2017.08.02 公開

タイムトラベラーズ

 デミ・ファルシ計画を中止し、新たに人工コクーンを建造する。それまで計画を推し進めていた責任者でもあるホープ・エストハイムの主張の転換は、アカデミーを上から下まで巻き込む大騒動になった。
 何せ、崩落するコクーンを救う手立てとして、デミ・ファルシ計画が最も有効な手段なのだと謳われてきたのだ。当然、技術を確立させるために馬鹿にならない予算も人員も割いている。必要手段となるデュプリケートの開発も、彼の右腕とも呼ばれるアリサ・ザイデルを主導にかなり進んでいたという。そのデミ・ファルシ計画を事実上破棄して、まったくの新しい計画を推し進めるというのだから、とんでもない話だ。アカデミー創立者の息子とは言え、ホープ・エストハイムへの風当りは強くなると、まことしやかに囁かれていた。
 しかし、ホープ・エストハイムという男はしたたかだった。彼は、主張を転ずる前に然るべき人間に話を通し、周到な根回しを行った。その作業に彼は驚くべきほどの熱意と根気を持って挑んだと周囲の人間は語る。結果、事実上の大転換となるコクーン再建の計画は、末端には天地がひっくり返るような主張とも取られたが、上層部にはあっけないほど淡々と受理されたのだった。
 かくして、アカデミー主導による新生コクーンの建造計画が走り始めた。コクーン崩落の未来まで、まだ数百年の猶予が残されている。その間、アカデミーは三つの活動を柱として、コクーン再建のための準備を推し進めることとなった。アカデミアの建設、ロストテクノロジーの発掘、科学技術の開発。数百年の時を費やせば(あくまで順調に人類史が進めばという話だが)、人類は目を見張るほどの技術進歩を遂げているだろう。そして、予言の書よりホープ・エストハイムは未来の断片を知見していた。AF400年の未来で、古代グラン=パルスの遺構とも呼べる13thアークが出現する。それは、早い段階で判明していた『新生コクーンを宙に浮かべる』問題点を解決する手段と判断された。
 旧コクーンは、そもそもファルシの力なくして維持できる設計ではなかった。要するに、人知を超えた力に依存しなければ、人が暮らしていける環境ではなかったのだ。ファルシの力ではなく、人が、人の力で自立して生きていける世界を。そう謳うホープ・エストハイムの名の元に、志を同じとする研究者達が集い始めていた。その折に存在が明らかとなった13thアーク。ファルシの存在なくして宙に浮かぶロストテクノロジーは、新生コクーンプロジェクトチームに希望を与えたことは言うまでもないだろう。
 やがて、彼は悩むようになる。自分の今の生を全うする時間では、到底新生コクーンの誕生を見届けることはできない。クリスタルにその身を変え、今やコクーンの支柱となっているヴァニラとファング。二人を救う役目を、彼女らの人となりを知らぬ未来人に託すことはできるのだろうか。――彼の答えは否、だった。未来人は新生コクーンを完成させることはできるだろう。自分たちの生活がかかっているのだから。しかし、支柱たる彼女たちのこととなると、話は別だった。
 彼女たちがどんな想いを持ってその身を変え、コクーンを支える選択をしたのかは伝承の中でしか知ることはできない。想いや情もまるで伝説のように捉える未来人が、果たして崩落するクリスタルから命の危険を冒してまで二人を救出しようとするだろうか。
 そう結論付けた時、ホープ・エストハイムの頭の中にはある考えが浮かび上がった。自分もまた、セラ・ファロンやノエル・クライスのように未来に行くことはできないだろうか、と。時代を超えてコクーン崩落の未来に立ち会うことができれば、今度こそヴァニラとファングを救う道が拓けると彼は考えた。
