2017.05.08 執筆
2018.03.03 公開

僕のお嫁さん/私のお婿さん

 拝啓、これを読むあなたに。
 僕にお嫁さんができました。雪のような白い髪、まるで冬の湖のような青い瞳を持ったとても可愛いお嫁さんです。
 こんなことをわざわざデータに残す僕のことを、きっとあなたは笑うでしょう。それでも僕は書かずにはいられない。
 いやッ、だってッ、2Bは本当に可愛くて素敵で僕の家族かつお嫁さんなんだから自慢せずにはいられないんです分かりますか、いや分からなくてもいいんですよ! だって僕だけ2Bの可愛さを理解していたらいいんですからねッ! あーもーっほんと可愛い! 僕は世界で一番幸せなお婿さんだと思うんですよ、だってあの2Bですよッ! ちょっとクールなお姉さんかなって印象持つじゃないですか。でもね、それは大きな間違いなんです。ああ見えて意外におおざっぱなところがあるし、思い切りの良さを持ち合わせているんです。そういう大胆なところもまた、2Bの魅力だと思うんですよね。戦闘型としても極めて優秀な成績を持つヨルハ型です。これを自慢せずにどうしろと言うんですか。もう、ほんっと2Bはすごいんです。戦闘だけじゃないですよ、2Bはプライベートもまたすごいんです。2Bと一緒だと僕はどんどん(以下長文のため省略)
 ――ヨルハ9号S型モデル 記憶デバイス内データファイル 014231番





【side 9S 僕のお嫁さん】

「じゃあ……キスしますね」
 改めてそう口にした僕を前に、2Bの白い髪がこくんと縦に揺れた。『家族』は……とりわけその中の『夫婦』と呼ばれる関係は、一日一回キスするんです。そういうものだそうです。伝えた僕の言葉を2Bが特に疑問を持つことなく信じてからというもの、はや二週間。彼女は律義に僕の申し出を受けて、毎日のようにキスさせてくれる。
 今日も、またそうだった。レジスタンスキャンプにあてがわれたヨルハ用の部屋。その一室の中で向き合った僕らは、あの日――森の王国で『家族』となって以来、欠かさず行っている行為を今まさにしようとしていた。
 ふっくらとしていて、それでいて赤く色づくさくらんぼのような唇がすぐ目の前にある。傍に近づけば、微かに2Bの匂いがした。義体には同じようなパーツを使っているはずなのに、どうして個体差で香りまで変わってくるのだろう。いつも不思議でたまらない。2Bのふっさりとした長いまつ毛が頬に影を落としていた。バイザーの外れた2Bの素顔。その整った顔立ちを両のてのひらで包み込んで、僕はゆっくりと彼女に顔を寄せた。
 2Bのまつ毛が震える。触れた唇は、いつもと変わらず柔らかかった。その柔らかさを思う存分に堪能してから、僕はその隙間に舌を差し込んだ。
 あくまで『人間』の体をベースに作られたアンドロイドは、口内からも必要なエネルギーを供給できるように作られている。従って口内の仕組みは極めて人間のそれに近い。
 2Bの口内はいつも触れるように、柔らかくて、それから熱っぽかった。彼女を抱き寄せる腕に思わず力を込める。これ以上ないくらい唇と唇を重ね合わせて、僕らはしだいに溺れてゆく。その白い歯の形を確かめて、歯の裏側まで擦り合わせて。そうして音が立つほど丹念に、彼女の舌先を絡め取った。
 キスを深くすればするほどに、2Bはとろりと蕩けた瞳を見せてくれる。本人はきっと気が付いていないのだろう。白樺のようにしっとりとした肌を淡いピンク色に紅潮させて、夢中になってキスをする2Bは、なんだか餌を求める雛鳥みたいですごく可愛い。
 こうやって2Bとキスするようになってから二週間経つけれど、毎日だって飽きやしない。それどころかもっと可愛い2Bが見たくて堪らないという、我ながら私欲にまみれた欲望が膨らんでくるのだから手の施しようがない。
