「ちょっとそこのお兄さん、いいブーツが入荷してるよ!どうだい!」
普段だったら、威勢のいい市場の掛け声はやんわりと断りを入れるところなのだけれど、その日は丁度靴の汚れが気になっていたところだった。まだ履けなくはないけれど、かかとの部分が磨り減ってきて、随分と黒ずんできていたのだ。オシャレは足元からとアルヴィンも言っていたし、見た目を考えるなら新調してもいい頃合かな。そう結論づけたジュードは、威勢のいい掛け声をかけた靴屋の女性に歩み寄った。
「すみません。入荷したブーツを見せて貰えませんか?」
「もちろん!メーカー品で丁度いいやつが入荷してきたところなんだよ。お兄さん、靴のサイズは?」
「サイズはこれと同じものを探しています」
薄汚れてきた靴をぺらりと裏返すと、記載された小さなサイズが辛うじて読めた。ちょっと待ってな、と大きな声で女性は告げると、機敏な動きで店の奥へと引っ込んでいく。その後ろ姿を眺めながら、なんとなくジュードは陳列された店の商品に視線を移してみた。
徐々に寒さが身に染み始めたこの季節、暖かそうな靴がずらりと店頭には並んでいる。真っ先に目を引いたのは女性用のコーナーだった。男性用、女性用とこの店ではどちらの靴も扱っているようだけれども、やはり見た目が華やかで目を引きやすい女性用は目立つところに陳列されている。エリーゼが履いているようなスニーカーから、レイアが履いているようなふわふわしたファー付きのブーツまで。ずらりと並べられた靴のヒールが、徐々に高くなっているのを眺めて、ジュードは目眩がしそうになった。
踵が高い靴は見た目を美しくさせると聞いたことがあるけれど、こんな高さのものを履いて歩いたらよろめいてしまいそうだ。足技を使う武術を嗜むジュードとしては、とてもじゃないけれどこんな細いヒールは履いてられないなと思う。……そう言えばプレザはあの細く鋭いヒールを使って攻撃していたような気がする。女性とはつくづく逞しくも、見た目の美しさにこだわる物なのだなと、ジュードの口からは感心のため息が零れた。
「ははぁ。お兄さん、ヒールに対していい思い出がないと見たよ」
いつの間にかブーツを抱えた店の女性が、ジュードのすぐ隣に帰ってきていた。ため息を吐いたジュードの様子から、どうやら誤った推測をしてしまったらしい。見当違いの発言をジュードが訂正を入れる前に、ふと、その手に運ばれたブーツへと視線が移った。
片手でいくつも持ち運ばれたブーツは、確かにどれも見た目がおしゃれだった。目利きにそれほど自信がないジュードでも、これは良さそうだと思えるような品が何点か紛れている。思わず目を奪われたジュードに目を光らせた女性は、声をかけた時と同じような威勢の良さで話し始めた。
「これは履き心地を極限まで追求したものさ。低反発のクッションが中には仕込んであって、足の疲れを軽減してくれる。それからこっちは、流行に合わせた型になってるね。トリグラフじゃ、最近はこういったシャープな形が好まれてるんだ。今風に合わすならやっぱりこういったものだね」
にやりとウインクして、さらに女性は続ける。
「だけど、あたしとしてはこっちのブーツをオススメしたいね。このブーツは、一見普通のブーツだけど、ちいっとばかし、踵のところに細工がしてあるんだ」
意味深な女性の笑みにピンときたジュードは、困惑顔でブーツを見つめた。つまるところ、店の女性が持ってきたこのブーツというのはシークレットブーツというやつなのだろう。身長を気にする世の男性陣の強い味方。履くだけで身長が上がるという魔法のような靴。その実態は、単に高さのある重い靴というわけだ。
「いや、僕は別に……」
「彼女が高いヒール履いてるんだろう?」
「か、彼女!?」
咄嗟に声が裏返ったのは、真っ先にミラの顔が思い浮かんでしまったからだ。……確かにミラは高いヒールを履いているけれど、それ以前の問題でミラの方が僕より身長が高いわけで。そりゃあ、確かにミラよりも背が高くなりたいだとか、せめて同じ目線になりたいって気持ちがないわけじゃないけど、ああでもっ。
「アタリと見たっ!どうだい、お兄さん」
「いや、でもこのくらいの高さじゃ、まだ全然足りないですし……」
って何をうっかり正直に話してるんだ僕は!今更ツッコミを入れてももう遅い。きらりと目を光らせた女性は、それじゃあこれは、と次なる商品を投入し始める。
結局、なんだかんだ話しているうちにすっかり女性のペースに乗せられてしまい、10分後には3センチ程かかとの上がったブーツを購入するジュードの姿がそこにはあった。イル・ファンに上京する前に、店員に進められるがままに買った例の青い勝負服と同じような流れだったことは言うまでもない。



「……どうしよう」
と、今更後悔してももう遅い。
手元には3センチ踵の上がったブーツが一足。センスはそれなりに悪くないとは思うものの、いきなり身長が3センチも上がれば流石に皆にバレる。絶対バレる。そしてからかわれるオチまで付くのは言うまでもないことだろう。
