2018.09.20 執筆
2018.09.24 公開

ring

  料理は中の下。そうは言っても、やらなければいつまで経っても上達するはずがない。今までの気ままな一人暮らしとは勝手が違うのだ。
 私は視線を下げた。左手の薬指。そこにはまだ見慣れない真新しいリングが嵌っている。シンプルだけれども一目で質のいいものだと分かるペアリングだ。
 せっかく買いに行くなら、気に入ったデザインのものを選びたいんだ。そう口にして二人でショップに向かったことはまだ記憶に新しい。何度も微調整したかいあって、今嵌っているリングはぴったりと指に合っている。
『すてきなご主人ですね』
 スーツ姿のきれいなショップの店員にそう言われたことを思い出して、私は思わず赤面した。
 ご主人。まだ慣れない言葉だ。彼の――ホープのことを、夫と人前で口にするには照れが入ってしまう。指先のリングを見る度に、なんだかほわほわと気分が高揚して、こういうのを『浮かれている』とでも言うのだろうか。新婚生活というのはあまりぴんとこない単語だったものの、こうしていざ自分がその立場になってみると、なるほど、世の男女が浮かれる気持ちも分かるというものだ。
「ライトさん」
 不意に名前を呼ばれて、私は顔を上げた。
 この世界で私のことを『ライト』と呼ぶ人間は限られている。そもそも、住まいを移したこの新居から聞こえる声は、たった一人しかありえない。
「ホープ、起きたのか」
「どこに行こうとしてたの?」
 寝起きでくしゃくしゃになった髪のままやってきたTシャツ姿の彼を前に、私は苦笑を零してみせた。
「食材の買い出しだ」
 もう少し寝てていいぞ。昨日は仕事で遅かっただろう。
 そう口にすれども、ホープは眠そうな目を擦りながらはっきりとした返事を返してくる。
「せっかくの休みなんだから。ライトさんが行くなら僕も」
 なんだその子供みたいな言い草は。そう苦笑を零そうと顔を上げると、不意に髪をひと房掬われて、彼がその場所に口づけを落としてみせた。
 とんだ不意打ちだ。思わず私が固まっていると、ホープは楽しそうに「準備ができるまで少し待っててください」と口元を持ち上げる。
「それをする意味はあったのか?」
「口の方が良かった?」
 若干の照れの入った疑問に、ホープはやっぱり楽しそうだ。それがなんだか癪に障ったので、私は反撃してやることにした。
「ああ。口がいい」
 そう返事をしてツンと上を向くと、ホープは驚いたように目を丸くして――それから、ほどなくして嬉しそうなくちびるが降ってきた。
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