 この欲望の果てがどこへ行くのか――以前、データバンクにアクセスしてみたことがある。かつての人類はどのような愛情表現を行っていたのか。該当する行為は細分化されていたものの、概ね一つの行為を指し示している。『セックス』……つまり、生殖活動だ。
 人間は生殖活動を行うことによって、そのDNAを次代に繋げていく。いわば子孫を残すために必要な行為といっても差し支えない。その行為に愛情という情を持つのは極めて合理的で、自然なことだと判断できるのだけど――これがアンドロイドに該当するかというと、話はちょっと変わってくる。
 セックス。性の交わりを求める欲望。性愛。また、性交。生殖活動。ぶっちゃけ、アンドロイドに必要ない行為だ。
 だって僕ら、生殖器ないですし。そもそも子孫残すっていう概念がないですし。飛行ユニットのコスト削減とか言ってる戦闘部隊ヨルハの義体に、不要な性器パーツがついているはずがない。ええそうですよ、僕らはつるつるてんてんです! 全裸で出てきてもモザイクかけなくてもいいクリーンなCERO/Dですよ! 余談は置いておきます。
 とにかく、キスする2Bはとても可愛い。そして、僕はすでにキスだけじゃ物足りなさを感じるようになっている。その先の行為へ進みたいと思っているんだ。とは言え、性欲も生殖器もないアンドロイド。果たしてどうすれば代償行為を得られるのか、それとも。
「9S」
 耳に余韻を残す、柔らかい2Bの声が聞こえる。おでことおでこをくっつけた至近距離で、彼女は少しだけ不満そうに唇を尖らせた。
「……別のこと、考えてる?」
「そんなことないですよ。僕が考えているのはいつだって2B、君のことです」
 その可愛さたるや、筆舌に尽くしがたし。もちろん僕は、このあと無茶苦茶キスしました。だって2B可愛いんですもん。

   * * *

「性器パーツだって?」
「シーッ、声が大きいです!」
 素っ頓狂な声を上げたジャッカスに向かって、僕は慌てて声を上げた。確かにこの砂漠の拠点にはアンドロイドはほとんどいないと言っても過言ではない。とは言え、あくまで『ほとんど』であって『まったく』というわけではないのだ。一応、自分が言っている単語はおおっぴらに口に出すものではないと認識していたことは理解している。
「ああ、すまない。それで、一体どうして君が性器パーツを……ああ」
 そこまで口にして、ジャッカスが少し離れたところで手持ち無沙汰に伸びをしている2Bに視線を向ける。それで得心がいったらしい。
「それで性器パーツ」
「ええ、まあ。……そういうことです」
 話が早いのは助かるものの、この一連のやりとりで何もかもを察せられるのも落ち着かない。そもそも、このアンドロイドのそういう頭の回転の早さが苦手なのだ。言葉少なく答えた僕を見つめ返したジャッカスは、予想に反して笑ったりはしなかった。
「意外そうな顔をしてるな。そんなに私に笑って欲しかったのかい?」
「そんなわけないですよ」
 だからそういうところが苦手なんだって。思わず苦虫を噛み潰しそうになるものの、こんな下世話な話に通じていそうな知り合い、他にいない。電子ドラッグやマッドサイエンティストな研究に没頭するようなアンドロイドなのだ。もしかしたら何か情報を知っているかもしれない。背に腹は変えられない、という気持ちでここまでやって来た以上、成果を掴みたいのが本音だった。
「笑ったりはしないよ。君たちのような悩みを持つアンドロイドはそれなりにいるからね」
「えっ、そうなんですか」
「ああ。知らなかったのかい?」
