誰もがここが、旅の終着点になることを感じ取っていた。 『神のたまご』と名付けられた空に昇る凶星の内部は、今まで辿ってきた旅路の締めくくりに相応しい複雑さだ。 けれども、6名全員でカイルたちは一つのパーティだった。 ハロルドの頭脳とジューダスの経験、カイルの勇敢さに時に助けられ、リアラの慎重さにリスクを減らし、ロニの方向感覚、ナナリーのフォローに救われながら、ここまでたどり着くことができた。 神のたまごの最深部――――完全なる神を生み出そうとする、エルレインの元にまで。 ここから始まる未来を Tales of destiny 2 I congratulate on tales 10th anniversary! 神の目ほどとは言えないが、それでも十分すぎるくらいに巨大なレンズを前にした聖女が祈りを捧げている。神の許しを。人々への断罪を。 絵画の中でなら美しいシーンとでもなるかもしれないけれど、残念ながらここは現実の世界だ。そんな祈りは余計なお世話でしかない。 「……エルレイン!」 「何故ここへ?お前達に神は殺せはしないのに……」 振り返ったエルレインの表情は岩のように硬かった。 神の救済こそが人々の最大の幸福なのだと信じて突き進んできた彼女には、もう言葉は届かないかもしれない。それでもカイルたちは語ることをやめなかった。 「見くびるんじゃないよ!あたしたちは戦うためにここまで来たんだ。……もちろんあたし達自身の意思でね!」 「それがどのような結果になるのか、分かっているというのに?」 「覚悟は……出来ている」 カイルは噛みしめるように言葉を絞り出す。 その言葉に続くかのように、リアラが一歩踏み出してエルレインと対峙した。 「……エルレイン」 向かい合い二人の聖女。 彼女らは共に神の元に生まれ、巣立ち、それぞれの道を歩んで行った。 異なる環境に身を置き、人類を多面的に救済しようと試みた。その姿勢はある意味でとても素晴らしいものだったのかもしれない。 「私たちたち同じ使命を背負った存在だわ。……人々を救うという使命を」 『人々を救う』という目的を達成するために、手段を模索し、最適解を手に入れるために送り出された二人の聖女。 人は脆く、弱い。 人は気高く、美しい。 二人は求めた旅路の果てに何を見つけたのだろうか。 その答えをリアラはまっすぐな瞳でエルレインを見据えたまま、語り始めた。 「でも、彼らと過ごした日々の中で私は知ったの。……人は救いなんて必要としない。その先にある幸せを信じて、苦しみや悲しみを乗り越えてゆける。そういう強さを持っているという事を」 「………お前は何も分かっていない……人は脆く、儚い存在。自らの手で苦しみを生み出しながら、それを消す事すらできない」 「へっ、冗談じゃねぇ!俺達が欲しい物は、まやかしの幸せじゃない!……お前から見たらちっぽけなものかもしれない。でも俺たちにとっては掛け替えのない大切なものなんていくつもあるんだよっ!」 「何が幸せで、何が不幸せか。それを決めんのは私達自身でしょ。神様なんか、お呼びじゃないっての!」 「確かに生きる事は苦しいさ。でも、だからこそ……その中に幸せを見つける事ができるんだよ」 リアラに続くように、ロニ、ハロルド、ナナリーがエルレインに語りかける。 神様の力がなくても生きていける。 生きていくってことは確かに辛いこともたくさんある。痛いことも悲しいことも、どうしようもない絶望に全てが塗りつぶされてしまうこともあるかもしれない。その命を断とうとしてしまう人だっていることも知っている。 ………でも、それでも。 たとえちっぽけでも構わない。 その苦しみに勝るとも劣らない喜びは、必ずどこかにあるから。 痛い思いを味わった分だけ、人は誰かに優しくなれる。誰かを愛そうとする。慈しむことが出来ると、信じていたい。 「……幸せとは誰かに与えられる物ではない。自らの手で掴んでこそ価値があるんだ」 ジューダスもまた、噛みしめるように語る。けれどもうカイルたちの言葉は、神の御使いであるエルレインに届くことはなかった。 「神の救いこそが、真の救い。それ以外は存在しない」 そうしてエルレインは恭しげに宣言した。 「だが、神はもうすぐ降臨する……そう、完全な形で完全な救いを人々にもたらす……!」 その瞳に映したのは巨大なレンズだ。淡く輝いていたレンズは、確実に光の力を増しつつある。 「それを邪魔すると言うのなら私の手で、お前達を神の下へ還してやろう……。それが、私がお前達に与えられる唯一の救い」 そうして告げられた言葉に、今度こそカイルが喰らいついた。 「オレも、皆と同じ気持ちだから、ここまで来られたんだ……!オレ達は神の救いなんか必要として無い。もう迷ったりはしない!」 白銀がレンズの光を受けて煌めいている。 鞘から抜き取られた剣の切っ先は、迷うことなく神の御使いへと向けられていた。 「オレ達の手で必ず、神を倒す!」 その言葉が、最終決戦の幕開けとなった。 「デルタレイ」 短い詠唱を終えたエルレインが先制の晶術を放つ。 「みんな!」 余裕を持って晶術を回避したカイルが叫ぶ。 ……戦いの火ぶたは切って落とされている。もう、こうなってしまってはエルレインを説き伏せることは難しい。あとは腹をくくって戦うのみだ。 「奢龍連撃破ッ!」 カイルが鋭い突きを何度もエルレインに繰り出す。 ダブルセイバーを持ったエルレインはすかさず攻撃を避け、時に受け止めながら受け流した。 「はああッ!」 「愚かな……」 振りかざしたカイルの剣は流水のように払われた。 「次はこっちよ!ネガティブゲイトッ!」 エルレインを縫いとめる魔空間が現れ、衝撃波が彼女を襲う。 「月閃光!」 「虚空閃!」 ジューダスが剣を振り上げる。 ナナリーが矢を放つ。 そのどれもがエルレインを真正面から捉えていた。この最高のタイミングで、ハロルドの晶術が終息へ向かう。 「ついでにもういっちょ!