この小説は、『時函-Time Capsule-』の真エンド『帰還』をモチーフにしています。
本編の世界観をご存じない方、また、真エンド未読の方は世界観のネタバレを多量に含みますのでご注意ください。































まず始めに記しておこう。
そもそもこの一件は不慮の事故によって引き起こされたもので、僕の意思、ましてや小夜ちゃんとはなんの関係もないことは重々承知している。
勿論倉敷博士然り。というよりそんなことあるはずもない。
そう。問題なのは、この一連の出来事が不慮の事故だということだろう。つまりは諸悪の根源足る存在がどこにもないということに等しい。
ああ、なんということだろう。
このやり場のない怒りをぶつけることの出来ない理不尽さ。羞恥に身を縮ませ、全身を虚構で塗り固めなければ立つことすらままならない脆弱さ。
「小夜ちゃん、具合でも悪いのか?顔色悪いぜ」
「まったく、自己管理も出来てないの?まさか人に指摘されるのを待ってるわけじゃないでしょうね。そういう女は反吐が出るって何回言えば分かるの?」
「おい!そういうことじゃないだろ、ヒコ」
「……問題ない」
「問題ない?」
「い、いいえ。具合は…悪くない…わ……」
「なんかぎこちなくねぇか?」
「気のせいじゃ……ないかしら」
「そうかぁ」
居た堪れないとはまさにこのことをいうのだろう。今にも死んでしまいそうだ。
雄大やヒコを欺いているという事実が後ろ暗いのではない。小夜ちゃんにあまりに申し訳がなさ過ぎて、僕が語るには不似合いすぎる言葉の数々が良心の呵責を誘うのだ。
ああ、どうしてこうなったのだろうか。
そう――――今の僕の姿は、なぜか小夜ちゃんそのものとなっていたのである。



そもそもの事の発端は、単なる入力ミスだった。
指定したデータの中に外部情報を接続する。当然個人情報は厳重に管理され、それらが混濁することはありえない事態のはずだったのだが、今回は直前に情報の整理が行われていた。
年々増える一方になっていた情報を整理することは、スムーズに処理を行う上で必要事項であり、当然の知識である。
さて、さらにこの情報の一大整理が起こる前に遡ろう。
この冬、本当に……陳腐な言葉では言い表すことが出来ないほど大きな幸運が僕の元に舞い降りた。
僕と倉敷博士が心血を注いだ時函プロジェクトが成功したのである。そしてそれは、現実世界で小夜ちゃんが蘇ったことを意味していた。
ああ、どれほどその時を僕らは切望していたことだろう。
小夜ちゃんが現実世界で目覚める時を待つ日々は、一日一日がもどかしく、長く感じられたものだ。そうしてついにこの冬、待ち望んだ彼女はこの世界で目を覚ました。
その瞬間、どれほどの幸福感が僕の胸を満たしたのか言葉で言い表すことは難しい。ともかく時函プロジェクトは無事成功し、小夜ちゃんは目覚めた。
クローン体として再び生を受けた彼女の誕生に、研究機関が上から下まで大騒ぎになったのは想像に難しくないだろう。
さて、ここで話は元に戻る。
つまりそのごたごたの騒動の合間に、今までため込んだデータを一斉に整理しようという話が持ち上がったというわけだ。そうこうしている内に、楽園の子供たちを外の世界へ導く役目を負った僕たちはうっかり情報が入れ間違ったまま、楽園に送られてしまい。
「なぁなぁ、小夜ちゃんのメシ作ってくれよ」
「会って早々ご飯をたかる気なの?」
「なー、いいだろー?」
僕は小夜ちゃんの姿になり、小夜ちゃんは幼い僕の姿になったまま、運悪く雄大とヒコに遭遇してしまったというわけだった。
そもそも、情報が入れ替わったと発覚したと同時にこの世界から離脱すれば良かった話なのだ。
ところがここで倉敷博士の小夜ちゃんへの傾倒ぶりが裏目に出る。
要は小憎たらしい僕の姿のまま、倉敷博士を父と呼ぶ小夜ちゃんの姿にショックを受け過ぎて失神してしまったという、なんとも間の抜けた話なのだ。……泡を吹いた倉敷博士には気の毒だが、こればかりは致し方ないと思う。
そんなこんなで、今回僕らの転送処理を行ってくれた博士が予想外の事態に見舞われた今、早期帰還が難しくなってしまったのだった。
「……どうしよう、トモ君」
「大丈夫だ、問題ない」
それにしても幼い頃の僕の顔が近くにあるのも変な話だ。ついでにその瞳があどけなく不安に揺れているところも。しかしその中身が小夜ちゃんであると分かっているのであれば、多少の違和感ぐらいどうとでもしてみせよう。僕の小夜ちゃんへの想いはこの程度の障害に阻まれるはずもない。