 てっきり、だから私のところに来たとばかり思っていたのだが。そう続けたジャッカスの言葉には含みはない。どうやら、僕の勘も捨てたものではないらしい。
「……その、そういった悩みを持つアンドロイド達はどうしているんですか?」
 続けた言葉に、ジャッカスが僕の義体を頭のてっぺんから足先まで眺めるように視線を移す。
「モデルによっては拡張パーツを取り付けるだけで事が足りるのだけど、ヨルハの義体はなぁ……」
「ああ、そうですよね」
 僕もまた自分の義体を見下ろして、息を吐く。ヨルハの義体は戦闘に特化した特殊な義体だ。より効率的に戦闘行為を行えるように、不要なポートを削ぎ落とした作りになっている。要するに、性器パーツの接続端子がそもそも存在しないのだ。
「やっぱり駄目ですか」
 自分でも思った以上にがっかりした声が出たことが分かった。一部のアンドロイドに流通しているらしいとはいえ、そもそもアンドロイドには不要なもの――カテゴリ的には嗜好品に分類されるものだ。ハード面で不可能と判断されてしまうのならば、やはり僕らには無理なものだと諦めるしかないのだろうか。僕の落胆とは裏腹に、ジャッカスの声はあっけらかんとしたものだった。
「いや、できるよ。性器パーツが無理なら、義体をまるごと交換すればいいわけだし」
 ダッチワイフって言葉知ってる? というジャッカスの問いかけに、今まで僕の後ろで沈黙を守っていたポッド153がすかさず返答した。
『該当データ有り。ダッチワイフとは、人類が擬似性交を行うために開発されたもの。いわゆる性具の一種で、等身大の女性の形をした人形のことを指す。主に男性の擬似性交用として使用するものだが、観賞や写真撮影の対象として扱われることもある』
「セックスは人間以外でも成立するものなんですか!」
 驚きに声を上げる僕を前に、ジャッカスもまた神妙な顔をして頷いてみせた。
「つがいになる相手がいない場合、代償行為として人を模した人形を相手としていたらしい。ここまで言えば、聡明な君ならもう分かるだろう」
「人形の分野、となると丸々アンドロイドに当てはまりますね。そういった需要が密かに存在していたと考えても不思議じゃない。つまり、擬似性交を行うための専用性器パーツを搭載された義体が存在する、ということでしょうか」
「正解だ。そして幸運なことにだな、私は先日それらを……しかも男女モデル両方を入手することに成功した」
「言い値で買います。お売りしてもらえませんか?」
「待て待て、そうがっつくな。君達には普段世話になっている。進呈してやらんこともない」
 その含みのある言い回しに、僕はすぐさま返答した。
「なにか条件があるんですね?」
「ああ。実は実験用に入手した義体なんだが、それを使ってくれそうなアンドロイドをまさに探そうとしていたところだったんだ」
「つまり……セックスの実地データが欲しい、と」
「端的に言うとそうなるな。性交時のアンドロイドの精神状況がどのように変化しているのか調査したい」
 以前君達に戦闘データを取ってもらったよね。ああいう感じのデータを取ってもらいたいんだ。
 そう口にするジャッカスの言葉には他意はなさそうだ。言葉の通り、純粋な好奇心からの依頼なのだろう。僕は性器パーツが欲しい。ジャッカスは実地データが欲しい。利害関係は一致している。
「僕は別にいいですけど、流石に2Bの許可がいりますね。彼女のデータに関しては、無断で拝借するわけにはいきませんし」
「勿論だ。おーい、2B!」
「ちょ、今呼びます!?」
「やるんだったら、さっさと決めた方がいいだろう。義体もそのまま使えるわけじゃないんだし」
 確かに僕らの使っている義体は、普通のアンドロイドと違ってブラックボックスを収めなければならない以上、造りが異なることは分かっているけれども!
