2018.05.09 公開

嗤うアンドロイド

『今回のターゲットは地上で活動しているの』
 反抗作戦を企てているらしい。潜入して、全貌を明らかにする。決定が下り次第、処刑を行うわ。そう口にしたE型の同僚が、地上へ降下するのを見送ったのは一か月前のことだっただろうか。
 極秘任務のはずだったが、彼女がそれを2Eに話したのは「もし私が失敗したら、きっとあなたに委ねられると思うから」ということらしい。とは言え、潜入調査に失敗なんてしようものなら、次の作戦行動は格段に難易度が跳ね上がる。そうならないことを祈って頂戴。彼女は皮肉めいた笑いを浮かべて、2Eにそう言った。
 口にしなければ、不安でたまらなかったのかもしれない。ヨルハは感情を持つことを禁止されているけれど、長く稼働すれば稼働するほどに、思考し、経験は積み重ねられていく。同僚はそれなりの稼働期間を持つ、所謂ベテランだった。だからこそ、長く同じ個体の抹殺命令を下されている2Eにだけ、こっそり話したのではないかと今にして思う。
 結果として、彼女は任務を無事完遂した。
 与えられた一か月の期間を使って調査を行い、反抗作戦を企てたヨルハ部隊員を皆殺しにした。もちろんそんなことは公には公表されない。しかし、偶然バンカーに帰投していた2Eは、地上から帰ってきた彼女に出くわしたのだ。
 飛行ユニットから崩れ落ちるようにして座り込んだ同僚の顔は、出立前とは打って変わって憔悴しきっていた。H型が慌てて彼女の元に駆け寄っていくのを見守っていた2Eと、不意に彼女は目線を合わせる。次の瞬間、彼女の顔が醜く歪められたのが、遠目からでもはっきりと分かった。
『ふふふ……あはっ! あはははははははっ!』
 彼女は嗤っていた。その視線の先に、2Eを捉えて。
『殺した。殺した。みーんな殺したわ!』
 H型の隊員を持ち前の馬力で振り払い、彼女はつかつかとヒールを踏み鳴らして歩いていく。芝居がかった仕草で両手を広げ、さながら舞台女優のようないで立ちだった。
『あの子は愛していると言っていたわ。偽りの任務で加わった私のことを』
 彼女はくすくすと唇を弧に描く。
『私も愛していると口にした』
 ヨルハは感情を持つことを禁止されている。愛を囁くことは規則違反だが、潜入作戦を遂行するにあたって、それは必要な行為だったのだろう。E型には往々にしてあることだ。
『だけど殺した。殺さなければならなかった』
 それが任務だから。任務! あはっ、と彼女は口元を歪めて嗤う。そうしてぽつりと、零すように囁いた。もうこんなのは嫌、と。
『あはっ! あははは! うふふふふ!』
 彼女は嗤う。それこそ気が触れたように、けらけらと嗤う。
 おかしくなったんだ。誰かが口にした。バイタルに異常が見られる。作戦行動によって精神的な負荷がかかったのだろう。H型の誰かが口にした。
 パーソナルデータのクリーンアップが必要だ。連れていけ。
 彼女は嗤う。初期化されてしまえば、それまで積んだ想いも、経験も、すべてが失われてしまうというのに、嗤い狂う。――そうして、やがて格納庫には静寂が訪れた。