小夜ちゃんの名誉を守るためならば、僕は彼女を演じてみようじゃないか。小夜ちゃんが僕の顔で困惑する分には何の問題もない。
しかし僕が彼女の皮をかぶったまま雄大やヒコに余計な印象を植え付けるわけにはいかないだろう。小夜ちゃんがこれからこちらの世界に出入りすることを考えればなおさらだ。
「ごめんなさい。せっかく会えて本当に嬉しいのだけれど、今日はお父さんと大事な話があって……」
「そっかぁ」
「ほら、小夜ちゃんにも都合があるでしょう。まったく、雄大は考えなしなんだから」
「だってよぉー」
残念そうに唇を尖らせた雄大には申し訳ないが、これ以上二人と一緒にいてボロが出ても困る。遭遇してすぐに異変に気づかれかけたぐらいだ。長く一緒にいれば確実に感付かれてしまうだろう。
幼馴染ながら二人はどうしてなかなか鋭いところがある。
「ごめんなさい。じゃあ私はこれで……」
「そういやどうして小夜ちゃんと一緒にトモがいるんだ?」
――――さっさと行きたいのにどうしてこんな時に限って。
「え、えっと……その」
ああ、小夜ちゃん。
困惑するその所作すら愛くるしいのは流石なのだが、僕の姿でされると何とも言えない気持ちになるのは……こればかりは致し方ないんだ。
「先ほど偶然小夜ちゃんと会ったんだ。僕も小夜ちゃんのお父さんに用があって同行させてもらった」
「へえ、おまえがおじさんと?」
「というかおじさんって外国に行ってるんじゃなかったけ?」
「ああ。今は日本に帰ってきているんだそうだ。実は今プログラムを作ろうとしているんだが、もしよければ話を聞かせてもらえないかと話していたところなんだ」
「トモがプログラミング?」
「ああ、変か?」
「あー、まあお前なら出来そうな気もするけどよ。なんでわざわざ……ていうか小夜ちゃんに聞けばいいんじゃないか?」
思わぬ事態に少し呆けてしまっていた。
慌てて小夜ちゃんの言葉に続けるようにして喋る。
「ごめんなさい。それが私にもちょっと分からないようなところが出ちゃって……。どうせならすぐそこだしお父さんに聞いてみてって話になったのよ」
「ふーん」
「雄大やヒコには悪いが、小夜ちゃん、そろそろ約束の時間だ。帰らなければ」
「……あ、え、ええ」
僕の小さなてのひらを差し出して、小夜ちゃんは言う。
とっさにその手を握りしめて、僕らは雄大とヒコに簡単に挨拶をしたのち、彼らに背を向けて歩きだした。
「………ふぅ。緊張しちゃった」
そうして二人と別れて数刻もたたないうちに小夜ちゃんは大きな息を吐いて、僕の顔のまま破顔した。
「だってまさかあのタイミングで二人と会うと思わなかったんだもの。びっくりしちゃったね。……あれ、トモくん?」
「あ、ああ。すまない。その……少し、意外だった」
「もしかして私がトモくんの真似したの、変だった?」
「いや、それは問題ない。寧ろとっさによくあれだけの演技を小夜ちゃんが出来たと驚いているくらいだ」
完成度を言えば、最後に『雄大やヒコに悪いが』と『帰らなければ』の辺りで違和感を与えたかもしれないが、それでも初めてにしたら十分すぎる出来栄えだったと思う。比較をするのであれば、僕の喋りの方が怪しかったくらいだ。
「良かった」
そうして小夜ちゃんはにっこりと笑う。ああ、その顔が僕のそれではなく、いつもの小夜ちゃんのものであれば、まるで天使のような愛くるしさだったに違いない。非常に残念だ。
「えっとね。その……トモくんになっちゃっている今の私が、女口調で喋ったら、トモくんに変なイメージが付いちゃうでしょう?せっかくトモくんだって一生懸命私らしい口調で話そうとしてくれていたのに、私がいつものままで話すわけにはいかないと思って」
ああ、小夜ちゃん。君はなんて聡明で思いやりに溢れた女性なのだろう。
君だけのことじゃない。僕の事を思ってそこまでしてくれるなんて、もう感無量だ。
「二人の心象が多少悪くなろうが、僕は気にしない。それよりも小夜ちゃんの心配りが嬉しい」
「もう、そんなこと言うものじゃないわ。雄大もヒコもトモくんにとっても幼馴染でしょう」
……二人に頓着していないというわけではなく、小夜ちゃんの気持ちが嬉しかったということをただ伝えようとしただけなのだが、どうやら僕の言い方がまずかったらしい。
「……善処する」
やはり僕は言葉足らずなのだろうか。改善を心がけたいとは思っているのだが。
「………?」
ふと気が付くと、こちらを見上げる僕……正確に言うと僕の顔をした小夜ちゃんが珍しいものでも見たような顔した。
「どうかしたのか、小夜ちゃん」
「い、いいえ。ただちょっと、私の顔でトモくんが喋ってるのって、改めて考えてみるとすごく不思議な感じだなあって思って」
