2017.06.28 執筆
2017.03.03 公開

とりとめのない話



 弔いの花だ、足の悪い男はそう言った。
 遊園地廃墟で。工場廃墟で。砂漠地帯で。男の仲間達は、救援を待たずして次々と死んでいった。調査隊とはいえ、レジスタンスの一員として、戦いの果ての殉職だった。
 男は言う。――俺は、どこかで安心していたんだ。足を悪くしたことで、任務に出なくても良くなったことを。卑怯な奴だよな。……仲間達は、皆、死んでいったのに。
 弔いの花を手向けて、男はただ静かにそう言った。風に吹かれて、色とりどりの花が揺れる。
 かつて人類は死者の安らかな眠りを祈って、花を手向け弔いを行ったという。その行為に、例え合理的な意味などなかったとしても、僕は、A2に刺し殺されて死んだ2Bのために、何かしてあげたかった。自己満足でもいい。彼女のためにできることなら、全部やっておきたかったんだ。
 ショッピングモール廃墟の地下深く。エミールから渡されたエレベーターの鍵を使って降りた先には、一面の月の涙の花畑がある。
 弔いの花。雪のように白い髪に、透き通るような青い瞳をもった君に、月の涙はきっと似合う。
 思い浮かべれば、2Bと過ごした日々が鮮やかに蘇った。樹木に浸食された廃墟都市にそびえ立つビル群を見上げていた。砂漠地方では、一緒に砂漠の中を駆けずり回ったね。オーバーヒートしないように、日陰を捜すのが本当に大変だった。
 呆れるほどに賑やかだった遊園地廃墟。朽ちた観覧車の上で見下ろした光景は、今もまだ忘れられない。白旗を振りながら木と鉄でできた村に迎え入れてくれたのは、長でもあるパスカルだった。本当にあの時はびっくりしたし、友好的な機械生命体がいることが信じられなかったっけ。
 アダムとイヴと戦ったエイリアンシップ。あの二人は、とにかく手ごわかった。ネットワークにある自我データで再構築を繰り返すせいで、斬っても斬っても手ごたえがないんだ。
 森の王国では王国騎士団に追い立てられながら、城の中を走り回った。その後の任務で向かったのは水没都市。大規模作戦。工場廃墟からの脱出劇。
 君と、色んな場所を旅した。2Bの隣にいれば、どんなに難解な任務だってこなせるような気がした。全部が全部楽しいことばかりだったわけではないけれど、2Bの傍は心地よかった。いつの間にか、君の傍にいることが僕にとっては当たり前のことになっていたんだ。家族ができたみたいで、本当に嬉しかった。
「……2B」
 この胸の中にある感情は『哀しい』と呼ぶものなのだろうか。まるでぽっかりと大きな穴が開いたみたいだ。穴の中をひゅうひゅうと風が通り抜けていくみたいで、ひどく冷たい。まるで、僕が僕じゃなくなっていくみたいだ。
 2Bはもういない。その事実がこんなにも僕をおかしくさせる。
 一面の白い花畑の中に、一振りの軍刀を突き立てた。それは、初めての作戦行動で2Bが使っていたヨルハの支給品だった。2Bの義体は、あの地震に巻き込まれてもうどこに行ってしまったのかも分からない。だからせめて、彼女が使っていた形見の刀を墓標代わりにしようと思った。白く美しい世界の中に、鉛色の軍刀が鈍い光を放っている。
 エミールに怒られるかもしれないな。そう思いながらも、同時に彼なら許してくれるようにも思う。誰かを悼む気持ちを、エミールは知っていたから。
 自然と唇から嗚咽が零れそうになって、僕は必至で噛み殺した。僕らはアンドロイドだ。心を持たない機械兵士。それなのに、どうしてこんなにも苦しいのだろう。
 今なら、どうして2Bが繰り返し「感情を持つことは禁止されている」と口にしていたのか、分かるような気がした。感情は、苦しいのだ。風船みたいに膨れ上がって、僕の中をいっぱいにしてしまう。目先の出来事に囚われず、真の意味で目的を完遂するのであれば、感情を捨て去らなければ到底できやしないだろう。
 でも、もう命令を出す司令部はない。バンカーは、バックドアより侵入した機械生命体のウイルスによって壊滅し、爆発と共に四散して宇宙の塵と化した。
 目的はない。やることもない。そんな僕が燃えるような感情の向くままに選んだのが、「機械生命体を殲滅すること」「A2を殺すこと」という二つの目的だった。感情は、時として激しい行動理由となることを、僕は初めて知ったのだ。
 2Bは呆れるだろうか。それとも、窘めるだろうか。こんな風に感情を暴走させる僕のことを。
 でも、2Bはもういない。たった一つになってしまった体は無慈悲にも貫かれて、崖の下へと真っ逆さまに落ちていった。だから、この意地のような戦いは、僕一人のけじめのようなものなんだ。
 ――2B。2B。
 思い起こせば、彼女と過ごした日々が鮮やかに蘇る。ずっと、一緒にいられたらと願わずにはいられなかった。兵士としては持つべきはずでない感情を抱いたのは、彼女が口で言うほど冷酷な機械人形ではなかったからだ。不器用な表情の下に滲ませる優しさを垣間見るたびに、たまらなくなるほど嬉しかった。僕だけが、そんな彼女のことを知っているような、特別になれたような気がしたんだ。
「おやすみ、2B。……よい夢を」
 熱いものが頬を伝って零れ落ちる。祈るように告げた言葉は、自分でも笑ってしまうほど掠れていておぼつかない。それでも、願わずにはいられなかった。もう二度と会うことは叶わぬ君が、せめて安らかな眠りの中にあることを。
「僕も……すぐに、行くから」
 そう遠くない未来、きっとこの機械仕掛けの体は果てるのだろう。もしも死せる魂が行きつく先があるなら、今度こそ2Bと共にありたい。――ああ、でも。ゆるくかぶりを振って、僕は薄く嗤う。きっと、もう何も知らなかった頃には戻れない。もし2Bの傍へ帰れるなら、今度こそ僕は彼女に執着して離すことはないのだろう。A2のようなよそ者に殺されることがないように。邪魔者が入る隙間などないように。僕と、2Bだけで完結する二人だけの世界を望むのだろう。果たしてそれは、2Bにとって幸福な眠りと呼べるのだろうか。
「……ふふ」
 死んだ後のことを考えるだなんて、我ながらどうかしている。それでも、例えそれが死の果てであっても、再びまた2Bと会えるならどれほど喜ばしいことだろう。そう、思わずにはいられなかった。
 心なんてあるはずないのに。魂なんてあるはずないのに。それなのに、ああ、どうして。
 零れ落ちる雫が白い花の上に落ちていくのを見つめながら、僕はただ、2Bのことを想って泣いた。