イービルスフィア!」 空間が弾ける。その輝きの中に、見覚えのない白い光が混じっていることに気がついて、カイルは咄嗟にバックアップを踏んだ。 「インディグネイト・ジャッジメント」 「うおっ!!」 「っきゃ!!?」 光の柱が天から降り注がれる。 圧倒的な光線は、直撃したらひとたまりもなかっただろう。それでも辛うじて仲間たちはこの攻撃を避けていたようだった。その崩れた陣形の中へエルレインが斬り込んで来る。 「させるかっ!!」 剣を振りかぶる。捉えた、と思った剣は瞬間、鈍い音と共に弾かれてしまった。 「ぬるい……」 やられた、と思った時にはもう遅い。目の前が白色に染まる。 「トリニティスパーク」 あのどさくさの最中、エルレインは詠唱を終えていたのだ。……術を出すタイミングを少しあとへずらしただけのことで。 「気をつけろっ!」 光の光線を相殺するようにロニが斧を振り下ろす。 危ないところだった。無防備なところに直撃をすれば、ただではすまなかったはずだ。 「ありがとう、ロニ!」 起きあがったカイルはすばしっこい動きでエルレインを追い、ロニは武器の重量を利用して確実な一撃を狙う。隙間を縫うようにしてジューダスが剣を振るう様は、仲間ながら一体感のある動きだった。 「――――裁きの時来れれり、帰れ、虚無の彼方!」 「――――恐怖と共に消えよ!鳴け!極限の嵐!」 リアラとハロルドの詠唱が紡ぎ終えるまさにそのタイミングで、ロニの技が決まる。 「戦吼爆ッ破ァ!!」 突き飛ばされたエルレインに向かって、猛烈な嵐と闇の光が襲いかかる。 立ち上がることのできないエルレインに向かって、リアラは杖を振りかぶって静かに……そして、力強く唱えた。 「我が呼びかけに答えよ!舞い降りし疾風の皇子よ、我らに仇なす、意志を切り裂かん!」 シルフィスティア。 風邪の精霊結晶シルフィスティアを召喚し、天高く対象を舞い上げる。――――風属性の最強晶術。 リアラがまさにそれを完成させ、圧倒的な攻撃力でエルレインを打ち倒した。 「神よ……」 崩れ落ちたエルレインはレンズを見上げて呟く。 「……神を……超えるというのか……」 そうして、彼女は――――今度こそ光と共に消えてしまった。 そう、消えてしまったのだ。肉片も残さず。光の粒子となって、何も残らない。 「エルレイン……」 そんなエルレインの最期の姿を、リアラは小さな呟きと共に見守っていた。そう、彼女の姿はリアラの映し鏡だ。もしもリアラがカイルと出会うことなく、神こそが人間を救うと信じた思想のまま突き進んでいたら……そういうIFをまざまざと突きつけられる。だからこそリアラは、エルレインの消滅を複雑な瞳で見送っていた。 同じ神の御使いとして。 哀れむべき人間を救うという使命を持った存在として。 「……リアラ、我が聖女よ……」 静まり返った空間の中に、鈴を鳴らしたような女性の声が響き渡った。 「なっ、なんだ!?」 「フォルトゥナ!」 リアラが確信を持ってその名を叫ぶ。 眩いばかりの光と共に現れたのは、神々しさを纏った美しい女性。思わず縋りつきたくなるような全てを包み込む微笑を浮かべて、彼女はこの神の目へ降り立つ。 彼女こそが、エルレインが完全なる姿で降臨させることを試みている存在――――神『フォルトゥナ』だった。 フォルトゥナは絵になるような仕草でエルレインが消えた虚空を見つめると、リアラへと振り返った。 「エルレインの目指した方法では、残念ながら人々を絶対の幸福に導く事はできませんでした。……さあ、今度はあなたの番です。どんな答えを持ち帰ったか、私の前に示して御覧なさい」 そうして二人の聖女に人々の救済の道を探らせた神は、両手を掲げてリアラを見下ろした。 「真の救済を人々にもたらすために、私が何を成すべきかを……」 そんな神と対峙して、リアラはほんの少しだけ逡巡していた。……リアラにも思うところはたくさんあるのだろう。 自分を生んだ母なる存在に、その存在の否定を突きつけるのだ。それはどれほど彼女にとって痛みを伴う決別になるのだろうか。 「…………フォルトゥナ。貴女の成すべきことは、何もありません」 そうして顔を上げたリアラは、今度こそ決意を帯びた瞳で神を――――母を見上げていた。 「なぜなら、本当の幸せはここにあるから」 胸に手を当てて、リアラは言う。 「……確かに人は皆、幸せを願っています。けれど、幸せの価値は一つじゃない。それぞれに願いは違って、叶えたい幸福の形は違う。そして願い事は苦しみの中から生まれる。辛くて、悲しくて、痛くて。そういう想いの中から、掛け替えのない想いを見つけ出すの」 リアラは振り返らない。 けれどもその言葉は、間違えなくカイルと共に旅したリアラが人々を通して見つめてきたもので。 「痛みがあるから幸せがある。そして人は――――私たちの助けなんてなくても、自分でその幸せを掴み取る力を持っている。……ううん、むしろ私たちは手を貸しちゃいけないの。自分で掴み取るからこそ、その幸福は何よりも尊い輝きを放つはずだから」 幸せになりたい。そういう人の願いを元に生まれたフォルトゥナに、そしてそのフォルトゥナから生まれたリアラは、神からの救済を否定する言葉を放つ。 「人は私たちの力なんかなくても生きていける!……だから、フォルトゥナ。貴女の成すべきことは何もありません」 言葉を聞き終えたフォルトゥナは何も言わなかった。 違う。……彼女の期待した言葉とは180度方向の違った答えに、面喰っていたのだろう。そうして正しくリアラの答えを理解したフォルトゥナは、今までの優しげだった空気を一変させた。 「リアラ……今の言葉が何を意味するか、判っているのですか?あなたは……あなた自身の存在を否定しているのですよ?」 「いいえ、それは違うわ!……私が生まれた意味は、確かにあった。私はカイルと出会うことが出来た。カイルと共に悩んで、苦しんで………その中でも幸福を見つけることが出来た。