 それは、ひいてはある女性を救う一つの道でもあった。クリスタルの支柱が生まれたと同時に、その存在を抹殺された一人の女性、エクレール・ファロン。通称、ライトニング。彼女の存在なくしてホープ・エストハイムという人間は存在できない。それほどまでに彼女は、当時多感な年頃の少年であった彼に影響を与えた女性だった。
 彼女は今、混沌に引きずり込まれて、ヴァルハラという時の概念の存在しない世界で戦い続けているのだという。彼女に対する想いが、憧れなのか、尊敬なのか、はたまた恋慕であるのかは、彼にはまだ分からない。しかし、もう一度会いたいと願う気持ちは確かだった。あの不器用な優しさを滲ませたアイスブルーの瞳で微笑んで欲しい。かつて存在していた懐かしい日々は、いつだって彼に希望を与えた。絶望に抗う希望。自分は、その星になるのだと。
 かくして、ホープ・エストハイムはタイムスリップの手段を模索することとなる。どのような手段をもってしてでも時空を超え、コクーン崩落の未来を阻止しなければならない。そのための道を、彼の右腕たるアリサ・ザイデルと共に模索している日々の出来事であった。
「……は?」
 その呆気にとられた声は誰のものであったか。少なくとも、この場における誰であってもおかしくない。
「え~っと……」
 それは、タイムスリップのための研究の一環で起きた事故だった。
「これは、一体どういうことなんでしょうか……?」
 呆気にとられた表情のまま、こちらを見つめる四つの目玉がある。一つはアイスブルーの双眼。そしてもう一つは、これがまたものすごく見覚えのある色だった。
「先輩」
 アリサが機械めいた口調で僕の名前を呼ぶ。彼女がこういう声音の時は、大概良くないことが起こった。
「失敗して、過去の人間を連れてきちゃったみたいです」
 それもその筈。目の前で呆然としている二人の人間は、僕の記憶が正しければ――過去のライトさんと僕。まさしくルシ時代の二人だったからである。

   * * *

「PSICOM……ではなさそうだな。お前たちは何者だ」
 片手にはブレイズエッジ。背中に齢十四となる少年を庇いながら、薔薇色の髪を持ったその人は声を張り上げる。まるで手負いの獣のようだ。睨みつける眼光の鋭さに、周囲の研究員たちが潮を引くように後ずさる。
「それに、ここはどこだ。私達はなぜここへ運ばれた?」
「あなたたちにそれを尋ねる権利はありません」
 丁度ライトさんと真正面の位置に対峙する格好になったアリサが、突きつけられたブレイズエッジを前に固い声を上げる。初手の交渉をしくじるわけにはいかないという心理が働いたのだろう。とは言え、この場においてアリサの反応は完全に逆効果だった。
「……何?」
「野蛮な人ね。そうやってすぐに武器を出すことしかできないのかしら」
 過去から未来へのタイムスリップ。予想外の展開というのはまさにこのことだ。しかし、予想外というのは何もこちら側の話だけではない。図らずしもタイムスリップしてしまうことになったライトさんや少年の僕も、同じように動揺しているはずだった。
「まずは落ち着いてください。順を追って状況をお話しますから」
 火花を散らすライトさんとアリサの間に割って入れば、その言葉にようやくライトさんの眉が下がった。
「おまえは話が通じそうだな」
「恐縮です。アリサ、会議室の手配を。それからこの人たちに温かい飲み物も準備してくれないかな」
「……了解です」
 苦虫を噛み潰した表情になったアリサに目線で合図する。ここは僕に任せて欲しい。流石に何年も僕をサポートし続けてくれているだけあって、アリサはすぐに理解してくれた。……納得してくれたかどうかは、さておいて。
 踵を返した彼女を視界の端で見届けながら、僕は目の前のライトさんに努めて穏やかに見えるように微笑んだ。
「あなた方にとってまだ安心できる状況ではないとは思うのですが、ひとまず武器を下ろして頂けないでしょうか」