   * * *

 温かい雫が、頬を濡らす感触を受けて僕の意識は次第に覚醒していった。虹彩が光を調節し、やがて人の像を結び始める。薄ぼんやりとした視界の中で、泣きじゃくる2Bの顔を見つけた。
「あれ……僕……?」
「9S……ッ!」
 混濁する記憶の中から必要情報を抜き出そうとしたところで、半ば飛びつくようにして2Bに抱きしめられた。
「トゥ……びぃ?」
「そう、だよ。9S……9S……!」
 ぽろぽろと大粒の真珠みたいな涙が溢れて、僕の服の中に吸い込まれていく。一体どうして彼女は泣いているのだろう。ふわふわとした頭の中でそう考えながら、僕の手のひらは自然と彼女の背中に回っていた。そのまま、泣きじゃくる彼女をあやすように背中を撫でる。
 感情を持つことは禁止されている。いつもそう口にして、言葉少なく呑み込み続ける彼女の涙がなんだか信じられなかった。いいんですか、こんなに感情を出してしまって。思わずそう口にしてしまいそうになってから、しがみつく2Bの腕の強さに何も言えなくなってしまう。一体何が彼女を泣かせているのかその原因は分からないけれど、どうやら僕に関係することらしい。取り乱すことがあまりない彼女をここまで心配させてしまったことに対する申し訳なさが沸き上がる一方で、僕の心は歓喜に震えていた。――嬉しい。2Bが僕のためにこんなに泣いてくれるなんて、嬉しい。我ながらどうかしているとも思うのだけれど、2Bの特別であることが分かって、やっぱり僕は嬉しかったのだ。
 一体どのくらいの間そうしていたのだろうか。僕らは抱きしめ合った格好のまま、2Bの涙が収まるまでずっとそうしていた。彼女をなだめすかせるように背中を撫でながら、僕は意識を手放す前のことを思い出していた。2Bと二人、アダムとイヴを撃退した時のこと。敵機械生命体のネットワークが弱体化したことを機に、全ヨルハ部隊員による総攻撃を開始したこと。EMP攻撃。ウイルス汚染。バンカーの陥落。崩れ落ちるバンカーから脱出した後、2Bによって逃がされたこと。そして、彼女がA2によってその身を貫かれ、ブラックボックス信号が途絶した後のこと。
 僕は、死んだのではなかったのだろうか? 塔の中で対峙したA2と刃を交えたところで、最期の記憶は途切れている。仇を討つ。あれほど強く願ったはずだったのに、結局僕はA2に敗れて事切れた。アタッカーモデルとスキャナーモデルの性能差。言ってしまえばただそれまでのことだったけれど、何一つ成し得ぬままに絶えた僕の最期が、一体どういう経緯を経て目の前の2Bに繋がる?
 沸き起こる疑問が尽きることはなかった。だけど、それを唇に乗せてしまうと、目の前の2Bが消えてしまうような気がして、言葉にできなかった。この期に及んでまだ僕は、2Bのことを手放したくないと願ってしまっていたのだ。この手は血塗られて、もはや優しい彼女にふさわしくない。頭では理解していながらも、僕の手が彼女を手放すことはあり得なかった。自分でも滑稽になるほど、9号という個体は2号に依存しきっている。
 やがて泣き止んだ2Bが、押し付けていた体を少しだけ離して僕を見た。多量の涙を生成したことで、2Bの瞳はふにゃふにゃに潤んでいる。そんな姿でさえも愛おしく思えるのだから、きっともう僕は彼女に重症なのだろう。
「君が、帰ってきてくれた、よかった」
 2Bは、まるで海岸線に広がる砂浜の中から、一枚ずつ貝殻を拾い集めていくように、丁寧に言葉を選んでいった。その優しい声音に、なんだか泣きそうになってしまう。
「……うん」
 それから2Bは、少しずつ僕が再起動するに至った経緯を話してくれた。ポッド達によるパーソナルデータの復元によって、2Bが廃墟都市で再びまた目覚めたこと。同じように復元したにも拘わらず、一向に目を覚まさなかった僕のこと。何とかして僕を再び呼び起こそうと、あちこちを駆けずり回り、塔の廃墟からようやく必要なものを掘り起こしてきたこと。再起動を繰り返しても一向に目を覚まさない僕を、何度も泣きながら呼び続けたこと。
 改めて目の前に座り込んでいる2Bの姿を見直してみる。彼女の手の人工皮膚は剥げ、復元したという義体はどう見てもボロボロだ。本来であれば塔の中で義体を酷使した僕の方が損傷は激しかったはずなのに。……それほどまでに2Bは、僕のため心と体を砕いてくれたのだ。
 自然と唇が持ち上がった。
 嬉しい。嬉しい。嬉しい。
 2Bが僕のために、無理をしてくれた。2Bが僕を呼び戻したくて、たくさん泣いてくれた。僕のために。僕のために。――そこまで思考して、初めて僕は自分の異常性にぞっとした。僕は、骨の髄まで2Bに依存しきった思考に染まっている。
「9S」
 人工皮膚の剥げたぼろぼろの手のひらを差し出して、2Bは目を細めて笑う。
「一緒に帰ろう」
 ……ああ、それでもこの手は離せない。
 つくづく女々しい自分になんだか泣きそうになりながら、せめて彼女に悟られないように微笑み返す。
「うん」
 僕の世界は2Bがすべてだ。それでいいやと半ば思考を放り投げるようにして思う。彼女がまた、僕を望んでくれたのだから、きっとそれでいいのだ。

   * * *

 殺しては、またやり直し。
 やり直しては、また殺し。
 繰り返し真実にたどり着く9号S型を何度この手で屠ってきただろう。ある時は不意を突いて殺した。またある時は、抵抗されて記憶領域の中で罠をかけた。望まれたこともあったし、自決したこともあった。繰り返される死の螺旋の中で、いつも9Sは手を伸ばす。君の手で殺して欲しいから。そう約束したのは、果たして何回目の君だった?
 この手で殺める度に、胸が潰されるような痛みに襲われてきた。その痛みに気が付かない振りをするにも、私はあまりにも回数を重ねすぎていた。この手は血塗られている。それなのに真新しい記憶を持つ9Sは、いつも人懐っこく私の傍で笑いかけた。
 バンカーが墜ちた時、ああもうこれでやり直すことはできないのだと私は悟った。追撃してくるヨルハ飛行ユニットを振り切れないと判断した時、真っ先に思い浮かんだのは今までの君の顔。繰り返し浮かぶ死の間際の君は、また会えるからと微笑んでいた。――もう、会えない。バンカーが墜ちた今、脆い9Sが死に至れば、それは永久の別れを意味する。
 絶対に死なせてはならない。司令官の最期の言葉が蘇る。お前達二人は最後のヨルハ部隊員なんだ、生き残る義務がある、と。それは、繰り返し9Sの抹殺を命じてきた司令官の、初めてのホワイトとしての願いだった。
 もう、殺す必要はない。その代償に、繰り返すことはできない。……たくさんの君の顔が蘇る。今まで君を手にかけ続けた私だけど、せめてこの最後の一回は全身全霊の力で守らせて。
 驕りがあったのかと尋ねられれば、もしかするとあったのかもしれない。少なくとも、私は9Sよりは頑丈な性能を持ち合わせていた。それは客観的事実でもあり、故に私はあの飛行ユニットでの戦闘下において9Sを優先的に戦線から離脱させた。目論見通り、9Sは大した損傷を受けることもなく地上に降下することに成功した。誤算があったとすれば、私自身がウイルス汚染されて、除去不可能な状況にあったということだ。
 報いだ、そう思った。繰り返し殺し続けた同族殺しの死神が報いを受ける時が来たのだ。そう頭では理解しながらも、感情は9Sを求め続ける。殺す必要のなくなった感情が、最後の最後で自ら手にかけ続けた存在を望むのは滑稽以外何者でもなかった。
 ああ、それでも。私は残したかった。生き別れた9Sに、伝えきれなかったたくさんの言葉の切れ端を、せめて届けておきたかった。激しい損傷で霞む視界の中に、私と同じ顔を持ったヨルハ機体が現れる。持ちうる大事な記憶をありったけ込めて、白の契約を突き立てた。
 彼女には――A2には、その願いに耳を傾ける義理はなかったはずだ。むしろ、追っ手として現れた私達を警戒してもおかしくなかったように思う。それでも、彼女は私の最期の願いを聞き遂げてくれた。
 暗闇の中に落ちていく意識の中で、微かに君の声を聞いたような気がした。たまらなくなって、赦しを乞うようにその名を呼ぶ。ナインズ。かつての私は、彼を親しみを込めてそう呼んでいたから。
 血に濡れた私にふさわしい末路。そうだというのに、私はまた目覚めてしまう。一向に目を覚ますことのない、君の隣で。
 気が狂いそうな時の中で、私は何度も君の名を呼んだ。おかしいよね? この手で殺め続けたのは私なのに。守るために手を離したのは私なのに。それでも、やっぱり私は君を諦めることができなかった。
「9S」
 人工皮膚の剥げたぼろぼろの手のひらは、まるで私の醜さを現しているかのようだ。それでも、君を諦めきれない私は、きっと真実を知っているであろう君に向かって微笑みかける。
「一緒に帰ろう」
 ……ああ、それでもこの手は離せない。
 つくづく執念深い自分になんだか泣きそうになりながら、せめて君に悟られないように微笑み続ける。
「うん」
 私の世界はいつの間にか9Sで彩られていた。君が笑うと、釣られて私も嬉しくなってしまう。君が悲しければ私も悲しいし、一緒にいると気持ちが安らぐ。そんな私のエゴにまた付き合わせるのだろうか。自問自答を飲み込んで、私達は歩き出す。君のいない世界は、あり得なかった。君がいなければ、私はもう、私になれない。