掛け替えのない、私だけの幸せがそこにはあった」 「リアラ……」 「だからこそ、確信を持って言えるわ。……フォルトゥナ。貴女も私も消えるべきなのです。人の手によって!」 この場を支配する温度が一気に下がったような感覚だった。 穏やかな微笑を凍らせた神は、自らの半身とも言える聖女の言葉についに怒りを露わにした。 「なんと愚かな……!あなたは人々に、この世界を委ねると言うのですか!?自ら幸せになる力などありはしない人々へ……!?」 「……確かにオレ達は、お前から見ればちっぽけな存在かもしれない。でも、オレ達は歩いていける!誰の手も借りずに、自分たちの歴史を刻んでいける!……だからッ!」 怒れる神を前にしても、一歩も引かず、カイルは宣言する。 「オレたちに神はいらないんだっ!!」 ――――瞬間、空気が爆発した。 そう錯覚するほどの怒気が神のたまごを支配する。 ついに神の怒りを買ったのだ。本気で怒り狂った神を前にただですむとは思えない。……それでも。それでも、戦わないわけにはいかなかった。 確かに人間の身勝手な願いによって生まれてしまった神からしたら、消えて下さいだなんて、酷い話だろう。それでも人間は哀れむべき存在で、神によって買い殺される運命を辿ることを、指を咥えて見ているなんてできない。 オレたちは生きているんだ! 生きて、辛くても……悲しくても………その先にある自分の人生を精一杯生き抜いてやるんだ!! そういう当り前の権利を、神なんて存在に左右されてたまるものかッ!! 「なぜです?人の望みによって生まれた私を、なぜ人が否定するのですか?私は人々を幸せに導くための存在。それなのになぜ私を否定するのですか。他ならぬ人であるあなたたちが!この歴史は破壊すべきです。エルレインが望んだように!」 飛翔したフォルトゥナが手のひらを振り上げる。 その瞬間、どんっ、と凄まじい質量が体に負荷をかけたことが分かった。 「な、なんだ!」 「動いている……まさか地表に向かって!?」 「フォルトゥナ!」 リアラが悲鳴を上げてフォルトゥナを見上げる。 「安心なさい。この歴史が幕を閉じても、すぐに次の歴史が産声をあげるのです。千年前、それ以前の歴史が終わりあなたたちの歴史が始ったように」 「ふざけるな!次の歴史なんて必要ない。オレたちの歴史は、まだ終わっちゃいない!」 「役目を終えた歴史に、存在する意味などありません。失敗作だったのです。そこには僅かな価値すらない」 もはやフォルトゥナの目には、今ここにいる人間に対する愛情は一欠けらも感じられなかった。 彼女にとってこの歴史はすでに過去の存在へ変わってしまっているのだ。フォルトゥナにとって大切なのは、これから生まれゆく神によって支配される世界だ。 「歴史はそんなに軽いもんじゃない!一人一人が今を生きた、その積み重ねこそが歴史なんだ!それを失敗の一言でかたずけられてたまるもんか!」 「消え去るのです。古き人々よ、悪しき歴史と共に!」 それぞれの武器を構える。 きっと今度こそこれが、最期になる戦い。 勝っても負けても歴史は変わる。それでも、信じていたいんだ。 オレたちがここで生きた証を。………絆を。 「オレたちの歴史を消させはしない。消えるのはお前だ、フォルトゥナ!」 カイルが剣を振り上げる。 「力を貸してくれ、みんな!」 ――――さあ、神様と人類の生存をかけた戦いを始めよう。 「………はぁっ……はぁっ………はぁっ……」 どれほど激しい攻防が続いたのか、もう時間の感覚すらも分からない。 彗星が地表へ追突するまでの時間はもうさほど残されていないはずなのに、決着をつけることが出来ない。……確実にフォルトゥナにダメージは与えているはずだ。けれど……決定的な……決定的な一撃を与えることができない………っ! 神々しい光を放つ翼を、背から生やしたフォルトゥナがカイルたちを見下ろしている。 もはや彼女はカイルたちと同じ土俵に立って戦う気すらない。 武器による攻撃を避けるために飛翔した彼女は、晶術による追撃を悠々と避けながら裁きの時を待っているように見えた。 元々この戦いはフォルトゥナにとって有利な戦いなのだ。……彼女は、彗星が地表へ降り注ぐまでの間、時間稼ぎをしていたらいいのだから。 「……そんなこと……っ…させて、たまるもんか……っ……!」 あと少しのはずなのだ。 確実にダメージは与えているはず。現に、攻撃を避けるためにフォルトゥナは宙へ逃れている。こちらの消耗も激しいけれど、比例してフォルトゥナも消耗しているはずなのだ。 あと少し……少しでも勝機を見つけ出せれたら……! よろめく体を叱咤して、カイルはフォルトゥナを見上げる。 そうしてフォルトゥナの動きに違和感があることに気が付いた。今までと違って消極的な動きをしているような気がする。 「………まさか……?」 何をしようとしているだとか、そういうことを理解するよりも先に頭の中が警鐘を鳴り響かせた。 本能的に理解する。……フォルトゥナは何かとんでもない術をしかけようとしているっ! 「みんなっ!あぶな――――」 口にすることすら、間に合わない。 「ラスト・ヴァニッシャー」 どんっという負荷が全身に襲いかかる。 そう感じた次の瞬間には、全身の力が吸い上げられて立つことすらままならなくなっていた。 「ぐっ……」 「ああああああッ!!!」 「きゃあああああッ!!!」 ――――これが、神の力。 あまりにも圧倒的。あまりにも無慈悲。 神々しい光を放つ翼をはためかせ、天高く飛翔するフォルトゥナを見上げて、唇を噛んだ。 オレたちの力じゃここまでなのか……? 霞んで行く視界の中で、気味が悪いほど美しい光の余韻だけが焼き付いている。 駄目だ。……立ち上がれない。頭の中が掻き回される。ぐちゃぐちゃになる。動かない。体を動かしたいのに、ピクリとも動いてくれやしない……。岩のように全身が固まってしまったかのようだ。 …………………駄目だ。 こんなところで、諦めちゃ、駄目なんだ。 「諦めるなッ!!」 言い聞かせるように振り絞った声は、思わぬ大きさで響き渡った。 まっすぐにまっすぐに、突き刺さる声。その声が仲間たちに届いた頃、全身に温かい光が流れ込む。 「………リアラ?」 振り返ると、杖を掲げたリアラが微笑んでいた。満身創痍になりながらもリアラもまた、諦めていない一人だったのだ。 誰よりも未熟だった二人は――――今、互いに力を合わせて大きな困難を乗り越えようとしていた。 「プリズムクラッシャー!」 光の洗礼を受けた七色に輝く剣が、天から降り注ぐ。 翼をはためかせ、剣を避けようとしたフォルトゥナの軌道めがけて、ジューダスがナイフを振りかぶる。 「はああああああああっ!」 垂直方向に降り注ぐ七色の剣とのど元を狙う水平方向に飛んでくる刃に、さすがにひとたまりもなかったフォルトゥナが、翼を折りたたんで地上へ舞い降りたのを確かに見た。 「今だ!」 ジューダスが叫ぶ。 それに応えるようにしてカイルが剣を振り上げた。 「岩斬滅砕陣ッ!」 岩をも砕くカイルの刃がフォルトゥナに突き刺さる。 「飛翔せよ疾風の刃!」 「いっけええええええええええっ!!カイル―――――ッ!!」 声の限り、叫ぶ。 「奥義!翔王――――絶憐衝ッッ!!!!」 「あ……ああああああああっっっっ!!!!」 光が、爆ぜる。 目を焼くような光が溢れかえる中、微かな声だけが……その事実を信じられないかのように落とされた。 「……消える…………消えると………言うのか……?」 それが、多分フォルトゥナの最期だったのだと思う。 最期の輝きと共に消えた光の中には、もう、神の姿はどこにもなかったのだから。 「…………やった………」 静まり返った広い空間の中には、むき出しの巨大なレンズがただそこに静謐な空気を纏いながら存在しているだけとなっていた。 そして、多分あれこそが……。 「あれが……」 「そう、神であるフォルトゥナの核となるレンズ。そして……あなたが、砕かなくてはいけないもの」 カイルの言葉を続けるかのようにして、リアラが言葉を紡ぐ。 「……………」 そうして、カイルはレンズを見上げて………歩み寄った。 「これを……、これを砕けば、すべてが……」 そんなカイルに寄り添うようにしてリアラもまた、歩いていった。 「………ッ…」 「………………カイル?」 「……できるわけないだろ。世界を救うためだからって、君を殺すようなことを、オレが……ッ……このオレが……」 振り上げた剣はそのままに、呻くようにして吐き出されたカイルの言葉は、それだけでも胸に突き刺さる。 これを砕いてしまったら、もう二度と今までみたいにみんなで笑い合うことは出来なくなる。傍にあった笑顔も。温もりも。ぜんぶ、ぜんぶ。……分かっている。分かっていても、躊躇する心はどうにかなるものなんかじゃない。 誰もが動けなくなる中でリアラだけがカイルに歩み寄り、その背中にそっと身を寄せた。 「カイル……」 「お願いだ、リアラ……ひとことでいい……、たったひとこと、消えたくないって言ってくれ!頼むっ……消えたくないと……言ってくれ………ッ!リアラッ!!」 「………ッ…!」 リアラが小さく震えた。 息を飲んだ彼女は、それでも確かめるように………その言葉を少しずつ紡ぎだしてゆく。 「カイル……私ね…消えていくことは怖くないの」 それは嘘だ。消えることが怖くないわけなんてない。 「私が怖いのは、このまま神の一部として消滅してゆくこと……。でも、あなたがレンズを砕いて、私を開放してくれれば、そうすれば次に生まれたときは、同じ人間としてあなたに巡り合えるかもしれない。だから……」 それでも、彼女は確かに言った。カイルに――――レンズを砕くことを躊躇させないために。 「カイル!レンズを砕いてッ!」 「リアラああああああああっっっっ!!!!」 剣が振り下ろされ、火花が走る。 巨大なレンズには次々に亀裂が走り、旋風と共に全ては砕け散った。 ――――カラン、と渇いた音が響き渡った。 『なんと恐ろしいことを』 『世界を滅ぼすつもりでしょう』 『おまえは滅びを選んだ』 『神がいなくてどうやって生きていけばいいの?』 『あなたは罪を犯したのよ』 『一人の女の子も救えなくて何が英雄だ』 『おにいちゃん……バカ』 『助けて……』 『おまえはとんでもないことをした』 『消えたくない』 崩れ落ちるカイルを責め立てるかのように、次々と呪詛のような声がまとわりついてゆく。「苦しいか……?辛いか?哀しいか?」 生きることの痛みを、まざまざと見せつけるかのように声が響いた。 「神がいればこそ人はその苦しみから救って貰えるのだ」 神はまだ――――その存在を完全に失ったわけではなかったのだ。 「だがおまえは、その神を殺した……。もう二度と……おまえたちに安らぎはない……愛と繁栄に満ちた明日は訪れないのだ」 「………ちがう」 うつぶせに倒れ込んだカイルが呟く。 「神の導きを失ったおまえたちに未来はない……」 「……ちがう」 「まだ間に合う……神に願え………神を求めよ……神こそが全てを癒す………大罪を犯したおまえの苦しみですら。それがおまえたち人間の願いのはず……」 「…ちがう……!」 大切な人を目の前で失ったばかりのカイルは、それでも甘言と共にまとわりつくレンズの粒子を薙ぎ払うように告げた。 「…この胸の……痛みも、苦しみも………オレのものだ……っ…!」 震える唇で紡ぐ。 「神にだって癒せない……。癒されて………たまるもんかっっっ!!!!」 その瞬間、カイルにまとわりついていたレンズは動きをぴたりと止めた。 まっすぐに立ちあがったカイルは、虚空を一直線に見つめて宣言する。 「だから……全てを委ねることのできる神なんて、いちゃいけないんだ。オレたちの未来はおまえに作ってもらうものじゃない。未来はここにある。ここから始まるッ!!――――消えろッ!!」 