 ほら、僕も丸腰ですし。そう言って両手を挙げれば、ライトさんもひとまず納得してくれたらしい。怪訝な表情は相変わらずではあったものの、突きつけられていたブレイズエッジは折りたたまれて、彼女の鞘の中に収まった。
 アリサの仕事は早い。まもなく会議室の手配が終わり、僕とライトさん、それから少年のホープ三人で部屋を移すことになった。温かいコーヒーが四つ。運んできたアリサがライトさん達に手渡したところで、ようやく人並みに扱われていることを理解したのだろう。険しかったライトさんの表情が微かに和らぐのが分かった。
「変なものは入っていませんから、ご安心なく」
 ツンと澄ました口調で、アリサが手を付けられないコーヒーに声を上げる。
「分かってるよ、そんなことは」
「先輩には言っていませんから」
 真っ先にコーヒーに口をつければ、程よい酸味と苦味が口内に広がる。仄かに漂う、コーヒー独特の豆の香り。目を細めてその風味を楽しめば、釣られるようにして少年のホープもまたコーヒーに手を伸ばした。一口含んで、微かなしかめっ面。
「砂糖とミルクもあるから」
「……ありがとうございます」
 バンダナを巻いた左腕が、角砂糖に伸びる。その何気ない仕草を慎重に見届けてから、僕はようやく本題に入ることにした。
「まず、ここはどこだという質問でしたね。ここはグラン=パルスのアガスティアタワー。現在はアカデミーの研究施設として稼働しています」
「アガスティアタワー、ですか?」
 僕の言葉に真っ先に反応を示したのは、コーヒーをカフェオレに変えた、少年のホープだった。その言葉で確信する。このライトさんとホープは、すでにグラン=パルスに辿りついている。少なくとも、アガスティアタワーまでは踏破しているはずだ。
「知っているんですか?」
 ある意味確信を持って尋ねた言葉に、ホープが微かにライトさんの顔色を伺った。彼女がホープに発言を委ねるよう頷くことを見届けてから、彼は僕を真正面から見上げてみせた。
「はい。僕らはグラン=パルスのアガスティアタワーを知っています。でも、こんな近代的な施設じゃなかったはずです。見た目は、その……確かに、アガスティアタワーそっくりなんですけど。それに、グラン=パルスにこんなにたくさんの人がいるのも妙です。地上の人はもうほとんど滅んでいるはずだし……コクーンの人は、ここを地獄だと思っている」
 あなた達は一体何者なんでしょうか。言葉にしながら整理しているのだろう。困惑と疑問を織り交ぜた不思議な顔色をしている。しかし、少年は目の前で起きている出来事から目を逸らそうとはしなかった。それが、なんだか奇妙なほどにむず痒い。
「二つ目の質問に答えるべきところでしょうね。なぜここへ運ばれてきたのか。君達はある実験の事故に巻き込まれて、ここへ現れてしまったのだと思います」
「実験の事故、だと?」
「はい。僕達は時を越える実験を行っていました」
「時を……越える」
 ライトさんもホープもにわかには信じ難いものを目の当たりにしたかのように、顔を見合わせる。そんな二人に苦笑して、僕はコーヒーに口を付けた。こうやって状況を説明する立場になってしまっているものの、混乱しているのはこちら側も同じことだ。さて、これからどうしたものか。
「あなた達は偶然にも十三年先の未来のアガスティアタワーにやってきたんですよ」
「ま、待ってください! 仮にその、僕らがタイムスリップしたことが本当だとして」
「あらやだ。この子飲み込みが早いわ」
 あっさりと衝撃的な事実を、例え仮定だとしても飲み込んだホープを前に、アリサが目を丸くする。アリサ、と短く嗜めれば、彼女ははぁい、と心得たように返事した。
「今まで信じられないことばかり起きてきたんです。僕は自分の目で見て確かめたものを信じます」
 アリサの言葉に、少年のホープが微笑んでみせる。そんな彼の仕草に、隣のライトさんが満足げに唇を持ち上げた。