   * * *

 私達はお互いに欠けていた。欠けていたから、補おうとした。二人で一つだね。君が笑う。釣られるように、私も微笑んだ。
 しゅるり、と衣擦れの音がやけに大きく耳に届いた。私のすべてが欲しい。アンドロイドなのに、繋がりたいと願う僕はおかしいでしょうか。そう口にして、ナインズは私のバイザーをはぎ取った。バイザー越しじゃない、彼自身の青い瞳を覗きたくて、私もまた彼のバイザーに手を伸ばす。
「……おかしくなんてない」
 惹かれ合うように、私はナインズと唇を重ね合わせた。単純な接触行為。そうだといのに、古い人類史をなぞるその行為は、私達を夢中にさせる。
「っ……はぁっ」
「ナイ……ンズ……っ」
 呼吸のために離れた唇と唇の間を、透明な糸が繋ぐ。こんなにくちづけたのに、まだ、足りない。誘うように唇を押し上げれば、それを待っていたかのようにナインズの舌が入り込む。
 頭の中がめちゃくちゃになってしまいそう。粘着質な音を立てる接触部分が、私に残された微かな理性を崩していく。たまらなくなって舌を伸ばせば、ナインズもまた絡み返してくれた。角度を変えて何度もくちづけを繰り返す。そうやってナインズと繋がるのは、とても気持ちがよかった。
 彼の指先が、もどかしげに衣服に這った。どうすればいいのか分からなくてぼんやりする私に「少し、浮かせて」とお願いがくる。言われるがままに寝そべっている体制のまま体を浮かせれば、思い切りバンザイさせられた。容赦なく黒衣がはぎ取られる。
 呆気にとられる私を前に、ナインズは照れくさそうに笑ってみせた。いつもちらちら見えて、気になってしょうがなかったんですよね。そんなの、全然知らなかった。
 意外に指が長くて一回り私より大きいナインズの手のひらが、レオタード越しの胸に触れた。そのままふかふかと胸の上を指が辿る。ちょっと、くすぐったい。
「くすぐったいよ、ナインズ」
「あ、いや……なんか感動しちゃって」
「感動するところ?」
「するところなんです」
 時々ナインズはよく分からないことを言う。思わず首を傾げたところで、レオタードの隙間から直にナインズが触れてきた。
「んっ」
 咄嗟に、変な声が零れた。自分でも少し驚くような声だった。湿っぽくて、妙に粘り気のある声。思わず手のひらで唇を閉じると、ご丁寧に開いているもう一方の手で、ナインズが指を外してしまった。
 どうして。尋ねれば、照れくさそうに笑う。2Bの可愛い声、全部聞きたいです。やっぱりナインズは時々よく分からない。
 彼はそのまま直に胸に触れていった。両サイドから、緩やかに中心部へ。期待して張り詰めた先端に人差し指が届く。そのまま形を確かめるように、指先がなぞる。
「立ってる」
「……だって、ぞくぞくする」
 思わず涙目になって睨めば、ナインズはやっぱり嬉しそうに笑う。
「感じてくれたんですね」
 そのまま人差し指と親指できゅっと先端を摘ままれると、今度こそ隠せようもない高い声が私の喉から溢れた。
「あっ、や、やだ……」
「だめ。もっと可愛い2Bを見せて」
「んん……っ」
 ぞくぞくとしたものが背筋を駆け上っていく。それだけじゃない。お腹の奥の方が妙に疼いて熱っぽかった。思わず太腿と太腿を擦り合わせてしまう。
 ナインズの指先は私の胸を執拗に弄った。下から掬い上げるように揉みあげてみたり、指先で先端部分を捏ねくり回してみたり。熱い舌先で舐られれば、いよいよたまらなくなって私はナインズの頭を両手で掴んだ。
「誘っているの?」
 胸から顔を上げたナインズが、形のいい唇をちろりと舐める。その仕草がまた絶妙に色っぽかった。
「腰、振ってる」
「え……?」
「無自覚? 2Bはえっちだね」
 そんなナインズの言葉に、思わずかあっと頬が熱くなることが分かった。私はえっち、なんだかろうか。そんなつもり、全然なかった。
「……ナインズの方が」
「僕?」
「うん。ナインズの方が、えっちだと思う」
「そうかな」
「そうだよ」
「……そうかもしれない」
 指先が、レオタードの上の敏感なところに触れたことが分かった。咄嗟に短く息を呑む。そんな私の過敏な反応を見ながら、ナインズはわざとらしくレオタードの溝をゆっくりとなぞりあげていった。その動きと一緒に、胸の奥がきゅうっと音を立てる。どきどき、どきどき言ってる。
「んんっ」
 身を捩って声を上げれば、楽しげな君の青い瞳とぶつかった。ひどい。私は、こんなに訳が分からなくなりそうなのに。そう言うと、ナインズがやっぱり楽しそうに笑う。ひどくないですよ。むしろ気持ちいいんでしょう? そう聞かれてしまうと、うん、としか答えることができなくて、そうこうしている内に表面を撫でるだけだった指先は、泉の中にはまで入り込んでしまっていた。
「はっ、あっ、やっ」
 短く零れ落ちる嬌声は、もはや獣じみていた。訳のわからない気持ちの良さから逃れたくて身を捩るのに、それはお腹の奥底から追いかけてくる。
 やがて金具が外れる音がして、私は意識をそちらに向けた。いつの間にか服を取り払ったナインズのつるつるの胸が私の目の前にある。でも、それ以上に目を引いたのは、赤黒くそそり立つ彼の肉の棒だった。
 想像していたものよりも、ずっと大きい。いつかそういう行為があるかもしれないと、こっそり旧人類史のアーカイブを覗いた時には規制でほとんど見ることができなかった性器パーツが、まさしく今、目の前にある。
 まじまじと見てくる私の視線に、ナインズが照れくさそうに笑った。
「流石に見られると恥ずかしいですね」
「そうかな」
「そうですよ」
「でも、おあいこ」
 くすりと人差し指を口に当てて、それから、ナインズの唇に指を押し当ててみせる。目を細めてその青い瞳を覗き込めば、ナインズは急に真顔になった。
「あっ、ちょっと、2B、だめ」
「え……?」
 ぐっ、と太ももを持ち上げられたことが分かった。
「そんな不意打ち、我慢できない……!」
 そのまま、ぐり、とナインズを押し込められた。期待に潤んでいたその場所は、待ち望んでいた刺激を歓迎していた。侵入してくるナインズを絡みとるみたいに、ナカの襞が蠢いているのが分かる。
「あっ、あっ」
 浅く呼吸を繰り返せば、ナインズが腰を引く。そうしてまた、押し込まれた。熱を持ってぱんぱんに張り詰めた肉の棒が、潤む私のナカを出入りしている。
 たまらなくなってナインズの両手を握り締めた。解けることがないように、ぎゅっと指先を絡み合わせる。ナインズもまた応えるように手のひらを握り返してくれた。
 古びたベッドが遠慮なく軋む音を立てる。そんな音すら心地よくなってしまうくらい、いつしか私はナインズに溺れていた。出入りしてくるナインズを、力いっぱい抱きしめてあげたい。もっと、もっと気持ちよくなってもらいたい。気持ちよくなりたい。
 ぎゅうっと強く目を瞑る。目尻に涙が盛り上がった。快楽の濁流に飲み込まれながら、私は足をナインズに絡みつかせる。
 やがて、奥でぶるりと大きく震える感覚があった。待ち望んだ時は近い。私はほとばしる程の高い悲鳴を上げた。ナインズが私を呼んでる。手のひらを握り返す。そうして私達は、白く弾ける限界へと一緒に上り詰めていった。