カイルが腕を払った次の瞬間に――――今度こそまとわりついていた光の粒子は泡となって消えていった。神はその拠り所となる人に拒まれて、今度こそ存在する力を失ったのだ。 「……そう。未来への時の糸は人の手によって紡がれるもの。……だからこそ無限の可能性が生まれるの」 静寂の中に、鈴を鳴らしたような少女の声が響き渡る。……そして、その声には聞き覚えのある響きが確かにそこにあった。 「リアラッ!」 「カイル……」 「リアラッ!オレは……オレは……っ!」 「だから私……信じてる。あなたが作る……未来を……あなたと出会う未来を信じて、いるから。だから、私……っ!」 「リアラッ!」 「ありがとう、カイル。あなたと出会えて、本当に……よかっ 光が、消える。 「……ッ……」 カイルが、その光を抱きしめるようにして呟いた。 「……………リアラ………」 そんなカイルにかける言葉が見つからなくて、誰もが声を失ってしまう。 「カイル……」 「…オ…オレ……」 ロニだけが気遣うように名前を呼べば、振り返ったカイルの瞳は、途方に暮れた子供のような光を宿していた。 どんな声をかけていいのか分からない。 逡巡で止まった時を動かしたのは、足元で輝きを増した青白い光だった。 「これは……!?」 「時空間の歪みが激しくなってる。歴史の、修復作用ね」 「……?どういうことなんだい!?」 ナナリーが人差し指を立てたハロルドに詰め寄った。 ハロルドが口を開くよりも先に、ジューダスが静かに、そして冷静に現在の状況を口にした。 「神が消滅したことによって時の流れに関する、あらゆる干渉が排除されつつあるんだ」 「もちろん、それに連動して私たちの記憶も消える。今回の旅のことや、お互いのことも忘れる。つまり……始めから出会わなかったことになるのよ。私たちは」 ハロルドの言葉に、どこか途方に暮れたようにロニが言葉を漏らした。 「全てはあるがままの姿に戻るってわけか……」 誰もがその事実に言葉を失った。 ……全てがなかったことになる。その意味を噛みしめれば噛みしめるほどに、どうすればいいのか分からなくなる。今まで共に過ごした時間は確かにあったはずなのに、歴史のどこにも残らなくなるだなんて。 ……そんなこと、すぐに納得できるはずもない。 「……それでも」 見つめる青い瞳は、どこまでも澄みきった空を彷彿とさせた。 「それでも、絆は消えない」 カイルは続ける。 「みんなと一緒に旅して結ばれたこの絆が消えるなんてこと、絶対にない。……オレは、そう信じる!」 「非科学的ねぇ……。でも、そういうの悪くないかも。結局、人の想いを形にするのが科学の力なのかもしれないし……あ!これはこれで新しい研究テーマになりそうな予感!」 相変わらず楽しそうに口にしたハロルドの足元に、唐突に光の輪が浮かび上がった。 「あらら、どうやら、私が最初みたいね」 淡い光は、少しずつハロルドの体を呑みこんでゆく。 「ハロルド…!」 歴史の修正が、個人にまで及ぶようになってきたのだ。 光の中でもいつもと変わらない様子を見せるハロルドに、どういう視線を投げかけていいのか分からなくなってしまう。 「ありがとね。面白い体験させてくれて」 そんなみんなの気持ちを、多分分かって言ってくれたのだろう。 ハロルドはいつもよりも穏やかな微笑みを浮かべて語りかけた。 「あんたたちみたいのが未来にいるって分かっただけでもラッキーだったわ、ホント」 そうしてハロルドは、にっこりとウインクした。 「じゃあね、さいなら〜!」 ひらひらと手を振ったハロルドの姿が光に包まれて消えてゆく。 最後まで湿っぽい別れにしなかったことが彼女らしい。 光の中に消えていったハロルドの姿を最後まで見送るか見送らないか。まさにそのタイミングで、今度はナナリーの足元が淡い輝きを放ち始める。 「次はあたしみたいだね……」 「ナナリー!」 「情けない顔すんじゃないの。そんなんじゃ、孤児院の子たちに笑われるよ。あんた、お兄ちゃんなんだろ?」 ナナリーはカイルに微笑んで、それからロニを見た。 「みんなのお手本になれるように、頑張りなよ。……誰かさんみたいにね」 「おい、ナナリー。それって、もしかして……」 「あたしたちは同じ時代に生きている。だから、どこかでまた巡り合えるって信じてるから」 そうして瞳を揺らしながら、ナナリーは言った。 「だから、さよならは言わないよ。……また、会おうね!約束だよ……!」 「お、おい……!ナナリー!」 そんなナナリーに慌てたようにロニが声を上げる。……でも、その手のひらは届かなかった。 ナナリーもまた、光の中へと消えてしまったのだ。 「いっちまいやがった……」 まだ、何も伝えていなかったのに。 ……違う。これからきっと、始まるのだ。 「いよいよ、か……」 そうして、次の順番と言わんばかりにジューダスの足元にも淡い光の輪が浮かび上がる。 「ジューダスはどこへ帰るんだ……?」 「分からない……。元々、ジューダスなる男はどの場所、どの時代にも存在しない。時空間の彼方を彷徨うか、リオン=マグナスとして消滅するか……」 「そんな……!それでいいのか、ジューダス」 「ジューダスとして生きると決めた時から覚悟していたことだ」 ジューダスはきっぱりと告げる。 「それに……おまえたちと出会えた」 そうして彼にしては本当に珍しく――――仮面の下の表情を綻ばせて、言葉を続けた。 「一度死んだ男が手にするには大きすぎる幸せがあった。……それが、手に入ったのだ。悔いはない」 「ジューダス……!」 「僕が助けるつもりだったが実際は逆だったかもしれないな……ありがとう、カイル、ロニ」 ひねくれ者でいじっぱりなジューダスの感謝の言葉は、光と共にゆっくりと消えゆく。 「ジューダス……」 「さらばだ……」 そうして、光は一層大きくなって……彼の全てを飲み込んでいった。 すでにその姿を認めることのできない空間を見つめて、それでもカイルは名前を呼ばずにはいられなかった。 