「ともかく、事故で僕らがこの世界にやってきたとします。……それなのに、どうしてあなたはこの僅かな時間で、僕らがやってきた具体的な時代を特定したのでしょうか。それに、あなたは僕のバンダナを気にしていますよね。……なぜ、これに注目するのでしょうか」
 ぴり、とした緊張感が走ることを理解する。ホープのエメラルドグリーンの双眼は、真実を見極めようとただこちらを見つめている。その隣のライトさんは沈黙を守っているものの、あれは多分、こちらに不審な動きがあればすぐにでも飛びかかれる体制だ。
 思わず、ふっと唇が持ち上がることを自覚する。過去と未来。僕の本質はきっとあの旅の最中で、ある一定の形になっていたのだろう。
「何がおかしい?」
 硬いライトさんの声に、僕は改めて微笑んでみせる。
「そう言えば、自己紹介がまだでしたね。僕はホープ=エストハイム。このアガスティアタワーの責任者でもあり――そこにいるホープの十三年先の未来の姿なんですよ」
「……は」
 鳩が豆鉄砲を食らうというのはまさにこのことだろうか。対面に座っているライトさんとホープは勿論、隣にいるアリサまでもが呆気にとられた顔をしている。ライトさんとアリサが少年の僕を見て、それから僕を見る。
「言われてみれば、確かに面影があるような……?」
「先輩の昔の姿……へえ……」
「いや、だとしてもおまえがホープだという証拠にはならない。出まかせを言っているのかもしれない」
 交互に飛び交う視線の中に、懸念が混じったことを感じ取って僕は目を細めた。続けざまに驚くべき事実を押し並べられたのだ。動揺があるのは当然として、ここでライトさんとホープの二人を揺さぶるのは得策ではなかった。推測が当たっているなら、二人はアレがまだ残っているはずだ。
「……グラン=パルスに降りてから、僕達はまずヤシャス山の調査に向かいました。ファングさんとヴァニラさんの助言から、かつて栄えたパドラの都に行こうとしたんです。でも、すでにパルスの人々は滅亡していた」
 目の前で静かに顛末を見守っていたホープの瞳がはっと丸くなるのを感じ取りながら、僕は言葉を続けてゆく。
「その時の僕は、どうしたらいいのか途方に暮れました。手がかりも見つからない、おまけに皆より体力もない。だから、一気に進行が加速してしまった。そのバンダナの下にある『ルシの刻印』は、君たちがアガスティアタワーまで踏破しているなら、すでに最終形態に移行しているはずです」
 ホープは僕を見ていた。僕もまた、彼を見ていた。ホープは静かに僕を見つめると、左腕に巻き付けていた黄色いバンダナをゆっくりと取り外して見せた。
「これが……ルシ……」
 アリサが噛みしめる様に言葉を紡ぐ。その苦みのある口調に一度だけ瞼を閉じて、僕はもう一度目の前のホープを見つめた。
「あなたが言っているように、僕の刻印の目玉はほとんど開いています。僕の未来の姿があなたと言うなら、あの時降ってきた星の名前が何なのか、分かりますよね?」
「勿論」
 微笑んで、僕は刻印のなくなった左腕を掲げてみせる。
 もう、会うことは叶わない懐かしい相棒の名前。機械仕掛けのその巨体は、いつだって少年の心を躍らせた。あの逞しい体にしがみ付いて空を飛んだ日々のことを、片時だって忘れたことはない。
「アレキサンダー」
 絶望に抗う希望。誰よりも刻印の進行が進んでしまって、もう駄目だと思った時のこと。諦めるな。まるでそう言いでもするかのように、彼は扉を開いて僕の傍までやって来てくれた。
 あの頼もしい姿を呼び起こす度に、誇らしくなる。こんな絶望になんて負けてなんていられない。そうやって立ち上がる希望を、彼は僕に教えてくれた。
 少年のホープの瞳を見る。姿かたちは幼いけれど、あれは確かに僕だった。アレキサンダーという友の名で、僕らは確かに通じ合っていた。
「僕は信じます。あなたが未来の僕であるということを」
「ありがとう、助かるよ」
