2017.12.05 執筆
2017.12.24 公開

その後の話 #α

 立て続けに下界行きの任務続きだったからな。溜まりに溜まった有休を少しは消化してこい。広域即応旅団――通称・騎兵隊の司令官、またの名をライトニングの直属の上司。リグディ中佐のありがたいお言葉である。
 半ば追い出されるようにして、ライトニングが騎兵隊の寄宿舎から放り出されたのが午前中のこと。こんなことなら出勤する前に連絡してくれ、と心底思ったものの、コミュニケーターの電源を切ったまま眠りに就いてしまったのはライトニングの落ち度なので強くは言えない。
 まだ若い盛りだろう。恋人との時間は大切にしているか。たまには甘えてみせないと、ファロン少尉のようにお堅く見える女性相手は、少年も不安になるんじゃないのか。
 散々な言われようである。口が過ぎる上官に向かって咄嗟にぶん殴らなかった自分を褒めてやってもいいくらいだ。
 余計なお世話が過ぎるし、そもそもこれはセクハラなんじゃないか。怒りをぶつけたいのは山々だが、あいにく宿舎内でのリグディ中佐の評判は抜群に良く、おまけに女性人気も高かった。それ自体は理解できるものの、納得できるかどうかは別問題だ。
 鼻息荒く足早に寄宿舎を抜け出したところで、ようやく頭に上っていた血が下りてきた。――恋人との時間は大切にしているか。たまには甘えてみせないと、ファロン少尉のようにお堅く見える女性相手は、少年も不安になるんじゃないのか。言われてみればリグディ中佐の指摘はもっともで、その……ホープと恋人らしい営みだってないわけじゃないけれど、甘えているかと言われたら言葉に詰まってしまう。
 そもそもライトニングは人に頼ることを良しとしない性分だ。経済的にも社会的にも自立した人間として扱われるために、思春期から必死になって働いてきた。……そりゃあ、あの旅から数年経って、少しは甘えるということを意識するようにはなったけれど。だけど、今回のように他人から指摘されるとどうしようもなく言葉に詰まってしまう。
「……会いに行くか」
 幸い、ライトニングはホープの部屋の合鍵を持っている。いつでも来てもらっていいんですからね。ホープは笑ってそう言ってくれていたけれど、基本的には都合を合わせて会いに行くわけだから、突発的に上がりこんだ試しはない。今日のような平日なら、ホープはハイスクールで授業中だろう。
 けしてリグディ中佐の言葉に乗せられたわけではないが、その気になった。前回会えたのだって二週間前のことだし、いい加減ホープの顔も恋しい。ガラでもないということは分かっていたけれど、こうして改めて指摘されると、可愛げのない自分には少々……いや、かなり自信がなかった。
 とにかく、一旦自宅に戻って準備しよう。一度決まれば、行動の早いライトニングである。
 電車の発車を告げるベルが鳴り響く。ライトニングは荷物を担ぎ直すと、一息に電車へと飛び乗った。

   * * *

 エデンのハイスクールへと進学したホープは、さほど遠くない1DKの部屋を借りて住んでいる。流石の首都ということもあって、家賃はボーダムに比べると相場が高い。渡されていた合鍵を使って、扉を開く。別に悪いことをしているはずではないのに、妙にドキドキとした。ホープの部屋の匂いがする。扉の向こう側にあるこぢんまりとした部屋を見渡して、ライトニングは苦笑を零した。
 相変わらず、部屋の中はものが少ない。必要最低限しかものを置かないホープの部屋があんまりにも殺風景すぎるからと、ライトニングが買ってきたサボテンやらクッション(ビーズのふわふわするやつだ)やらを置いたおかげで、ようやく生活感が出たくらいだ。
「……少し、埃臭いな」
 ハイスクールに通学した後は、バルトロメイが興したアカデミーの手伝いに出かけているらしいから、ろくに部屋の掃除が行き届いていないのだろう。多忙なのは結構だが、生活くらいはちゃんとしてもらわないと困る。自分のことはすっかり棚に上げて、ライトニングは腰に手を当てて部屋の中を見渡した。