「なんだ、俺たちもか……」 次に、と言わんばかりにロニの足元にも光の輪が浮かび上がる。 「ロニ!」 「じゃ、消えちまう前にいっとくか。スタンさんが亡くなってから、俺はおまえを守る盾になることをずっと自分に課してきた」 足元から包まれる光を特に気にした様子もなく、ロニは懐かしげに語る。 その瞳に映し出すのは、頼りないはずだった少年の姿だった。 「それは俺にとって誇りだったし、よろこびだったし、時には重荷に感じられることもあった」 噛みしめるようにロニは言う。そして、顔を上げたロニは清々しい表情でカイルを見た。 「……けど、いつのまにかおまえは盾としての俺を必要としなくなってた。守るべき存在を見つけ、おまえ自身が盾になったあのときから……」 「でも、オレはリアラを守ってやれなかった。リアラの盾にはなれなかった……!」 ロニの言葉は、リアラを失ったばかりのカイルには辛すぎる。 それでもロニは、カイルの苦悩を知った上で続けた。 「いや……おまえはリアラを守ったさ。あれが唯一、彼女を救う方法だった。そして……それができるのはおまえだけだったんだカイル」 ロニが伝えたかったこと。 リアラが望んだこと。 それぞれの言葉がカイルの中で響いてゆく。 「……………」 「……よくがんばったな。やっぱ、おまえはすげえよ。俺の自慢のダチだ」 「……オレもロニは……自慢の親友さ!」 「ありがとよ」 普段なら照れくさくて言えないような言葉も、今なら素直に伝えることが出来た。 全ての歪みが正された歴史の中でも、きっと親友であれることを信じていられる。 「……じゃ、またなカイル」 そうして、ロニもまた光の向こう側へと消えていった。 「ロニ、ジューダス、ナナリー、ハロルド……ありがとう、みんな……」 誰もいなくなった空間の中で、一人残されたカイルは呟く。 ここにいなくとも。 姿は見えなくても。 ――――それでも、オレたちはきっとどこかで繋がっている。そう、素直な気持ちで信じていられる。 「未来は、ここにある……ここから、はじまる……」 胸の前で握りしめた手のひらの熱が教えてくれている。 「オレたちひとりひとりが自分の力で、未来をつくりあげてゆくんだ……」 例えば、歴史に名を残すような偉大な発明をしたり。 例えば、全てを投げ打ってでも大切な人を守ることであったり。 例えば、失った人を忘れずに、それでも前を向いて生きていくことだったり。 例えば、共に手を取り合って生きてゆくことであったり。 「それが、どんなものかはわからないけど……でも、キミとの絆は……けっして、消えない……!」 光が、カイルの全てを包み込む。 真っ白になっていく視界の中で、その時カイルは青い空を見たような気がした。 「そうだろ……リアラ?」 その言葉は、きっと彼女に届くだろうと信じて。 ……英雄ってなんだろう? オレは、最近よくそう考えるんだ。 世界を救うのが英雄? みんなを助けるのが英雄? 十八年前、父さんたちはたしかに世界を救った。 ……けど、今、この世界が平和で美しいのは、英雄がいたからだけじゃあ、きっとない。 その答えを、オレは探しにいきたい。 どこかで、なにかが…… だれかが…… オレを待っている。 そんな予感がするから…… 抜けるような青空の下、クレスタの名物孤児院では今日も賑やかな声が響き渡っている。 「とうッ、ハッ、でぇいッ!!」 「どうした、カイル!剣先が段々下がってきてるぞ!もうバテたのか!?」 「くそぅッ、まだまだぁ!」 「でやぁぁぁぁッ!!」 声の主はスタン=エルロン。そしてカイル=デュナミス。かつて18年前の騒乱で世界を救った英雄とその息子の組み合わせは、その功績の偉大さと、毎朝響き渡るフライパンとお玉による目覚まし戦争によってクレスタではちょっとした有名人なのだ。 そんな二人の稽古は街の人にとっては慣れたもので、ああ、また今日もやっているかという、そういうレベルの微笑ましいものだった。 勝敗はいつもスタンの勝利。……ところが、今日に限ってはその勝敗が逆転することになった。 「な、なにぃッ!!」 「はぁっ…はぁっ……や、やった……!」 スタンの剣を弾き飛ばしたカイルは満面の笑みを浮かべると、前のめりに地面に倒れ込んでしまった。 「お、おい!大丈夫か、カイル!?」 「へへッ……オレの初勝利だね、父さん?」 泥だらけの顔を上げたカイルの顔には、これまでにないほど嬉しそうな表情。 目標であった父からの一本を取ることが出来て、嬉しくて仕方がないと言った様子だった。そしてそれが分からないスタンではない。 スタンは両手を上げて降参のポーズをとりながら、カイルに微笑みかけた。 「ああ、そうだ。参った、降参だ。これでまた一歩、おまえも英雄に近づいたってわけだな」 ここまでは、多少流れは違うもののいつもの流れだった。 『英雄』という単語を出せば息子が大喜びすることを、父親としてスタンはよく知っていたのだ。 けれども、いつもならここで喜ぶカイルの反応が違った。 「ううん、違うよ」 「?」 思わずスタンが小首をかしげてカイルを見る。 「英雄ってのは自分でなろうとするもんじゃないしなりたいからって、なれるもんでもない。そうだろ、父さん?」 「ほぉ……」 「おっ、やってるな、カイル!」 その時、孤児院と街を繋ぐ橋の向こうから青年の声が響き渡った。 「あっ、ロニ!」 定期的に孤児院に食料を届けてくれるカイルの兄貴分であるロニだった。彼は元々このスタンとルーティが経営する孤児院の住人だったが、数年前から自立して街のパン屋で働くようになっている。 「ほら、うちの店のパンだ。売れ残りだがな」 「ありがとう、いつも助かるよ……」 今日はその売れ残りを持ってきてくれたようだった。 とは言っても、今朝焼き立てのパンだ。多少時間が経っているので固くはなっているものの、味としては十分すぎるほどで申し分ない。