 微笑んで彼を見つめれば、少年のホープもまた微笑み返す。僕らは自然と手を取り合った。差し出されてた右手を握り締め合う。
「あっ、ライトさん」
 はっとして少年のホープは隣で顛末を見守っていたライトさんに振り返った。どうやら考えることに没頭していて、隣の彼女のことまで気が回らなかったらしい。
「すみません、勝手に進めてしまって」
「いや、いい」
 ライトさんがゆるくかぶりを振る。そうして彼女はアイスブルーの瞳を細めて、ふっと微笑んでみせた。
「おまえが決めたのなら、私もそれに従おう。頼りにしてるぞ」
「……はい」
 それは、多分、二人にとって何気ないやりとりだったのだろう。でも、そのやり取りを目の当たりにさせられた僕にとっては、そうではなかった。
 ああ、いいなあ。思い浮かんだ言葉は、強烈な羨望と、それから微かな痛み。かつては当たり前のように傍にいて、たくさんの言葉を返してくれた。今はもうこの手の中から滑り落ちてしまったライトさんとのやりとりが眩しく映るのは、どうしようもないことだった。
「でも、良かったんでしょうか」
 ぽつり、と不安そうに言葉を漏らしたのは少年のホープだった。
「あなたが未来の僕だとしたら、少なくとも僕は……バルトアンデルスとの戦いに生き残って、ルシの使命を果たしたってことなんですよね。その未来を、過去の存在である僕が知ってしまって良かったんでしょうか」
 シ骸にもなっていない。クリスタルにもなっていない。……ということは、使命を果たし、クリスタルの眠りから醒めたという結論になったのだろう。実際の事実は違っているのだけれど、ひとまずその微妙な差異を正す必要は今のところない。
「……というか、そこ以前の問題なんですよね、先輩」
 ここにきて口を挟んだのはアリサだった。敏い彼女のことだ。とうの昔に問題点に気がついて、指摘のタイミングを伺っていたのだろう。
「過去の先輩がやってきたこと自体が、そもそも想定外のイレギュラーケースなの。だから、未来のことを知られてしまう云々以上に、あなたたちをどう帰すかってことの方が問題として大きいのよ」
 帰れる保証がまずないわけだし。溜息を吐いてアリサはライトさんと少年のホープへと視線を投げる。
「かと言ってこの人たちを帰さないわけにもいかないし」
 それこそ今ある世界を根本から変えかねない。十三年前のあの旅を経験したルシが、ファルシによる支配を良くも悪くも破壊したのはすでに周知の事実だ。……それを好意的に捉えるか、否定的に捉えるかはさておいて。
「連れてきてしまった以上、僕らには帰す義務がある。お二人は必ず元の時代に帰します」
 いずれにせよ、時を越える研究は続けなければならないのだ。未来ではなく過去へ帰すというところが問題ではあるものの、二人がやってきたということは、同時に解決の糸口もどこかにあるはずだ。
「記憶に関してはご指摘の通り、あなたたち二人が未来のことを知るのは得策ではありません。ですので、帰還時にここで起こったことは忘れてもらうのが妥当でしょう」
「でしょうね」
 僕の言葉にアリサは概ね同意らしい。デュプリケートの開発に当たっていたこともあって、そちらの分野に関してはアリサの方が明るい。
「……僕達はどうなるのでしょうか」
 目の前の僕らのやりとりを見つめて、少年のホープがぽつんと零した。突然見も知らぬ世界に放り込まれる。その心細さには覚えがあった。だからこそ、僕は強い口調で断言する。
「僕はあなたたちの味方です」
「その根拠は?」
 すかさず、硬い表情のままのライトさんが言葉を挟む。尋ねられた言葉に、僕は微笑んだ。
「過去がなければ未来はないでしょう? ……それに、損得抜きで僕はあなた達の手助けをしたいと思っています」
 左腕を持ち上げてみせる。ルシの刻印はもうなくなってしまたその腕を。
 少年のホープが自身の刻印を見下ろして小さく呟いた。
「僕らに時間があまり残されていません」