 幸い、今日の天気は快晴だ。湿気も少なく、最高の洗濯日和だ。手始めにライトニングは、ホープのベッド周りから片づけることにした。どうせ、ホープが帰ってくるのはハイスクールが終わってからだ。それまでの間、手は空いている。料理に関しては中の下を自負しているが、基本的にファロン家はセラとライトニングの二人で家事を回してきたのだ。片づけをすることは嫌いじゃなかった。
 シーツを洗濯機へと放り込み、布団はベランダの日当たりのいい場所に引っ掛けた。今日のファルシ=フェニックスはご機嫌らしく、ぽかぽかと温かな光が差し込んできている。一、二時間ほど当てていればさぞかしふかふかに生まれ変わっているだろう。なんとなく気分が良くなって、鼻歌を歌いながらライトニングは腕まくりをしてみせる。洗濯物に、床掃除。それから水回りも。ライトニングの掃討作戦は、まさに今、幕を上げたばかりだ。
 掃除は武器の手入れに似ている気がする。銘まで打って大事に使っているブレイズエッジは、いつ抜き払ってもいいように、毎日きちんと研いで手入れをしてある。地味な作業だったが、ライトニングはその時間が好きだった。だから、引っ張り出してきたはたきで部屋の埃を落とし、水回りの垢を丁寧にスポンジでこそぎ落とし、バスタブをぴかぴかに磨き上げ、そして掃除機をかける頃になるとアドレナリンは全開だった。気分は徹底的に綺麗にしてやろう、である。本来の目的を忘れているとも言う。
 だから、ベタもベタベタなベッドの下から雑誌を吸い上げた時、何か挟まったなと認識した程度だった。取り上げてみてから、思わずライトニングは硬直する。その表紙には、あられのない格好の女性が大きく掲載されていたからだ。
 いわゆる大人の本。俗っぽい言葉で言えば、エロ本。切れ長の瞳のクール系美人が、流し目で腕を前に寄せるポーズを取っている。盛り上げられた乳房から覗く薄桃色の突起までが綺麗に印刷されているのを見て、ライトニングは耳まで赤くなった。
 動揺しすぎて、手に持っていた本が落ちる。ばさりと本が大きく広げられて――しどけない女性の見開きぶち抜きが御開帳になった。辛うじて大事なところはモザイクでぼかされているものの、こんなものを目にする羽目になってほとんど泣きそうだ。なんだこの品のない煽り文句は。というか胸ばかり強調されてないか。
「こんな……こんな、本なんて!」
 と言いながら後ずさりしてしまう自身がひどく滑稽だった。戦場では敵なしの「閃光のライトニング」とまで呼ばれた自分が、たかだかエロ本一つに翻弄されている事実が腹ただしい。というかなんでホープはこんなものを持っているんだ!
 このままにするわけにもいかないので、親指と人差し指でその如何わしい本を摘まみ上げた。「爆乳特集」と書かれてあった。「たわわなFカップ」とも。ライトニングのブラジャーのサイズはCカップなので、それより三カップも大きい。泣きたい。
 結局どうしたらいいのか分からずに、ライトニングは元あったベッドの下にその如何わしい本をしまいこんだ。見なかった事にして、掃除機をかけ直す。……が、コードが足に絡まって引っ繰り返ってしまった。おまけに、その拍子に床掃除用に汲んであったバケツの水まで零してしまう。
「くそ……」
 幸い、自分が水を引っ掛けるという被害にこそ合わなかったものの、せっかく綺麗に掃除しようと思っていたのに台無しだ。ぶちまけた水を雑巾で拭き直し、悪態を突きながらライトニングは床を磨き直した。……やっぱり、ベッドの下が気になってしまう。仕方がないので、干しておいた布団を取り込んで、買い物に出かけることにした。
 自ら公言しているが、料理は中の下だ。頑張れば作れなくもないが、胃袋に収めれば全部一緒、という極めて合理的な思考回路を持っているが故に、ライトニングの味付けはかなり雑だ。まずいものを食べさせるよりは、買ってきたものの方がいいだろう。その観点から、気分転換を兼ねて買い物に出かけたものの全く気分転換にならなかった。