   * * *

 背中を撫でる感触があって、私は瞼を持ち上げた。どうやら意識を失っていたらしい。曖昧な記憶を辿るべきか思案したところで、至近距離にナインズの整った顔があることに気が付く。
「おはよう」
 蕩けるようなそのまなざしに、意識を手放す直前の情事がフラッシュバックした。コイビト、という新たな関係性を深めるための、親愛行為。ナインズが提案した人類の模倣行為は、その後何度も繰り返させるほどに私達を夢中にさせた。
 人類はなんて不可思議で魅力的な生き物なんだろう。今はもう僅かな遺伝子情報しか持ちえない、しかしアンドロイドの根底にプログラムされた彼らへの敬愛が、恐れ多くも模倣行為を行う私達に尊敬の念を抱かせる。
 私はナインズに特別な感情を持っていた。再び目覚めた時、彼のいない世界を許容できなくなるほどに、深い情を注ぎ込んでいた。私はナインズのことを欲したのだ。
 人間の親愛行為は、ある種の本能のようなものらしい。卵子に精子を注ぎ込み、受精させる。受精卵はやがて胎児へと変化し、女は子を産み、育て、次の世代へ遺伝子情報を引き継いでゆく。それは生物として合理的な側面もありながらも、同時に不可解な記録も多数残されていた。
 人間は、子を成すことがなくとも親愛行動を取るという。例えば、同性同士。例えば、第二次性徴前の性交。特殊なものであれば、すでに生物としての機能を終えた死体に対して行為を行うこともあるという。
 要は合理的意味を持ち得なくとも、そこに対象への執着があれば行為としては成立するということだ。
 ナインズは欲しいのだと口にした。2Bが僕のことを大事にしてくれてとても嬉しい。本当に嬉しい。この想いが人類をなぞるものであるのなら、僕はその先の行為をしてみたい。2Bの全部が欲しいんだ。
 私もまた同じ気持ちだった。この感情の行く末を表現する術があるのならば、ナインズの手を取りたい。E型である私を丸ごと受け止めて、それでもなお望んでくれた君が欲しい。
 初めての行為は、廃墟都市の一角で行った。借り物であるレジスタンスキャンプでの一室では、少し憚れるから。そういった理由から、雨風と人目を避けることのできる廃ビルを選んだ。
 打ち捨てられたそのビルの一室は、瓦礫が雑多に散らばっていて、辛うじて横になれるスペースが存在する程度だった。その部屋の中で、私達は互いを探り合うようにして触れ合った。
 衣服を取り払ったナインズの体は、私とは全く違う造りをしていた。男性型、というのがとりわけ大きな要因なのだと思う。黒衣を脱いだ彼の胸は、つるつるしていた。ヨルハにおける成人男性型は、クーデター以来製造されていない。少年と青年の間で揺れる薄い肉の義体は、余計な脂肪が少なくて動きやすそうだな、というのが脳裏の端の方で持った感想だった。それよりも、彼の性器パーツの方に目がいってしまったのは、仕方のないことだろう。……私には、持ちうることのないパーツなのだから。
 慣れない初めての親愛行為は、およそ百八十六分にも及んで続けられた。どうすれば心地良くなるのだろう。どうすれば喜ぶのだろう。どうすればナインズは私を求めてくれるだろう。
 与えられる愛情以上に、私もまた彼への愛情を伝えたかった。言葉も、仕草も足りない。こんなのじゃ、全然足りない。振り返ってみれば、手先が器用なナインズに翻弄されてばかりだったように思う。流されるままに割り開かれた身体は、快楽の濁流に飲み込まれていった。
 月日の経過と共に、身体を重ねる回数は増えていった。私達はお互いに欠けていた。欠けていたから、補おうとした。二人で一つ。何度も手のひらを繋ぎ合う。バンカーも人類も失われた世界で生きていくには、そうでもしなければあまりにも辛すぎた。
 人類敬愛のプログラム。死刑執行人であるエクセキューショナー型にはとりわけ過剰にかけられている。けして裏切ることがないように。心を挫いて、自暴自棄になることがないように。人類滅亡の事実を呑み込む代償行為のように、私はナインズに溺れていった。彼に溺れるのは、ひどく心地良かった。
 目覚めの挨拶を告げたナインズの少し乱れた前髪に手を伸ばす。そうすれば、君は猫のように目を細めてそれを受け入れた。窓から差し込む日の光は年中変わらず温かい。その光に目を細めれば、おでこにナインズの唇が落ちてきた。
 ここを僕たちの秘密基地にしましょうよ。そうナインズが言い出したのは、いつ頃だっただろう。私達は廃ビルの一角を少しずつ整理していった。二人が寝そべれるベッド。簡素なチェア。欠けた足を修復した一回り大きなテーブル。少しずつ物が増えていく秘密基地は、いつの間にかすっかり居心地が良くなって、私達の城になった。その頃になると、私達を取り巻く周囲の様子も随分と様変わりするようになっていた。
 11946年1月。パスカルを中心とした機械生命体和平派と、人類軍が正式な休戦協定が締結される。昨年度終結した第十四次機械兵器戦争終結から実に四ヶ月後の吉報とされた。エイリアン亡き今事実上の敵となった機械生命体と、たとえ小規模といえど和平の道を選択したことは、終わることのない長い戦いに疲弊していたアンドロイド達にとって概ね肯定的に捉えられていた。
 協定宣言直後は、和平に否定的な過激派による攻撃が予想されていた。実際、私やナインズもパスカルを中心とした和平派の機械生命体の護衛任務に何度も当たっている。しかし、ここで嬉しい誤算があった。人類史上初めての機械生命体との和平宣言。全世界にその名を轟かせることとなった東洋地区に和平に協力的なアンドロイド、及び機械生命体が続々と集結するようになったのだ。内部分裂を狙う危険因子も紛れ込んでいる可能性は否定しきれなかったものの(そのため、パスカルの護衛をA2が申し出た)、そのほとんどは和平派アンドロイド・機械生命体に迎え入れられた。
 平和への一歩として、森林地区にある商業施設跡地が新たな拠点として可動することが正式採用された。この新たな拠点は、アンドロイド・機械生命体から希望者を募り、共同で開発を進めるものだ。アンドロイドと機械生命体の異種族間での町おこし。噂がさらに志を同じとする仲間を呼び、開発は今のところ概ね順調に進んでいた。
 新しい町に住まないか。開発の中心を担うパスカルとアネモネ。その両者から私達は勧誘を受けていた。咄嗟に返事を返せなかったのは、ようやく作ったばかりの秘密基地を移してしまうことにためらいがあったからだ。私の心境を察したのだろう、ナインズは急には決められませんし、少し考える時間を下さい。そう言って会話を切り上げた。二人共心得たもので、いい返事を期待しているよ(ます)と微笑んで、それ以上の追求はなかった。パスカルやアネモネ達の関係が変わっていくように、私とナインズの関係が変わっていたことを彼女たちは感じ取っていたかのようにも思う。
 会話が一旦区切りを付いたところで、ふとパスカルが思い出したように音声を上げた。
「そう言えば、2Bさん。実は商業施設に、開かずの扉があるんです。どうやら鍵を使えば、その扉――エレベーターのようなのですが、入れそうなんです。お二人は以前からここに出入りしていましたし、何か情報を持っていませんか?」
 そのパスカルの言葉に、私とナインズは顔を見合わせた。