どこからともなくロニの声を聞きつけた子供たちが、一斉に孤児院の中から飛び出して来て、パンを囲み始めた。 「ワ〜イ!」 その子供たちの数の多さに、ロニが引きつったように顔の筋肉を硬直させた。 「そ、それにしてもずいぶんと増えたような気が……」 「ハッハッハッハッハッ!何人でも、ドーンとこいだ!」 それに対してあまりにも豪快すぎるスタンの返答。すかさずカイルが感心したように声を上げた。 「……う〜ん、やっぱり父さんと母さんは英雄だと思うよ」 「あったりまえだ!さあ、急がないと、食いっぱぐれるぞ!」 「うん!」 孤児院へと向かうスタンが、振り返ってロニに微笑みかける。 「ロニ、今度、休みの日にゆっくりと遊びに来てくれ」 「はっ、はい!じゃあ、またな、カイル!」 「ありがとう、ロニ!じゃあね!」 閉じられた扉の先では、子供たちのパン取り戦争が繰り広げられたのは、言うまでもない。 * * * 「……でさ、奥さんがワッて声を上げたら小麦粉の粉をひっくり返して頭のてっぺんから、つま先まで真っ白け!もう、おかしくて、おかしくて……」 「そりゃ、ガゼルさんらしいや。アッハッハッハ」 「………」 食堂には珍しくスタン、ルーティ、カイルだけが揃った状態で、ご近所付き合い(主にルーティの)話で盛り上がっていた。楽しげな夫婦の会話の中にいつもなら入って来るカイルが、今日は入ってこない。ルーティたちが怪訝に思うよりも先に、真剣な表情をしたカイルが話を切り出した。 「父さん、母さん。ちょっといいかな?話したいことがあるんだけど」 「どうしたの?急に改まっちゃって」 一呼吸置いた後、カイルは胸に手を当てて語り始めた。 「オレさ、すごく幸せだと思うんだ。父さんや母さん、チビたちに囲まれて毎日、楽しく暮らすことができて」 「……で?」 「それを分かっててこんなこと言うのは自分勝手だって思うんだけど……旅がしてみたいんだ、オレ。広い世界を、自分の足で……」 「旅ですって!?」 素っ頓狂なルーティの声が孤児院に響き渡る。 まさにそのタイミングで、食堂の扉を開ける幼い姿があった。やんちゃ盛りが多い孤児院でも特に年が幼い――――もっと正確に言うとスタンとルーティの実子……カイルの年の離れた弟にあたる黒髪の幼子だった。 「カイル、どこか行くの……?」 ふくふくとした手のひらをドアノブにかけた幼子、はアメジストの瞳をきょろきょろと動かしてカイルを目上げる。 「エミリオ!あんたお昼寝は?」 「……目がさめた」 「ルーティ。声、大きすぎたな」 「あちゃー。……ほら、エミリオ、もう一回寝ましょう?」 「いやだ。カイルがどっか行くなら、ぼくも行く!」 「………エミリオ……」 困ったようにカイルが頭を掻く。まさかお昼寝タイム真っただ中にある弟に聞かれるとは思っていなかったのだ。 弟でありながら兄である自分と違って気難しいところのあるエミリオが、一度へそを曲げたらなかなか機嫌を直してくれないのをカイルはよく知っていた。 「エミリオ、オレはちょっと出かけてくるだけだから大丈夫だよ」 その『ちょっと』がどのくらいになるのかはあえて告げないでおいたけれども、幼いながらも頭の回転の速いエミリオはそういうところを見逃さない。 「『ちょっと』ってどのくらい?」 「え、え〜〜っと」 「ぼくも行く」 「あんたは駄目!」 「かあさん、どうしてぼくはダメなの?カイルといっしょがいい!ぼくもカイルといっしょじゃないとやだ!同じがいい!」 「そもそも許可してないわ!ダメったらダメ!ほら、一緒にベッドへ行きましょう」 「母さんっ!」 エミリオを連れてルーティが寝室へと向かってしまう。 その姿に、縋るようにスタンへ視線を移す。スタンはルーティとは意見が違ったようで、カイルの言葉に対して違う返答を返した。 「行ってくればいいんじゃないか?」 「父さん……!」 バタンっ、と扉が開かれた。スタンの言葉を聞きつけたルーティが帰ってきたのだ。 「ちょっと、スタン!」 「――――ただし、条件がある」 責める眼差しのルーティの視線をどこ吹く風で受け止めて、スタンは指を立てた。 「その旅の中で、たった一つでいい。おまえにとって掛け替えのないものを見つけてくるんだ」 「かけがえのないもの……」 「それができるなら俺は黙って見送ろう」 ああ言って、スタンは柔らかく微笑んだ。 スタンが言ったことは、単なる旅をするにしてはとても難しい条件なのかもしれない。けれどそれは、カイルにとって不思議と困難に思えなかった。大切な――――掛け替えのないもの。それを探すために旅に出るようなものだったから。 そう、この旅は単なる旅への憧れじゃない。 英雄になりたくて駄々をこねる子供でいられたのは、もう卒業だから。 「分かった……。ありがとう、父さん」 「何言ってんの!あんたにゃ、まだ早すぎるわよ!」 ルーティが噛みつくように声を上げる。 その声が、カイルのことを心配しての言葉ということにカイルは気が付いていた。……だからカイルがルーティに告げる言葉は、自然と柔らかいものになる。 「そんなことないよ。母さんだってオレぐらいの歳にはもういっぱしのレンズハンターだったんだろ?……それにオレには父さんの血だって流れてる」 「だから、心配だっての」 キッと、ルーティがスタンに鋭い眼差しを送る。 それはかつて田舎の妹と祖父を置いて家出、ついでに飛行竜に密航したとんでもない経歴を持つ男を旦那に持ったからこその非難だった。 これには流石のスタンも困ったように頭を掻く。 「……止めてもムダだよ。実はもう準備だって終わってるんだ。反対されたらこのまま出ていく」 「カイル、あんた……」 カイルのまっすぐな瞳を真正面から受け止めたルーティは、暫くの間自分の息子のことを見つめていたが………やがて。 「あ〜あ、バッカみたい。これじゃ、あたし一人ヤな女じゃない」 両手を上げて、降参のポーズを取った。 