「使命のことだね」
「はい。ヴィジョンを達成しなければ、まもなく僕らはシ骸になります」
「……その件に関してなのだけれど」
 帰る時に記憶を弄るとは口にしたものの、与えるべき情報には慎重になるべきだろう。
「知ってのとおり、刻印はルシの心理状況に大きく左右される。……裏を返せば、普通に過ごす分には刻印の影響はほとんどないんだよ」
「それは、どういうことでしょうか?」
 すかさず少年のホープが食らいついた。自分と仲間の命がかかっている局面だ。もう一人の自分でもある彼なら、きっと反応するであろうことは分かっていた。
「ルシの刻印は、ルシ自身が激しく動揺したり、精神的に消耗すると進行が進みます」
「ああ。焦りや動揺が影響すると聞いている」
「おっしゃる通りです。そして、あなたたちはすでに鋼の精神力で一切の刻印の進行を許さなかった人物と遭遇している」
 僕の言葉にライトさんの片眉が上がった。艶やかな唇から、吐息のように零れたその名前。
「シド・レインズ」
 騎兵隊のトップ。打倒ファルシによる支配という理想を掲げながら、志半ばにしてファルシの操り人形となった聖府のルシ。彼の刻印は、そのヴィジョンによる使命に反してルシに転じるまで、一切の変化を見せなかったという。それはすなわち、彼の精神力がもたらしめた刻印進行の妨害でもあった。刻印の進行は精神力によって左右される。シド・レインズの存在は、消耗さえしなければ長くルシのまま滞在できるということを指している。
「幸い僕らには人工ファルシの研究データが残されています。ルシの烙印を取り除く術はなくとも、繋がりを一時的に弱めることはできるでしょう。そうなってくると、あとは精神力の問題です。激しい絶望や、焦燥感。疲労。それらを蓄積させなければ、シ骸化は回避できると考えます」
「それはあくまで仮説にすぎないのではないでしょうか」
 命がかかっているから、少年ホープの方も切実だ。じっと見つめてくるその瞳は真剣そのものだった。
「確かに実際のデータとして検証するには、ルシになった人間が少なすぎて、正確とは言えないかもしれません」
「正確じゃないデータの話に私達に乗れと?」
「信じるか信じないかは僕達が決めることじゃない。あなた達だ」
 そこまで一息に告げてから、最後の締めくくりにすっかり座右の銘になってしまった言葉を、僕は添えることにした。
「やるしかないなら――」
「やるまでだ。……そういう、ことですね」
 ふう、と息を吐いて少年のホープが僕を見上げる。その挑戦的な眼差しに、釣られるようにして見つめ返せば、隣で呆れたようにアリサが声を上げた。
「なんだか変なところで息が合ってますよね。さすが先輩というか」
「そりゃあ、当然だよ」
 微笑んで答えてみせる。その言葉の続きを引き継ぐように、少年のホープが声を上げた。
「僕らは同じホープなんですから」
「大した奴だよ、本当に」
 ホープの隣に座っていたライトさんがふっと微笑んで、コーヒーに手を付ける。そのまま一気に飲み干して、彼女はテーブルの上にカップを戻してみせた。
「未来となると、聖府軍にもバルトアンデルスにも追われる心配がないわけだ。せいぜいまともな休息を取らせてもらうさ」
「ええ。羽を伸ばしてもらって結構です。この時代でのあなた達の生活は僕たちが保証します。その間に、僕らはお二人を帰す手段を探しますから」
「ありがとうございます。……えっと、ここがアガスティアタワーということを考えると、あまり出歩かない方がいいですよね」
 そのホープの言葉は、コクーンの未来を案じたものなのだろう。一たびアガスティアタワーを出れば、彼らは知る由もないだろうが、クリスタルの支柱に支えられたコクーンが否が応でも飛び込んでくる。ラグナロクにその身を転じ、コクーンを破壊するヴィジョンを見せられているルシ二人にとって、未来を知ることは得策ではないのではないか。そういった配慮を込めての言葉であることは容易に想像できた。
