ちゃぽん、と玉のような滴が肌の上を滑っては落ちてゆく。 浅く呼吸を繰り返す唇は艶やかに濡れて、まるで収穫を待ちわびる果実のようだ。凛とした出で立ちが常の彼女も、衣服を取り払って心地良い温度に身をゆだねれば、無防備な姿を覗かせる。 「……はぁ」 甘く零れるため息に酔ってしまいそうだ。 欲求のままに伸ばしたくなる腕をなんとか理性で抑えつけて、ジュードは今全力で祈っていた。 「ふー、極楽極楽」 頭の上にタオルを乗せて、呑気に温泉を堪能しちゃってたりするルドガーが早々に立ち去ってくれることを、とにかく全力で。 「ん、ジュード……っそろそ…ろ……」 だからどうしてそんなに色っぽいんですかミラさん! 一向に帰る気配を見せないルドガーの長湯っぷりに根負けし始めたミラがのぼせて零す声音に、ジュードの方も動揺が隠しきない。立ち上る甘い香りと柔らかい感触から必死で距離を取ろうとするものの、狭い岩陰以外に身を隠せるような場所もなく、結局のところ蛇の生殺し状態は続いたままだった。 ほんのり桜色に色づくミラ以上に、紅く染まったジュードの頬が青少年の苦悩を表している。残念ながら、この場でそれを理解できる人はいなかったものの。 「……ルドガーはまだか?」 「ごめん、まだ」 ぐったりと岩壁に体を預けたミラが、呻くように呟く。 体はすでに十分すぎるくらいに温められている。これ以上長湯をすればミラだけでなく、ジュードだってのぼせてしまうのは想像に難しくない。 早く帰ってよ、ルドガー……! さきほどから念じ続けている思いは、一向にルドガーまで届いていないようだ。 かといって今更二人揃ってルドガーの前に姿を現すのも不自然すぎる。そもそも今まで何をしていたかって話になるし……今まさにミラと密着しているだなんてとてもじゃないけど言えません。 柔らかいし、いい匂いがするし。しかも、のぼせたミラはなんというか……その、すごく色っぽい。白い肌を桜色に色づかせてため息を吐く様に、こちらの方がのぼせてしまいそうだ。 ……現に、もう動けない状況になっちゃっているし。 乳白色な温泉で本当に良かったと心の底からジュードは思う。もしもこのお湯が透明で、えらいことになってしまっている股間を見られようものなら、次の日からミラとまともに顔を合わせられる自信がない。 「………もう限界だ」 ぽつり、とミラが決意を帯びた瞳で頷いた。 それにものすごく嫌な予感を感じて、ジュードは慌てて振り返った。 「もう上がろう。なに、ここは混浴温泉だ。私たちがいることはさして大きな問題ではあるまい」 隠れようと言ってくれた君の意図には応えかねるが、私たち二人が揃いも揃って温泉で倒れてしまえば、それこそ騒ぎになってしまう。 そう続けるミラの言葉はどこまでも正論だ。 正論すぎて返す言葉もないのだけれど……その提案に乗れない理由が、ミラになくともジュードにはある訳で。どことは言えないどこを片手で隠しながら、ジュードが小声でミラを制止する。 「だ、駄目だって!」 「なぜだ?倒れてしまっては元も子もない」 「それは…そうなんだけれど……」 まさか股間が今にも爆発しそうなんですなんて口が裂けても言えない。言えるわけがない。 「君にしては煮え切らない答えだな。そのような返答では納得できないぞ」 立ちあがろうとするミラを必死でなだめようとジュードが肩腕を伸ばす。 「さーて、そろそろ上がろうかな」 水音を立ててルドガーが立ちあがったのと、ジュードが『それ』を掴んだほぼ同時だった。 「?」 立ちあがったルドガーが不思議そうに辺りを振り返った。 「なんか、音がしたような気が……?」 はらり、と音を立てて布地が宙を舞う。 ジュードが掴んだ『それ』は見間違るはずもなく――――…真っ白なタオルで。つまり、それが意味することは。 「あ」 湯けむりの中、桜色に染まった肢体が視界の中に飛び込んで来る。 華奢な肩、なだらかな曲線を描く腰、思わず目で追ってしまうほどたわわに実った二つの果実。 