2016.04.13 執筆
2018.03.03 公開

父と少年

 早いもので、グラン=パルスにたどり着いて数日の時が流れていた。ルシの刻印から逃れる術は――まだ、見つかっていない。とりあえずヴァニラとファングの故郷を目指すことに話がまとまったものの、呆れるほど長い旅路だ。車も電車もない徒歩の道のりは、途方もない。どこまでも続く地平線を恨めしげに眺めて、サッズはため息を吐いた。
「やれやれだぜ」
 ファルシによってコントロールされることのない青空の中には、ぽっかりと丸いコクーンが浮かんでいる。今まで自分たちが何の疑いもなく住んでいた世界だ。下界は地獄。魔物がうようよしていて、とてもじゃないが、人が住めるような場所じゃない。そういい聞かされた場所で、今自分たちがコクーンを見上げているのはなんとも不思議な話だった。
「サッズさん、疲れましたか? 少し休憩でもしましょうか」
 先ほどのため息を、疲労によるものだと捉えてくれたらしい。食料調達係として選抜されたもう一人の相棒……もとい、十四歳の少年を見下ろしてサッズはおどけてみせた。
「ああ、オッサンには腰にくるぜ。どうだい、ホープ。あっちの川で休憩しようや」
 腰をさすって言ってみせれば、素直な少年は「分かりました」と律儀に頷く。その横顔を眺めて、サッズはグラン=パルスに来て何度目かの感心をした。
 本当に、変わりやがったよなあ。
 出会った頃の頼りなさはもう、ほとんど影もない。サッズがヴァニラと共に逃走劇を繰り広げていた最中、色んな出来事があったという。力もなければ意思もない、単なる子供でしかなかったホープは、いつしか母の死を乗り越えて、人間的にも大きく成長した。パラメキアで再び再会した時には、どちら様で。と思ったくらいだ。とは言え、本来であればこんな危険と無縁であるはずの少年であることには違いなくて。
「……サッズさん?」
 不思議そうなエメラルドグリーンの瞳が、サッズを見上げていた。それに苦笑して、サッズは片手を上げてみせる。
「なかなか食えるもん見つかんねえなあ。取れたのは木の実だけかい」
 サッズのアフロ頭の上をヒナチョコボがぱたぱたと励ますように飛び回る。その小さなエールに苦笑して見せれば、ホープはわあっと顔を綻ばせた。こういうところは、まだまだ少年らしい。
「頑張って探しましょう。じゃないとファングさんにどつかれてしまいますから」
「なんだかんだ容赦がねえもんなあ」
 なんだあ? これだけか。覗き込んで呆れるファングの顔が簡単に想像できてしまう。さあて、どうしたもんかね。そう思っていたサッズとホープの目の前に、ひょっこりと子鹿が現れた。どうやら川辺の水を飲みに来たらしい。
「……捕まえましょうか」
「なかなか言うようになったじゃねえか」
 にやりと唇を持ち上げて、サッズは武器を持ち直した。格好な獲物だ。子鹿ならまだ肉は柔らかいだろうし、革も使いどころが多い。幸いうちのパーティには獣を裁くのが上手い女性陣が揃っている。
「あっ」
 そんな小鹿の前に一頭の親鹿が現れた。親鹿はすぐにホープとサッズに気が付いたようだった。小鹿を庇うように前に立つと、元来た道へと押し戻すように鼻面を押し付ける。
「……やめるか」
「ですね」
 顔を見合わせて苦笑する。どうやら思ったことは、ホープと同じだったらしい。
「ファングさんに怒られちゃいますけど仕方ないですね」
「木の実しか見つからなかってで通そうや」
 親鹿のお尻が、茂みの中へ消えていく。その後ろ姿をしんみりと見つめて、ホープはサッズに告げた。
「子供を心配ない親なんていない。サッズさん、前そう言ったことがありましたよね。……あれ、本当でした」
 ヴァイルピークスでのことを言っているのだろう。あの頃は、誰もがルシになったことを受け入れることができずにいた。母はもういない。ルシになった以上、家に帰ることもできない。嘆くホープに、父がいるだろうとサッズやヴァニラが言った。その時は、年頃の少年らしく父への反発を顕にしていたホープだったが、パルムポルムを経由した旅の最中に、父親と和解したということをそれとなくサッズは聞いていた。
「ああ。父ちゃんっていうものはな、そういうもんさ」
 子供は目の前のことに、ただひたすら真っ直ぐだ。だから、一人で立って歩けるようになるまで、守り、育てていく。
 本当は父ちゃんだって泣きたくなる時だってあるさ。だけど、ふんばって、堪えて、笑ってみせて。そう言えば父ちゃんこんな背中してたなって、いつか子供に思い出せてもらえたらそれだけで十分だ。
 白い歯を見せてにかりと笑ってみせるサッズの頭の上で、ヒナチョコボが飛び跳ねる。そんな一人と一匹を見上げて、ホープは目を瞬かせた。
「……僕の父さんも、そう思ってるのかな」
「ああ。きっとそうさ。ホープの父ちゃんとは会ったことはねえが、父ちゃん同士、通ずるものがあるってもんよ」
 だからさ、絶対生きて帰ろうや。ぽん、と肩を叩けばホープは照れくさそうにはにかんでみせる。
「はい。……なんとかして、ルシの印を外す方法を見つけないと」
 そのために、グラン=パルスまでやってきたのだ。刻一刻と過ぎていく時間に、進行する刻印。焦りや恐れは確かにある。――だけど。
「悩んでも解決するもんじゃねえ。だったら気楽に行こうや」
 立ち上がり、口笛を吹いてみせる。……本当は、こんなろくでもない運命に泣き喚きたくなる。クリスタルになったドッジのことを思うだけで、胸が張り裂けそうだ。……だけど、今、目の前で子供が一生懸命前見て歩こうとしてんだ。だったらふんばって、余裕の顔して笑ってみせるのが大人の役割ってもんじゃねえか?
「さあて、そろそろ戻るとすっか。戦果が芳しくないのは目を瞑ってもらおうや」
 もしかすると、救われているのはこっちの方かもしれねえな。そう思いながら、見上げてくるエメラルドグリーンの瞳にサッズは微笑んでみせた。
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