 商業都市パルムポルムの対面販売式の小売が受けたのを輸入する形で、エデンの一角にも直に手に取れるが売り文句のスーパーマーケットが台頭している。コクーンではネットショップが主流のためか、やはり対面形式の小売はエデンでも受けが良かった。ショッピングカートを手に、実に様々な人が買い物を楽しんでいる。しかし、ライトニングにとっては、ここに来たのがそもそもの間違いだった。
「お腹いっぱいになれる焼き芋ですよー!」
 朗らかな笑顔で売り子をするおばちゃんの「いっぱい」を「おっぱい」に聞き間違え、挙句の果てに「精が付く料理!」という煽り文句を見て、道端で真っ赤になる始末。どう考えても先ほどの本が影響をもたらしている。それも、とてつもなく悪い方向で。
 調理済みのチキンと、サラダのセットとバケットを買い求め、ライトニングは逃げるようにスーパーマーケットを飛び出した。飛び交う人々の声を、卑猥な単語に聞き間違えてしまう自分がとてつもなく恥ずかしかった。
 これじゃあまるで、そういうことをしたいみたいじゃないか――そう考えて、今日はホープの部屋に泊まるつもりで詰め込んできた荷物のことを思い出す。たまには甘えて……。その言葉を間に受けて、少し背伸びした下着を入れてしまった。きっとお姉ちゃんに似合うから、とセラと下着屋に入った時におすすめされたものだ。いざって時の勝負下着の一つや二つ必要でしょ、というその言葉はそっくりそのままセラにも跳ね返る。とは言え、未だにスノウとセラがそういうことをしているということを匂い知ると、なんとも言えない気持ちになるのがライトニングの正直な心境だ。恐らくセラもそうなのだろうが。……余談は置いておく。
 確かに、確かにそのつもりがないわけではない。たまには恋人らしく、甘えてみようかと思わなかったわけでもない。きっとホープは喜んでくれるだろう。口にはしていないものの、ホープは七つ年の差があることを気にしていることを、ライトニングもまた察している。
 今でこそ第二次性徴を迎えてずいぶんと背が伸びたが、かつてのホープはずいぶんと体格差を気にしているようだった。そんな彼だからこそ、恥を捨てて甘えてみるのも大切かもしれない。そう思っていたのに、ベッドの下の本で台無しだ。嫌が応でも行為のことを思い出してしまう。裸で抱き合った時の触れ合う肌の気持ちよさだとか、最中に荒くなる彼の吐息がとてつもなく色っぽいことだとかを。
 再び赤面して、ライトニングは嘆息した。これじゃあ発情期の獣みたいじゃないか。それもこれも、全部あの如何わしい本が悪い。
 買ってきたサラダを冷蔵庫の中に入れ、チキンとバケットはパッケージに包んだままテーブルに乗せたライトニングは、ともすれば走り出そうとする思考を振り払うように浴室のドアを開けた。
 シャワーでも浴びれば、少しは冷静になれるかもしれない。トランクの中の着替えを引っ張り出して、脱衣所に放り込む。そのまま飛び込むようにして浴室の中に入った。
 昼間のうちにピカピカに磨き上げた浴槽は、見ていて心地がいい。やっぱり掃除は好きだ。使い込んだものが綺麗になるのを見るのは、不思議と心が安らいでいく。なんとなくほっとした心地になって、ライトニングはスポンジに手を伸ばした。ボディーソープをたっぷりつけて、ふわふわの泡を作る。その柔らかい感触を楽しみながら、首、脇、腕と順番に擦っていった。円を描くように擦るスポンジが胸へとたどり着いた時、ふと思った。もう少し胸があれば良かったのに。持ち上げた重量感は、本の表紙を飾っていた彼女に比べると、些か心もとなかった。
 ホープはきっと大きいのが好きなんだろう。そう思うと、Cカップに罪はないが、恨めしかった。……いいんだ。胸が大きいと、訓練で邪魔になる。このくらいで丁度いい。そう、自分に言い聞かせる。
