虫は虫でも可愛らしい虫もある。例えば、そう。こんな時とか。 くうぅ、と小さな音が鳴った。 誰の腹の虫なのか確認を取るまでもない。耳まで真っ赤になって俯いたのはミラだったので、つまるところ犯人は彼女なのだろう。お腹を押さえたミラは、やがてじっと見つめるルドガーの視線に耐えきれなくなって、勢いよく顔を上げた。 「べ、別にいいでしょ!?お腹がすく時はすくんだもの!」 「悪いとは言ってないよ」 「じゃあなんでこっち見るわけ!?」 「それは……」 「どうせお昼ご飯食べたばかりなのにもうお腹がすいたのかって思ったんでしょ!?分かってんのよ!」 「いや、別にそんなこと一言も……」 「じゃあ何って言うの!?」 ずい、と身を乗り出してミラがルドガーに迫る。その顔が真っ赤になっているのを見て、ついにルドガーは堪えきれずに噴き出した。 「……っ…ははは!」 「なっ、何よ!?なんで笑ってるのよ……っ」 「だって、ミラ……っはは」 そうしてたっぷり時間をかけて笑ったルドガーとは対照的に、ミラの方はというと完全に怒り顔になってしまった。半眼になったまま、ぎろりと鬼でも殺せそうな勢いで殺気立っている。 「っと……ごめん」 「別に。そこまで笑うだなんて、さぞかし面白かったんでしょうね。私のお腹の音は」 「そういう意味じゃないよ」 「じゃあ、どうだって言うのよ」 ずい、と今度はルドガーの方が身を乗り出してミラを覗き込む。唐突に近づいたターコイズブルーの瞳に覗き込まれて、ミラはぱちぱちと瞬きをした。そうしてたっぷり三秒使って、頬を真っ赤に染め上げていった。 「ち・か・い・の・よ……っ!」 「近づいたんだし」 ぐぐぐと胸を押すミラの手のひらをどこ吹く風で受け止めながら、ルドガーが微笑む。当たり前といえば当たり前の返答に、ミラは耳まで赤くしたまま声を荒げた。 「だから何だって言うのよ!?」 「……怒らない?」 困ったように小首を傾げる。またその動作がいちいち様になっていることに腹を立てながら、ミラはきっぱりと返事を返した。 「ダメ。もう怒ってるもの」 「結局怒られるのか」 「ええ、結局怒られるんだから観念して白状なさい」 豊満な胸を張って、ミラがふふんと微笑む。さあ、鉄砲でも槍でもどんな罵声でもいいわ。返り討ちにしてあげる。威勢だけは十分に、挑むように見上げたミラに降ってきたのは予想外の言葉だった。 「いや、あのな」 歯切れの悪いルドガーの声。そうして僅かな逡巡の後、照れたように頬を薄らと赤らめて言った。 「ミラのこと、可愛いなあって思って」 「……………は?」 ぽかん、と呆気にとられたようにミラがルドガーを見上げた。 どうやら言葉がきちんと届いていなかったらしい。そう結論付けたルドガーは、もう一度告げることにした。 「だから、ミラのこと可愛いなって「ななななに言ってんのよあなたはー!!」 ルドガーの言葉を遮るようにして、ミラが叫び声を上げる。その顔はこれ以上ないくらい真っ赤に色づいていた。 「だから怒らない?って聞いたのに……」 「怒るって言ったでしょ!?っていうかそういうことじゃなくて……っ!!」 分かりやすくあたふたし始めたミラを見て、ルドガーがにこにこと微笑む。 何でそんなに嬉しそうなのよ。何が楽しいって言うのよ。私は全然楽しくなんてないんですけどっ!? 半分逆ギレになりながら振り上げた手のひらは、呆気ないほど簡単にルドガーに阻まれた。 「ぼーりょくはんたーい」 「…………それってエルの真似してるつもり?」 「似てない?」 「似てないっ」 阻まれた手のひらを振りほどこうとしたら、逆に引き寄せられた。咄嗟のことに前のめりになったミラの背中をそっとルドガーの腕が支える。 「照れ隠しで怒るところも」 ルビーの色をした瞳を覗き込んでルドガーは笑う。 「女らしいところも」 思いのほか近くまで迫ったシャツからは、洗いたての洗濯物みたいないい匂いがした。 「実は押しに弱いところも……全部可愛い」 これ以上真っ赤になることなんてないと思ったのに――――どうやらそれは思い違いだったらしい。 湯気が立ちそうなほど茹で上がった頬のまま、ミラは大きな声で叫んだ。 「押しに弱いのは余計よっ!!」 腹の虫一つでこんなにも振り回されるのだから、この感情は酷く厄介モノなのだ。 13.03.24執筆 |