不意打ちで飛び込んできた目の前の光景に、ジュードの思考回路はスパークした。 握りしめたタオルがお湯の中に落ちて、ぷかりと浮かび上がる。そんなものに気を使える余裕もなく、今あるこの状況を正しく理解するのにたっぷり10秒ほどの時間を必要とした。 「ジュード?」 「〜〜〜〜っ!!?!?」 ジュードが再起動したのは、異様な沈黙に堪え切れなくなったミラが声をかけてからのことだった。 熱い血液が頭のてっぺんにまで一気に駆け上る。 み、みみ、ミラが…は、裸で……僕が…えっとタオル……うわああああああ!!!! 言葉にならない叫びが口の中でモゴモゴと繰り返される。完全に動揺したジュードは、のけぞるようにしてお湯から立ちあがった。 「……やっぱり音がした。誰か、そこにいるのか?」 「!」 さっきまで呑気に温泉を堪能していたルドガーが、ついにというか、流石にこの水音に気が付いて岩陰に近づいてくる。瞬間、頭にまで上った血がサッと下がる感覚が全身を襲う。 この状況こそ言い訳のしようがない。しかもミラは……その、は、裸だ。こんなミラの姿をいくらルドガーだとは言え、見せるわけには絶対いかない。 で、でもどうやって!!? 近づいてくるルドガーの水音に完全に冷静さを失ったジュードは、後で自分で振り返ってみても信じられないような行動に出た。 「……っ」 ミラの体を隠せるように。 想いはそれだけだった。 「……ジュー……ド…?」 驚いたようにまん丸になったルビーの瞳がすぐ傍にある。 桜色の肢体を岩陰に押し付けて、覆いかぶさるようにしてその姿を背中で守る。 この際、一緒にいられるのを知られても構わない。ミラのこんな無防備な姿を自分以外の男に見せたくない。ただ、それだけのことだった。 どくん、どくん。 心臓がまるで脈打つ装置にでもなってしまったかのように、大きな音を立てる。浅い呼吸をなんとか飲み込んでジュードが覚悟を決めたまさにその瞬間、白い鳥が突如として岩の上に現れた。 「ん?」 見慣れない白い鳥に、ルドガーが一瞬だけ不思議そうに首を傾げて……それから合点がいったように言った。 「なんだ。鳥だったか」 掻きわける水音が遠ざかっていく。そうして音が完全に届かなくなった頃、ようやくジュードは止めていた息を盛大に吐き出して――――目の前に広がる光景に絶句した。 岩を背にして、金糸を思わせるような柔らかな髪が張り付いている。しっとりと水気を帯びた肌はどこもかしこも鮮やかな桜色に染まり、とろんとした気だるげな瞳がジュードを見上げていた。 大人の色気を纏った『ミラ』という女の、ありのままの姿がそこにはあった。 「………っ…」 沸騰しそうな思考回路で思ったことは、綺麗だ、ということ。どうしてそう思ったのかなんて考える余裕すらも塗り潰されてゆく。 ただ、目の前にあるその綺麗な存在に触れてみたくて、思わず手のひらを伸ばした。 「……じゅーど」 呂律の回りきっていないその言葉すらも、今は甘く誘っているかのようだ。 恐る恐る触れた指先が、彼女の腹部へ辿り着いた。柔らかい弾力が指を押し返すのに、そういえばミュゼが『マクスウェルのお肌はすべすべ』だと言っていたことを思い出す。確かにこれはやみつきになってしまいそうな弾力だ。 「……ん…」 零れるため息はどこまでも甘い。立ち上る香りも、蕩けそうな瞳も、柔らかな感触も。その何もかもが、ジュードを捉えて離さない。 もう片方の手のひらを誘われるようにミラの頬へと添える。そうすればとろりとしたルビーの瞳が、興味深げなものに変わって…………って、え? 「ジュード」 いつの間にやら惹かれるものを見つけて意識を取り戻したらしい精霊の主が、興味深げに細い手のひらを伸ばす。 「これは一体何だ?」 遠慮なくがっちりとバインドされたのは、ジュードの分身ともいえる相棒の姿で。 瞬間、声にならない最大級の悲鳴が温泉に響き渡り――――…ジュードの苦労は水の泡と消えた。 12.12.19執筆 |