 商業施設廃墟の一角にある、鍵のついた扉。それは、かつて人類を守るために戦い抜いた、とある兵器の大切な場所だった。
 実験兵器7号。そう呼ばれた石化能力を搭載された兵器は、当時最強と謳われた実験兵器6号の力を取り込み、事実上最強の魔力を手に入れた。その力は、人類対エイリアンとの戦闘でいかんなく発揮されたという。実際に彼自身も語っている。自己増殖を繰り返し、兵器として人類のために戦ったのだと。
 7号。またの名をエミール。商業施設廃墟で初めて出会った彼は、自己増殖を繰り返したエミールの一体だと語った。彼は廃墟の中で様々なものを蒐集し、奇っ怪な二輪車に乗せて都市廃墟の中を駆けずり回っていた。物資の補給の際に、ポッドで彼を撃ち止めた日々も今となっては懐かしい。彼は、増えすぎた自分自身が世界を滅ぼそうとするのを食い止めるため、人知れず砂漠地帯で戦った。そして、最期の瞬間に忘れていた記憶を取り戻し――「カイネさん」と楽しかった旅の思い出を抱きしめながら、事切れた。その最期を、僕は看取っていた。
 バンカーが墜ちた。2Bを失った。そして、エミールの最期を見届けた時、ただ素直に羨ましかったことを覚えている。大切な思い出に迎え入れられ、旅立っていける彼のことが、たまらなく眩しく見えたんだ。死んだら、僕もまた2Bに会えるのだろうか。幸福そうに大切な人達の名を呼ぶエミールの姿に嫉妬さえした。
 そんなエミールがとても大切にしていた思い出の場所。閉ざされたエレベーターの鍵を開け、パスカルと2Bと共に地下へと潜っていく。やがて、エレベーターが静止して扉は開かれた。途端、微かに淡い光を放つ一面の月の涙が僕らを迎え入れてくれた。
「これは……すごいですね」
 初めてこの光景を目にした僕らとまったく同じ反応をパスカルはしていた。
「……エミールさん。彼は、私達機械生命体のネットワークに最高警戒レベルの兵器として登録されていました。自己増殖を繰り返し、仲間たちを次々に虐殺していく暴虐無人な悪魔の兵器。ここ最近はあまりその名を聞くことはありませんでしたが、当時はとても恐れられていたそうです」
 そう口にして、パスカルはゆっくりと見事に咲き乱れる月の涙の前に歩み寄った。
「私も恐ろしい存在だと認識していました。ですが、その認識は改めなければなりませんね。……こんなにも美しい場所を、大切にしていたのですから」
 無人の廃屋と美しい花畑。アンドロイドや機械生命体の侵入を許さなかったこの場所では、希少とされる月の涙が大切にされたまま残っていた。そのためにどれほどエミールが心を砕いていたのか、今はもう察することしかできない。
「花を守っていたエミールはもういない。……花を守るなら、これからは別の誰かがこの場所を守っていく必要があると思う」
 咲き乱れる純白の花々。その希少性の高さと、幸福を招くとされる逸話から密売の危険性もあった。今はこの場所を知っている存在が限られているからいいものの、商業施設が町として稼働するようになれば、そういうわけにもいかなくなる。そのための相談をするために、僕と2Bはパスカルをこの場所まで連れてくることにした。語るよりも、実際に見て貰った方が手っ取り早いと思ったからだ。
「この場所をエミールさんから託されたのは2Bさんとナインズさんです。私は、お二人に守って頂けないかと思います」
 そう口にしてからパスカルは気が付いたのだろう。ああ、町に住んでほしいという話とは別ですよ。と言葉を足した。
「そりゃあお二人と一緒に町を興せたらとは思いますが、それとは別に、エミールさんに直接頼まれたお二人が花を守って欲しいのです」
 町の者たちは気のいい者達が多いですが、信頼関係はこれから築いていくものです。ゆくゆくは町全体で守っていけたらいいでしょうが、今、その話をすべきタイミングではないと思うのです。だから、それまでの間ここの番人はお二人にお任せしたい。
 パスカルの言葉は言われてみればもっともで、それはきっと花畑の番人だったエミールの意向に沿うものだろう。
「……分かった」
 パスカルの言葉に2Bが静かに頷いてみせる。彼女は確かめるように僕を見た。
「はい、僕もそれでいいと思います」
 僕と2Bの言葉に、パスカルが緑の目のランプを点滅させた。
「この件に関してアネモネさんには私から伝えておきます。町の人々にも折を見て話すようにしましょう」
 すぐにというわけにはいませんが、このあかずの間を気にしている人も多いですからね。パスカルの言葉に特に異論はなかったので、僕も2Bも頷いてみせた。
「私はそろそろ上に戻ろうと思いますが、お二人はどうされますか?」
「僕は別に用事はありませんので……」
「待って、ナインズ」
 パスカルの言葉に続いて地上に戻ると続けようとした僕の言葉に制止の声を上げたのは2Bだった。
「私は、もう少しここにいたい。ナインズも、構わなければ……」
「そういうことなら僕も残りますよ」
 珍しい2Bのお願いなのだ。このくらいのことなら訳はない。それに、僕も一つだけここでやり残したことがあったから都合がいい。微笑んで告げた僕の言葉に、2Bがほっとしたように口元を和らげた。
「ありがとう」
「いえいえ」
「それでは私は戻りますね」
 僕たちのやりとりを微笑ましく見守っていたパスカルがエレベーターのスイッチを押す。やがて扉は開かれて、パスカルを収めた箱は地上へと昇っていった。
「わざわざ残りたいって、何かあるんですか? 2B」
 とは言っても、この場所は月の涙以外は廃屋があるくらいで何もない。一体どうしたんだと言うのだろう。思わず首を捻る僕を他所に、2Bはゆっくりと月の涙の花畑の中を歩いて行った。やがて、その花畑の中に突き立てられたひと振りの刀の前にたどり着く。
「あ……」
「これが気になっていた。ナインズ、この刀は、君が?」
「……はい。僕が置いたものです」
 今の今まですっかり忘れていた。かつて、弔いにと突き立てた2Bの墓標。彼女はその刀に気が付いて、わざわざ残りたいと口にしたのだ。
「これは……?」
「あっ、ちょっと待って2B。触れるのは……」
 流石に恥ずかしいかも。そう続けかけたものの、言い切る前に2Bの指先がヨルハ制式鋼刀に触れた。ぴくりと微かに2Bの指先が震える。