「何?」
 何も知らない2Bが小首を傾げてこちらへやってくる。その仕草も可愛い……じゃなくって! あーもー。
「えっとですね……2B。その、実は……」
「9Sは君とセックスをしたいようだよ」
「ちょっとなんてこと言ってくれるんですか!」
 ド直球すぎますよ! 思わず頭を抱えてうずくまる僕のことなど知ったことではないように、ジャッカスは目を輝かせて2Bを覗き込んだ。ところが、肝心の2Bの方はと言うと、きょとんとした表情をしていた。
『補足:セックスとは、性の交わりを求める欲望。性愛。また、性交。生殖活動。以前オペレーター6Oが提供した話題と一致』
 ポッド042のフォローで、単語の意味を認識したらしい。ていうか6Oと2Bどんな話をしてたんですか。
「私たちに……赤ちゃんは作れないよ」
 困ったように眉根を寄せる2B。妹ロボの時ははぐらかしてたけどやっぱり知ってたんじゃないですか、という不満はこの際横に置いておく。今は僕と2Bがセックスできるかどうかの未来がかかっているのだ。
「それは分かっています。僕が目的としているのは、生殖ではなく、その行為に付随する愛情を確かめ合うという『感情』なんです」
 見下ろす2Bのバイザー越しの視線を真正面から見つめ返して、僕は語感を強めた。2Bが微かに狼狽える気配を感じる。
「……感情」
「駄目ですか、2B?」
「ダメじゃ……ない、けど」
 区切るように言葉を口にする2Bの唇が微かに震える。
「少し、恥ずかしい」
 ハイ、2Bの恥じらい頂きました――! 脳内でフラッシュをたく音が聞こえる。網膜にこの映像を焼き付けることを命令しながら、僕は努めていつも通りの口調で続けてみせる。
「でも、僕は知りたいです。2B、君と築くこの感情の行く末を」
「9S」
 擦れる2Bの声に、追い打ちをかけるように彼女の手のひらを握り締めた。微かに2Bの肩が震える。戸惑いに震える彼女を逃さないように手繰り寄せて、僕は2Bに囁いた。
「2Bともう少し、関係を深めたいんです」
「だからセックスの実地データを取ろう!」
 デリカシー皆無とはこのことか。続いたジャッカスの情緒の欠片もない言葉に、思わず僕は半眼になって彼女を見つめた。対するジャッカスの方はまったく悪びれる素振りも見せない。
「映像と音声は……嫌」
 ぽつりと零すような2Bの声が聞こえる。映像と音声はってことは、それさえクリアしたら行為自体はOKということでしょうか、2B!?
「じゃあ脳波データ」
 すかさず提案が入ってくるところを見ると、ジャッカスもその交渉は視野に入れていたらしい。ジャッカスの要望に、2Bは微かに考え込む仕草を見せた後、ゆっくりと頭を縦に振ってみせた。
「それなら、いいよ」
「「やった――――!」」
 思わず歓声を上げて、飛び上がってしまう。図らずしも、全く同じ動作を隣でジャッカスがしていた。
「じゃあ義体のメンテナンスをしておくから、二週間後くらいにまた来てくれ」
 そのくらには使えるようになってるはずだから。見るからにうきうきとした様子のジャッカスは片手を上げて「それじゃ」と踵を返していった。さっそくメンテナンスに取り掛かる気らしい。
 交渉は無事成立。僕は2Bとセックスできる目算が立ったし、ジャッカスは貴重なデータが手に入る。お互いに良い結果になったと言えるけれど。
 バイザー越しに遠ざかるジャッカスの背中を見ている2Bはいつも通りだった。じっと佇んでいる彼女は、僕らの興奮とは裏腹に蚊帳の外だ。いつもはクエスト関係をあっさりと引き受けてしまう2Bにしては明確な意思表示をしたことも気になった。
「その、僕ばかり喜んでしまってすみません。もしかして、2B、気を使ってくれました?」
「君とセックスする、という行為自体は嫌じゃないよ」
「でも映像と音声は嫌だって」
 そう告げた僕の言葉に、2Bは微かに息を詰まらせた。それから、少しだけ言いにくそうにぽつりと零す。
「『感情』を確かめてる時の、君は特別だから」
 それは、キスしている時のことを言っているのだろうか。
「……だから、映像も、音声も他の人には見せたくない」
 照れくさそうに、いつもより早口に告げられたその言葉の破壊力たるや。こういうのを人間的に言うと『濡れた』って言うんですよね、2B。