「そのあたりの制限は……」
 ちら、とアリサを見る。必要に迫られれば強硬姿勢をも辞さない彼女は、あっさりと返答してみせた。
「特に行動の制限は必要ないですね。元の時代に帰る前に、一通り忘れてもらいますし。流石にこの時代で行方不明になるほど遠出されると困りますから、外出の際は届け出を出してください。適宜こちらで判断します」
「それじゃあ……!」
 ぱっと明るくなったホープの顔を前に、アリサが意地悪く笑う。
「ただし、それはこちらの実験に協力してもらう前提の話です」
「実験、だと?」
 にこやかなアリサの笑顔の前で、腕と足を組んだライトさんが片眉を上げる。懐かしい彼女の仕草ではあるものの、昔と変わらぬ迫力がある。とは言え、そんなライトさんの凄みも二十台半ばを超えたアリサにとっては、どこ吹く風だった。
「私達は元々時を超える研究をしていたんです。わざわざ時を超えてきたサンプルが目の前にいるのに、データを取らない訳がないでしょう?」
「アリサ」
 挑発的な言葉を発するアリサを窘めるように、彼女の名を呼ぶ。とは言え、研究者の立場としては彼女の言葉はもっともだ。目の前に格好のサンプルがある以上、それを今後の実験に役立てない理由にはならない。
「……時を超える研究? 一体なぜ、そんな研究をする必要なんてあるんですか」
 挑発的な言葉に、ホープは簡単には乗ってこなかった。むしろ、アリサの言葉の意図を推し量るべく唇に手を当てて思案する。対するライトさんも、言葉を発するわけではなくただ静かに僕らの動きを見守っていた。
「それを答える義務はこちらにはありませんし」
 笑顔のアリサは揺るがない。
「ならこちらも実験に付き合う義務がないと言えるんじゃないか?」
「あなた方、ご自分の立場を分かってますか? 私達の協力がなければ、元の時代に戻ることはおろか、刻印の進行を和らげることはできませんよ」
「アリサ。挑発するのはそのくらいにしておいてもらえないかい」
 まとまりかけた話がまたややこしくなる。それが分かっていないわけがないだろうに、それでもなお口にする彼女の心境は分からなくもなかった。とは言えそれは、あくまでこちら側の事情の話だ。
「僕らはあなた達の衣食住を保証し、帰還の手段を探ります。その対価として、あなた達のデータを取らせて貰いたいのです。何より、データなくしては調査は進みませんから」
 条件は先ほどアリサが口にしたものと変わりない。だけど、伝え方というのは大切だ。言葉一つで人は良くも悪くも捉える。それは、デミ・ファルシの研究を中止し、新たに人工コクーンを建造するという方針転換に舵を切った時、嫌というほど思い知った。
「ライトさん、僕はいいと思います」
 僕の言葉を吟味して、それからホープはゆっくりと隣のライトさんに振り返った。
「アリサさんも、……その、ホープさんも、言っていることは違いがありませんが、筋は通っていると思います」
「協力してもいい、ということか」
「はい」
「……ホープがそう言うのなら、私もいいだろう」
「悪いようにはなりませんよ」
 目を細めて、少年のホープは穏やかに微笑んだ。
「アリサさんは未来の僕を助けてくれている。そういう人なんですから、きっと悪いようにはならないと思うんです」
「なっ……」
 その少年ホープの言葉は、アリサにとって完全に予想外の剛速球だったのだろう。呆気にとられたように、アリサが口をぱくぱくと動かした。まるで酸欠になった金魚のようだ。珍しく取り乱した彼女の姿に、今度こそ僕の唇から笑い声が零れた。
「これは一本取られたな、アリサ」
「フォローするのも、一本取られるのも先輩ってところが絶妙に癪ですね……」
「あはは、そうですね」
 微笑むホープと、そんな彼を見守るライトさんに向かって手を差し出す。