 ――そうだ。確か僕の記憶が正しければ、あの刀にはめいいっぱい2Bへの想いの丈を込めたはずだった。2Bを失くした直後にレジスタンスの男から依頼を受けて、弔いという行為を知ったのだ。先に逝ってしまった2Bが、せめて安らかな眠りにあるように。そう願いを込めて突き立てた墓標の記憶領域には、多分、今見ると悶絶しながら転げまわりたくなるようなことが詰まっているはずだ。
 2Bが伏せていた顔を持ち上げる。その視線が僕を真正面から捉えたことを理解して、うっと僕は後ずさりした。
「とぅ、2B……?」
 バイザーの下に隠された2Bの表情は分からない。けれど唇を引き結んだ彼女は、そのままずんずんと後ずさる僕を追い立てる。その迫力に足がもつれた。柔らかい土の上に尻餅を付けば、覆いかぶさるようにして2Bの指先が伸びてきた。
「……ナインズ、ごめんね」
 微かな声が聞こえる。その辛そうな声音だけで、僕の胸はいっぱいになった。咄嗟に紡いだ言葉は、自分でも滑稽なほどに掠れている。
「もう、僕の手を離れて死んだりしちゃ……嫌だから」
「うん。……うん」
 抱きしめられた腕の力が強くなる。あの刀の中には、狂おしいほどの2Bへの想いが込められていた。その想いを彼女がどう捉えたかまでは推測することしかできない。
「今は、2Bがいるから」
 だから大丈夫。囁くような僕の言葉は、そのまま接近した2Bの唇にかき消された。驚きに息を飲んだ僕の体は、その勢いのままに2Bに押し倒されてしまう。2Bからの口付けはそのまま深くなって、次第に僕らは行為に夢中になった。絡み合う舌と舌がお互いの口内を行き来する。やがて熱っぽいため息と共にお互いの唇から唾液が溢れた頃には、2Bは僕に馬乗りになった格好になっていた。
 2Bの手袋に覆われた指先が、すうっと僕の下腹部に伸びた。やがて彼女の細い指がズボンのチャックにかかる。
「とぅ、トゥービー……?」
「……だめ?」
 そんな風に小首を傾げて可愛らしくおねだりされてしまうと、もうどうしようもなかった。
「……だめ、じゃ、ない……」
「うん」
 観念したように声を上げれば、2Bは嬉しそうに返事した。その仕草がまた、凶悪に可愛い。
 もうなるようになれ、だ。半ば諦めのようにして瞼を閉じれば、チャックを引き下ろした2Bの指先が下着越しに僕自身に触れる。現金なもので、彼女が僕に触れていると認識するや否や元気に勃ち上がるのだから、我ながら困ったものだった。
 その淡く色づく形のいい唇で手袋を噛んだ2Bが、さっと手を引き抜く。白い指先が、ズボンの下からそそり立つ僕自身にそっと触れた。人工血液で張り詰めた肉の棒は、微かに浮き出た血管が波打っている。彼女はそのてっぺんから根元までをゆっくりと撫でるように伝っていった。途端、ぞくぞくとしたものが背筋を駆け上ってゆく。
「その、トゥ、2B……」
「黙って」
 短くそう言って、2Bは髪を耳にかけ直した。丸みを帯びた輪郭と、ほっそりとした花の茎のような首筋があらわになる。2Bのそれは、無意識での仕草なのだろう。分かってはいても、立ち上る彼女の色香に目の前がくらくらとした。
 柔らかな感触が先端部分に触れたことを理解して、僕は咄嗟に目を見開いた。見れば、真剣な表情をした2Bが恐る恐るといった様子で、唇を付けている。
「そんなの、どこで知っ……っぁ」
 思わず情けない声が零れ落ちる。唇を付けた2Bが、その鮮やかな赤い舌で、れろりと僕自身を舐め上げたからだ。背筋から脳天に向けて痺れるような感覚が走る。
 2Bのほっそりとした指先が、睾丸から撫でさするように上っていく。やがて竿の部分に到達すれば、分かりやすく僕の体は跳ねた。
「っ……ここが、気持ちいい?」
 そう口にして再び2Bが肉棒を咥え込む。僕の反応を探りながら、拙い動きで2Bが心地よくなる場所を探してくれている。そう思うだけで、自分で触れる以上の心地よさが駆け上った。
 2Bの舌先が、先端部分、それからその下の窪みを辿るように動いてゆく。まるで海で蠢く軟体動物のようだ。くちゅくちゅと唾液と先走りの透明な雫が交じり合う。2Bは僕の先端から溢れる体液を舌先で丹念に舐め取ってから、上目遣いに小首を傾げた。
「気持ちいい?」
「……どうにか、なりそうっ」
 口をすぼめて咥え込んで。そのまま奥までしゃぶりついて。次第に遠慮がなくなっていく愛撫に、いよいよ余裕が無くなってくる。震える腰を押さえ込んで、2Bが肉棒を奥まで咥え込んだ。熱く、柔らかく包み込まれる口内に、高まる感覚は一気に弾けた。
「っ、ぁ、出る……っ!」
 咄嗟に彼女の顔を引き離そうとした。だけど、2Bはしっかりと口を付けたまま僕を離すことはしなかった。一気に熱が放出される。2Bがぎゅっと目を瞑るのが分かった。
「…………飲まなくても、良かったのに」
 出すもの出し切って言う台詞ではないものの、曲がりになりのそれは本心だった。けして美味いものでもない。それだというのに、僕の体液を飲み干して顔を上げた2Bはさして気にした様子を見せない。それどころか、ぞくりとするほど妖艶に目を細めて、彼女は微笑んでみせるのだ。
「ナインズのだから」
 零しちゃうなんて勿体無いよ。そう言って、ちろりと赤い舌で下唇を舐めてみせる。
 その光景に、今更ながらぞっとした。――こんな2B、知らなかった。月の涙のように清らかで、真面目で、感情を出すことが不器用で。僕が知っていた2Bはそういうアンドロイドだった。
 いつから彼女はこんなにも情欲を欲するようになったのだろう。少し前までは、こんな表情なんて微塵も見せる素振りがなかったのに。まるで魔性の女だ。新たに開花する彼女の表情のひとつひとつに翻弄されてしまう。これ以上執着するはずなんてない、そう思っていたはずなのに、逆に絡め取られてしまっていたのは僕の方なのか。
「……2B」
 声は掠れていた。そんな僕の呼びかけに、何、と2Bは短く答える。
「今度は胸でも、触って欲しいな。それから、体制は足を僕の顔側に付けて」
「? ……分かった」
 要望されて、理由なく断る2Bじゃない。彼女はそのまま、黒衣に手をかけた。胸を出すにはレオタードも邪魔だったのだろう。躊躇なく衣服を脱ぎ払っていく。
 一糸纏わぬ2Bが、僕の上に跨っている。彼女はその柔らかな胸を両手で押し上げてゆっくりと僕を包み込んだ。

