん相手に下手に取り繕わないほうがいい。変に勘ぐられて敵対するよりは、情報共有して助けてもらうように運んだほうが有益なはずだぜ」
もちろん、全部を話す気はないけどな。
続いたアルヴィンの言葉の強かさに苦笑して、ルドガーが頷く。分子世界侵入作戦のリーダーから了承が取れたところで、アルヴィンはローエンに一歩踏み出して近づいた。
「ローエン、俺たちの話を聞いてくれないか」
「……アルヴィンさん」
ローエンの理知的な瞳の中に、一瞬だけ暗い悲しみが宿る。それを振り払うかのように首を振ったローエンは、顔を上げてアルヴィンを見定めた。
「聞きましょう」



「つまり……ここにいる皆さんは、私たちの世界とよく似た別の世界からやって来たという訳なのですか?」
信じられないものを見るかのようにローエンはジュード、アルヴィン、レイアを順番に見た。
「ですが、そういうことなら辻褄が合います。なぜここに亡くなったはずのレイアさんとアルヴィンさんがここにいるのか。ジュードさんが二人と一緒にいるのか……」
「オイ。俺も死んでるのかよ」
「おや、ご存じなかったのですね。レイアさんのことはご存知だったようなのでてっきり」
「俺たちはここに来てからまだそんなに経ってないんだよ。訳分かんねえことが多すぎて、何が何だかさっぱりだぜ」
お手上げだと言わんばかりに両手を上げたアルヴィンから、そろりそろりと遠のいたのはエリーゼだった。
レイアの後ろにさっと隠れながら、半眼でじとりと見上げている。
「アルヴィンのバホー!!ジュードとレイアを狙ったりするから返り討ちにあうんだー!!」
喋らないエリーゼの言葉を代弁してか、ティポが謎の柔らかさを駆使してアルヴィンの頬に激突する。その言葉に驚いたのはジュードの方だ。
「えっ!?ってことはアルヴィンが死んだのってもしかして……」
「……ジュードさんが思っている通りです」
ぽつり、と零すようにローエンは言う。その言葉が全てを物語っていた。
「レイアを失って逆上した僕が……アルヴィンを殺してしまった………?」
場に降りた沈黙は、思っていた以上に深刻さを帯びてきた事態に対してのものか、はたまた。
「だとしたら、ミラは……」
「ミラさんもいらっしゃるのですか!?」
「ああ。ル・ロンドで一度、俺とミラはこっちのジュードに会ってるんだよ。その時、一緒に連れて行かれちまった」
アルヴィンの言葉に、驚きを隠せない様子でローエンが髭を撫でた。そういう仕草も正史世界のローエンと全く同じなのが、良心を痛ませる。
――――分史世界を破壊する。
本当の目的を口にしないままローエンと交わすやりとりは、一行に重い鎖となって伸し掛る。
「じゃあレイアもアルヴィンも、ジュードもミラも……みんな、この世界のみんなじゃないんですか……?」
ぎゅっとティポを握り締めたエリーゼが不安そうに見上げていた。
どこか泣き出しそうにも見える翡翠色の瞳が揺れている。その瞳を真正面から見定めて、アルヴィンは腰を下ろした。
「ごめんな、エリーゼ」
「アルヴィンに言われても、嬉しくなんかないですっ」
ぷいっとそっぽを向かれてしまう。
それに息を詰まらせたのはアルヴィンの方だ。以前の軽薄さを脱ぎ捨てたありのままのアルヴィンは、案外傷つきやすく、年下の女の子の言動に簡単に振り回されてしまう性質(たち)らしい。
「あー……うん、久々にくるわ」
遠い目をしたアルヴィンに、レイアがポンと肩を叩く。その親しげな様子に、ティポを握りしめていたエリーゼは驚いたように目を丸くした。
「レイアはあんな酷いことされたのに……アルヴィンを許したんですか?」
「確かにわたしたちの世界でも色々あったけど、今のアルヴィンが頑張ってるの知ってるから」
そこまで言ったレイアは、にっこりと微笑んでエリーゼを見た。
「わたしは頑張ってる人の味方なの」
「……わたしには分からない……です」
困惑したように顔を伏せたエリーゼに、アルヴィンが苦笑したように続けた。
「いいんだよ、それで。もし話してもいいって気になったら話しかけてくれ。……って俺に言われても嬉しくないだろうけどな」
「…………」
