ヘリオボーグ研究所・総合開発棟13F。
「うわぁ、懐かしいな」
現在は源霊匣研究室として割り当てられた部屋の中で、白衣の研究員――――ジュード・マティスは懐かしそうに引き出しの中から衣類を取り出した。
鮮やかな青色に染め上げられた裾の長い上着は、ル・ロンドからイル・ファンへ上京する際、なけなしの貯金を叩いて店員に進められるがままに購入したものだ。幼馴染に一張羅だねだなんてからかわれたことも懐かしい。
一年前の旅で苦楽を共にした衣装。思い入れがあるだけになかなか捨てることができなくて取っておいたんだっけ。思わず小さく笑って、青い上着の埃をぽんぽんと払う。
「おお、以前ジュードが着ていた服だな」
「ミラ」
背中からかけられた声にドキリとしてジュードは振り返った。
ミラさんから文字通り入れ替わるようにして帰ってきた本物のミラ=マクスウェルに、多分、僕はまだ落ち着かないでいる。
一年間、お互いの生き方を信じてきた。
またミラと会える日がくるまで、自分の生き方に胸を張れるように頑張っていこう。そう決めて源霊匣研究に打ち込んできたつもりだ。
もう、ミラの後ろをついて行くだけじゃない。ミラの隣に立って、同じ目線で、互いに手を取り合って歩んでゆく。
落ち着かない理由はきっと、一年前までは憧れの方が強かった想いの形が少しずつ変わりつつあることだ。胸の内の想いをそっと分析して、ジュードは微笑んだ。
「懐かしいな。今はもう着たりしないのか?」
「そうだね……。こっちの研究所に来てからは暫く着てないなぁ」
「……そうか」
「もしかして、また着てみたらいいのかな」
心なしかぴょこんと跳ねたチャームポイントがしょげかえっているような気がして、まだ少し高いミラの瞳を見上げる。
「ああ!」
途端、とても分かりやすくミラが破顔したので、やっぱり想像は外れてなかったとジュードは小さく笑った。