「それじゃあ、よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
「ああ、頼む」
 そう、手を握り返した瞬間の出来事だった。会議室の上空がぐにゃりと捻じ曲がるような感覚があって、眩い光に包まれる。咄嗟に身を引いて眩しさを抑えるように手を振り上げた。
 光は長くは続かなかった。代わりにどさどさと質量を持った何かが落ちてくる音。眩しさから解放されて、僕は持ち上げていた腕を下げた。
「え……」
 呆気にとられたようなホープの声が、会議室の中でやけに大きく響いた。
「いったた……」
「おい、大丈夫かヴァニラ」
「あ~もう、父ちゃん無茶ばかりで体が辛いぜ……いてて」
「おっ良かった、ホープも義姉さんもいるじゃねえか!」
 まっさきに起き上がったのは、熊のように大柄な男だった。というか二メートルにもなる大きな巨体にロングコートをたなびかせるその姿は、どこからどう見てもスノウだった。
 その隣にはまるで巨木のように枝葉を広げる、黒々としたアフロ。おまけにアフロを住処とする、世にも変わったヒナチョコボ。それから、色鮮やかな装束を纏った女性が二人。サッズさん、ヴァニラさん、ファングさん。懐かしい姿が、ひょっこりと道端で出会った気安さで並んでいる。
「一体何がどうなって……」
「ライト達が光に飲み込まれて消えた時、うちらも追っかけたんだよ。時間差になっちまったが、無事追いつけたようで良かったぜ」
「いや~良かった良かった♪ ところで、ここ、見覚えがあるような……? ないような……?」
 呆気にとられる僕を他所に、現在クリスタルへとその身を転じ、コクーンを支え続けている通称女神達は、昔と変わらぬあっけらかんとした表情で周囲の様子を伺っている。
「おっ、多分アガスティアタワーじゃねえか? 見た目は結構変わってるみてえだけどよ!」
「言われてみれば、確かに……。おいおい、一体何がどうなって、こんなことになってんだ?」
 相変わらず底抜けに明るいスノウに、一歩引いた目線で的確に状況を捉えるサッズさん。ルシの旅は辛かったけれど、その旅をかけがえのない大切な記憶に変えてくれた仲間たちの声が聞こえる。賑やかで、楽しくて。まるで、家族みたいなみんなの声が。
「……先輩?」
 心配するような、少し珍しい口調のアリサの声が聞こえたような気がした。その声音で、ようやく我に返る。頬に温かい感触があった。――僕は、いつの間にか泣いていたのだ。
 強く唇を噛み締めた。懐かしく、温かな光景が目の前にある。今はもう失われてしまって、でも諦めることができなくて。全てを取り戻すために始めた戦いの中に、僕らはいる。僕もセラさんも、ノエル君も戦っている。……それでも、渇望せずにはいられなかった。
「ほら」
 貸してやる。いつの間にか、僕の傍にはライトさんが立っていた。意外に几帳面なところがある彼女が差し出したのは、一枚のハンカチだった。
「ありがとうございます。……でも、大丈夫です」
 服の袖で乱暴に目尻を拭って微笑めば、ライトさんはそうか、と短く告げてハンカチを懐にしまいこんだ。そのさりげない優しさは、今の僕には十分すぎるくらいだった。
「さあ、これから忙しくなりますね」
 自分でも少々わざとらしい口調になったことを自覚しながら、それでも声を張り上げる。
「まったく、この人数どうするんですか」
「やるしかないなら、やるだけだよ、アリサ」
「またそれですか」
「そう、それ」
 唇が持ち上がる。ようやくいつもの調子が戻ってきた。すうっと大きく息を吸って、僕は目の前でがやがやしているかつての仲間たちに向かって手を叩いた。
「混乱しているところ申し訳ありません。事情を説明しますから、一度おかけになってはどうでしょう?」
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