 2Eの耳には、まだ、嗤うE型機の声が鳴り響いているような気がした。

   * * *

「僕を殺すんですよね、2B」
 朽ちたコンテナの上に腰を下ろして、足をぶらぶらとさせていた9Sは「今日はいい天気ですよねえ」なんてぼんやりと空を見上げながら、まるで世間話をするかのようにそう口にした。
 まさに白の契約を振り下ろし、9Sの首を跳ねようと2Bが背後に立ったその時のことだった。
 悟られていたのだ。なるだけ気づかれぬよう感情を押し殺してきたというのに、9Sはいとも簡単に2Bの役割を見破ってしまった。果たしてこれで何回目だろう。数えることも、いい加減、つらい。
「サーバーへの接続、ばれないと思ったのになあ」
 司令官の方が上手だったか。振り返ることもなく、9Sはぽつりぽつりと、言葉を続ける。今からE型に処刑されるとは到底思えないほどの無抵抗ぶりと穏やかさだった。
「……どうして」
 気が付いてしまったのか。抵抗しないのか。複数の疑問を織り交ぜた2Bの言葉を、敏い9Sはあっさりと読み解いた。
「ちょっと考えれば分かることですよ」
 風に吹かれて、都市廃墟に茂る緑がさわさわと揺れている。穏やかな陽光だ。流れる透明な川は、光をきらきらと反射させていて、時折魚がぱしゃんと水音を立てている。任務さえなければ、絶好の行楽日和だろう。
「僕の記憶が短期間のうちに何度も初期化されているのも、バトル型である2Bが同行しているのも、そうじゃなきゃ説明がつかない。馬力が違いすぎるから、抵抗しても負けるというのは分かってるしね」
 つまり、司令官にばれた時点で僕の初期化は覆らないんだ。そう口にして、はは、と9Sは事も無げに笑う。その口調があまりにもいつも通りだったから、思わず2Bの口から、恨み言のような小さな声が零れた。
「……だったら、メインサーバーになんてアクセスしなければいいのに」
「それは無理だ」
 間髪入れずに、9Sはそう口にした。迷いなんて一つもない口ぶりだった。
「僕はきっと、何度だって知らずにはいられない」
 確信を持ったその言葉。
 事実、9Sはいつだってそうだった。どの個体も、それが“9S”である以上、彼は知りたがった。そうして、何度2Bに処刑されていったのだろう。もう数えることも億劫になるほどのルーチンワーク。それでも9Sが廃番にならないのは、ひとえに彼が上げる戦果が素晴らしいからだ。
 皮肉なことに、その好奇心と優秀すぎる頭脳故に、9Sはいくつもの功績を上げている。度重なる違反に目を瞑りさえすれば、彼はとてつもなく優秀な兵士なのだ。
「ナインズは馬鹿だよ」
 頭いいのに。そう零すと、9Sはやっぱり穏やかに、あははと笑う。
「けなされてるのか褒められてるのか分からないですね」
「……褒めてない」
「そういうことにしておきますか」
 ただ、ありのままを口にしただけだ。そうだというのに、9Sが妙に嬉しそうなのが腑に落ちない。
「とは言え、あんまりぼやぼやしてはいられませんよね。さっくりやっちゃってください」
 できれば、あんまり痛くしないで。脱線していた会話の流れを引き戻したのは、処刑をされる側の9Sの方からだった。普通は逆だ。無抵抗というのは、2Bにとってありがたいのかそうでないのかは、もう、早速分からない。
「……後悔は、ないの」
 記憶を初期化される。それは、つまり、自分の生きてきた証を失うということだ。2Bは怖い。今まで積み上げてきた、たくさんの記憶を失うことは、怖い。
 それまで揺れる足先を見ていた9Sが、不意に顔を上げた。二つ分のまなこが2Bと合う。目の前に広がる澄み切った空のような、どこまでも吸い込まれそうな青。見上げた彼は、ふにゃっと締まりなく目元を緩めて口にした。
「2Bにナインズって呼んでもらえましたから」
 親しい個体にはナインズって呼ばれているんです。2Bもどうですか。そう訊ねられ、嫌、と即答したのは2Bだった。
 いいじゃないですか、減るもんじゃないですし。ほら、僕と2Bの仲! っていうと特別な関係っぽく聞こえません?
 そんなものはない。
 もー、2Bったらつれないですね。そこがまたいいんですけど。
 私には理解不能。
 いいんですよ、僕だけが知ってれば。あっ、ねえ、2B。2B! 見て! ほら、あんなに空がきれい。
 ……そうだね。
 目まぐるしく表情を変える、感情豊かなアンドロイド。彼に手を引かれて走ったのは、一体、もう、何度目だった?
「……そんな、ことで」
「そんなことなんかじゃありません。僕にとっては十分です」
 微かに震えた声をまるで見透かしたみたいに9Sは笑う。ナインズと呼んでくれたから未練はもうないのだと、そうあっさりと口にできてしまう彼の儚さが、切なかった。
「さあ、2B」
 ゆっくりと9Sがこうべを垂れる。首打ちを待つ罪人にしては穏やかに、彼はうなじの髪を丁寧に払って、2Bが首を落としやすいよう姿勢を正した。
 それに、何だか泣きたくなる。もう何度彼を斬ったのか分からないのに。……嘘。本当は、全部、覚えている。
「ああ、そうだ。最期に一つ」
 2Bは白の契約を握りしめる。美しい東洋の白刃の刀だ。手入れの行き届いたその刀は、いつも素晴らしい切れ味で標的を斬り落とす。
「僕を、忘れないでいてくれると嬉しいなって」
 斬、と断ち切る。機密情報を知ってしまった、違反者を処分するために。
 響く、落ちた音。物言わなくなった9Sの抜け殻を、赤く滴る刃を握りしめ、2Bはただ見下ろしていた。
「……あはっ」
 唇を弧の形に描いてみる。彼女のように。すべてを消した、同僚のように。ただ、笑って見せればいい。そうすれば、つらいものは、全部忘れられる。
「あはは……あは、うっ……うう…………っう……!」
 消せるわけない。消せるはずなんてない。君をなかったことになんてしたくない。
 無理矢理に作り出した笑い声は次第にくぐもった嗚咽に代わり、2Bはとうとう大粒の涙を転がり落とす。一筋零してしまうともうだめだった。涙は後から後から盛り上がってきて、まるで滝のように流れ落ちてゆく。
 ――僕を忘れないで。
 9Sが残した言葉。なんて残酷な遺言なのだろう。
 嗤えれば良かった。いっそ狂ってしまえば良かった。そうでいられたら、どれほど楽だっただろう。
 とめどない涙が頬を伝っては、転がり落ちる。嗤えるほどに器用でもなく、心を閉ざせるほどに無機質になり切れない、出来損ないのアンドロイド。
 私はあと何回、君を殺せばいいのだろう。
 すり減る心を抱きしめて、零れる嗚咽を噛み殺しながら、2Bは穏やかな空色の中で、ただ静かに泣いていた。
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