   * * *

 胸で触って欲しい。ナインズからのそのお願いは、初めてのことだった。彼に望まれると嬉しい。私のことを欲してくれているというのが分かるから。
 過去の人類史を調べて、手にした知識はやはり間違っていなかったらしい。初めてナインズの性器パーツを口にしたけれど、とても喜んでみてくれたみたいだから。
 先ほどの、頬を紅潮させて、蕩けるような眼差しで震えていたナインズを思い出す。それだけでお腹の奥が疼くから不思議だ。ナインズが気持ちよくなってくれると私も嬉しい。
 彼の望む通りに私は服を取り払い、指先で胸を掬い上げた。その隙間の中に、先程まで口で咥えていたナインズ自身を挟み込んでみる。すでに体液で濡れていてその場所は、押し込んでみれば酷くあっさりと挟み込まれた。
「っ」
 ぴくり、とナインズの体が反応するのが分かった。可愛い。今は顔が見えない位置にいるけれど、さっきのナインズはすごく可愛かった。私がナインズをあんな風にさせているんだ。そう思うと、彼の体液を飲み込むことさえ些細なことだった。私が君を気持ちよくさせている。私のことでいっぱいにさせている。嬉しくて、思わず口元が緩んでしまう。
 挟み込んだ胸を押し上げる。上半身の動きも加えて、次に引き下げた。ぬるぬると彼の肉棒が上下していくことが分かる。
「とぅ……びぃ」
 名前を呼ぶ声がする。色を含んだ、甘ったるいナインズの声が。次に、ふっと敏感な場所に息がかかる感覚があった。思わずお尻が持ち上がる。咄嗟に逃れようとした私の腰に、ナインズの指先が沈み込んだ。
「ふぁっ」
 反射的に喉が仰け反る。ナインズの唇が、私の敏感な場所に触れたからだ。身を捩ろうとしても、がっちりと押さえ込まれていて逃げることは叶わない。
「そのまま、続けて」
「あっ」
 ぴちゃり、とナインズの熱い舌が彼の性器パーツに触れて、潤む泉の中に沈んでゆく。その心地よさに、訳も分からず腰を振りたくなってしまう。……だめ。ナインズを気持ちよくさせるのは、私なんだから。
 意を決して私は胸の上下運動を再開させることにした。隙間のないようにナインズを埋め込んで、小刻みに揺らしてみる。やがて胸の間からとろりとした体液が溢れてきて、私と彼をべとべとにしていった。
「んんっ!」
 思わず甲高い声が迸った。目尻に涙が浮かぶ。ナインズが一番敏感な芽を、甘く噛んだのだ。ぴりぴりとした電流のような快楽に、一瞬で訳が分からなくなる。
「私が……っ」
 ナインズを気持ちよくさせるんだから。胸の間にある擬似血液の通った熱に再び口を付ける。今度はナインズの体がびくりと跳ねて、湿っぽいため息が零れた。胸で上下に擦り合わせながら奉仕を続ければ、たまらないようにナインズから短い獣のような声が響く。彼の指先が私の泉の中に触れる。二本の指が器用にナカの肉壁にくい込まれて、抜き差しされた。私の呼吸もどんどん荒くなっていく。心地よさでどうにかなってしまいそうだ。抜き差しされる指の動きが早くなるにつれて、自然と唇が彼を深く咥えこむ。いっそうの深い刺激に、体が跳ねる。できるなら、一緒に。口をすぼめて深く彼を咥えこめば、ナインズ自身もまた大きく痙攣した。
「……っは」
 二度目の射精。白く濁る意識の中で、飲み込みきれなかった彼の体液が口から伝う。
「とぅ、とぅーびー、僕、もう……!」
 はあはあと荒い息を吐きながら、潤んだ眼差しでナインズが私を見上げている。その蕩けた表情に、先ほど達したばかりだと言うのに、お腹の奥がきゅんと疼いてしまう。
 可愛い。もっと私で乱れて欲しい。もっともっととろとろに蕩けきって欲しい。
「私はここにいるから」
 ――2B。2B。
 ぽろぽろと涙を零しながら私の名前を呼ぶナインズの映像が蘇る。先に逝ってしまった私を想いながら、月の涙の花畑で刀を突き立てる君。胸が張り裂けてしまいそうだった。……こんなにも、こんなにも君は私のことを求めてくれていた。いつも置いていかれる立場だったから、知らなかった。置いていったナインズが、ずっと私を呼んでいたということを。
 安らかに眠れるように。いつか、この体が動かなくなったとき、同じ場所へ逝けるように。祈るように刻まれた言葉と、楽しかった記憶。少ない記憶領域いっぱいを使って叫んだ言葉を、私はようやく受け取れた。再び目覚めて、君とまた共に歩む世界の中で。
 私は震える腰で彼自身の上に跨った。すっかりお互いの体液でべとべとになっている肉の棒を両手に添える。
「ちょ、ちょっと待って、2B」
「待たない。……待てないよ、ナインズ」
 慌てたような君の声を封殺するように、両手で擦り上げれば、ナインズはまた可愛い声で鳴いてくれる。再び硬さを取り戻した彼を固定して、私はゆっくりと腰を落としていった。ナインズが入ってくる感触がある。
「んっ」
 ずっと待ち望んでいた圧迫感を包み込める多幸感。焦らされてすっかり受け入れる準備のできていた体は、するすると彼を飲み込んでいった。欲しかった刺激に、体中が喜んでる。思わずうっとりと目を細める私の下で、ナインズが体を震わせた。いつもは主導権を握る彼が無抵抗になって、目尻に涙を浮かべているのはなんだか新鮮だった。荒いため息のその一つ一つがとてつもなく色っぽい。薄い胸が上下していて、顔は綺麗なピンク色に染まっている。
「トゥ、とぅ…び……」
 名前を呼ばれる。舌っ足らずな、いつもより少し幼い声で。そう自覚した瞬間、ぞくぞくとしたものが脳天まで突き上げたことを理解した。
「ぁ、ん」
 思わず声が零れ落ちる。私はたまらずに、彼を受け入れた格好のまま、腰を落とした。いつもよりも、お腹の奥の方でナインズを感じる。たまらなくなって、腰を引く。また落とす。ぎこちない挿入も、あっという間に慣れて、私は自ら腰を振っていた。抜き差しされるナインズが、私の気持ちいいところに当たっている。とっても、とっても気持ちいい。
 咄嗟に大きく体が跳ねた。胸からぴりぴりとした甘い感覚が伝わってきて、思わず喉が鳴る。組み敷いているはずのナインズの片手が私の胸を先端を摘まみ上げたのだ。
 そんな余裕なんてなくなるくらい、私でいっぱいになって欲しい。胸も気持ちいいけれど、腰だってくっつきそうなくらい気持ちいんだから。一緒に、一緒にとろとろになるまでやろうね。ナカをいっぱいにしようね。彼の名前を叫びながら腰を振る。ずんずんと奥を突く感触が、私のイイところに何度も触れる。もはや悲鳴のような声量の嬌声が響き渡った。ナインズが私の腰を引き寄せる。そのまま一気に下から上へと突き上げられた。それがまたたまらなく気持ちよくって、私は彼の動きに合わせるように腰を振った。頭が、おかしく、なっちゃいそう。
「とぅ、び……!」
 どくん、と大きく脈打つ感覚があって私は高みへ上り詰めるために一気に腰を落とす。次の瞬間、温かい彼の感覚がお腹の中に広がっていくことを理解して、私は喉を仰け反らした。