見上げる翡翠の瞳は困惑に揺れている。そんな二人のやり取りを見つめて、驚いたように声を零したのはローエンの方だった。
「そちらの世界のアルヴィンさんは、随分雰囲気が違うのですね」
「そうなの?ローエン」
「おや、お嬢さん。……そう言えば自己紹介がまだでしたね。私はローエン・J・イルベルト」
「エルはエルだよ!こっちはルドガー!エルのアイボーなの」
「よろしく」
「おや、それは頼もしい相棒ですね。よろしくお願いします」
差しのばされた手のひらを握り返して、ローエンが顔を綻ばせる。見慣れないメンバーに対して、このスマートな対応ぶりは流石はローエンといったところだ。
「さっきの続きだけど」
ローエンの服の裾をちょいちょいと引っ張って、エルが言葉を続ける。
「エルの知ってるアルヴィンはずっとこんなんだよ」
そうして、アルヴィンを見てにかりと笑う。
「強くて、一生懸命で、失敗したら凹んで、大人なのに子供っぽいけど、それがエルの知ってるアルヴィン!」
「…………エル」
驚いたようにエルを見下ろしたのはアルヴィンだ。屈託のない笑顔に、釣られるようにしてアルヴィンも微笑む。
「大人なのに子供っぽいのは余計だっつーの」
「でもそうじゃん」
「ふふ、良かったね。アルヴィン」
ふんわりと笑ったジュードに、アルヴィンもまた頷き返した。
そんなやりとりを今まで静観していたエリーゼは、ふと顔を上げてアルヴィンを見た。翡翠色の瞳が、アルヴィンの瞳をじっと見上げる。
「…………」
「ちょっとだけ見直したかも〜」
エリーゼの言葉を代弁するかのように、腕の中から離れたティポがくるくるとアルヴィンの傍で回る。
「でも……ちょっとだけなんですからね」
「ああ。それでも嬉しいよ」
柔らかく微笑んだアルヴィンがエリーゼを見下ろす。その表情に驚いたように息を呑んで、けれど想いを言葉にすることが難しいのか、エリーゼは小さくたたらを踏んで手のひらを握り締めるだけだった。
「先程のミラさんがジュードさんに連れて行かれたという話なのですが、それは間違えないのですか?」
「ああ、間違いない。確かに見た」
「だとしたら、かなりマズい事態ですね……」
「どうマズいんだ?」
アルヴィンが頷き、ルドガーが首を傾げる。そんな二人の反応を見て、ローエンはジュードを見つめた。彼なりに違う世界のジュードのことを気遣ってくれているらしい。その心遣いさえもローエンらしくて、ジュードは小さく笑って言葉を促した。
「僕のことは気にしにないで。僕は僕で、この世界の僕とは違うんだから」
「ありがとうございます。では……こちらの世界のジュードさんは、今、アルクノア壊滅のために動いています」
「え!?」
ローエンの言葉に驚いたのはレイアの方だ。目を丸くしてジュードを見つめ、それからローエンを見た。
「なんでジュードがアルクノアを……」
「ミラさんの意志を引き継ぎたいと思ったからでしょう」
「ミラの……意思……」
ぽつりと零すように、ジュードはその言葉を反芻した。それから一拍置かずして、顔を上げて言葉を続ける。
「それは間違っているよ。ミラは人間と精霊が共に生きれられる世界を守りたいんだもの。……アルクノアを倒すことは、ミラが本当に願っていることじゃない」
凛とした表情で、迷いもせずにそう言いきる。
ミラが願っていること。ジュードが願っていること。夢見た同じ未来のために行動する二人の意思は固く、ローエンはただその一言で、目の前のジュードが自分たちの世界のジュートとは別人であるということを実感せざるを得なかった。
「その通りです。アルクノアを倒そうとしていたミラさんの行動は、元はその願いから生まれたもの。……ただ、アルクノアというだけで無差別に殺戮を繰り返すのは間違いです」
「この世界の僕は、そんなことを……」
「すみません。ですが、いずれは伝えないといけないことならば早く伝えてしまったほうがいいと思いまして」
「ううん。言ってくれてありがとう、ローエン」
「ありがとうございます。……この世界のジュードさんは、すでにミュゼさんも倒しています」
「あのミュゼも!!?」
「ミュゼさんは、正常な様子には見えませんでした。ジュードさんはどうやら策にはめてミュゼさんを倒したようです」
