2018.03.03 公開

空蝉

「801S?」
 不意に背後から声が降ってきて、801Sは内心飛び上がりそうなほど驚いた。
 しかし、その動揺は顔には出さない。801Sはそういう素の表情を出すことを良しとしない性格をしている。プライドが高いというか、捻くれているというか。我ながら難儀な性格をしているものだと思うものの、こういうパーソナルデータを搭載した以上、それはもう仕方のないことだと割り切るしかない。ともかく、801Sは内心の驚きをおくびにも出さずに、至って平静を装って振り返ってみせた。
「……9Sですか」
 視線を移せば、見覚えのある同型機の姿があった。
 プラチナ色の髪に揃いの黒装束。膝丈の半ズボンから伸びるボディは、女性型よりは骨ばっていているものの、華奢と言える部類に入るだろう。柔らかい物腰でありながら、その実対象をよく観察している。よく動く唇。余計な一言が多いとされる9Sのその場所が、大げさすぎるほどへの字に曲げられたのが分かった。
「うわっ……心底嫌そうな顔をしましたね」
「ええ。面倒なことになったと思っただけです」
 はあ、と前髪を撫でつけながら、801Sは大きなため息を吐いた。他のヨルハに見つかるなら、どうとでも煙に巻いてみせるのに、よりにもよって見つかったのがS型。好奇心旺盛なモデルだからこそ、というのもあるのだろうが、801Sからすれば見つかりたくなかった部類の相手でもある。おまけに彼は、めざましい戦果を上げ、バンカー内でもとりわけ評価の高い9Sだ。
「やっぱり自覚あるんだ、それ」
 9Sが指さしたその先には、一体の義体が横たわっている。破棄するよう指示があって、しかしそれを保留にしたものだった。もちろん801Sの独断で、ヨルハとしては好ましくない判断だというのは分かりきっている。要するに軍事違反行為。だから、人目につかぬようひっそりとメンテナンスをしていたというのに――この好奇心旺盛な9号S型というモデルは、わざわざ801Sを探り当ててしまったらしい。
「M部隊の男性型モデル。見たところテスト用の義体ですけど、それも含めて破棄するよう人類会議で決定されたのでは?」
 バイザーの下に隠されていて、彼の表情は読めない。興味本位で首を突っ込んだのか、はたまた規律を正そうとしているのか。いずれにせよ、9Sが上層部に報告をすれば、801Sの行為は軍事違反として処罰されてしまうものである。一度決定が下ったものに背くというのは、軍隊という組織においては罪になる。
 さて、どうしたものか。内心の焦りはおくびにも出さず、801Sは顔を上げた。
「違反しているというのはもちろん分かっていますが、それは9S、君も同じでしょう?」
 バンカーのメンテナンス用義体パーツの格納エリア。本来ここは、担当者以外が立ち入りしないように入室制限がかかっているはずだ。もちろんそれは、9Sだって例外ではない。
「さてはハッキングしましたね」
「801Sの様子が変だったからどうかしたのかなーって」
「詭弁ですね。だったらわざわざ入室制限のかかっているエリアまで追いかけてくる必要はない」
 興味本位でここに入ってきて、801Sが義体のメンテナンスを始めたから堪えきれずに話しかけてきた。といったところか。どちらも後ろ暗いところがあるから、報告されることはないと高を括っているのだ。ずる賢いというか打算的と言うか。
「ばれたか」
「ばればれですよ」
 S型の考えることなんて。ハッキング可能な性能を持ち合わせているだけに、こういう場面では悪用してしまうといういい例だ。もちろんそれは、9Sに限ったことではないものの。
「あなたがここにいることに関しては不問としましょう。それで、わざわざ声をかけてきたからには、用があるんでしょう?」
「さすが801S。話が早い」
「僕を馬鹿にしているんですか?」
 調子のいい9Sに思わず呆れたため息が出てしまう。こんなこと、ちょっと考えればすぐに分かることだ。そもそも801Sはヨルハの中でも最新機種と呼ばれるモデル。このくらいの察しの良さは、彼に言わせれば当然のことだ。
「この個体はパーソナルデータが移行されていない、単なる義体でしかありません。なぜ君は、わざわざ使われる予定が今後一切あり得ないモデルのメンテナンスをしているんですか?」
 ――ハッキングで入室してまで聞きたかったことがこれですか。そう、内心呆れ果てると同時に、ある意味でその察しの良さには感服する。801Sは微かに眉をひそめた。
 9Sの言葉は的を得ている。彼の言葉の通り、このメンテナンスはまったく意味を成さないものだからだ。
 この義体の主になるはずだったM部隊の隊員は、801Sがロールアウトする前にすでに解散している。ヨルハにおいて危険因子を孕むとされる成人男性の個体は不採用。正式運用のモデルは基本的に女性型のみで、男性型は少年モデルに限定する。そう、人類会議で定められた。人類会議の決定は絶対だ。兵士たちはそれに従わなければならない。
 だから、801Sがいくらこの義体をメンテナンスしても、その持ち主が現れることは未来永劫あり得ない。要するに“無意味”なことをしているのだ。効率を重視せねばならないアンドロイドにとって、それはまったく理にそぐわない行動だ。
 9Sはなぜ、と問うた。たった一つのその疑問のためにハッキングまでして(正直、天秤にかけるものがおかしいとは思うものの)彼は訊ねてきたのだ。801Sは小さく溜息を吐いた。
「……別に、大した理由はありません」
 そう、本当に些細なきっかけ。
「9S、あなたはこの義体が本来使用されるはずだった部隊のことを知っていますか?」