「……分かったわ。あたしも反対はしない」 バシッ、と景気の良い音を立てて、ルーティはカイルの背中を叩いた。 「いたっ!?」 「気をつけて行っといで!カイル!」 「……っありがとう、母さん!」 そしてカイルは、破顔した。 目を閉じて、そして 遥か遠くに見える空 限りない夢を詰め込んで、今旅立つ 冬でも春でも、夏でもそして秋でも 気付かずに不安を隠してた 「あれ、ここは……?」 ロニと二人で辿りついた場所は、街からそう離れていない遺跡だった。 街から離れることがそれほどないカイルは、物珍しそうにキョロキョロと遺跡を見渡す。 「ラグナ遺跡だな」 自立していることもあってか、ロニはこの辺りに馴染みがあるようだ。女の子を追いかけ回すために仕入れた様々な知識を、さっそくお披露目させているあたり抜かりがない。 「かつては空中都市とよばれていた遺跡だがあらかた調べつくされて、考古学的な価値はゼロって話だ」 「…………」 「どうした?気になるものでもあったか?」 不意に黙り込んだカイルに、ロニが不思議そうに首を傾げた。 「いや、そうじゃないけど、ここにいるとなんだか不思議な感じがするんだ」 「不思議な感じ?」 「口じゃうまく言えないよ。ただ、だれかが呼んでいるような。それもよく知っているはずのだれかが……」 そんなカイルの言葉に、ロニが茶化す様に言葉を続ける。 「おい、気味悪ぃな。うらみを残して死んだ女が……なんてのはゴメンだぜ」 「………」 茶化されたことにすら気が付かず、カイルは何か思案するように考え込んでいた。普段は能天気な親友の珍しい姿に、ロニもまた、何か直感に似たものを感じたようだった。 「そんなに気になるなら、いってこいよ。ここで待っててやるから」 「うん、そうするよ。ごめんね、ロニ」 ロニの好意に甘えて、カイルは遺跡の奥へと歩みを進める。 その先にある、『何か』の予感を感じて。 私の心を奪わないの? 交わす言葉、暗い道照らす あなたはいつも私の心の鍵を持っているわ 通り雨が優しさに変わる 緑の茂る、古びた建物。 崩れ落ちた床。 降ろされたロープ。 うねる木の幹。 ――――そのどれもに、親近感を感じる。直感にも似たその奇妙な感覚は、いつしか一つの確信へと変わっていた。 「……間違いない。オレは、たしかに、ここに来たことがある。いったい……いつ、どこで?」 ねぇ、悲しみがあるから強くなれる 君と行くよ。明日への果てしない旅 「なぜだろう?ここへ来るのは初めてじゃないような気がする……」 辿りついたラグナ遺跡の深部で、カイルは一人で呟いた。 さわさわと、風が吹いている。 木漏れ日が降り注ぐどこか神秘的な光景に強烈な親近感を覚えて、カイルは胸を抑え込んだ。 「なんだろう?この胸の痛みは……」 疼く胸の奥の痛みを、どう言葉にしていいのか分からない。 「……気のせいかな?」 気のせいとは思えない。口にしながらも、その矛盾に気が付く。 私の心を奪ってよ 私はただあなたといたいだけなの あなたはいつも私の心の鍵を持っているわ 私はただあなたといたいだけなの あなたが私の鍵なのよ 鍵を開けて。そうするとあなたにも見えるわ 私はいつもそこにいるってことが それでも、答えを今、カイルは持ち合わせていなかった。 人気のない遺跡の奥で、いつまでものんびりこうしているわけにはいかない。入口で今も待っているであろう親友の顔が思い浮かんで、カイルは後ろ髪を引かれる思いをしながらも、遺跡を立ち去ろうとした。 「ロニが待ってるし、もう帰ろう……」 もう一度だけ。 振り返った先には、大きな木が一本そびえ立つ。真ん中には大きな穴が空いていて――――もしかすると、昔ここに何かがあったのかもしれない。そんな奇妙な形に少しだけ笑って、踵を返した。 「……カ……ル………」 「………え?」 ふと、呼ばれたような気がした。 思わず振り返った先に淡い輝きを見つけて、カイルは足をとめる。 「―――――」 何か、映像が目の前をよぎった様な気がする。 ねぇ、分かるでしょう 他のものなんていらないの 私はただ、あなたのことが好きなだけなの 「……カイル……」 「あ……」 今度こそ、その親近感は拭い去ることが出来なかった。 目の前の光の中で、女の子が膝を抱えて浮いている。 光はいつしか小さくなり――――…彼女がふわりと地面に降りたってきた。 リボンの付いた赤い靴。 ふわふわとしたピンク色の洋服。 真っ赤なリボンは風に揺れていて……その光景はまるで、おとぎばなしの世界みたいだ、なんて頭のどこかで思った。 女の子がゆるゆるとその瞼を持ち上げる。現れた紫水晶みたいな綺麗な瞳が、カイルの姿を映し出していた。 「………あ…」 「……っ……」 小さく息を呑む。 そんな女の子の姿は、カイルの脳裏に『何か』を強烈に訴えかけてきた。 でも……その『何か』をどうしても思い出すことが出来ない。忘れてちゃ……いけないことだった……はずなのに………? 必死で『何か』を探し出そうとするカイルに、鈴のような声がかけられた。 「カイル」 それはまるで、忘れてしまったカイルに思い出して、と訴えかけるように。 「……リ…アラ…………え…!?」 まるで呼吸をするかのように自然に零れたその名前は、聞き覚えのない言葉のはずだった。 それなのに、目の前の少女は呼吸を忘れてしまったみたいに息を飲み込んでしまう。 二人の間を一陣の風が通り過ぎていった。 木々は揺れ、木もれ日が温かく照らしてゆく。 永遠とも一瞬とも言えるような時間の中で、カイルは確かにその名前の持つ意味を思い出していた。 「リアラ……!」 瞬間、信じられないように彼女はカイルを見た。 「………っ」 そうして彼女――――リアラはその瞳いっぱいに大粒の涙を浮かべて、駆け出してゆく。 その先で、最愛の人が手を差し伸べてくれることを信じて。 もう分かったでしょう 私にとってあなただけが全てってことを 12.11.30執筆 |