 一面に純白の花が咲き乱れている。月の涙の花畑。エミールと呼ばれた兵器が大切に守っていた場所。
「ごめんなさい」
 今はもう彼はいない。彼の亡骸は砂漠の砂と一緒になって、もう見つけることは難しいとナインズは言う。だから、彼を惜しむならきっとこの場所だ。……なんだけれど。よく考えなくても、ここで思うがままナインズを押し倒してしまったのは、悪かった気がする。彼が生きていたなら「も~、何やってるんですか!」と怒られてしまいそうだ。途中から考えることを放棄して、私は息を吐いた。ナインズが可愛いからいけない。
「2B?」
「ううん、何でもない」
 謝罪は9Sには聞こえなかったらしい。私はゆるく首を振って、もう一度見事に咲き乱れる花畑を見つめた。
 五つの花びらを持つ純白の花。一つだけでも美しいけれど、これほどの数が揃うと圧巻だ。薄暗い空間の中に浮かび上がる淡く輝く白い花は、幻想的な世界を作り上げている。エミールの大切な人が愛した花。守った世界。だからこそ、今日もこの場所は美しく、守られた世界に包まれて、今私達は立っている。
「おやすみ。……よい夢を」
 私は彼の最期に立ち会うことはなかった。過ごした日々は僅かであったけれど、あの丸みを帯びたシルエット、一見すると恐ろしげな風貌に反して、無邪気で明るい彼のことは鮮烈に焼き付いている。
 人懐こく転がり回った彼の思い出を胸に、今度こそ踵を返そうとした私の耳に伸びてきた指先があった。
「ナインズ?」
「……一本だけ、拝借します」
 花畑に向かってそう口にした彼は、私の耳に一輪の月の涙を差してみせた。
「うん、綺麗だ」
 呆気にとられる私を前に、ナインズは嬉しそうに目を細めてみせた。
「決めてたんです。2Bにこれを渡せた時は、そう言おうって」
 かつてヨルハ機体2号E型は、ヨルハ機体9号S型を殺し続ける運命の中にいた。その繰り返される生と死の螺旋の中で、道を踏み外した一体があったことを私は知っている。
 私の一つ前の個体。君に執着し続けるあまり、自ら身の破滅を招いた愚かなエクセキューショナー型。前の君のために美しくなることを望み続け、その結果、皮肉にも醜い姿になり果ててしまった『彼女』のことだ。私は、前の私のことを白の契約の中にあった記録から知った。記憶を完全消去されたナインズは、知るはずのない記録だった。
「……どうして」
「ヨルハ制式鋼刀。僕がデータを上書きする前に残っていた、一番最後の記憶です」
 前回の戦いで、私達は遊園地廃墟に白の契約も黒の制約も置き去りにしてしまっていた。私は白の契約のデータを読み取り、前の『彼女』の想いを知った。そして、支給品のヨルハ制式鋼刀をしまい込んだのだ。白の契約に握り替えるために。
「あ……」
 ナインズは、私が知ったデータをそっくりそのまま、知ったのだ。この刀を月の涙の花畑に刺した時は、すでに。
 大好きだった。
 大好きだった。
 大好きだった!
 ――『彼女』は私だった。道を踏み外したわけではなく、いずれ成る未来の姿だった。ナインズのことが大好きだった『彼女』と、ナインズに執着する今の私。一体どこが違っていたというのだろう。あったのはただ、9Sを抹殺せよ。そう命じられた任務一つだけ。
 はらりと目尻から涙が零れたことを理解した。慌てて拭い取ろうとしても、次から次へと溢れてきて、まるで留まることを知らないかのようだ。視界が滲む。ナインズがよく見えない。
「世界でいっっちばん綺麗です!」
「そんな、こと……っ」
 綺麗なんて、本当は求めてなかった。
 本当に欲しかったのは、君のぬくもり。あの観覧車の上で与えられたくちづけに、応えてあげたかった。『彼女』はただ、ナインズの一番になりたかった。たったそれだけのことだったのに。
「っぅ、ぁあ……!」
 止めたくても止まってくれない涙が、はらはらと頬を伝いながら落ちてゆく。遊園地廃墟の片隅に飾られた小さな花飾り。完成してから一度も挿すことは叶わなかった、ナインズからの贈り物。置き去りにしてきたはずの私が、水たまりをのぞき込んで照れくさそうに笑っている。
「っ……ナイ…ンズ……」
 声は、みっともないほど震えていた。掠れて、全然うまく音にならなくて、すぐ傍にいなければ聞き取れないほど小さな声。
「ありが、とう……」
「……うん」
 優しい声がする。だいすきな君の声だ。君は、ゆっくりとその手を伸ばして、あやすように私の背を撫でてくれた。まるで、都市廃墟の片隅で目覚めた時のように。
 あの時と同じような優しさと労りをもって、君は背中を撫でさすってくれる。だから、私は今度こそ声を上げて泣いた。私の分だけじゃない。前の『彼女』が伝えられなかった思いの丈を、全部ぶつけるかのように。
 だいすき。
 だいすき。
 だいすき。
 子供みたいにぶつけるナインズへの想いを、ナインズもまた目を細めて受け取ってくれた。
 僕も2Bがだいすきですよ。そう、優しい声で告げながら。

   * * *

 私達を乗せた狭い箱が、音を立てて地上へと昇っていく。
 長いような短いような不思議な時間。エレベーターが止まれば、まもなく外は商業施設廃墟だ。そこでは今、アネモネやパスカル。様々なアンドロイドや機械生命体が新たな町を作るために奮起している。
「ナインズ。……町に、住んでみたらどうかな」
 せっかく秘密基地を作ったばかりだけど。様子を伺いながらの私の言葉を、振り返ったナインズはあっさりと笑ってみせた。
「じゃあ、町に移りましょうか」
「……いいの?」
「いいも何も、僕は初めからどっちでも構いませんでしたから」
 悩んでいたのは私だけだったらしい。
「2Bが一緒なら、僕はどこにでも付いていきますよ」
 嫌だって言っても離れません。2Bが僕をぼろぼろになった義体で起こしてくれた時、そう決めたんですから。
「こんな風に2Bに執着する僕のこと、嫌いになりますか?」
 微笑んで告げられたその言葉に、私は大きく首を振った。
「そんなわけない」
「あはは、知ってました」
 ナインズの目線が一瞬だけ同じ高さになる。唇に触れた柔らかい感触に、思わず目を瞬かせたところで、チン、と軽快な音が響いた。燦々と差し込む陽光が、開かれた箱の中を満たしていく。
「行きましょう、2B!」
 やられた。不意打ちを決めてくれたナインズの方は、朗らかな表情で、階段に足をかける。思わず赤くなる頬を手のひらで押さえてから、私は息を吐いた。……本当に、ナインズは私の感情を振り回してくれるから、困る。
「ほら」
 微笑んで、手のひらが差し出される。
「……うん」
 私達はお互いに欠けていた。欠けていたから、補おうとした。二人で一つ。握りしめたその手のひらは温かい。
「まずはパスカルを探さなくちゃ。それからアネモネにも……」
「廃墟都市の荷物も移したいですよね」
「やることが、たくさん」
 突然積みあがってきたやることリストに思わず眩暈がしそうになる。そんな私に向かってナインズはぎゅっと手のひらを握り返した。
「大丈夫ですよ。時間なら、たくさんありますから」
「……そうだね」
 ふっと笑みがこぼれ落ちる。視界の端で白い花が揺れていた。
 ナインズの言う通り、これからの私達には時間がある。焦らずに、ゆっくりと歩いて行こう。

 君と一緒なら、きっとどこへだって行けるから。
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