2016.04.02 執筆
2018.03.03 公開
守るべきもの
ママは、セラが産まれてからずっとかかりきり。それが、なんだか気に入らなかった。
今まではなんでも一番にしてくれた。ご飯を食べるのも、遊んでくれるのも、なんでもエクが一番。なのに、セラがやってきてから、なんでもセラが一番!
はじめは妹ができて嬉しかった。でも、エクが一番じゃなくなるにつれて、セラはとってもいじわるな可愛くない妹になった。
「ねえ、ママ」
「ちょっと待っててね。今、セラがねんねするから」
エクはおねえちゃんだもんね。我慢できるよね。ママはいつもそう言う。
違うもん。おねえちゃんなんかなりたかったわけじゃないもん。セラはある日突然やってきて、エクからママをとっちゃった。
エクが怒るとママがエクを叱る。セラが悪いのに。セラのせいなのに。
すやすやと眠っているセラを見下ろす。ちっちゃなセラ。エクのママをとっちゃったセラ。ぷっくりまるまるしていて、ふんづけたらつぶれちゃいそう。
指先でつついてみた。ぷにぷにしていた。エクの手のひらをセラが握り締める。よだれの垂れた唇が、ふにゃっと笑った。
「ママ、セラが笑った!」
「そうねえ。今頃エクの夢見てるのかもね」
「そうかなあ」
「きっとそうよ」
「そっかあ」
変ないきものだ。すぐ泣くし、すぐ笑う。エクからママをとっちゃうセラは大嫌いだけど、ねんねしているセラはかわいい。
ちっちゃな妹のことが、エクレールは大嫌いで、そして大好きだった。
――だから、こんなことになるだなんて思っていなかったのだ。
ママに一生のお願いして、ベビーカーを持たせてもらったその日。たまたまそこがじゃり道で、ママの声を聞かずに走ったエクレールは、石に足をとられてベビーカーごと地面に突っ込んだ。
ころんとセラの体がベビーカーから落っこちた。じゃりばかりの道に、ちっちゃなセラが頭から落ちる。ぎゃーっと火のついたような泣き声が上がった。呆気にとられてエクレールはセラを見た。セラの頭は真っ赤になっていた。
――真っ赤だった。
――そんなつもりなんかじゃなかった。
「セラ!」
ママが真っ青になってセラに駆け寄った。ぎゃあぎゃあとセラは怪獣みたいに泣いている。
「何をやっているの、エクレール!」
「……ち、ちがうもん」
溢れた声は震えていた。膝からは血が出ていた。
「セラ! セラ!」
「エクのせいじゃないもん! ちがうもん!」
「黙っていなさい!」
あんな怖いママの顔を見たのは初めてだった。悲しくなってセラを見た。セラはぎゃあぎゃあ泣いている。真っ赤なセラはもっともっと怖かった。
「うわああああああああん!」
いつの間にか、エクレールは声を上げて泣いていた。ママがセラの額に布を巻いたりしているのを、エクレールはただただ、泣いて見ていることしかできなかった。
* * *
セラは頭を少しだけ縫った。額の傷は一生残るだろうと言われた。前髪で隠れる程度の小さな跡だ。切ったのが額だったから、たくさん血が出たんだろうとお医者さんは言った。
女の子なのに。ママがぽつりと悲しそうに言った言葉が、痛かった。
絆創膏を貼った膝を撫でて、エクレールはベッドですやすやと眠っているセラを見下ろした。
ぷくぷくまるまるしているセラは、今日もよだれでべしょべしょになった指先を突っ込んで眠っている。たくさん血が出て痛かったことなんて忘れたかのように幸せそうに眠っていた。その額には真っ白なガーゼが当てられている。思わず、小さな声が溢れた。
「ごめんね」
痛かったよね。
びっくりしたよね。
エクレールの声なんて聞こえなかったように、セラはすやすやと眠っている。
「ごめんねえ、セラぁ」
涙が溢れた。
ごめんね。
ごめんね。
そんなつもりなんてなかった。セラのこと、大嫌いなんかじゃなかった。無事でいてくれて、本当によかった。
ぽろぽろ、ぽろぽろ涙が溢れる。
「ぅ、ぁー」
瞼が開いて、アイスブルーのまんまるな瞳がエクレールを見た。ちっちゃくて、ふんづけたら潰れちゃいそうなてのひらが、エクレールに向かって伸ばされる。
「あー」
よだれまみれの顔で、セラが何が言っている。
「あー」
「セラあ」
そのちっちゃな手を壊さないように、優しくぎゅっと抱きしめてエクレールは泣いた。
――守ろうと思った。
この子は、セラは、ずっとか弱くて、だれかの助けがないと生きていけない。ちょっとしたことで、簡単に傷ついてしまう。
守らなければ。――私が、守っていかなければ。
母さんが死んだ。父さんが死んだ。私たち姉妹は、二人きりになった。
だけど、セラのことは私が守る。求人誌から顔を上げた私を、セラが心配そうに見つめていた。
「お姉ちゃん」
「安心しろ、セラ。おまえのことは、私が守る」
誰よりも強くなってみせる。可愛くてちっちゃな私のセラ。時間が経って成長しようとも……セラ、おまえは私の妹だ。
* * *
カランと、結晶になった涙が零れ落ちた。
「コクーンを守って」そう言い残して、セラはクリスタルになった。私にはもはや、何も残されていない。私のすべては、セラだけだったのだから。
だから、ルシにされようがこの後どうなろうが。すべては絶望に塗りつぶされた筈だった。
「ライトニングさん?」
追いかけてきた銀髪の小さな背中。
「ライトでいい」
私は短くそう言った。
「これからどうします?」
「ガプラの森を抜けてパルムポルムだ。エデン行きの足を手に入れる」
守るものがない私は、先へ進むしか残されていない。そうだというのに、この頼りない少年は、私に付いてこようとする。守れないと言ったのに、構わないと答える始末だ。
「街に着いたら案内できます。僕の家、パルムポルムなんです」
「寄れないぞ」
「行きませんよ。ルシが帰ってどうするんですか」
振り向かずに前へ進む。
何もかもを失った薄暗い夜の出来事。硝煙の匂いと、下界のゴミに囲まれたヴァイルピークスで、私はホープと旅をすることになった。