はぁ、と重いため息を吐いて、ジュードはブーツを眺めた。それなりのお金を叩いて買ったブーツだ。無駄にはしたくないし、いざ靴がダメになった時に履けばいいのだろうけれど、その思いよりも先に恥ずかしさの方が勝ってしまう。
どうしようかなぁ。思わず零れた心の声は、知らぬ間に口に出してしまっていたらしい。
「どうしたのだ?」
「うわぁ!?」
不思議そうに覗き込んできたミラの顔が至近距離にくるまで気がつかなかったジュードは、ルビーの瞳に写りこんだ自分の顔に驚きの声を上げた。そのまま椅子ごと転げ落ちたのはご愛嬌だ。
「珍しいな、ジュードが上の空だなんて」
ぱちぱちと瞬きをしたミラが、ジュードに手を差し伸べる。その手を取りながら、ジュードはようやく体を起こした。一体いつからミラは僕のことを呼んでくれていたのだろう。大したことのはずではないのに、思いの他真剣に悩んでいたらしい自分に苦笑して立ち上がる。
「ちょっと、ね」
「ふむ。………ん、これはブーツか?」
「えっ、あれ!?」
言葉尻を濁して誤魔化したはずが、肝心のブツが机の上に乗っていたのだから、ミラの目に留まるのは仕方のないことといえば仕方のないことだった。そして、それに気がつかなかったジュード自身は相当抜けてしまっている。
「新調したのだな」
「あー……うん」
「何だ。歯切れが悪いぞ」
「えっと、買ってはみたんだけど……」
「履かないのか?」
「どうしようかと悩んでるとこ」
「? どうしてだ?」
「あー……えっと」
まさかミラよりも身長が高くなりたいだなんて、そんな小さなことで思い悩んでいただなんて知られたくない。曖昧に言葉を濁すジュードの想いを知ってか知らずか、ミラは微笑んで言った。
「悩んでいるくらいなら、履いてみればいい。なに、私が見てやろう」
さあさあ、と消極的なジュードを再び椅子に座らせたミラは、ブーツを手にとった。このままでは本当にジュードにブーツを履かせかねない勢いだ。
あんまり知られたくないことだったけど、考えてみればミラより少し高い目線になりたいという一心で買ったブーツだ。せっかくチャンスが巡ってきたのに、今それを逃すのもおかしな話かもしれない。自分の中でそう決着を付けたジュードは、ミラからブーツを受け取って履き始めた。
「おお、いいじゃないか」
履いてみたブーツは、確かに店の女性の目利き通り良い品だった。
歩きやすいし、違和感もない。そして、いつもより約3センチ高いところに視界があった。それでも高いヒールを履いているミラよりは視線は低い。
「ねぇ、ミラ」
「どうした? ジュード」
「その……ブーツ、脱いでもらったりしてもいいかな?」
「? いいが……」
不思議そうにしながらも、ジュードに言われるがままにミラは白いブーツを脱ぎ始めた。ミニスカートの下に伸びるすらりとした形のいい素足が現れる。ヘリオボーグ研究所の冷たい床の上に、ぺたりと裸足で立ったミラはいつもより少し低い視線の中できょろりと首を傾げた。
「……ああ」
そうして、ようやく合点がいったらしい。自身と同じ高さにあるジュードの瞳を見て、ぱちぱちと瞬きをする。それに照れくささを感じながらも、ジュードはミラの隣に向き直った。
今ならここにはジュードたちを冷やかす人は誰もいない。身長のことだって、ジュード自身が勝手に思い悩んでいるだけで、ミラの方はこれっぽっちも気にしていないだろう。
すぐ近く、同じ目線のところにルビーの瞳が並んでいることを、ジュードは感慨深い思いで噛み締めていた。
「だから、君は歯切れが悪かったんだな」
くすりと微笑んだミラの横顔に照れくささを覚えながらも、素直にジュードは頷く。たった3センチ視界が変わるだけで、何もかもが新鮮な気持ちになれるから不思議だ。もしかしたら僕はすごくいい買い物をしたのかもしれない。内心思ったことに、小さく苦笑を漏らしてジュードはミラを見つめた。
「うん。ミラの視線を追い越してみたかったんだ」
「うむ。その感想は?」
「いつか、絶対身長伸ばして、自力でたどり着く」
「……ふふ、その意気だ」
微笑んだミラの顔がすぐ傍にある。
いつか、自分の力でこの場所に。改めて強い決意を胸にしたジュードが顔を上げれば、金色がすぐ傍まで迫っていた。
「……え」
「その時が楽しみだな」
微笑んだミラが、ジュードの唇に手を当てる。
一瞬だけ唇を掠めた感触に呆気にとられたジュードとは対照的に、ミラの方はコロコロと楽しそうだ。いたずらっぽい眼差しで向けられたルビーの瞳に、じわりと頬が熱を帯びた。
「楽しみにしていてよ」
きっと今、自分の顔は真っ赤になっているのだと思う。
今度この場所で自力でたどり着いた時には、このささやかなイタズラの報復をしようという固い決意を胸に、ジュードはすぐ傍にあるミラに微笑みかけた。





13.04.07執筆