2016.05.03 執筆
2018.03.03 公開

背中

「ホープ!」
 激しい銃撃音が響いた。快速機ファルケからホープに向けられた、雨あられのような激しい攻撃だった。しかしそれは、スノウの逞しい背中によって寸前のところで守られる。
「それっ! はあ!」
 背中の傷はそのままに、ファルケにまっしぐらに突撃していくスノウ。その太い拳を叩きつけられて、ついにファルケは浮力を失い、煙を立てて地面へと転がり落ちた。
 直後、ホープのケアルがスノウの傷口に飛んでくる。
「サンキュ、ホープ」
「……別に」
 視線を外して、そっけなくホープは言う。そんな少年の姿を、不安に駆られているのだろうとスノウは解釈した。だから、にいっと笑って言ってみせる。
「俺は頑丈だからな。戦うのは、俺みたいな頑丈馬鹿に任せとけ!」
 だったら、僕の母さんは一体何だったんだ。喉の奥から迸りそうになる怒りを、ホープはぐっと噛み締める。いつ言うべきなのか。それは今なのか。それとも、まだ先なのか。
 何も知らないスノウは、へらへら笑ってホープを守っている。その呑気な笑顔が恨めしくて、そして、腹ただしかった。
 何が、頑丈馬鹿だ。――指先が、ナイフの柄を求めて彷徨った。

   * * *

 夕焼け空の公園は、嫌が応でも母さんの背中を思い出す。
「ママ」
 幼い頃の自分が、母さんの腕を引いていた。
「ママってば」
 そんな僕に向かって、母さんは笑って返事するのだ。「ホープ」って。
 ……このままにしては駄目だと思った。ちょっと守られたくらいで、ほだされて。母さんのことをうやむやにしちゃ駄目だと思った。
「スノウ」
 モコモコミルクソーダを一息に飲んだスノウが、下品にげっぷをした。そんな呆れるほど空気の読めない言動のひとつひとつが、ホープの神経を逆なでしていく。
「あんたの希望って?」
 訊ねるホープの言葉に、スノウが振り返って答えた。
「さっき言ったろ。セラを助けて、コクーンも守って『家族みんなで明るい生活』だ。まあ、先は長そうだが――いや、短いのかな」
 腕に浮かんだルシの刻印を見下ろす。この刻印のせいで今まで散々な目に遭ってきたのだ。そうだと言うのに、スノウの言葉はどこかあっけらかんとしていた。
「どっちにしろ、希望さえあればなんとかなる」
 顔を上げて、スノウは腕を振りかぶった。
「ルシだろうと関係ねえ。生きて戦える」
 モコモコミルクソーダの空き缶が宙を飛んだ。そのまま真っ直ぐにゴミ箱に流れ落ちたことを見届けて、スノウはガッツポーズを作る。
「戦って、人を巻き込んだら?」
 その言葉は、ごく自然にホープの口から滑り落ちた。
「あんたが生きて戦うために――誰かの希望を壊したら?」
 はっと息を呑んで、スノウが一歩、後ずさりをした。そんな彼を追いかける様に、ホープが一歩ずつ距離を詰めていく。じわりと胸に復讐の炎が宿ったことを理解した。もう二度と目にすることのできない母の優しい笑顔が、痛いくらいにホープの胸を締め付ける。
「死なせたら、あんたの責任は? その人たちにどうやって償うの」
 そんなホープの視線を受け止めることを拒むように、スノウは背中を向けた。
「……償えるかよ」
 力強く鉄柵を叩くと、絞り出すような声で言う。
「死んじまった相手に、どう償えってんだ。もう取り返しがつかねえのに、言葉で謝ってどうなる」
 そんなスノウの言葉は、ホープにとって酷く無責任な言葉として届いた。
 ――謝らない。もう死んでしまったから。死人には言葉が効かないから、謝ったって無駄なんだと。意味がないのだと。巻き込んだその責任さえもとらずに、のうのうと生きていくことをこの男は口にしたのだ。
「最低だ……巻き込んでおいて、なんなんだよ」
 ホープの言葉に、癇癪を上げたようにスノウが腕を振り下ろした。
「ああそうさ! 巻き込んで死なせた! 重すぎてわかんねえよ――償い方も、謝り方も!」
 そうして、ゆっくりと顔を上げる。
「今は前に進むしかねえ。償い方が見つかるまで、戦って生きのびるしかねえんだ」
「何が前に進むだよ!」
 もう辛抱ならなかった。
 前に進む?
 戦って生き延びる?
 そんなの、全部、全部、勝手に生き残った方の都合のいい言い訳だ。責任さえもとる気のない、卑怯者で自分勝手なやつの言い草だ!
「言い訳にして逃げてるだけだ!」
「じゃあ責任とって死ねばいいのか!」
 叫ぶようなスノウの言葉に、とうとうホープの中で何かが弾けた。
「そうしろよ!」
 ずっと復讐のために牙を研ぎ続けた、魔力の塊を解き放つ。鉄柵が弾け飛び、スノウの体が宙を舞った。寸前のところで、彼は地面の溝に手をかける。片手一本でぶら下がる格好になったスノウは、どこからどう見ても無防備だった。
 ずっと忍ばせ続けていた、ナイフ。ライトニングからお守り替わりに渡されたそれを握りしめ、ホープは煌めく刃をスノウに向ける。
「ノラ・エストハイム……母さんの名前」
 怒りに身を任せて、ホープは吐き出すように叫んだ。
「あんたのせいで死んだんだ!」
 驚愕に見開かれた目が、ホープの復讐に染まったまなこを見上げていた。
「おまえが――おまえだったのか!?」
 両手でナイフを握りしめる。
「うわああああああああああああっ!」
 怒りで震える全身の力で、振り上げた手のひらを降ろそうとして――ホープは、飛空艇から恐ろしい速度で発射されたミサイルを見た。
「ホープ!」
 霞んでいく視界の中で、手を伸ばす男の姿が見える。意識を失ったホープの体を抱きしめて、スノウは背中から建物の屋根の上に墜ちていった。
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