「なるほどな」
深刻な表情のアルヴィンがジュードを見た。その視線に頷いて、ジュードが言葉を続ける。
「そんな状態の僕が……ミラと会ってしまった」
ええ、とローエンもまた表情を暗くして返事を返した。
「正直、どういうことになるのか私にも読めません」
かつてのジュードはミラに憧れ、彼女の行動を助けようとした。けれど分史世界のジュードは、自らの意思でアルクノアを壊滅させることこそが自身の使命だと見誤ってしまっている。そこに正史世界のミラがやって来たとしたら――――…悪い想像しか膨らんでこない。
「早く二人を探さなくちゃ」
「私たちもジュードさんを止めようと思ってここまでやってきたのです。一足遅かったようですが……」
「ってことは、やっぱりこの爆発はジュードの仕業なのか」
「ええ。この倉庫はアルクノアの潜伏先だったようです。……ジュードさんは既に目的を果たしてしまった」
「事件を起こした張本人が、長く街に滞在することは考えにくいな」
「じゃあ、二人は一体どこへ……」
途方にくれたようにレイアが肩を落とす。
ようやく定期便を確保して、ル・ロンドからイル・ファンまでやって来たというのに、わずかな時間で間に合わなかったのだ。肩も落としたくなるというものだ。
「何か手がかりになるものがあるかもしれない」
額に手を寄せて考え込んでいたジュードがぽつりとそう漏らした。
「ミラは多分、僕たちがここへ来ることは予想してると思う。もし、違う場所へ移るとするなら、きっと手がかりを残してるはずだよ」
そこまで言って、閃くものがあったらしい。顔を上げたジュードは、もしかして……と小さく零した後、唐突に走り出した。
「えっ、ちょっとジュード!?」
風になびく青い衣装に慌てたのはレイアの方だ。慌ててその背中を追いかける。
ジュードは、ひたすら真っ直ぐ走っていた。人通りの多い通りを脇目もふらず横切り、細通路へ入り、やがてたどり着いたのは巨大な施設の前だった。
「……ここってラフォート研究所?」
はあ、と唐突に走る羽目になったレイアが、困惑したように建物を見上げた。
「正確に言うと、心当たりがあるのはそこの水路…………やっぱりあった」
水路への階段を降りていったジュードが、水面に浮かぶ白い紙切れを見つけて手を伸ばした。
不思議なことにその紙切れは、水面に浮かんでいたはずなのに全くと言っていいほど濡れていなかった。恐らく水精霊の加護を受けていたのだろう。今まさに取り出したとばかりのような状態で、ジュードの手のひらにしっくりと馴染んでいた。
「おーい!いきなりどうしたんだよ」
ジュードを追いかけていた残りのメンバーも遅れて到着する。それを見て、ごめんとジュードは苦笑を漏らした。
「ここは、ミラと初めて出会った場所なんだ」
「そうだったのか……」
「ミラとの思い出が深い場所だから。もしかすると何かあるかもしれないと思ったら、やっぱり手がかりが残されていたよ」
ミラがGHSを持っていたら簡単だったんだけど。そう零しながら、原始的な方法で残されていた紙切れをジュードは差し出した。
「おい、ここって……!」
そこには確かに、ミラの筆跡で次の目的地が記されてあった。記された地名に、アルヴィンとレイアが驚いたように息を呑む。
逆にルドガー、エル、エリーゼ、ローエンの方には心当たりがなかったらしい。頷き合っている三人を前に、困惑しながら顔を見合わせた。
「……ミラ」
噛み締めるようにジュードがその名前を呼ぶ。
なぜ、ミラがその地を選んだのか。その意図を思えば思うほどに、切ない気持ちが湧き上がってくる。
「あの人なら、ダイジョブだよ。きっと」
夜域の空を見上げたまま黙り込んでしまったジュードの裾を、エルが微かに引っ張った。その優しい気遣いに、ジュードはふわりと微笑んで答える。
「うん。僕も信じてる」
ミラがやろうとしていることは分かった。後は僕たちがどう行動するかだけど―――――そんなのは決まってる。
「ミラを追いかけよう」
振り返って見た仲間たちが、こくりと頷く。その頼もしい合図に、ジュードは心からありがとうと感謝を述べた。



To be continued…





13.03.09執筆