「M部隊ですか? 確かに僕がロールアウトした後にできた部隊ですが、記憶のクリーニングをした際に消去されてしまっていますね。詳細は不明。データベースにアーカイブが残ってるくらいでしょうか」
「そうでしょうね……」
 アンドロイドとして、それは極めて自然であるべき姿とも言える。クリアで純真な人格。兵士という役割を課せられたヨルハにとって、求められるのは任務遂行能力なのだから。
 言葉にすることは躊躇われた。だけど、目の前で興味深げに覗き込んでいる9Sが、適当な言葉に誤魔化されてくれるとも思えない。801Sは、義体の腕を一度だけ撫でた。女性型とはまた違う、鍛え抜かれた太い腕。今はもう、ヨルハには失われた義体の腕だ。
「ヨルハは実験を繰り返し、そこで得られた結果を次世代機に反映しています。そうして僕らは造られました」
 801Sはヨルハのメンテナンスを行う個体だ。おそらく新旧様々な義体に触れる数少ない個体であると言える。新品の傷一つない義体の調整だって行うし、使い込んですっかり傷だらけになったパーツを交換したり、修復したりするのだって801Sの仕事だ。
 ロールアウトしてからこれまで、たくさんの義体を目にしてきた。本当に……たくさんの義体を目にしてきた。
「旧型と呼ばれる彼らが築いた礎の上に、僕らは今、立っている」
 801Sの仕事は戦闘に出ることはなく、あくまで裏方のものだ。直しても直しても、仲間たちは傷つき、時に破損し、初期化され、そうしてなお、運用されていく。戦場に送り出すために直す801Sの存在意義は“メンテナンスをすること”だ。そのためだけに作られた衛生兵と言ってもいい。
 無茶な運用を繰り返し、義体を傷まみれにする者。
 慎重に、丹念に義体を扱い、あまりメンテナンスを必要としない者。
 まったく頓着することなく、メンテナンスの催促をしなければ応じない者。
 交換するパーツにやけに細かい注文をつけてくる者。
 出会う彼らは同じ義体でありながらも、搭載されたパーソナルデータによって、いかようにも変わっていた。それは多様性を持つと定めたヨルハが求めたものでもある。
「ふと、思うんです。破棄されることが決定された“彼ら”は一体どこへ行ったのだろうと」
 “個”を持った兵士たち。直しても、直しても、終わることのない戦いの輪の中に組み込まれた彼らの行く末が廃棄だとするならば。――処分が決定された彼らは今、どこにいるのだろう?
 最新式と銘打って製造されたこの801Sという個体も、いずれは旧型と呼ばれ、真新しい義体に交換されていくのだろう。果たしてそれは801Sと呼べるものなのだろうか。意識はそのまま、体が丸ごと入れ替わるとなれば、そもそもそれは異なるものと認識されるのではないだろうか。変わるならば、それは一体いつから? どこから? その境界はあまりにも曖昧すぎる。
「……ずいぶんと哲学的ですね」
 801Sの言葉に、9Sは思案しているようだった。唇に手を当てて考え込む彼もまた、呆れるほどに義体の交換を繰り返している。一体何をしでかしているのかまでは知る気はないし、詮索もしない。しかし、9Sの初期化の回数は他の兵士に比べても群を抜いていることは紛れもない事実だ。
「この義体の持ち主は未来永劫現れることはありません。ですが、彼は確かにヨルハとして生まれ、思考し、戦った兵士だったということを……せめて認識してあげたいんですよ」
 801Sの言葉に、9Sは静かに顔を上げる。
「……それは、ずいぶん傲慢な考えだと思いませんか」
「ええ、傲慢です。……だけど、僕くらいはせめて。そう思うんですよ」
 今まで多くの義体をメンテナンスしてきた。直しては戦場に送り、また初期化されて帰ってくる仲間たち。繰り返される生と死の螺旋。その螺旋の中から外された空蝉のヨルハ。
 戦場に繰り出される兵士たちのほとんどは、彼らのことを知らないだろう。恐らく覚えているのは、オペレーターモデル、それから司令官。そして初期化することなく記憶を留めるわずかな兵士たちのみ。それさえも、いずれは一人減り、また二人減り、と順番に数を減らしていくはずだ。そもそも801Sはそのために存在している。
 無意味なメンテナンスを施された成人男性の義体を見下ろして、801Sは小さく息を吐いた。
「……もうこれで十分でしょう。君の好奇心も困ったものですね」
「S型ですからね。むしろそうでなければ僕らの仕事は務まらないでしょう?」
 そろそろ潮時というのを感じたのだろう。9Sもまたおどけたように肩をすくめてみせる。
「何事にも程度というものはあります。君のその好奇心はいずれ身を滅ぼしますよ」
「それは忠告ですか? それとも警告?」
「僕のお節介とでも思ってください」
「分かりました。覚えておきます」
 そう言って、へらりと口元を緩めてみせる。9Sは「邪魔しましたね」と短く口にすると、来た時と同じ唐突さで部屋の扉から出て行った。入るにはセキュリティが敷かれているものの、出る分には障害はない。ブーツが床を蹴る音が次第に遠くなっていく。
 どこまで9Sが見透かしたのかは分からない。しかし、これ以上踏み込んでくることもないだろう。幸いにも、彼はそこまで馬鹿ではない。
「言ったことは、けして嘘ではないけれど」
 801Sは横たわっている義体を見下ろした。その存在が失われたヨルハ。M部隊。彼らのパーソナルデータは、成人男性型がいなくなってしまった今、一体どこへ行ったのだろうか。
「本当は、僕は……」
 801Sは格納している自身のブラックボックスの位置を、服越しに指先でそっと撫でた。

 ――その答えは、多分、僕らの中に眠っている。
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