 今日の掃除の締めくくりは自分の体だ。そう思って、背中や首の後ろまで丹念に泡立ててから、シャワーで洗い落としていった。
 濡れた髪は、持ち込んだお気に入りのシャンプーで泡を立てた。薔薇の香りのする、お風呂上がりにいい匂いのするものだ。洗い残しが一つもないように、毛穴を掃除していくつもりで丁寧に丁寧に洗って、それから次はコンディショナー。べたべたになりすぎない量を手のひらでなじませて、髪の毛に当てていく。
 コックを捻れば熱いお湯が全部を洗い流してくれる。すみからすみまで、徹底的に洗い尽くした。ホープがどこを触れたって、後で後悔しないように。――そこまで自然に考えてしまってから、とうとうライトニングは観念した。考えないようにすればするほどどツボにはまってしまう。どうせ、二人きりの日は行為に移ることのほうが多いのだ。幸い、今日は月ものが重なっていない。なら、変に意地を張らないで、心の準備をしてしまった方がいいのではないか。開き直りの力は大切だ。
 ああ、と一人力強く頷いてみせる。ライトニングは浴室のドアを力強く開いた。腹をくくってしまえば、どうということはない。女は度胸だ。
 準備しておいたふかふかのバスタオルに身を包み、磨き上げた体から雫を拭き取っていく。たっぷりの化粧水。パックで美容液を染みこませながら、その隙にドライヤーで髪を乾かしていく。生乾きの内にヘアオイルを忘れずに。これをつけることで、仕上げた時、髪の毛がしっとりとまとまってくれるのだ。
 ライトニングは出しておいた下着に手を伸ばした。シルクの生地の、頼りない淡桃色の下着だ。両サイドは細い紐だけで結ぶタイプのものは、生まれて初めて買った。初めて手にするそれをドキドキしながら身に付けると、不思議な高揚感がある。
 ……とは言え、付けるのは家の中だけでいいな、と苦笑した。外では流石に恥ずかしい。揃いのブラジャーを付け、前開きの部屋着に着替える。この頃になると、まだホープは帰ってきてもいないのに、妙に緊張してしまう。
 ドライヤーで毛先まで乾かした後、パックを外して、最後は丹念にクリームで蓋をすれば、お手入れ完了だ。なるだけ時間をかけて、最後は丹念に仕上げた。……傍から見れば、本当に、本当に馬鹿馬鹿しいことなんだろうけれど、それでもホープに会えるのは嬉しかった。できれば、磨き上げた自分で会いたかった。ビーズクッションに顔を埋めて、昼間に干したふかふかのベッドの上に横になる。
 帰ってきたホープは一体どんな反応をするだろう。驚くだろうか。……きっと驚いてくれる。それで、多分、キスをするのだ。穏やかな顔をしているけれど、ああ見えて余裕がないことをライトニングは知っている。
 Fカップ。脳裏にその単語が思い浮かんで、ライトニングは再び眉を寄せた。あの本のことはどうしようか。責めることは簡単だろうが、彼が思春期であることを思うと気の毒だった。そもそも、ライトニングもホープも多忙で、お互い会えない日があるのだから、仕方がないのではないだろうか。
 いや、と首を振った。きちんと聞いてみなければ。彼が巨乳好きだったとして、その……自分では絶対的にボリューム的に足りないことは分かってはいるが、せめて何か他で補えないだろうか。今から胸が大きくなることはそうないだろう。だが、せめて胸がない分、どこかで埋め合わせてやりたい。服越しに、ボリュームがあったらこのくらいだろうか、と胸の形を描いてみる。……虚しい。
 とにもかくにも、全てはホープが帰ってきてからの話だ。早く帰ってこないだろうか。クッションに頭を埋めながら、ライトニングはそう思う。会いたい。あの優しい顔で微笑んで欲しい。
 まったくもってらしくない。だが、たまのオフにはこんな自分になってもいいかもしれない。照れくささに、お日様の匂いがする布団に潜り込んだ――のが間違いで、ライトニングはその後、ものの見事に寝落ちした。
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