「それは……確かにそうかもしれないな」
僕の顔をして小夜ちゃんが喋っているのも、十分奇妙な体験だ。
「ふふっ、私ってこんな顔も出来たのね。ちょと新鮮」
「そんなに新鮮な顔をしていたのか?それは少し見てみたい」
「やだ、トモくん。今は自分の顔になっているのよ?」
「……そうか。せっかくの小夜ちゃんの柔らかい表情が仏頂面になっていなければいいのだが」
小夜ちゃんのことなのだから僕が真剣になるのは当然のことだ。そうだというのに肝心の小夜ちゃんの方は、すっかり珍しいものでも見るみたいに楽しそうにコロコロと笑う。
……ああ。やっぱりその表情は僕のそれではなく、君本来の姿で見たかった。
そう告げたら、小夜ちゃんが少しだけ照れた。残念ながら何度見直しても、僕が照れて内股気味にモジモジしているだけだった。
災難まみれな今回の一件で不幸中の幸いがあるのだとしたら、それは多分僕の姿が幼い頃のままであったことだろう。
もし成長しきった外の世界の姿であったとしたら想像するまでもなく、見るに耐えない。
「……それで、これからどうしよう?」
雄太やヒコには家に行くって言っちゃったけど……。そう言葉を濁しながら、小夜ちゃんは困ったように僕を見上げる。
「とにかく、倉敷博士が目を覚ますのを待つしかないだろう。恐らく意識を取り戻したらすぐに転送命令が下るはずだ。それまでの間は、小夜ちゃん。君が言っていたように君の家で待たせてもらってもいいか?」
「もちろんそれは構わないけど……」
そういって、小夜ちゃんは困ったように視線を泳がせた。
「………私って、家に入れるのかしら?」
「問題ない。事前に僕の干渉できるエリアが拡大されたのは確認している」
「なんか、ごめんね。トモくん」
「なぜ君が謝る必要がある?今回の件は誰の責任でもない。しいて言うなら機関の情報管理が行き届いていなかっただけだ」
「……そういうことじゃないのよ。ただ、そうね……」
そう言って小夜ちゃんは寂しげに笑う。その力ない様子に、彼女が何を言いたいのかようやく僕は察した。――――うぬぼれかもしれない。それでも、何度となくこの件に関して胸を痛めていた小夜ちゃんの姿を知っている以上、鈍感なだけではすまされない義務が僕にはあるだろう。
小夜ちゃんは僕がこの世界で受けた制約に心を痛めているのだ。
本来であれば痛めなくてもいい痛みであるそれを、小夜ちゃんは一つずつ拾い集めては抱きしめていく。そういう彼女の優しさが、からっぽだった僕の心の中身を少しずつ満たしていくのだ。ああ、だからこそ――――小夜ちゃんのことが愛おしくてたまらない。
「………いいんだ」
手のひらを差し出したら、小夜ちゃんが僕の手を不思議そうに見つめていた。
「君の家に行こう」
特に何をするわけでもない、単なる時間つぶしになるだけだろうけれど。
それでも隣に君がいてくれたのなら、それは何者にも勝る幸福な時間になることには間違いのないことなのだから。





























…………と、そこで話が終わればきっと綺麗な話だったのだろうが、話はここで終わらない。
どんなに小夜ちゃんが可愛らしく微笑んで見せても、どんなに心の目で小夜ちゃんの笑顔を思い浮かべようとも――――ああ、小夜ちゃん。なんて君は天使のようなんだ。……違う。そうじゃない。いや、重要案件ではあるのだが、大変残念なことに、現実ではただただむさ苦しいばかりの自分の顔が、にやにやとしているようにしか見えないという残酷な事実が広がっていた。
別に小夜ちゃんがあれほどの美少女だから、彼女のことが好きだと言うわけではない。
もちろん今の姿だって後光が指すほど愛くるしく、美しいことは当然だが、別に彼女の顔が醜くたって丸ごと彼女を愛しぬく自信はある。
ただそんな僕にもどうしようもないものが一応、曲がりなりにもあったようだ。……流石に生まれてこの方うん十年と数年来付き合いのある男の顔は、どうにもならない。
出来れば早急になんとかして欲しい。
特に小夜ちゃんの微笑ましい仕草に、賛美で称えたい時、無垢なその魂に想いが浄化されたと実感した時……そこにあるのが自分自身の顔というのはあまりにも辛すぎる。
しかも、こういう不測な事態の時に限って、思いもかけない出来事は続く。
「………どうしよう、トモくん」
小夜ちゃんが潤んだ瞳で僕を見上げていた。
「……あの……その…………」
そうして小夜ちゃんは恥ずかしそうにもじもじと腿をすり合わせて、囁く。
「お手洗い…………行きたい…かも」









11.02.24執筆
11.02.24UP