「……で、着てみたんだけど」
久しぶりに袖を通した衣装は、なんとか体に収まった。
これでも少しは身長が伸びたんだからね。本当は、ミラの身長を超えるくらいは欲しいのだけど。
ささやかな願いは胸に秘めて、ジュードはミラに感想を求めた。
「髪型も以前のものに戻したんだな」
「せっかくだからね。まあ、こっちの方が簡単だし」
「む。そうなのか?」
「あ、うん。一応セットしてるんだ」
「ほう。少し見ない内にジュードはお洒落になったのだな」
くすりと楽しそうにミラが微笑む。
その言葉がなんだか気恥ずかしくて、照れを誤魔化すように咳払いをした。
「そっ、そんなことより、どうしてまたこの服を着て欲しいって?」
「ん?ああ。……髪型だけじゃない。一年見ない間にきみは随分変わった」
どこか遠いものを見るような眼差しで、ミラは言う。
「だから、一年前。共に旅したきみの姿を思い出したくて……頼んだのかもしれないな」
ミラらしくない曖昧な返事。もしかするとミラ自身、なぜ頼んだのかよくわかっていなかったのかもしれない。けれど、その姿を確かめることのできなかった一年という月日は確かに流れていて。
「うん。ミラもちょっと雰囲気変わったかな」
「そうかな?」
「前より少し、穏やかになった気がする」
「酷いな。それほど私は気性が荒かった覚えはないぞ」
「そ、そうじゃないよ。なんというか……う〜ん、丸くなったというか……」
「ふふ、冗談だよ。もしかすると、精霊の誕生を見守ってきたことが影響しているのかもしれないな」
楽しそうにミラが笑みを零す。
その横顔は一年前と変わっていなくて、どこかほっとしている僕がいた。……そっか。ミラが欲しかったものはこれだったのかもしれない。
「どうしたのだ、ジュード?」
「なんでもないよ。……そうだ。せっかく着てみたんだから今日は久しぶりにこの服でいようかな」
「おお!それはいいな。たまには気分が変わっていいだろう」
「ミラったら」
分かりやすく喜ぶミラの顔が嬉しくて、思わず一緒に笑ってしまう。
……最近は、そういいことばかりではなかったから、気分転換も兼ねていいかもしれない。
守ることのできなかった意志の人が、真っ暗な穴の中に吸い込まれてゆく情景が一瞬だけ脳裏をよぎる。
忘れてはいけないと思う。
彼女が生きた分史世界を。それを破壊したという僕たちのエゴを。
手を伸ばすことさえ叶わなかったけれど――――…それでも、ミラさんは間違いなく生きていた。
「ジュード」
「……あ、ミラ?」
気がつけば、すぐ目の前に赤いルビーの瞳が瞬いている。鼻先がくっつきそうなほど近くに現れたミラの顔に、一瞬だけ面食らう。
そうしてひと呼吸置いてから、ジュードはみるみるうちに顔色を真っ赤にさせていった。
「おお、蛸のようだ」
「………酷いよ、ミラ」
思わずといったふうに感心の声を上げるミラはいつもの通りで、それに内心面白くない思いを感じながら、それでも彼女に触れる勇気が持てない。
ミラは僕にとって、他の誰よりも特別な存在だ。
離れていても信じてる。人と精霊の立場から、それぞれに世界を良くしていこう。きっと、その意志を無条件で信じていられるのは、後にも先にもミラだけだ。
……正直なところ、一年前までの僕はミラへの憧れの方が強かったように思う。
真っ直ぐに意志を貫こうとするその力強さに惹かれて、ミラの力になることが僕の成すべきことなのだと信じていた。その想いが、少しずつ形を変えてきたのはいつからだっただろう。
目の前で微笑むミラにそっと微笑み返す。
まだその唇に触れて、口付けを落とすことは叶わないけれど、今は彼女の隣を歩いて行けることが幸せだから。
「ありがとう、ミラ」
ともすれば暗がりの中に落ちてしまいそうな思考も、ミラがいたから前を向ける。どんなに大変なことだとしても、それが僕の成すべきなのだとその命を懸けて教えてくれたのだから。
「ああ」
そうすれば、ミラも微笑み返してくれて――――こほん。
「あー…、お取り込み中悪いな」
「おお、ルドガーじゃないか」
「エルも。どうかしたの?」
振り返った見たルドガーは、心なしか顔がほんのりと赤い。エルはルドガーの後ろに隠れているみたいだけれども。
こほんともう一度咳払いをして、ルドガーは彼自身の持ち物であるGHSを持ち上げた。
「さっき、ヴェルから連絡があったんだ」
「もしかして、分史世界?」
「ああ」
「でも最後のカナンの道標の世界は、まだ侵入点が安定していないんじゃなかったっけ?」
「それとは違う分史世界だって」
「この時期に?」
最後の道標に挑もうというこの時期に入ってきたという連絡にジュードは首を傾げた。業務執行を最優先とするヴェルらしからぬ采配だ。
「……なんか、最初はこっちに道標があるかもしれないって調査していた世界らしい」
「その世界にどうしてルドガーを?」
「お世話になったセンパイが行方フメーなんだって」
足元に隠れたエルがぴょこんと顔だけこちらに向けて、ルドガーの言葉に続く。
「たまたま話で出てな。ヴェルはいいって言ったんだけど……」
「受けちゃったんでしょ、その話」
「ああ」
確信を持って訊ねれば、案の定ルドガーはこくりと頷いた。
「ルドガーも結構お人好しだよね」
「ジュードに言われたくないな」
「ふふ、そうだね。僕もお節介焼きの自覚はあるんだよ」
笑い返せば、ルドガーもまたにやりと笑う。それでも、この友人はやると言ったならやるのだろう。それがジュードの知るルドガーという人となりだった。
「僕も行くよ。その分史世界」
「私も行こう」
ルドガーがここへ来た意味を正しく理解して、ジュードは頷く。そんなジュードに続くようにミラもまた助力を申し出た。
「助かるよ」
「今更そんなこと、気にしないでよ」
こんなところでも気を使おうとする友人に笑い返す。きっとこんなルドガーだから、みんな力を貸したいと思ったんだろう。
「他には誰か?」
「レイアとアルヴィンにも声をかけてる」
「そっか。準備は万端にしないとね」
また、僕たちは世界を壊しにいく。
その意味をもう一度噛み締めるように頷いて、ジュードはルドガーを見上げた。



To be continued…





13.01.26執筆