2018.05.09 公開

望郷

 さらさらと、風に乗って流れていく。
 クリスタルの粒子が作る、白く、なだらかな丘。その先には、腐食し、すっかり錆びついてしまった標識が見える。かつては道路だったのだろうか。舗装されていた道は、今やすっかりひび割れて見る影もない。朽ちた廃屋。がらんどうの広場。
 一掴み、白い粒子をてのひらに乗せてみた。風が吹いて、それはあっけなく吹き飛ばされてしまう。さらさら、さらさらと。
 日の光を受けて七色に煌めくプリズムは幻想的で美しい。しかし、どこか死を連想させる虚ろな美しさでもあった。
「――」
 ヲルバ=ダイア・ヴァニラは顔を上げた。愛しい故郷の成れの果てが、眼前に広がっている。出立の日、もう帰ることはないと思っていた。焦がれて、焦がれて、渇望した故郷だ。
 コクーンで目覚めて、ずっと帰りたいと願っていた。帰って、あの懐かしいみんなの声を聞きたかった。グラン=パルスの人類はとうの昔に絶滅した。コクーンでそう聞かされてはいても、あの賑やかな郷が滅んだというのはにわかには信じがたくて、実感を伴っていなかった。
『ヴァニラ! またコクーンを見ているの?』
『うん。こんなに近くにあるのに、手が届かないんだなあって』
 今でも、幼いきょうだいたちの声が聞こえてくるような気がする。ヲルバの郷はみんなが家族だった。例えそれがファルシの供物だろうが、その日を生きていくためにみんなが協力して生きていた。
 今でも鮮明に思い出すことができる。狩りに出かけていく男衆。郷の雑事を引き受ける女たち。狩った獣をさばいて、毛皮を剥いで、衣服をこしらえた。肉は調理をして、一部は日持ちする干し肉に。骨は装飾品になった。色とりどりのアクセサリーと、ふわふわした毛皮でできた服。見て見て! できたてのそれらを、きょうだいたちと一緒にはしゃいで回ったのが懐かしい。
 その日生きていける分の大地の恵みに感謝を捧げて、みんなで囲んだ賑やかな食卓。コクーンの生活水準に比べたら、けして裕福とは言える生活ではなかったのかもしれない。だけど、みんなで怒ったり、泣いたり、笑ったり、驚いたり。そういうあたり前な営みを与えてくれたヲルバの郷は、ヴァニラとファングにとってかけがえのない故郷だった。
 再び顔を上げる。
 ヴァニラとファングがかつて時を刻んだ故郷。最果ての郷、ヲルバ。今やすっかり朽ち果てた郷はクリスタルの粒子に埋もれ、かつての面影をいくばか残すばかりだ。――そして。
 人ならざるものの嘆きの叫びが迸った。あれはシ躯だ。ファルシの使命を果たすことができなかった人間の成れの果て。
 ヴァニラとファングがクリスタルの眠りについて数百年、その間、パルスのファルシは減り続ける人間をまるで消耗品のようにルシに変えていったのだと聞いた。事実、ここへ至る道のりでおびただしいほどの石碑を見ている。石碑はシ躯化したルシが、さらに永い時をかけて石へとその身を転じたものだ。パルスの人々は、信仰の対象であったファルシによって滅ぼされている。
 だから、つまり、このヲルバに彷徨っているシ躯は――ここに住んでいた“かつて人と呼ばれていたもの”なのだろう。もしかしたらヴァニラの知っている人かもしれないし、そうじゃないかもしれない。いずれにせよ、苦楽を共にした家族たちの血縁が、ここにいるシ躯たちの正体だ。
『ねえ、ヴァニラ』
 きょうだいたちの声は、昨日のことのように思い出せる。だって、ヴァニラにとって、それはまだほんの少し前のことなのだ。ファングがルシになるなら私も! そうやって郷を飛び出して、一緒にルシになった。ラグナロクにその身を変えて、コクーンに喰らいついたファングを見ていたあの時、女神の声を聞いてヴァニラとファングはクリスタルになった。その眠りから目が覚めた時、何百年もの時が経っていただなんて、一体誰がすぐに受け入れられる?