【side 2B 私のお婿さん】

 約束の二週間後、再び砂漠の拠点に姿を現した私たちを、ジャッカスは両手を広げて歓迎してくれた。
「やあ、待っていたよ! もう義体のメンテナンスも終わっているから、君たちの都合が付くならいつでも始められる」
 そう口にしながらも、気持ちはすっかり実験に向かっているらしい。見るからにうきうきとしているジャッカスに水を差す必要もない。分かった、と短く答えてみせると、ジャッカスは座っていた椅子から立ち上がった。
「セックス用の義体は繊細な造りだからね。砂の粒子が入るとまずいから、都市廃墟で作業していたんだ。ちょっと歩くけど付いて来てくれ」
 さくさくと砂を踏みしめながらジャッカスは進んでいく。元々拠点は砂漠と都市廃墟の境目に設営されているので、都市廃墟まではさほど距離がない。やがて、砂を蹴る音が固い大地を踏みしめる音に変わる頃には、思い思いに草木が茂る都市廃墟の一角にたどり着いていた。大樹の幹を伝い登り、朽ちたビルの中へと入っていく。劣化は激しかったけれども、雨風を防ぐには十分な環境だった。
 元は人間の居住区の一角だったのだろう。年月の経過を感じさせる佇まいの部屋の中には、真新しいシーツに交換されたベッドが設置されている。その上に、二体の義体がちょこんと腰掛けているのが見えた。
「うわあ」
 私の隣を付いて来ていた9Sが、感嘆の声を零す。
「よく出来ていますね。これなら僕と2Bが入っても問題なさそうです」
 実際、9Sの言葉の通り、その二体の義体はよくできていた。見た目はすでに私たちと寸分変わらぬ姿と言っても問題ない。白い髪、青い瞳、男型と女型。瞼は閉じられているものの、接続すれば今すぐにでも使えそうな状態だ。
「そうだろう、そうだろう」
 作品を褒められて嬉しいのだろう。ジャッカスが大仰に頷いてみせる。
「それじゃあ早速、君達のブラックボックスを入れてもらえないかい。上手く起動できたことを確認したら私は立ち去るからさ」
 ジャッカスの言葉に頷いて、私は9Sを見た。この実験を提案したのは9Sだ。9Sは、もっと私との関係を深めたいと言っていた。知りたい、と望んだのだ。その好奇心に溢れるきらきらとするところが、私は好ましく思っている。案の定、9Sは義体に興味を持ったようだった。
『2Bさん。……その、不躾な質問なんですが、セックスって知ってますか』
 まるで朝露を受けて輝く花の蕾のようなアンドロイドだった。恥じらい半分、興味半分と言ったところだろうか。あの時の彼女――6Oも、9Sと同じような瞳をしていた。
 いつぞやかバンカーに戻った時、6Oと世間話をするタイミングがあった。砂漠のバラ、それからユリやスズラン、ツキノナミダ。花の名前をたくさん上げて、収めたデータを交換した。彼女はたくさん笑って、花を喜んでくれた。いつか私も2Bさんみたいに、パートナーと一緒に地球をあちこち歩いてみたいです。恋愛に興味津々だった彼女は、うっとりと目を細めてそう言ったものだ。
 彼女は耳年増だった。恋愛では、キスって行為をするんですよ。でも、キスの先の行為もあるみたいなんです。――不躾な質問なんですが、セックスって知ってますか。
 断言できる。私が戦闘以外のそれら娯楽と呼ばれる知識を記憶したのは、オペレーター6Oによるところが大きい。
 私たちヨルハには性器パーツは付いてないんですけど、噂では専用の義体もあるらしいんです。まあでも、ほとんどアンティークみたいなものだから、入手は難しいらしんですけどね。あ~あ、私も素敵な人が現れないかなあ。
「……2B?」
 訝しげな9Sの声で、私は思考の海の中から意識が引き上げられたことを理解した。9Sのバイザーの外れた青い瞳が不安げに揺れている。私は大丈夫だよ、と囁いてブラックボックスを取り出した。本来であればヨルハの機密情報が詰まったもの。一体いつの間にブラックボックスと普通のアンドロイドの義体を接続する技術を確立させたのか、空白だった一年以上の時のことを私は知らない。だけど、今更機密が暴かれようが、ヨルハ亡き今となっては些細なことだ。