 少なくとも、ヴァニラは受け入れられなかった。頭では理解していても、心は追いつかなかった。コクーンはすごいね。知らない技術がいっぱいあるね。ごはんも簡単に手に入る。魔物も全然大したことない。
 それでも、例え生活がずっとずっと厳しくても。……パルスが恋しい。きょうだいの声が聞きたい。
 ルシであることから逃れる手がかりがパルスにならあるかもしれない。その旅の中で、もしかしたらヲルバには誰か生き残っているかもしれないだなんて淡い期待を浮かべてしまったのは、多分、家族の死を受け入れたくなかったからだ。みんなも、その子供たちも、過ごした思い出も。ぜんぶ、ぜんぶ、なくなってしまったという事実を認めたくなかったからだ。
「ヴァニラ」
 いつだってヴァニラの傍にいてくれた大好きなファング。気遣うようにヴァニラの名前を呼んだその声は、微かに掠れていた。
「私は大丈夫だよ、ファング」
 頭では分かっていた。故郷はもう、だめなんだってこと。ヴァニラが大好きだったヲルバはもう失われてしまっているのだと、頭の片隅でなんとなく、察してはいた。――でも。でも、でも。
「無理すんじゃねえよ」
 ぶっきらぼうで優しいファング。ファングだって悲しくないわけなんかないのに。この郷を守るんだって、いつもそう言っていたのに。
「……うん。ありがと」
 そっと手を伸ばすと、ファングはその長い指で握り返してくれた。ちょっぴりひんやりしている手。だけど、握っているとあったかくなってくる手。それがとてもファングらしいと思う。一見、ぶっきらぼうに見えなくもないファングだけど、懐に入れるとどこまでも情に熱いのだ。
 顔を上げる。変わり果てたヲルバの里と、変わらず手を握ってくれるファング。何百年の時を経て変わりゆくものと、変わらないものが確かにこの手の中には、ある。
 ヴァニラは振り返った。気遣う仲間たちの視線と目が合った。彼女たちはコクーンの人間だ。パルスの敵。悪魔のしもべ。ずっとそう、言い聞かされて育ってきた。
 だけど、ライトニングも、スノウも、サッズも、ホープも。みんな同じだった。時や育った環境が違っていたとしても、ヴァニラやファングと同じ“人間”で、大切な仲間で。
『グラン=パルスでは、みんなが家族。嫌がったって、ずーっと一緒だよ』
 “家族”だった。
「私たちなら大丈夫」
 ちらりと見上げるとファングと目線が合う。頷き合って、ヴァニラはもう一度仲間たちを見た。
 クリスタルから人間に戻ることはあれども、シ躯になった人間が戻ることはけしてない。それはパルスの人間にとっての常識だった。ファルシはルシを選ぶ。ルシは使命を果たす。ヴァニラとファングは、ファルシに捧げるための供物だった。そうであるよう、教えられて育ってきた。
 だから、みんな、分かってる。永い、永い、それこそきっと気の遠くなるような時間、故郷に留まり続けた。みんなを、女神さまの元に還してあげたい。
「終わらせてあげて」
 ルシの呪いを解くために、みんなでここにやってきた。結局、それらしい手がかり一つ見つけられぬまま、ヲルバまでたどり着いてしまった。明日は我が身かもしれない。シ骸化までの時間は、そう多く残されていない。
 空は、燃えるような茜色に染まっていた。
『ヴァニラの髪の色みたい』
 幼いきょうだいと見上げた空となんにも変わっていないのに、あの日はもう、二度と戻ってくることはない。
「日が沈む前にやろう」
 ライトニングがブレイズエッジを鞘から抜く。それに「うん」と短く応えて、ヴァニラはロッドを握り締めた。
 さらさらと、風に乗って流れていく。クリスタルの粒子が、泣きたくなるほど見事な夕焼けに照らされていた。
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