 暗闇の中に意識が落ちてゆく。そして、再起動。初回セットアップ完了。身体チェック、問題なし。機能はオールクリア。私と同様に隣で9Sもまた再起動を確認している。
「問題なさそうだね」
 私たちの様子を見届けて、ジャッカスは満足げに頷いてみせた。
「うん。今のところ問題はなさそう」
「ですねえ。戦闘系の機能は全部なくなってますけど」
「流石にヨルハの義体と比べるとね。実験が終わったら元の義体に戻ってもらうから、そこは安心して」
「はーい」
 足をぶらぶらと振った9Sが片手を挙げる。そんな9Sの仕草を見届けて、ジャッカスは義体の説明を始めた。
「それで、その義体のことだけど、男型には男性器、女型には女性器がついている」
 改めてそう説明されても、私はいまいち実感が薄かった。女性器というのは、体内に埋め込まれているパーツだ。視覚や体感的な変化はほとんどない。
 だけど、隣に座っている9Sはそうではなかったらしい。はっとして彼は股間に手を当てた。とは言っても、私からは簡易衣装に包まれたその場所の変化は見て取れない。
「ここで注意してもらいたいのが、この義体は極力人間に機能を寄せた繊細な造りになっている。だから、9S。君に付いている男性器の取り扱いには注意して欲しい」
「注意ですか?」
「ああ。その男性器がもげたら――死ぬ」
「死ぬ」
「ああ。問答無用で死ぬ」
 神妙な顔をして迫るジャッカスの気迫に押されてか、9Sもまた固唾を飲んで自らの股間を見つめている。
「人間は……不思議ですね。こんな重いものをぶらさげて、おまけに弱点を晒しながら生きていた。実に合理的でないです」
「いや、生殖器のあるべき姿としては正しい。しかし、戦闘に特化した君たちからすれば、弱点を晒しているというのは信じられない感覚なのかもな」
 ジャッカスの言葉に私は頷いて、答えてみせた。
「そうだね。……取り扱いには細心の注意を払うようにする」
「そうしてくれ」
 9Sを中心にして、三人で頷き合う。貴重な義体の運用方法なのだ。肝に銘じておかなければならない。もう好奇心に負けてアジを口にするようなことはあってはならないからだ。
「それじゃあ私は拠点に戻る事にするよ。行為が終わったら、脳波データを届けに来てくれ。使い終わった義体はここに置いておいてくれていいから」
「分かりました」
 そう言って片手を上げたジャッカスが、朽ちた入口をくぐり抜けていく。やがて彼女の足音が遠ざかっていって、私たちは二人きりになった。9Sと私の間に、いつもとは少し種類の違う沈黙が落ちる。
 私達以外のアンドロイドはどこにもいない。そう思ってしまうと、なんだか居た堪れなくなって私は唇を開いた。
「……その、9S」
「トゥ、2B。駄目ですね、僕。いざ2Bとセックスできるってなると、急に緊張しちゃって」
「そんなことない。私だって……その、緊張してる」
 その証拠に心拍数だって上昇している。君の隣はいつもは心地いいのだけど、時々こんな風に異常を訴えかける。だけど私は、君とならそういう異常な自分も受け入れられるような気がしてるんだ。
 我ながらたどたどしく伝えた言葉に、9Sは少しだけ泣きそうに瞳を揺らした。ゆるくかぶりを振って、彼は微笑むと私に囁きかけた。
「光栄です、2B。僕も、あなたと一緒なら――どんな自分でも受け入れられる」
 黒いブロックを抱きしめながら、絞り出すような声を上げていた君。諦めの境地の中からもう一度立ち上がって、私の手を取ってくれた。そうして、お互いの手を取り合って歩んだ一ヶ月間。かつては当たり前だった日常。なんの変哲もない、時々おつかいを頼まれてはそれをこなしていく、そんな穏やかな時間だったけれど、本当にしあわせなんだな、とふと思う。
 例えば、空を見上げたとき。
 例えば、一緒に大地を駆けているとき。
 例えば、君とキスしているとき。
 君と一緒にいるだけで、世界がきらきらといっそう輝いて見える。そんな君だから――私は、もっとこの『感情』の行く末を知りたいと思った。
「2B」
 私の名前を呼ぶ、君の声が聞こえる。触れそうなほど近かった吐息は、私が彼の名前を呼ぶ前に唇を覆い被して、それから、溶けた。
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